インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

ナンセンスなスローガン、「がんばろう!」

2011-04-14 23:49:08 | 苦しみを分かち合う
  たまには真夜中に酒でも飲んでブログを書きたいこともある。愚痴かもしれないが、テレビをつければ被災地の惨状やら福島原発やら出てきて、「がんばろう!日本」とかで被災者を励まそうとしているが、何かがずれているような気がする。今でも、みんなリーマンショック以降の不況下を頑張って生きているのに、いまさら何を頑張るのだ。国家など税金ばかり取るばかりで、別に国民に仕事を与えるわけでもない。大勢が低賃金で耐えて「頑張っている」わけである。オーバーワークしている人々からすれば、「?」以外の何ものでもない。

 テレビにつられて「がんばろう!」と励まそう人たちは、本音ではない。被災者はスケープゴートのようなもので、「もっと不幸な人がいるから…」というネタに過ぎない。本当に「がんばろう!」というのなら、家族と別れ、家も捨て、仕事も捨てて、一からスタートして見本を見せてもらいたいものだ。頑張ろうにも、頑張るための土台がない。

 所詮、他人事であり、無責任な発言である。本当に自分がその立場に置かれたら、「がんばろう!」と叫ぶ連中がかなり偽善的に聞こえるだろう。そう、彼らの多くは、どん底を経験したことがないのだから。我が輩とてまだまだ甘い。こんなブログを書く余裕があるのだから。

 同情はしても、自分が体験するわけではない。「苦しいだろうが、頑張ってくれ(私でなくて良かった…)」。こういうことだ。被災者と一緒に苦しみ、仕事し、特殊な世界を味合うものだけが、被災者と分かち合えるのでは。

 こんな感じではマンダラ思考させられ、大勢が「被災者の立場」を本当に味あわさせられるような気がする。次の自然災害か、もしくは福島原発のメルトダウン…。特に後者は可能性が低くなくて、死の灰がまき散らされるかもしれない。現に、原発の循環システムは崩壊しているわけで、ただ冷却のために海水で洗い流しているだけ(汚して海に戻す。永遠と)。格納容器やら圧力容器にはすでに穴が開いているようで、システムの復旧も無理らしい。蒸気性でない放射物(プルトニウムとか)が大規模に出ていないことだけが救いだが、いつ爆発して飛び散るか分からない。とんでもない原爆が秒読みかも知れないのに、政府やらマスコミは黙っている。パニックになって経済システムやら社会秩序が崩壊するのを恐れているからだ。

 そうなると今、ミネラルウオーターやら納豆、ヨーグルトが品切れになっているより遥かに深刻な事態が起きるだろう。きっと缶詰やら米やら塩やら油やら買いだめが起こるだろうし、逆にブランドやら奢侈品は売れなくなるか。しかし本当に爆発したら、みんな逃げるから、そこにある生産設備やらルーチンワークを「頑張る」こともできないわけだ。「助けて!」と叫ぶしかない。しかしやっぱり自分で「頑張る」しかないわけか(??)。その時点で、多分、国家財政が破たんし、大インフレーションが起こるか。

 マイナス思考でグダグダ書いて恐縮だが、経済大国日本といえども、グローバル経済の中の一つにすぎない。利益を生み出す企業体の集積の上に成り立っており、国家財政は単にそれから税金をとってきたものにすぎない。税金をばらまいたり、補償補償では持たない。現に財政赤字は今でも酷すぎるのだ(1000兆円だ)。まずは税収を増やすために、個人というより「会社が頑張らなければならない」が、電気も出ない状況では話にならないし、そもそもデフレ不況、産業の空洞化で日本には頑張るビジョンすらない。何を頑張るのか? もっと具体的に、寄付を頑張る、今ある仕事を頑張る、ボランティアを頑張る…、いろいろありすぎる。

