インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

無名人のブログを読む意味

2008-01-31 03:37:27 | 考えるインディオ
 インディオ通信は結構、ブックマークされているようだ。更新した時とそうでない時とで、訪問者数が倍違う。我ながら確かに面白いことを書いているな、と思うが、所詮、万単位であるブログの一つに過ぎない。有名人のブログを読む人が多いが、有名人のことは知っていて損はないかもしれない。有名人はどういう生き方をして、どういう服を着て、何を食べているのだろうとか、興味はあるかもしれない。

 無名人の場合は、たぶん、多分たまたまヒットしたブログで、面白いから読み続けるのだろう。では面白さの種類が、問題になるかな。

 このインディオ通信は、結構イカレタこと書がかれてある(最近少なくなったが)。宗教的な内容というか、独創的(妄想的?)というか、多くのブログと発想が違うのは間違いない。幼稚というか、子供っぽいかもしれない。

「YOUは一体何を目論んで書いている?」
「書いて見なければ分かりません」

 というのが本音である。書きながら書く内容を探している。頭に浮かんだことをキーボードで叩いている。ブログとはそういうものなのか知らないが、このインディオ通信はそれが激しい。ある日突然、どんな内容がUPされるのか、読み手どころか、本人でさえ、分からない。まあ、エッセンスは同じところにあるのだろうが(哲学な毎日? いや、おかしい文章を書いて、へっへっへと笑う毎日)。

 有名人のブログは多分、それはない(だろう)。ファンを減らさないために、気を使い、自制しなければならない。大衆というモンスターを相手にしているから仕方がない。
 無名人にはそれがない。制限速度が80キロで走っている車ではない。車に走らせるだけ走らせる。事故をするかもしれないが(だから時に緩める。今は緩い時か???)。

 まあ、インディオはこれからおかしげなことを書き始めるだろう。
アクセルを踏もうとしているのであった。

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千年島の夢

2008-01-30 03:11:51 | 潜在意識の世界
 ガジュマルの根が張った島にいた。いつの間にこんな場所に来たのだろうか。
 「どっかた来たん?」
  雀斑だらけの少女が尋ねてきた。
 「目が覚めたらここについていた」
 港があって、千年島とある。
 大きな病院があり、一方に向かって人々が座していた。何を見ているのか知らぬ。受付の男がいた。病院を通り過ぎると、着物姿のやや年配の女性が、肉まんかアンまんか知らぬが饅頭を作って客に出している。行列が出来ていた。
 島を歩いている途中で目が覚めた。

  眠れない日が続くが、爽やかな夢だった。
 体調が悪いので、癒しの島にでも行けという神のお告げなのだろうか。
 
 トカラ列島かどっかに無性に行きたくなった(暖かくなってから)。

マネー神の崇拝、現況報告

2008-01-29 07:51:51 | お知らせ
 タイトルが凄いせいか、訪問者が多い。seesaaではアクセス分析があるので良く分かる。多分、インディオ通信の訪問者は全部こっちへ来ているのではないか(感謝!)。インディオ通信を更新しなければ、アクセス数で抜かれるかもしれない。
 アルファポリスの「現代」に一票入れてくださっている方々にはお礼を申し上げます。もっと更新しなければと心がけております。

 ただ、あの小説を長々と書くにはちょっと時間が…。

 インディオも現実の大半をマネー神に捧げなければならなかったのでした(笑)。

『江戸のことわざ』

2008-01-27 09:39:31 | 実用書

 『江戸のことわざ』~「犬も歩けば棒に当たる」裏と表のその意味は~
 丹野 顕(あきら)
 青春出版社(¥700+税)2004年

 なかなかためになる本だ。1ページに一つの諺で解説がついている。
 この本は「江戸のことわざ」というより「ことわざ」の本かもしれない。

 「江戸っ子は宵越の銭は持たぬ」
  →江戸っ子は一つの物事に拘らない、金離れが良いのが特徴。
    →一日の稼ぎが極わずか。火事など多く改築などで仕事に欠かなかった。

 「上手はあれど、名人はなし」
  →武芸などの諸芸では名人と上手の間は隔絶している。

  なお、意味が正反対に解釈されるの諺も多いようだ。
 「犬も歩けば棒に当たる」
 ①用事がないのにうろうろすれば災難に出会う(江戸棒カルタで本来の意味)。
 ②用がなくとも積極的に出歩けば思いが目ない幸運に出会う。

  インディオも諺を使ってブログを書こう!

