インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

自意識の亀裂

2012-09-04 07:05:50 | 聖なる木を創る、地域通貨
  朝晩、だいぶ涼しくなったような気がする。パサール満月海岸での祭りの余韻が、いまだに残っている。別府の泥温泉の旅行より、断然格安だったし、面白かった。「何をするにもカネはかかるさ(時間も)」とグダグダ考える自分がいたのだが(考えれば考えるほどネガティブになっていく)、ヒッピーたちを眺めていると、「風体を気にしなければ、何とでもなるのではないか?」と思えるようになってきた。

 まだまだ吾輩も、周りを気にしすぎている、自意識過剰、自尊心が残っているのである。

 吾輩は明日こうしなければならない、ここに住まなければならない、という執着心がまだまだあるのだろう。

 そういえば昔、執着心について頭をひねったが、

 すべては借り物なのである。仕事場にしても、居住地にしても、インターネットにしても、本来は「利用している」だけなのに、いつの間にか、変な意識が芽生えて、「利用されてしまっている」のである。

 奇妙な自意識が、自分自身をがんじがらめにしているのかもしれない。

 人生とは打席に立っているようなもので、絶好球が来ても、「これは自分の得意球ではない」と見逃し、いつか狙い球が来るだろうと待っているのである。

 バットを振らなければ、ボールに当たらないわけで、積極的に打ちに行かなければならない。球が見えていなければ当たらないが、そんな剛速球ばかりが人生の打席に投げられているわけでもないだろう。

 今回の満月海岸は、ボールが当たったような手ごたえがある。こういう傾向の球には極端に強いのかもしれない(自意識過剰か)。

 ただ、こういう球は日ごろの打席とは種類が違うので…、忘れないうちにまた打席に立ちたいのだわい(ヒッピー会場を渡り歩くのか)

 ついに違う球に手を出し始めたのですね(利用されないようにして下さい)

 

呪術の道を貫くと…

2012-03-01 05:39:46 | 聖なる木を創る、地域通貨
  10℃。ついに三月の突入。最近HTMLに凝り、毎日更新しているが、それもどうなるかわからない。ただ、現在「調整中」で、ずれたピントがもどるまでいじろうと思う(ということは永遠か?)

 さて、○→ ☆→ □→ ◎を「絵」で表示したら、単なるアホ踊りしている鳥にしか思えないので(書き手が鳥頭とか)、もっと奥ゆきが必要だ。

 そもそも呪術は意識を変えるわけだが、それは「内的対話を遮断」し、「無意識」へ、「夢見」へ、運んでいく。その時に、集合点は動かされるわけであるが、それは「反復」すること、「意図」すること、そして「死」が媒介となる。

 こうやってグダグダ考えていた所で、ただエネルギーが消耗するだけで、何の解決にもならない。単なる内的対話である(ただ、「反復」の材料になるかもしれない)。

 意識の背後には無意識がある。無意識を●としよう。そして肉体が活動しているのとは別の世界、夢見、未知の世界(非有機的世界)を■とする。眠っている時には、○→●になり誰でも経験するが(覚えていないか?)、体外離脱やら霊視やらガイドとの会話やら■な世界で活躍できるレベルには、なかなか到達できない。

 その○→ ■に至るプロセスとして、内的対話の遮断(=内的沈黙)があるが、それはお坊様の姿を想像し、「卍」とでも表現するか。

 単純な記号が尽きてきたのか、過去を思い出すこと(=反復)は一体どういう記号がいいのか分からないが、「∞}とでも表現するか(吾輩が幼い頃によく落書きしていた字だったり)。

 「死」は「×」としようと思ったが、髑髏マークがあったので、「☠」(機種依存文字。なければ「×」で行こう)。

 最後に、「意図」は何か足さなければいけないようなイメージがあるのでplus「+」とでもするか。

 かくして、○→ ∞卍☠+→ ■という別の方程式?が形成された。

 ということは、→   →  → 

 …が、呪術の道なのかもしれない(確かに「華やかな呪術師」というイメージはない)

 …ということで、■を□に引き上げて、明るく、楽しく、光り輝くものとしていかなければならないのだわい(やはりアホ踊り路線で行きますか)

どうやら美しい鳥が理想らしい

2012-02-28 06:20:45 | 聖なる木を創る、地域通貨
 最近、えらい閲覧率数が多く(500を超える!)、ひょっとしてサイドバーの画像が受けているのかもしれない(狙われた卵か?)。

 さて、事態は思わぬ方向に進んでおり、基本的には▽→△→○→▼→☆→▲→□→◎という世界観なのだが、実際に目の前に現れる現象は混沌としており、ロジックに沿って分解できない。