 カスタネダ流にいうなら、今あるエネルギーを増やすのを頑張るというのことになるのだが(それで「見る者」になれるようだ)。

寒さに想う

2011-03-17 07:02:07 | 苦しみを分かち合う
  昨夜はこの辺でもかなり寒かったので、被災者はさぞ寒かったことだろうと思う。あの状態で放り出されるわけだからどう考えても限界状況で、理性的には耐えているのだろうが、不平不満でいっぱいだと思われる。このブログは原始的なブログであるからこういう時にはアクセスが異常に増え、「何か書け」ということなのだろうか。

 大規模な火種は昔から「革命」や「戦争」の火種であった。何もかも奪われて無くなってしまったら、奪い返す権利があるのだ(とういか、そうしなければ生きていけない究極状況)、となるのかもしれない。安全地帯にいて、ぬくぬくと食べて眺めているだけでは、こういう心境は全然理解できない。自分たちはこのままの生活でいい、しかし被災者たちは辛いだろうけれどもこれまでと同じルールに従ってもらいたい、と考えている(都合がいい)。

 被災者は、少なくとも「僕たちは苦しいんだ!」と大きな声で叫ぶ権利はあるだろう。今の世の中は(でなくとも)、主張したり行動したりするもののみが、浮かばれるわけで、日本人の美徳のように思われている黙って耐えているだけでは、変わらない。周りは口だけだ。

 かくいう我が輩もボランティアに行くわけでもなく、口だけかもしれない。予備自衛官の知り合いが、岩手の方へ志願して行くらしいが、実に立派なことである。働くけれども、全然給料が出るわけでもない(むしろ集合場所まで行くのにカネを払うらしい)。「苦しんでいる人を助けてあげたい。ありがとう、と言ってくれる声が聞きたい」「子供にお菓子でもあげたい」とこの寒さの中、出発する。立派だと思う。

災害映像に思うこと

2011-03-15 06:09:29 | 苦しみを分かち合う
  テレビをつけると、地震津波や福島の原発のニュースが流れている。被災者が「これから先、いったいどうやって生きていったらよいのか不安だ」と語るのを聞き、何もない状態に投げられたわけであるから、まったくヴィジョンが浮かばないだろう。「独りぼっちになった~」と大泣きしている映像が心に残っており、絶望した人々の間で自殺者が増えるだろうと思われる。

 ある日突然、強制的にすべてを没収され、「何もかも捨ててたく鉢する坊主になりなさい」と宣告され、「はい、わかりました」とはならないだろう。「幸せ」というのは美味しい食べ物を食べたり、家族と楽しく過ごしたり、買い物したり自由に遊んだりすることとなっており、座禅をして悟るのが幸せだと思っている人はほとんどいないだろう。「これは意識をレベルアップし、見えないものが見えるようになるためのチャンスである!」と覚醒への旅を志す人もいるだろが、なかなか行法が分からないし(古代メキシコの呪術師の場合、五つの関心ごとか)、飢えやら寒さで逆に人間が荒れ狂うかもしれない。

 関東地方のように停電があるわけでもなく、安全地帯でぬくぬくと安定生活?をしている男に、いったい何がわかるというのか。いっそのこと仕事を辞め、レオネット生活もやめ、何もかも売り払って、自分を極限状態に追い込んで、試しにやってみろというのだ。

 昨日は「同情はネガティブエネルギーである」とかあったが、今は被災者はとてつもなく寒いと思う。放浪な車中泊を続けた経験からして、10℃を下回れば寒くて寒くて寝られない。ストーブや防寒衣類がないのなら、アルミホイルなシートで包まっても、東北の今の時期はとてつもなく恐怖の震えが襲い、寝られないのではないか? もちろん、カロリーが消費するから異常に腹が減るだろう。一週間も続ければ、きっと体はぼろぼろになり、病気になる人が増えるのではないか。