  ブログ内容? 「明日は明日の風が吹く」

1月26日…考えながら歩き回る

2008-01-26 17:02:30 | 身の回り
 最近、暇さえあればブログを書き込んでいる。良い傾向ではない。
 休日にどっか九州の名所(阿蘇や高千穂など)にでも出かけたいが、寒い時期に金を使ってももったいない気がする。近所を歩き回った。大根が植えてあったので、携帯で写す。

「せっかく見てやっているのに、こんなしょうもないモノ、ブログに載せやがって!」と怒鳴られそうだが、何の刺激もない光景もなかなか良い。

 この畑の隣にパチンコ店があって、車がズラリと並んである。ストレスの発散か、パチンコ中毒なのかは知らない。
 せっかくの休日なのに、ぼけーっと過ごそうと思わないものか。
 ひょっとして、競争社会だから、休日も競争したいのかもしれない。われわれの頭の中は全て他人との比較で成り立っている。
「あいつには負けるが、こいつよりはましだ」とか。
 だから他人に弱みを見せたくないし、馬鹿な行動はとりたくない。

 パチンコ店の横で、ぼーっと大根を眺めているインディオを見て、人は「何だ、こいつは。馬鹿か」、「怪しい奴だ」(大根泥棒でもするのか)と思ったかもね。

 その後、インディオは塩秋刀魚を買って大根おろしで食べたのであった。

マネー神の崇拝

2008-01-25 16:45:48 | お知らせ
 経済をテーマにインディオ風にアレンジした記事はすらすら書けるので恐ろしい。

 面白い。受けもいいようだし、ひょっとして、社会的必要性があるのかもしれない。

 そこでインディオは新ブログを作ってみた(今度はseesaaブログ)。

 タイトルは『マネー神の崇拝』(笑)

 この『インディオ通信』では、やはり太陽やら大地、風の神を崇めなければならん(やってないじゃんか!)。

 おどろおどろしい「インディオ流経済思想」の話は、あっちでします(どうなることやら)。

インディオ流経済思想

2008-01-24 22:54:56 | マネーは生贄を要求する神か?
 この前、マネー神がどうのわけの分からぬことを書いたが、受けが良かったようなので、本能の趣くままに書いてみたい(かなり俗っぽい話だ)。

 現実に、会社や職場は一つの部族であるし、資本家を離れた巨大マネーはまさに神である。あらゆる部族は神に尽くすわけだ。マネー神は部族に富を与えて、彼らの暮らしを成り立たせる。しかし一方で、マネー神は利益とか利息とかいった、貢物を要求する。マネー神はあたかも生き物のごとく、その貢物を平らげながら、成長し、生き続けているのである。

 ここに一部上場企業、ウマシカ電気があった。ウマシカ電気はマネー神の恩恵を受け、日本に工場が3つある液晶メーカーである。
 近年、ウマシカ電気の業績は悪かった。競争が激しいのか、ブランド力が弱いのか、作っても売れなかった。
 大神官(大株主)は、マネー神の託宣をした。
「工場を一つ潰し、大規模なリストラをしろ」
 神官の言葉は絶対であった。が、ウマシカ電気を束ねる酋長は人間味があったので首を振った。
「そんな残酷なことは出来ません。みんな家族がありますし。でも大丈夫です。来年は、何とか貢物を捧げられますから」
 大神官は首を振った。
「いやいや、マネー神は、汝らの首を欲しておられるのだ。まず、お前からクビだ」
「なんたることだ」と酋長は開いた口がふさがらなかった。うすうす気づいていたが、やはり株主は悪魔の僕だったのか。

 かくして40年尽くした社長はあっさり退職に追い込まれたのであった。
 その後、ウマシカ電気では、次々にマネー神に捧げる首切り儀式が行われた。
 経理課長は叫んだ。首切り神官は30年一緒に尽くした同期の人事部長である。
「なんで俺が生贄になるんだ!」
「部族のためだ。マネー神の要求だ。誰かが生贄にならなければならんのだ」
「他にもいるじゃないか!」
「あんたは給料が良い。だから流れる血が多い。神が喜ぶのは、やっぱり、痩せた子羊より、太った水牛なんだよ」

 すんなり書けるので厭になった。
 なんて暗い発想なのだ!
 これがホントなら世の中、失業者だらけになるな…(なってたりして)

八戸の家族殺害は、自作小説通りらしい。

2008-01-23 22:47:36 | 考えるインディオ
 青森県八戸市のアパートで母子3人が殺害されて放火された事件で、殺人などの疑いで再逮捕された長男(18)がパソコンに保存していた自作小説の人物設定や犯行手口が、今回の事件と酷似していることが、八戸署捜査本部の調べでわかった。読売新聞より

 殺人犯の18歳の男を「大五郎」と呼ぼう。
 大五郎は楳図かずおの漫画やホラー映画が大好きだった。パソコンを買った大五郎は、自分で小説を書いていた。もちろん、登場人物は全部自分の分身である。精神分裂病の少年、引き篭もりの少年、家族に恨みを持つ少年。全部で7人いて、交流しながら恐ろしい行動に移っていく。登場人物の中に(「小五郎と呼ぼう」)自分そのものがいた。小説を書くうちに、小五郎は勝手に動き出した。大五郎は小五郎がどうなるのか酷く興味を持った。
 小五郎は母親の体をナイフで解体して行った。
 小五郎は大五郎にささやいた。「お前はこうなるのだ」