 ▽△▼▲は定義づけできるような単純なものではなく、複雑なカオス系のいわば、ごちゃごちゃ煮込まれたシチューのようなものであり、その中に○「意識」が放り込まれている、という感じか。

 ただ、右サイドバーのように、輝く卵が狙われている構図は極端で、卵にも親鳥やら、群れから守ってもらえたり、「地球の応援」があったりするものである。

 かくして、目をくらませる存在を外すなら、

 ○「意識」→ ☆「呪術」→ □「活動」→◎「意識の輝き」という流れに着目でき、

 →   →  → 

 …と描けるのだわい(おお、これまでのブログの文脈と何となく繋がってきた!)。

 ネイティブ・アメリカンが、花のように美しいケツアール鳥の羽飾りをつけたがるのも、意識の輝きを意図しているのかもしれない。 

 ただ現実は▽△▼▲があまりにも圧倒的であるから、

 煮込まれたシチューの中で、独特な味、色が出ることが現実だったりして(まさに煮玉子だわい)。

混沌としたブログを体系化するためのビジョン

2012-02-14 06:12:57 | 聖なる木を創る、地域通貨
   外は雨。8.1℃でやや暖かいはずだが(麻痺したか?)、湿気で冷たさを感じる。

 さて、混沌としたブログに、秩序を持たせるために、「世界を解釈するための公式」のようなものを導入してみようと思う。そしてそれにリンクさせ、説明させるように、己のブログを持ってくるのだ(ムリヤリ)。その「世界を解釈する方程式」であるが、ベースが唯識論(カスタネダ)となっており、

 まず①「無限の意図▽」=命令(光)があり(▽はイメージ記号)、②「大地△」(大自然、資源、そこにある物体)に働きかけ、③生き物に「意識○」を与えた、というわけである。

 しかし「意識」はもろに物体であるため、大自然から拝借せねばならず、交換経済の中を生きている。④つまり「意識」に対して、飢え・欠乏・苦しみなどの試練が与えられるというわけだ。生きるためにはモノやカネが必要になるのだから仕方がない。生き物は「闇▼」の中に投げられるのである(第四段階は闇)。

 そこで普通の動物ならともかく?、我々人間の「意識」は格闘させられるわけで、第五段階として「呪術☆」が登場してくるのだ(⑤は呪術☆)。これは「世界を変える=自分の意識を変える」行為で、意識を高めようと努力する行為である。

 「個々の意識」というのは、絶対的なものでなく、外部との関係で成り立っている相対的なもので、「システム▲」に影響される(超アウトローな呪術師は影響されにくいので?⑤の後に⑥のシステム▲)。それは古代ならインディオ部族のようなものだが、今は資本主義社会であり、集団・企業が「意識」にストレートに影響してくる。「小暴君」が君臨したりするわけで、集合点(意識の位置)が揺さぶられたりするわけだ。

 ⑥の「システム▲」は、大もとである④の「闇▼」の具体化されたようなものであり、部族、企業(国家もか?)は競争で潰し合い、「破壊と創造」を繰り返す。人間が活発に動き回っているわけで、⑦の意識の行為を「ダンスホール」とでも名付けようか(記号がないのでリアルに。足掻いている?)

 かくして、その過程で個々の「意識」がパワーアップすれば上手く行ったというわけで、意識は向上した(人間存在の目的)というわけになる(⑦は「意識の輝き◎」)。会社も利益が出、成長するに違いない。

 まとめるならば

 ①光▽→ ②大地△→ ③意識○→ ④闇▼→ ⑤呪術☆→ ⑥システム▲→ ⑦→ ⑧意識の輝き◎→ ①光(「イーグルに食べられるべく…」)…
 …ということになろうか。

新しい価値観、新しい商品・サービス

2011-03-30 20:31:46 | 聖なる木を創る、地域通貨
  夢日記のようなブログになってきたが、かえってアクセスが増えてきた(200人…)。ここで「インディオ組合を作る」「火山が爆発する」云々書いたところで、価値観は人それぞれだから?「アホか」ということになるのだが、夢とかの神秘的体験は「自分もそんなことがありました」と共感されるのだろうか。

  ネイティブ・アメリカンとかはキノコを食べたり、宗教的をしたり、神秘的な体験によって、人間同士がつながっていることは間違いない。東北の被災者のような壮絶な体験も、非日常的で奥深い人間の絆ができるように思われる。親族を奪われた悲しみ、絶望感、それでも生きようという意志、これまでとは違った価値観で生きざるを得ない。