 映像では伝わらないが、被災者は極限状態に追い込まれているに違いない。『マンホールチルドレン』ほどではないかもしれないけれど。

大津波の報道

2011-03-11 19:41:41 | 苦しみを分かち合う
今週は田舎に戻らず、レオパで過ごすことにし、テレビをつけると、津波で車や漁船、家までがオモチャのように流されている映像が流れていた。宮城や岩手など、不況で経済環境が悪い中頑張っている人々の、家や車を奪われたことを想像すると、いたたまれない。命だけは無事であっていただきたい。命さえあれば再び再起できるのだから。

 それにしても、九州では霧島の新燃岳が爆発するし、東北は地震や津波が襲うし、自然災害が続けざまに勃発している。ラビバトラについて書いていたころ、易姓革命 天子の交代?とか記事があるが、これは「民主党は終了すべきだ」というメッセージなのか。あまりに景気がかんばしくないので、知人も「管直人も口ばかりだ」と責任を追及している(年商8億の商売をしていたと豪語するが、今は…)。

 たまたま偶然なのか。驚くべき映像が流れている。宮城・名取川付近の津波を見ると、人間がせっせと作り上げ建造物を一気に洗い流しているようだ。クジラが小魚を食べるように、巨大な力が小さな命を飲み込んでいるようにも思える。やはり如何に人間が科学技術を進歩させようと、大自然の前にはちっぽけな存在にすぎないのだ。

 今回の津波は、我々日本人の潜在意識にしっかりと刻み込まれ、何かを変えるのかもしれない。

 山が噴火し、大地が揺れ、津波が押し寄せる。「降ればどしゃ降り」というが、一気に襲ってくるのか。

2008年最後のブログ ~拾う神は必ずいる~

2008-12-28 12:12:45 | 苦しみを分かち合う
 他人事ではない。

  生活保護を頂く、寝床の確保、仕事の斡旋などを求めて、クリスマスに大勢が電話したようだ(反貧困でつながろう)。0120だから、ただ興味本位で、とか色々あるだろう。

 内容によっては、電話相談員が、余りにも可哀想だから、自腹を切るのかもしれない。生活保護申請の手伝いをするのか。インディオは、電話相手が10円しかない、125円しかない、とかより、残り1万円とか、3万円しかない外国人労働者とかの方がリアリティが感じられる。

 ただ、電話相談員にそれほど、力があるのか?(相談員自体がヤバかったり)

 慰め程度にはなるだろうが現実的ではない。

 どうしようもなくなったら、インディオならば別な所に掛ける。知り合いとか、あるいは電話帳を見て、近場にある宗教団体、お寺とか。それが駄目なら、ただで施しを受けるわけにも行かないので、「何でもしますから」と会社の社長宅に、直接電話する。

 …ということは、日頃から可能性のあるリストを揃えておけばいいのか

 「捨てる神あれば、拾う神あり」というのは真理であり、

 何処かに神様がいるだろう。すぐそこにいるかも。

 インディオ自身がそうなれればいいのだが、まだまだ全然そうなれる力もないのだわい(神様に祭り上げておくれ)

 ただどんな組織も、反省なき失敗者を入れては、足を引っ張られて崩壊してしまうので、なかなか入れてくれない。
 アプローチするなら、警戒されて当然か (様子見)

 とにかく一人では生きられない。

 生きる上で必要な相手を探しに動く 

 もっとも相手は必要ではないかもしれないが、相手は幾らでもいるから、探せば幾らでも見つかるだろう。

 運もあるか。

 それが将来に対する危機への回避か。

 もっとも、(宿無しや空腹、病気など)痛みや苦しみを知っていれば、それを避けるように自然に動くだろう(既に動いている)。

 こんなことは語るまでもないわい(このブログの閲覧者は書き手よりレベルが高いでしょう)

 …

 相変わらず、ひねた事を?ぐだぐだブログで書いている。

  貧困→ 苦しい、痛い→ 嫌だ(陰性だ)→ 撲滅しよう

  …ということだが、風水・陰陽道・アステカ~金持ちの特質~で考えたことだが、貧乏人は金持ちの特性を持つように生まれていないので、金持ちの特性を持つ人間が、マネーを回す仕組みにしなければ。

