インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

八つ橋を食べながら、

2013-10-26 18:52:20 | 実用書
  雅太は土産の和菓子を食べながら、『幽体離脱トレーニング』なる本をパラパラめくってみた。京都の親戚から戻った親の土産、『本家西尾八つ橋』は甘くて、お茶が美味しかった。さて、トレーニングといっても、これをマスターすれば幽体離脱する保証もなく、そもそもある程度の経験がなければイメージしにくいだろう。雅太は寒くなる頃、不思議と夢の中で意識して動き回れるのを感じたが、さりとて、それほど偉業を成し遂げたという気もしない。夢の中ではなく、リアルな現実の中で、いわばカスタネダの本の「ヘナロ」のごとき生霊として、普通人を驚かせることが出来るほどならば、別であろうが。

 ただ雅太には方法ばかり書かれてあり、面白味が半減しているように思われた。ロバート・モンロー『体外への旅』のごとき、実際自分が体験したことを素直に書いてあれば、「ああ、こんなことが出来るのか、面白いなあ、自分もやってみよう!…」ということになるなるかもしれず、逆に「胡散臭いぞ、単なる夢じゃんか…」で終わってしまうこともあるだろう。

 もっとも、本書は著者の二冊目であるからして、もっとレベルの高い参考書を目的としたのかもしれぬ。購入者は、「すでに何らかの幽体離脱の経験者」で、一か月でさらにレベルアップを…ということなのかもしれぬ。ただ雅太には幽体離脱というのは、何かしら「意識のレベル」というものと関係しているようにも思われた。むろん、エネルギーの高い状態で引き起こされるのだが、「マイナスな心や世の中への不平不満が多い」と、なかなか難しいような気もした。

  果たしてて肉体的現象なのか、意識の現象なのか。ただ、雅太にも、「幽体離脱」とは、ある一定の条件で発生する現象、たとえば「沸騰した湯気」のようなもの、であるような気はした。だから、その時の条件をそろえれば、経験者ならば、離脱は出来るであろう。

 食べ過ぎと八つ橋で胸が悪くなった雅太は、今日は体外離脱など無理であろうと、風呂にでも入ろうと思うのであった。

  
28日間でマスターする 幽体離脱トレーニングブック
大澤義孝
アールズ出版

what to perceive

2013-10-21 07:28:10 | カスタネダ『呪術の実践』 !
雅太は英語版のカスタネダを読んでいるうち、翻訳版との差異に気づいて、腕を組んだ。


 "The first truth is that the world is as it looks and yet it is not," he went on."It is not a s solid and real as our perception has been led to believe,but it is not a mirage either. The world is not an illusion,as it has been said to be; it is real on the one hand,and unreal on the other. Pay close attention to this,for it must be understood,not just accepted. We perceive. This is a hard fact. But what we perceive is not a fact of the same kind,because we learn what to perceive."(原書)

  「第一の真実は、世界は目に映ったとおりであり、しかもそうではない、ということだ。世界はわしらの知覚が信じ込まされてきたほど、しっかりもしていなければリアルでもない。かといって幻想でもないんだ。世界はよく言われてきたような幻想なんかじゃない。リアルでありながら、リアルでないんだよ。この点をしっかり注意してくれ。これは単に同意するんじゃなく、理解しなければならないんだからな。わしらは知覚する。それは動かせない事実だ。だがわしらが知覚するものは、同じ種類の事実ではない。なぜなら、わしらは何を知覚するかを学ぶのだからな」(翻訳版)

 果たして最後の部分、 we learn what to perceiveは? 
 I don't know what to do.は「何をすべきか分からない」であるから、全く問題ない訳であろうが、、もっと奥深い意味が隠されている気が、雅太にはしたのであった。

相手の立場

2013-10-05 17:20:24 | 身の回り
  雅太は朝早く起きて、獲れたての新米を、父親援助の下、軽自動車いっぱい乗せた。軽乗用車のスプリングは荷の重しで悲鳴を上げた。車は小雨の山道を走り続け、雅太がアパートを借りている備後の小都会に向かう。駐車場など都合のいい待ち合わせの場所に、予定通り周り、縁故米を引き渡した。玄米10キロ2500円。雅太は妥当な値段だと思った。中元のビールをつけてやり、相手も喜んだ。雅太は相手の立場に立って、出来る限り、早く、都合を配慮し、引き渡す。カネを頂いて感謝されるのは実に心地よい。本当は実際に生産している雅太の親が享受すべき感覚なのだろう。的確に銘柄や植える時期などを選び、上手に作る。だが、生産者は、無機的な買取業者、農協の顔しか見ない。間接的に感想を伝えるため、雅太は親にCメールを書いて送った。

  コメ農家も、旨いコメを作り、ダイレクトに売れば、商売になるだろう。直接農家と契約する消費者は少ない。それは縁がないからだし、農家に営業力がないからだろう。雅太は主婦の口コミは恐ろしいものだとも思った。友人・知人・職場の仲間のネットワークで、雅太が働きかけなくても相手から申し込んでくるケースもある。前年の実績は、来年にも影響し、安くて美味ければ当然購入は続くのである。仮に最低一人15000円分購入するとして、200人の主婦の名簿をそろえれば、農業の年収は300万円、多ければ500万円くらいになるのではないか。もっとも雅太の親は年だし、JAに売ることを前提としており、それだけ生産する体制でもない。ただやり方次第であり、オプションとしてタマネギやらジャガイモなども直販できれば、ますます売り上げは増えるであろう。今のご時世、消費者は安全で安く、美味い農作物を求めているのである。

  不惑の年を迎えた雅太は、入金した通帳を見ながら、今は親から仕入れた金を少し上回っている程度だが、これからの利益というか、可能性というものも考えてみる。相手は切実に農家から直接買いたがっているわけで、その相手を見つけるのは早い者勝ちである。中には、取引していた農家がいたけれど、高齢化などが原因で廃業したから、という人もいた。割に合わないから後継者がいない。リアルな話、雅太とて、保証がなければ農業に投資しようとは思わないだろう。保証というのは、絶対に買ってくれる相手か。小説とかの出版物でもそうであろうが、新規に参入しようとする者は、相手の立場を考えず、自分の作りたいものをとにかく作ってみたりするのかもしれない。かくして雅太は今回の新人賞も選考に漏れたのではなかろうかと、思考が発展するのであった。