 現代人は、多種多様な商品・サービスを消費し、それを繰り返して生活しているわけだが、カネを稼ぐため、生産者サイドに回らなければならない。資本に雇われるわけである。集まった人間の価値観がどんなにかけ離れていようとも(だからストレスがたまる?)、カネになるからルールに従い、協力し合って仕事を成し遂げる。カネにならねばすぐに分散である。価値観が合った仲間同士では、仕事を超えてずっと仲間でいられるかも。

 しかし集団になれば個々人が主義主張をしまくって収拾がつかない。得体のしれぬ力学が働き、自分の重要性が高まる方へと動く。当たり前である。自己中心性をとにかく抑えさせなければ、社会の秩序は維持できない。どうすればいいのか。「カネを稼がねば生きていけない」システムが一番いいということなのだろう。

 資本主義も民主主義と同じで、多数決で選ばれた商品だけが残る。「カネ=票」である。「あなたは何をすればいいのか?」 それは「市場に出してみて、たくさん票が獲れるような商品を作ればいい」、ということになるのである。ただ個人ではパソコンとか車とか作れないから、小説とかゲームソフトとか作ることになるのであろう。そういえばアルファポリスでも、一票クリックとかになっており、ずば抜けて得票されれば「出版化決定!」ということになっているはずで、それを励みにカネにならなくてもせっせと書いている輩も多い(我が輩もそうか?)。

 しかし朝から晩までカネにもならない小説やらブログを書いていては生活できないので、現実ではカネになることにエネルギーを注いでいる。そこでは、あんまし自分というものを主張しないし、まさか我が輩がこんなブログを書いているとは思いもよるまい。人それぞれだから、自分とて大した個性でもないのかもしれないし、世の中にはカネになることで自己実現をしている人も大勢いるだろう(?)。

 しかしながら(またネガティブな冒頭であるが)、そういう人々も、自分を抑え、多数に支持されそうなこと(カネになりそうなこと)を行っているのが現実ではなかろうか。やはり主義主張については人それぞれで、「自分はこれが正しいと信じている」としても、他人は「いや、ちょっと待った…」ということだらけなのである。

 それでも神秘的体験の世界になると、ごちゃごちゃした理屈、表面的な意識を超えるように思われる。まるで『フラッシュフォワード』(人類が同時刻に意識を失い、未来の同時刻のヴィジョンを見る)の世界であり、強烈な不思議さというのは一生付きまとう。それによって、人間の意識なんて簡単に変わるのである。価値観の多様性とはいえ、我々の価値観の深さというのはその程度のものなのかもしれない。といっても、習慣が意識を作っているのかもしれないが。

 神秘体験をする人間がどんどん増えると、これまでの価値観がバカらしくなって、きっと消費行動も変わってくるだろう。だんだん何を書いているのか分からなくなってきたが、新しい価値観と新しい商品、サービスが必要であるということか 

NETで繋がるということ。

2010-03-08 00:08:25 | 聖なる木を創る、地域通貨
internetとはコンピューターのnetworkであるが、目的がしっかりしていないと、ただ一方的になり、網状に繋がっていない場合が多い(このブログもしかり)。もっともgoogle経由でたまたまアクセスした人も多いし、適当に書いているブログでは、繋がりようがない。

 インディオ通信ではあるが、別に原住民やらインディアンの情報を集めたり、分析して発表しているわけでもなく、ただ文明に翻弄されている一人物の備忘録であるからして、第三者にとってどうでもいいことである。

 そういえば、「聖なる木を創ろう!」とか「インディオダンスホールで踊ろう!」とか得体の知れぬ企画はあるのだが、マーケット・メカニズムが働かないため、リアルさがない。「宗教団体をつくる!」に近い響きがあるが、インディアンたちがお布施を集めるビジネスをやるはずがないので(?)、もはや心の中で各自が勝手に世界に浸るしかない。

 net上で、絶対的な教義など押し付けるべきではないし、管理者が介入すべきでもない。ただ支持者が増えれば、発言力が強くなり(これが権威権力か?)、何かしら似たような魂が集う器が出来てくるのかもしれない。

 そして、無料で誰でもアクセスできる世界(来る者拒まず)から、パスワードで制限をかける仲間内の世界になるのかもしれない。民間企業のように、目的や構成員がしっかりとしてはじめてnetworkが有効に利用できるのだろう。目的があいまいでは情報提供の仕様がないし、得体の知れない情報提供者では…。

 netを最有効利用するには、独自のルールを作るべきなのかもしれない。そこで今、インディアンなルールを考えている所なのだが…、そうなるとメンバーにはある種の自己犠牲が求められることになり、それをどういう形で求めればいいのか…(カネとか血を流すとかは避けたい)

現物支給を!