 ということは、今、貧乏な特性の人々が金を握っているから、マネーが巡らないのではないか、と思うのであった。

自立の風~カンバス~

2008-11-21 22:15:36 | 苦しみを分かち合う
 NHK教育で「好きな町で生きていく~シャルコ・マリー・トゥース病 横川由紀さん~」好きな町で暮らしたい何でも挑戦、が放送され、色々考えさせられた。

 インディオは貧乏だとはいえ、健康だし自分のことは何でも出来る。好き勝手にあちこち行って暮らしている。

 難病で自由が利かない横川さんは、施設から脱出し、憧れの地、函館で自立を試みたようだ。施設は時間に束縛され、何もかも決まっている。自由を求めたのだ。
しかしシャルコ・マリー・トゥース病である彼女は独りでは生きて行かれない。「どう考えても独りでは出来ないので巻き込んでいく」ということになり、援助を募った。

 自立の風 カンバス参照。通信『小石』が多くの場所においてあるようだ。

 インディオが同じ立場であれば、そんな行動が出来るか。苦しみは自分の中にだけ押しとどめ、ひっそりと暮らしているだろう。迷惑をかけるのが申し訳なくて、施設から一生出ない(消極的)。

 今のような神々が死んでいる偽善的社会は、老人や障害者にとっては非常に過酷な世界なのだから。

 彼女には並ではない才能や運があったのだろうが、悟りのようなものがあったようにも思われる。自分で何も出来なければ助けてもらえばいい、神様は人間がそうするように創ったのだから。

 インディオも共感する。
 人は頼らなければならない。そして助けてあげる。

 とかく、自分のことは自分でしなければならない、人に頼ってはならない、ようなケチな?生活を送っていると、人間に可愛らしさがなくなる。

 相手に委ねることが重要。

 インディオな新しい文化を独力で創ることは不可能である。本一冊どころか、この『インディオ通信』ですら、多くの人間が関わってくれなければ、世界は広がらない。

 独りで抱え込んでも仕方がない。


 まずはクリックをお願いします(文化を創りましょう)



  小説『マネー神の崇拝』 シーズン3はどうなったのだ?

   
 

 小説『蛇のスカート』   
現実を直視しなければなりません
 
 


 小説『桜の木に集う鳥たち』   いつか再開するでしょう 

  

 

苦しみを分かち合う

2008-07-03 02:26:41 | 苦しみを分かち合う
このブログが伝えたいこと。

人間は、みな、苦しみを抱えている。

古代アメリカの時代は精神的に分かち合うことができたが、今はそうではない。

国家は税金を徴収し、金を与える。医療機関などのサービスが、苦しんできる人を何とか救おうとする。

事態はそう簡単ではない。

人間の苦しみは、取り除けるものと、取り除けないものがある。

お金や科学で解決できるとは限らない。

麻薬を使うかもしれない。宗教に耽るかもしれない。

善良な神を見放し、悪の道に走るかもしれない。

まだインディオがそうならないのは、恵まれているからであろう。

本当に絶望し、苦しければ、奇麗事は言っていられない。

「みんなで仲良く楽しくやって行きましょう」
「明るく楽しい社会を築きましょう」
「暴力追放!」

それは苦しみの少ない社会が望ましいには違いないが、世の中は歪んでいる。

能力も、財産も、天運も、すべて偏っている。

苦しみも、片寄っていて、ある種の人間に集中している。

それが現実である。

恵まれている者は、恵まれていない者に施しを与えるとは限らない。

金持ちは貧乏人に「何でもっと努力し頭を使わないんだ!」と思い、
貧乏人は金持ちに「金があるなら何でもっと分けないんだ」と思う。

資本家と労働者、若者と老人、男と女…。

世の中は永遠に理解しあえない。

現代の民主主義で、表面的に何とか収めようとする。

が、根本的に解決しない。

相手の立場に立てないからだ。

相手は痛み、苦しんでいる。自分の立ち場では測り知れない。

数ヶ月間ホームレスをやったとしても、ホームレスの立場が分かるとはいえない。

やはり、その立場に押し込まれ、どれだけ苦しんだかであろう。

子供を失った親の気持ちは、そうなった親にだけ分かり、

足を失った人の気持ちは、そうなった人にだけ分かる。

大は小を兼ねるで、
大きな痛み、苦しみを背負った人間は色々理解できるように思われる。

マヤとかでは王族は血を流したりして苦しみを背負っており、栄誉はあるだろうが、どう考えても楽しい地位に思えない。ああいった世界では、草や木、動物などあらゆる存在の苦しみを受け取っていたような気がする。

まあ、苦しみを精神的に分かち合ったところで、どうなるものでもないか。

お金を出したり、ボランティアをして行動することに意味があるのか。

何を書いているのか分からなくなったが、
口先だけで相手の立場に立つ、同情するのは簡単だということだ。


明るく楽しいブログが良いか?

2008-05-18 03:01:41 | 苦しみを分かち合う
 週間訪問者数が500人を越えた。うれしい反面、ネットは誰が読んでいるかわからないため、内容の抑制が働いてしまう。

 さっき外国映画『あなたになら言える秘密のこと』を鑑賞し、色々考えさせられた。なかなか質の良い映画だった。誰しも人間は苦しみを背負って生きていくであろうが、これはレベルが違う。インディオの人生もなかなか苦しみが多いような気がするが(だから癒しの夢を見るのか)、世の中には想像を絶する運命を与えられた人も少なくないように思われる。

「明るく楽しいのが良い」ような世の中の傾向で、苦しみを如何に背負っていくか、苦しみを分かち合うか…。癌患者の苦しみは、癌患者にしか分からない。タバコを吸いまくるなど癌になった原因が自分にあるから自業自得だと、無視することも出来るだろう。でもそれが自分の親だったら最後まで面倒をみるしかない(しかしどうすることも出来ない)。

 癌患者やホームレスは遠い将来の自分かもしれない。
 老人になったり、死ぬのは必ず経験しなければならない(早死にすれば老人になったときの苦しみは避けられるが…)。

 インディオの人生で苦しかったことは、けっこう「あなたになら言えない秘密のこと」の領域になるかもしれない(いや、インディオは自我が強いので、客観的には大したことないかも…)。

 「苦しみは誰にも言ってはいけない」 
 

  

 

お人好しから滅びていく?

2008-03-30 02:45:00 | 苦しみを分かち合う
 人に頼み事をされたら、すぐに断れるか。
 インディオはどうも無慈悲にはなれない。
 多分、このブログを読む人もそうだろう(だからインディオ通信だ)。

「相手が困っている。可哀相だ。助けてやろう…」
 自分の出来る範囲内で、何とかしてやろうと手を差し伸べる…。

 しかしその重さで自分も一緒に谷底へ落ちることもある(かもしれない)。本当に困っている相手は、酷く追い込まれていて、地獄への身代わり(道連れ?)を求めているかもしれないから。鳥インフルエンザの感染者が助けを求めてきたら、献身的な看護婦でさえ逃げると思う。

 江戸のことわざに、「情けは人の為ならず」とある。「人に情けをかけるのは他人のためではない。回りまわって、わが身に返ってくるから、人には情けをかけなさいという意味である。近年このことわざは逆の意味に理解されている。つまり情けをかけると、その人を甘やかすことになるのでためにならない。情けをかけるなという意味である…」
 江戸時代の寺子屋の上級生は、「陰徳あれば陽報あり」(『童子教』)という言葉・理屈を学んでいたのですんなりと理解できたという…。