2010-01-07 17:44:39 | 聖なる木を創る、地域通貨
  昨夜はあまりに寒かったので、大根などを移動して暖房をかけた(室温6度)。ドブロク用の?白米をクローゼットに移動し、空いたところへ入れたのだ。

 それにしても、この生活では実家が都会にあれば完全にパラサイトであっただろうが(?)、田舎にあっても米や野菜が送られる(頂きに行く)ので有り難い。事実上、親からの援助である。

 さて、一方ではそういった親もなく、国から支援を受けざるを得ない人々もいる。日本経済が良くないから、仕方がないとはいえ、東京都の派遣村200人、無断外泊 交通費2万円受給後(朝日コム)なる記事をみると、現ナマ支援は良くないなぁと思う(何に使うか分からん)。

 やはりアメリカのフードスタンプのように食料やらを現物支給した方が、良いような気がする(納税者が納得する)。2万円渡しても、タバコやパチンコなどで一瞬にして消えるわけで、最善の使用方法になるとは限らない。

 デフレ経済の今、現ナマは重い。2万円あれば一ヶ月の食費は十分賄えるわけで(たぶん)、節約暮らしのプロなら3ヶ月は生きられるのではなかろうか(無理か?)。

 こんなブログがあります節約暮らし&生活の知恵ブログ

 1日222円で生きられるのですか(電気なしの生活ですね)

  

島の経済システムを考える

2009-07-22 21:22:44 | 聖なる木を創る、地域通貨
 種子島の知り合いから電話がかかった。日蝕があったが曇っていて良く分からなかったという。辺りは暗くなったらしい。長いこと話したが、景気が悪く、ガソリンが142円になったと嘆いていた。

 南の島に持ち家があっても、現金収入がなければ生活できない。島で長閑な暮らしをするためには、島全体が一つの経済共同体でないとだめだろう。

 客観的に考え、沖縄だろうと、台湾だろうと、ルソン島だろうと、資源やら生産設備(会社)がなければ、現代生活が送れない(インディアン生活はできるが)。

 島で製造したものは出来るだけ島で消費しなければならない。安いからといって沖縄人が泡盛やオリオンビールを飲まずに、麒麟麦酒を飲めば現金が流出してしまう。島の収入と支出のバランスが取れないから、島人は出稼ぎに出なければならないわけである(or諦めて移住)。

 安くて良い品物がどんどん島に入ってくるようでは、島の産業は持たないから、多少悪くて高くても、出来るだけ島でつくられた品物を買うべきではないか。まさにインディオ組合でも作らねば、島の生活は持たないのである。

 島をカジノ化して、現金を落として貰うという手もあろう(犯罪率が高くなりそうだ)。だが島がカジノを営むより、産業を営むほうが健全ではないか(but財政難で無理か)。

 なんとなく、キューバという島が一番理想的なのではないかなぁ、と思うのだが(キューバ社会主義のすばらしさ)。閉鎖的な島は自由がなくて色々問題も多そうだが、ブロックしないと、下請けや派遣のように都合の良いように利用されるだけだと思う。

 沖縄とか独自の文化があるし、そういう共同体が出来そうな気もするのだが(現実を動かすのは「円」の力ですか)
 

落ち着きある世界

2009-07-20 19:08:38 | 聖なる木を創る、地域通貨
 コーヒータイム。
 あまりに冷静になると、自分が書いている全ての事柄が、馬鹿らしくなってしまう。「何かを書こう」というのは入り乱れた感情の結果であって、極度に冷静になるとストップしてしまう。書くことで溜まった感情を放出する必要がなくなるからかもしれない。

 カテゴリー「聖なる木」ではダンスホール云々書いているが、確かに踊って狂うのも感情を解放する手ではある。

 一方で、恐ろしく冷静沈着になっても、感情から解放されるに違いない。そこはきっと禅堂やヨガ教室の類であろうが、聖なる木では、もっと創意工夫を凝らして面白くあるべきだろう。

 エネルギーを充電できるような場所、それは南国の砂浜やら熱帯の森林、ピラミッドルーム?などを総合したような場所であろう(まさにマヤの遺跡の場所か)。

 現代は、落ち着きがない世界で、コンビニやスーパーではBGMが流れ、道路では騒音と物流が絶え間ない。冷静になるべき本屋(古本屋)??でも音楽が流れ、落ち着いて本を読めない。いや、立ち読みをなくし、冷静な判断をなくさせ、一時的な衝動によって購入してもらおうというのか。