 江戸っ子は優しいから、インディアンに似ていなくもない。

 理屈抜きで誰でも助けられる人は凄いと思う。それで生き残れるのだから、強運の持ち主で、まさに陰徳陽報だ。

 インディオの場合、助けるか、助けないかはそのときの状況しだい(打算的だ)。相手に助かる見込みがあれば助ける(かもしれない)。相手に義理があれば助ける(だろう)。

「金貸して~」
「この商品を買って~」
「休みも働いて~」
「恵まれない人を救おう~」

 ぜんぶ金絡みだわい。

 したがって、お人好しの財布からはどんどん金が逃げていく(一方でどんどん入ってくるという説もある)。逆に、人が悪くなれば金を出さないから、現金はストックされる。冠婚葬祭、募金、血縁者からの援助要請、全部無視。誰にもおごらない。まあ、金は残るかもしれないが、あまり人は付いて来ないだろう。金以外に、知恵とか別に与えるものがあれば別だろうが。金は減るが、知恵や知識は減らないから、後者を増やした方がいいかも。でも世の中、「知っていても教えない」人が多いから。余計なことは言わない方が良い。襟が乱れていて忠告してくれる人もいれば、無視する人もいる。このブログも誤字や間違いが多いが、それを忠告してくださる方も、人が良いのだと思う(感謝します)。

 それにしても、お人好しは狙われやすい。狡猾な人間がキツネだとしたら、インディオはニワトリなのだろうか…。

  

自分だけが幸せになってよいか?

2008-03-08 01:02:04 | 苦しみを分かち合う
 深夜に、ふと考えた。
 「自分が幸せになるためには、自分だけが問題である。他人は一切関係ないか?」

 哲学的な問いかもしれない。
「幸せ」という言葉自体が曖昧だ。「豊かな暮らし」なのか「子供のいる家庭」なのか「とにかく健康第一」なのか、書いている自分でもわからぬ。

 妻子があっても経済力がないと話にならないし、経済力があっても健康でないと意味はない。「孤独で、金がなく、病気である」という三重苦の人々は多い。誰かが手を差し伸べなければ、幸せにはなれないのだ。


 みんなで問題を考えよう。
「ある人、A氏は今、三重的に幸せであるとしよう。別のある人、B氏は三重苦に陥っているとしよう。AとBは、意外にも?兄弟であったとする。B氏は最後の頼みの綱として、A氏に助けを求める。果たしてA氏はどうすべきか?」

 この問題は、「企業」「国家」などにも当てはまるだろう。助けるべきか、助けないべきか。

①「Aは世間体を考え、Bを少しだけ助ける。後は金の配分の問題」
②「AはBを復活させるようなプランに着手する」
③「AはBを赤の他人として扱う。相手にしない」

『江戸のことわざ』に、「兄弟は他人の始まり」とある(もう一方で、「兄弟は両の手」「兄弟は後生までの契り」とある)。江戸時代には縁座制が行われ、従兄弟まで処罰が行われたようだ。やはり強盗に追い込まれるのは、血縁関係者などが面倒を見てやらなかったからだ、お前にも責任があるということだろう。

ただ自分が生きるのに精一杯な状態では、相手を助けるどころではない。相手を助けたとしても、自分が助けてもらえるとは限らない。だから自分は自分で守るしかない。だから金を貯める…、と一般的にこうなるのだろうか。

問題の解答は、一括に応えられないと思う。やはりAとBの具体的な内容によるか。Bの程度があまりに重ければ、幾らAの器と能力が優れていてもどうにかできるものではない。

Bの程度が軽ければ、Aは縁故採用でもして共に幸せになることも出来よう。

要するに、AがいくらBを何とかしようとしても、Aの実力以上にBという重石を持ち上げられないということである。

大阪府の橋下知事は、どうか…。弁護士って「口先だけ」って感じがする。
何か「行動」で示してもらいたい(私財を投げるなり、金持ちから税をとるなり、普通では無理な行動を)。大阪は人間味があるから、多少無理な政策でも支持されるかもしれない。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ



 

プラス世界への壁(なかなか面白いマイナス思考の男物語)

2008-02-16 00:40:01 | 苦しみを分かち合う
  真剣に生きる…。頭ではわかっていても、つい好い加減になってくる。「明日は明日の風が吹く」「なるようになる」と一日一日を大切に生きていないからかもしれない。

 もう若くはないが、まだ人生はあると思っているからかもしれない。もし「癌で余命1年」と宣告されれば、真剣に生きるようになるだろう。軽かった一分一秒が、死へのカウントダウンとして重くなってくる。「死ぬ前に自分は何をすべきか」徹底的に考えることになるだろう。悩んだところで、どうなるわけでもないが。

 もしインディオが「余命半年」と宣告されれば、「もうじたばたしても仕方がないや」と開き直っていられるか。いや、激痛との闘いでじたばたするだろうが、これだけはどうしようもない。やっぱ、このままの人生テンポで全うするのだろうか。

 残された時間が少なければ、人生は変えようがない。

 人は誰でも「自分を(良い方向に)変えたい」と思うが、良い方向というのは、多分「お金持ち」であったり「希望した職業に就く」、あるいは「幸せ家族を作る」、「頭を良くする」といった内容だ。それらは全てリンクしていて、プラスの世界に入る壁を打ち破れば、面白いように到達できるだろう。しかし後半年の命、最後の段階になって壁を打ち破っても、なんだか空しい。もう少し命があったらと嘆くようになるだろう。

 人生が後20年あったとして、そこでプラスの世界に入ることが「絶対に」良い方向であるかどうかは、これもどうも疑わしい。プラスの世界は、マイナスの世界があって初めて成り立つ。大勢の低賃金の労働者の上に高給取りが乗っかり、大勢の愚かな者の上に賢者が君臨する。マイナスの世界は居心地は良くはないが、それはそれで現実の世界なのだ。

 仏陀が「生=苦」と悟ったように、現実の世界はマイナスの世界なのかも知れぬ。プラスの世界は幻想の世界で、砂上の楼閣なのかも知れぬ。今億万長者の社長であったとしても、10年後はどうなっているかわからない。ホームレスかも知れぬ。

 壁を破ってプラスの世界にいる者は磁石のごとくマイナスの世界に誘われる。マイナスの世界にいればプラスの世界に憧れる。物質は行ったり来たり。安定していない。

 やはり精神面、心の安定を求めるべきだろうか。ただ心の安定のためには少なからぬ経済的保障が必要だし、そんな精神力があるなら富を軽く築いているだろうから、やはり壁をぶち破るべきか。壁、壁といっても、生れ落ちた運命によって壁の厚さは異なるだろう。1メートルの人もあれば、10メートルの人もある。壁が厚い方が苦しいには違いないが、薄い壁だとマイナスの世界にすぐに引き戻されるような気もする。

 皆と同じように、インディオの壁も結構厚いかも知れぬ。一生マイナス世界に閉じ込められる宿命なのかも知れぬ。まあ、それはそれで仕方がない(諦める)。プラスへの壁というのは、無理をして、腕力を持って、打ち破れる代物ではない気もする。就職試験における、面接のような壁か? 相手は人間のように意識していて、こいつはプラス世界に来るに値する奴だから入れてやろうかって感じかな(妄想)。ちょっと取り繕って、本来の自分と違う姿を見せたら、相手は神のような存在だからシャットアウトされるような気がする。