 冷静になって考えてみると、

 買うのは止めました(ネット情報で十分。ただの嵩張るゴミ) 
 
 …というケースも多い。すると経済活動は停滞するわけで、とんでもないことになるだろう。 

 じゃんじゃん騒ぐしかありません(狂わされて買わされましょう;by 某店主)

理性と狂気

2009-07-10 20:57:00 | 聖なる木を創る、地域通貨
  コーヒーか、酒(どぶろく)か。金曜は酒でほざくか(三週連続)。

 子供(昔の我)が書いた小説(白馬)の訪問者数が、昨日11人…(ちなみにこのブログは134人…)。ほとんど読まれていないわけで、一昨日は8人(しかしページアクセスは135PVあったから、誰か砂地獄にはまられたようだわいどうでしたか)※あのブログをまた改造します(砂地獄の造成)。

 さて、
 昨日の最後、やけくそでる、という文があるが、それが正に100年前のインディアンのゴースト・ダンスであろう。

 ヤケクソの人間がどんどん増え、集まる。考えてもどうしようもないから、祈るなり踊るなりするしかない。そこでインディアンは予言者に従い、理性の力では打破できない状況(理性不足か?)を、シャーマニズムの力で解決しようとしたのである。その生命の叫びは、虐殺されて終わった。

 文明人の勝利に終わり、合理的な科学精神やら法治国家が根付いたわけである。しかしながら世の中はそう単純ではなく、カオスであり、非合理な部分が多い(合理的精神の限界)。

 一つのことに固執する、頑張ることは、狂うことである。良いか悪いかを別として。最善の結果をもたらすことが狂うことである場合もあるのだ。

 囚人のジレンマ(ゲーム理論)によると、自分だけが助かろうと、二人とも自白するから、二人とも重刑に処せられるのである(インディオ的解釈。結局は合理的な方向、双方自白に落ち着く)。

 本当に狂っていて何をしでかすか分からない者もいるが、ふつうは狂気の中にも理性がある(それがインディアンか?)。太鼓の音に従う動物の本能はそれに忠実なのかもしれない。アフリカ辺りでは、太鼓は「音楽」ではなく、社会的コミュニケーションの一つで、言葉「国語」である。

 囚人になるまで追い詰められ、死を感じたら、

 その言葉を読み取るのだ!(ほーほっほ、大地の踊り)

 ファンを狂わす野球観戦の応援ね(争いに巻き込むわけ)

 理性によって平和が持続すれば、それが一番です(このブログの書き手は狂気を抱えています。小説を読んでください)

人間同士の壁

2009-07-09 20:59:36 | 聖なる木を創る、地域通貨
 戦争をすれば、バラバラな集団はまとまるという。戦前の日本も正にそうで、「ともに闘う共同体である」という意識が作られるからだろう。きっとサッカーやら野球の応援もその一種で、争いに熱中することで、団結し、狂わせられるのだろう。それで何かしら人間のストレスが解消されるのかもしれない。

 地元の広島カープを応援したし、福岡に縁があったのでダイエー・ホークスも応援した。今は冷めていて、さほど心が揺るがない。カープの応援に熱中して一体何の得になるのだ?と現実的になったのかもしれない。

 プロ球団の地元のチームを応援して、地元の経済を盛り上げよう(そのおこぼれを頂戴しよう)というのは、昨日考えた「大きな箱」を作ろうという運動なのかもしれない。「阪神が勝ったら酒がタダ!」というのは、合理的経済人のやる行為ではない。しかしその狂気によって、人間関係が太いものに結ばれるかもしれない。

 自分の所さえ儲かれば良い、自分の仕事に集中して後は知らん、それが合理的精神である。価値観がバラバラの自由な世の中は、人間同士が壁を作っている社会であるといえる。

 本当は、そんなに変らない、同じ人間、同じ生き物であるのに、形式やら立場やら所有物に執着し、細かい差別やら種類にこだわり、「君と私は趣味が違う」「価値観が違う」とか相違点ばかり強調して、壁を作っているのである。

 しかるにサッカーやら野球を応援するときには、それら小さなこと?が全て崩壊し、団結して応援するわけである。仲間でなかった奴が、仲間に思える瞬間であろう。

 コンサートやら、酒を飲んで音楽を聴き踊ることもその類かも知れず、宗教団体に入って集いに参加することもそうかもしれない。…ということは、宗教団体が戦争するときは最高の団結力になるのか(タリバン?)。

 今の日本は敵はないが(?)、誰が味方なのかも分からない(?)。警察とかヤクザとかなら、団結して戦っているから分かりやすいが、大多数は実に分かりにくいのではないか。

 日本政治の世界がその象徴で、自民党を支持する人間があれだけ少ないわけである。何が味方なのか、何を味方にすべきなのか、混沌としている。高度成長期は「共産党が敵で、自民党が味方」の認識?だったかもしれないが、今は…。

 とりあえず、ヤクザ系(アウトロー)は敵という認識か(何をしでかすか分からん)

 ということはこのブログもヤバイですね(保安官の敵です)

 経済がもっと悪化すれば保安官の敵は増えますよ(アメリカなみに)

 「聖なる木」で人間同士の壁を壊しますか(やけくそ)

正気か、狂気か? ~買い物文化から、生命の文化へ~

2009-07-03 20:10:53 | 聖なる木を創る、地域通貨
 聖なる木について熟考するためには、酒を飲み、狂わなければならない(先週のパターンだ)

 この世の中は資本主義が完全に出来上がっています(聖なる木は生えません)

 冷静に考えて、実現は困難極まりない。このブログとて、タダだから読まれるのであり、仮に『聖なる木の世界』とか書いて自費出版しても、恐ろしい結果になるであろう。前もって、1000人とか必ず買われることが分かるなら、刷れるかもしれないが(これがドリームブッククラブの趣旨である)。

 果たしてどれだけの人間を獲ることができるか。人間の、生命の、内部に突き刺す本能(instinct)に訴えることが出来るか? どれだけの人を巻き込むことが出来るか?

 ストレス多きこの世界で、労働者は狂いたがっている。だから酒を飲み、踊る。それが生命の本質ではないか?

 酒や踊りは良くないという人もいるが、確かに精神をかき乱す面もある。しかし、それなら肉体を持って生まれてきたこと自体が、悪ではないのか?

 社会がここまで発展してきたのも欲望の結果で、それこそ『マネー神の崇拝』の結果である。古代部族の殺し合いのごとく、現代の市場競争システムで、企業は闘っている。血を流し闘うこと、死をもたらす闇の勢力が、人間を踊らせる(労働の隠喩)。

 本当に死を意識するのなら、これはもう狂うしかない。大地でるのである。生命の声に耳を傾けてみると、そこには次元の違う今が見えてくる。

 聖なる木の目的は、光を求めることであるが、光は暗黒の世界でこそ輝き、認識できるのである。火を囲んでってみれば、己の肉体を創り出した大霊と触れ合うことが出来る。

 マネー神の崇拝とは、生命が求める欲望の充足であり、生命力ある自分の崇拝である。聖なる木は、活力溢れる世界のことだ。

 人間の欲望に応えること、円天もこれで伸びた。しかし「円天」は残っても、「円」は消えてしまった。それは円天世界が円で仕入れるマーケットのみで、事業をやって外の世界に働きかけていなかったためだ。価値を生産していない。

 円天の世界にあるのは従来と同じ買い物文化であり、豊かな目的を送るというリアルな目的の価値(円天)である。それなら円を利用するままでいい。
 この聖なる木では、命の声を忠実に聞く。買い物文化ではなく、生命の文化を創るでのである。

 思い返してみれば、そもそもこのブログの読者傾向は、シャーマニズムであり、インディアンだけでなく、ニーチェ、サネヤ・ロウマン、シルバーバーチなどの霊的世界に近づくために、ハイアーセルフを見出すことであった。

 出口オニ三郎が目指した、霊的社会主義が実現できれば良いのだが、現実のこのグローバル経済の流れには逆らえないので、組合組織のような聖なる木を創ろうというのである。

 現代のパワーは買い手にあり、買い手の意識が全てを決定する。

 強欲な人間を買い手が排除するしかない。その買い手は閉鎖的経済団体を作り、生命の文化を築き上げるのだろう。すべては繋がっている。すべては文化である。シンボルが必要である。

 ダンスホールで組合員はるのである。価値を創るのである。

 安いからといって外国の商品を使い、勝者なき自由競争をバカみたいにやっているから、地方には何にもなくなり、ますます古臭い伝統にしがみつくことになるのである。流血する地方マネーを押しとどめねば、どうやって地方経済を守ることが出来るのだ?

 本来は生活必需品を扱う組合組織である農協(JA)がやるべきではないのか?