(面接壁ものがたり)
面接壁 「あなたの生まれた場所や時代背景はこうでしたか」

  「親の影響はこうで、あなたはこういうことを受け継いでいるのですね」

 「あなたはどんな努力をし、何を得ましたか」

  「あなたにはまだ経験が足りませんね」

 「工夫もぜんぜん足りません」

インディオ(余りの厳しさに絶句)「う、うう…」

面接壁 「もっともっと真剣に生きてもらわないと、この壁を通過させるわけには行きません」

インディオ 「あのぅ、壁の長さは後どれぐらいあるのですか?」

面接壁 「あなたの場合、100メートルはありますね」

インディオは諦めた(開き直った)。

悩んでも何も解決しない。ただ自分らしく、力を抜いて、自然体で生きよう。


                             にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ


寒さが人格を変える。

2008-02-13 20:13:21 | 苦しみを分かち合う
 風が強く、粉雪が舞っていた。そんな夕方、外に30分以上いた。

 身も心も冷えた。サウナは暑さに耐えるが、その逆バージョンだった。あまり寒い場所に放置されたら、人間は感情がおかしくなる。冷静になるのであるが、度が過ぎて、自分を突き放す感覚に襲われる。「お前、甘いな。これくらいの寒さに耐えられなくてどうする。そんなのでこれからの人生を渡っていけるのか」って感じで。自分に冷たくなる。きっと、他人にも冷たくなるだろう。鈍らな頭が、すこぶる冴えてくるのは悪くないのだが…。

 寒い所に住んでいるロシア人などで、貧乏人や弱者であったら辛いかもしれない。寒さが人間を狂わせるのだ。自殺率が高い気がする。スウエーデンなどのような社会的な保護がないと、あんな寒い場所で弱者は生きていけない(気がする)。
 ただ、小さい頃から寒さで鍛えられているから、人間は強いかもしれない。

神はやさしいか?

2007-12-17 06:59:36 | 苦しみを分かち合う
 みんな不幸にはなりたくない。しかし誰かが背負わねばならない。

 苦しみを。

 殺される牛がいて、はじめて牛肉が食える。
 事故や死が報道されて、はじめてニュースに人が群がる。

 自分には関係ない、自分はラッキーな側だ、もっと苦しい人々がいる…、

「創り上げた自分の世界」は、たやすく崩れる。

無理心中の境地

2007-07-22 18:05:55 | 苦しみを分かち合う
 「仕事ない。子どもも産めない」夫がメール残す 大阪一家心中
  2007年07月22日00時41分
 大阪市東淀川区下新庄3丁目のマンションで、電気工事業の弘田信行さん(34)の一家4人が無理心中したとみられる事件で、室内にあった弘田さんの携帯電話に「仕事がない。このままでは子どもも産めない」という内容のメールが残されていたことが大阪府警の調べでわかった。一家が消費者金融以外に親類らからも金を借りていたことがわかり、府警は生活苦が原因の無理心中だったとみて調べている。

 東淀川署の調べでは、メールが残されていた携帯電話は、妊娠8カ月の妻和恵さん(34)の遺体の枕元に置かれ、弘田さんの事業不振をうかがわせる文面とともに、今後の生活について「やっていけない」などと記されていたという。弘田さんがマンションから飛び降りたとみられる約30分前の20日午後0時28分に保存されていた。

 消費者金融からの数百万円の借金以外にも、周囲の親類らから金を借り、約10万円の家賃を2カ月間滞納していたという。



 大阪一家心中の記事を見て、「え?」と息が止まった。

 世帯主は、インディオと同じ年齢。
 自営業をやっていたようだが、行き詰まったようだ。
 数百万円の借金…。
 闇金にも手を出したのだろう。
 親類からも借りていたようだし、相当追い込まれていたのだろう。
 マンションから飛び降りるなんて、怖くて出来るものではない。

 政府が自殺対策をした。
 
 頭でっかちの学者の文章のようで、説得力がない。
 

「▽自殺の実態を明らかにする」

 理由は経済苦が多いというが、生まれ持った個人の性格の問題ではないか?

 お人好しの、やさしい人間こそ、自殺しやすい。
 いろいろ考えるから(子供の未来とか)。
 夜中に夢の中で泣いている。
 迷惑を考えて、申し訳なく、自殺する( →死ぬ)。

 親類やサラ金から借金しても、ぐっすりと眠れる図太い人間は、自殺などしない。どうにかして金をつくり(盗んででも)逃亡する( →生きている)。

 
 そんな図太い人間とて、
 織田信長やヒトラーのように、
 (現実に)敵兵に囲まれれば、自殺するしかあるまい。