 種類が多すぎる。健康なものが一品あればそれでいい。買い物文化ではなく、生命の文化にエネルギーを。

 カネがあっても孤独で生命力がなく、幸せを感じない人も多いのだから。 

円天を創り上げた度胸

2009-07-02 23:25:48 | 聖なる木を創る、地域通貨
 男は度胸ということになると、円天の波 和二(なみ かずつぎ)元会長など相当なものであろう。他人の金を勝手に使って罵声を浴びても物怖じしないあの図太さ(客に自分を殺せと答えていた)、完全な詐欺師ではあるが、ああいった矢でも鉄砲でももってこい!という精神(ハッタリか?)は、人間を惹きつけるものがあるには違いない。だから約3万7000人から約1285億円も集めることが出来たのだろう。

 円天初公判毎日新聞

 地域通貨とは別に「電子マネー」があり、独自の通貨「円天」を利用していたようで、波会長ら幹部が出資金を使いまくっていたので、破綻するのは当然である(加えて出資者に利息まで与えるつもりだったようだ)。

 沢山の人が釣られたのも、波会長があの度胸で他を威圧したので、誰も逆らわず飛びついたのだろう。しかも独自の世界観(もっともらしい)で、客の希望・欲望に働きかけたわけである。

 ちょっと考えれば「おかしい」ということが分かるはずなのだが…。

 カネが湧いて出るわけがないのである。

 マネーの循環ですね(マルクスの資本の運動、いや、インディオ組合の運動ですか)

 明日当たり、聖なる木についてまとめてみましょう(総括に期待!) 

インディオ組合

2009-06-29 20:27:30 | 聖なる木を創る、地域通貨
今日も書かなければならない(しかし、何が要望されているのか?)

 聖なる木です。間違いありません(しらふで書いてください)

 実際どうなのか。「聖なる木」はアイデア(妄想)段階であり、まだ何も具現化していない。カネがないから何も出来ないわけであるが、これを書くことによって、独特のコネ・人脈が水面下で出来ているのかもしれない。むしろカネよりヒトが重要である。

 昨日のアクセス解析を見ると、閲覧数295 PV 、訪問者数159 IPで、やや多かった。無名人のブログにしては多い方かもしれない。『マネー神の崇拝』にしても、理屈が多いが、読了者(ただ項目を全部クリックしただけかも)が先週で2名いらっしゃった。

 大資本の歯車の一部、無味乾燥な生活に厭いている、将来に希望が持てない、そんな人間が増えると、ふつう宗教団体とかが繁栄するわけであるが、入信したからといって長期にわたる経済的保障がなければ何ら解決することはない。「人はパンのみで生きるのではない」とはいえ、パンがなければ信仰するどころではない。

 外国では、パンを得るために、都会に流れ込みスラムを作ったり、刺青を入れマフィアの仲間になるとか、麻薬を売ったり売春するわけである。日本が如何に温い国(だった)か、石井光太氏の『絶対貧困』でそう思った。

  石井光太公式サイト【コウタイズム】

 グローバル経済で世界中が均されるなら、日本もスラムが出来るのは時間の問題であり、既に出来ているのかもしれない。

 ただ日本の場合は自殺者が毎年3万人もいて世界的に図抜けている。法規制が厳しく、スラムは作らせない、死ね、という国なのかもしれない。現に出稼ぎのブラジル人とか戻って行くし…(あっちも酷かろうに)

 テレビとか新聞は、日本が自殺するしかない国であるとは言わない。解雇されるまで低賃金で辛抱しろ、とも言わない。惨状は知っているが、スポンサーである大企業に対して…。やはり言えるのは共産党ぐらいか。

 しかし共産主義より資本主義の方が遥かに上手くいくのは間違いない。必要なものを必要なだけ生産するのは、政府の命令ではなく、株価とか為替の変動とかに任せた方が合理的である。

 しかし株を上場すればマネーは流入するかもしれないが、ハゲタカに狙われたり外部からの影響をもろに被ることになってしまう。農協みたいに組合員が出資して、生産手段?を手に入れた方が、安定して上手くいくのかもしれない。

 農業だけでやっていけるわけがありません(でも多角経営してヤバイことに…〔住専問題〕)

 農協の組合員が、農協以外からガソリンや食料品を買うから赤字になるのです(インディオの家もJA組合員ですが、利用していません。農協、高いです)


 こう考えてみると、組合員方式で、組合員がそこから「絶対に買えば」、赤字になることはない。買い手の自由はなくなるが、現在の日本の状況からして、乗ってくる人間も多いのではないか。

 インディオ組合を作るのですか(インディオ市場ではなかったのですか)

 両立するのです!(頭の中では何でも出来ます)

 農協も精神的に農民を支配している部分もあるが、農民の腹の中は、「農協=米の値段を中間搾取し、口座を持たして搾り取る」ようなイメージがあり、一心同体という意識はあまりない(?)。米の値段が半額になっている現状では、支店も激減し、「頼りないなぁ」という印象しかないのではないか(むろん、今でも勢力は強い)。

 そこでアイデアが膨らむのだが(現実はかなり難しいだろうが)

 大企業に属さない個人が、各自資源を出し合い、組合を結成するのはどうだろう。

 インディアン同士で金を出し合い、組合員になって、皆で生活必需品の事業をし、その成果と利益を組合員に配る。お金(手形)の代わりに、組合通貨を廻す。だからどこも潰れない(ストレスが減るが、緊張感もなくなる)。出来るだけ現金は組合員の中に残す(組合で調達できない資源は買うしかない)。

 労働者数や生産量は、全体で調整し、多い所を削って足らない所に廻す。経営者や役員は、組合員の投票とかで選ぶ。

 これならば、「抜ける人間がいなければ」、成功する確率は高いのではないか、と妄想するのだが…。
  
 入墨団体をつくるつもりですか(インディオ・ファミリーの)

 まあ、とにかくこのままグローバル化の波に飲まれては、日本もスラムだらけになるのは間違いないわい(クローズドな集団は必然)

通販市場8兆円!の影響

2009-06-26 21:05:40 | 聖なる木を創る、地域通貨
  さっき、『幸せの1ページ』と『イースタン・プロミス』を借りてきた(630円)。ツタヤを眺めていると、あんなに娯楽があって、ネット、このブログとかが読まれるのは、タダだからだと認識した(インディオ通信;0円)。

 ついでに?酒を買って飲み(あれから二本目)、いかれた内容を書く準備が整っている。なにせ、このブログは「ひと夏」で終わるのだから。

 尾道の商店街にシネマ尾道なるものがあり、行って見たいなあ、とは思いつつも、行く必要性がない。何であれだけDVDが安くあるのに、高い金を払って映画館へ行かねばならないのだろう。他業種の商店も同じかもしれない。最近はネットで安い品が簡単に手に入るのだから。

nikkei.comをみると、『通販市場、コンビニ・百貨店抜く 08年度、8兆円強に』とあり、具体的には

 通信販売市場が成長している。2008年度の全国売上高は推定8兆円強と、コンビニエンスストアや百貨店の規模を抜いたもよう。自宅や外出先からパソコンと携帯電話を使いインターネット経由で注文する比率が7割以上に達する。このネット通販をけん引役に市場全体は00年度に比べて3倍強に膨らんだ。働く女性・高齢者の増加や自宅で買い物を済まそうとする傾向など消費構造の変化をとらえており、成長が続きそうだ。

  …とある。ソフトだけでなくハードも、ツタヤと同じ発想で、同じ品物ならば安い方を消費者は選ぶようになっているのである。工場から直接消費者に品物が届けば(間の業者が減れば)、恐ろしいほど格安になるであろう。一度味を占めれば、もはや電器店とか家具店に行く気にはなれないのである。

 こうなれば地方の商業都市(尾道も?)は衰退するばかりであり、楽天に参加するか、別の経営方針を立てなければならない。もっとも自宅の一階に看板だけ付けて、アルバイトにでも出ている店主もかなりいると思われるが…。

 通販のように、経済効率が良いほど価格は安くなるが、全体に金が回らなくなるので、かえって全体の経済が悪くなる。通販会社だって、他の通販会社同士で安売り競争をしていれば、潰れかねないのである。

 経済学で想定されているのは、「合理的な経済人」であり、人は同じ商品なら必ず安いほうを選択する。そして予算1万円であるなら、その範囲内で「最大の満足(効用)を得ようとする」わけである。そして現実に、そんな消費者ばかりである。

 しかしそれでいいのか。それが現実ではあるが、それは自分さえ良ければそれで良い、ということに繋がらないか?

 「買う」という行為は、その「相手を支える」という行為であり、多少自分は損をしても、それは後で自分に返ってくるからと、高めの商品を買うようなシステムの方が優れているのではないか。

 しかしそれをするには、あまりにも経済スケールがグローバルで複雑すぎる。素朴な人間関係は、もはや経済システムの前では、大海原に浮かぶボートでしかない。任せるがまま、何の抵抗も出来ない。

 そんな中、理想の島があればいいと思う。そこでは波の影響をあまり受けず、人間同士が支えながら、お金を回す。値段の上下や異国の天候に左右されないから、不安が少なく、お金を貯めることもない…。

 インディオ市場を創ろうではないか!(酒が回ってきた)

 聖なる木ですね(アウトローな楽天市場を目指すのですか)

 さあ、今何を書いているのかよく分かりません(あとで修正します)