 頭で考えたことが全て実現するわけではないが、願望が強かったり、状況からして確率が高ければ実現するだろう。貧乏人が大富豪になる確率はほぼ0%に近いが、路頭に迷う確率は20%はある(と思う。貯金をするしかない)。

 みんな現実を打破したいと思っている。そのためには綿密な計画書が必要である。それは自分を主人公にしたストーリー(小説)に他ならない。身の丈にあった目線で、考えて書き、こういう状況なら、こうなるだろうと、自分の分身(未来の自分)は動いていくのだ。

 八戸の18歳は、小説を書き、現実を打破したが、とんでもない殺人行為に走ってしまった。母親を殺したいという願望があったのだろう。

 他人事ではない。インディオも怪しげな小説を書いているからね。
 現実を打破して、本当のインディオになるのかもしれない。

 どっかにいい島がないかなぁ。

マネーの神とインディオ思想

2008-01-22 22:35:40 | マネーは生贄を要求する神か?
22日の東京株式市場は、前週末の米国市場からの世界同時株安の流れが続き、日経平均株価の終値が前日比752円89銭安い1万2573円05銭に急落した。1万3000円を割り、約2年4カ月ぶりの安値になった。アジア市場も大幅に下落し、中国・上海、香港では過去最大の下げ幅となった。米サブプライム問題に端を発した金融不安と米国景気の減速懸念が、新興国を含めた世界経済の先行き不安に広がり、世界株安に歯止めがかからない。(朝日ニュースより)

 相場が激しく揺れ動いている。マネーを神として崇拝している我々は、神の怒りをかったのではないかと恐れおののいている。

 そういえば昔、経済学をかじった。だいぶ忘れたが、物を作って売って儲けるような実物経済より、金で金を産むマネー経済の方が遥かにスケールがでかい。株式会社やら銀行の信用創造なんかの制度が、会社とか工場をつくって社会を豊かにするというものだ。

 それはあたかも、太陽が大地の作物を育てるのに似ている。マネー経済の力は、太陽神の恵みであるといえる(雨の神かもしれない)。

 太陽の力が弱くなれば、作物は育たない。資本があるから、会社は育っていく。資本である株価が下がれば、会社は育たない。日照は大きな樹木に食われ、弱い植物から枯れて行く。その姿はマネー神に捧げられた生贄である。

 去年、8000円以上あった世界のトヨタの株が、4800円になった。

 トヨタ村では村長が部族会議を開いた。長老は口を開く。「マネー神は酷くお怒りのご様子じゃ。このままでは村は滅びる。神の怒りを鎮めるためには奴隷を生贄に捧げなければならん」
 心優しい若者は反対した。「それは可哀相です。僕たちの給料は高いですから、皆で苦しみを分かち合って乗り切りましょう」
 長老は机を叩いた。「ならん! 奴隷を捧げるのは、昔からの掟なんじゃ。それによって今まで乗り切ってきたんじゃ」
 村人たちも次々に叱った。「甘いぞ! そんなキレイ事を言うな!」「お前なんぞ、村から出て行け! 自分で飯を食え!」
 かくして奴隷は、あたかも見せしめのように生贄として殺されることになった。

 下請け企業は、景気の調節弁だといわれるが、現実はどうなのか。

泉鏡花賞作家、小檜山氏の盗用事件

2008-01-21 22:48:22 | 考えるインディオ
 毎日新聞の読者投稿を盗用 泉鏡花賞作家の小檜山氏
 札幌市在住の作家、小檜山博(はく)さん(70)がJR北海道の車内誌に寄せた短編小説の内容と、毎日新聞の読者投稿文が酷似していることが分かった。小檜山さんは投稿文をメモにとって参考にしたといい、「盗用と言われれば、認めざるを得ない。もの書きとして恥ずべきことでおわびしたい」としている。JR北海道は車内誌の回収を始めた。短編小説は「電車で」という題で「THE JR Hokkaido」に掲載。けがで通院中の男性が電車内で少女に席を詰めてもらい、感激するという内容だが、毎日新聞に掲載された茨城県土浦市の女性の体験談とほぼ同じ筋立てで、状況描写も酷似している。小檜山さんは、自分が見聞きしたものや読んだものをメモに残し、執筆の際の参考にする習慣があるといい、「(投稿文の)言葉が強烈で素晴らしかったので紙切れにメモを取っていた。咀嚼(そしゃく)できないまま書いてしまった」としている。 (朝日のニュース要約)

 「電車をテーマに、泉鏡花文学賞に恥じない小説を書いてくれ」と言われて、ハクさんは悩んだ。「わしはサラリーマンではないから、毎日電車に乗らん。人生経験が足らんことを想像で書くと、リアリティがないわい。どうしようかのぅ」
 何か材料がないか、新聞を読んで探す。いつもは材料をむしゃむしゃ噛んで食べ、別の代物に変えて吐き出していたのだが、材料が噛めなかったのか(歯がおかしくなったのか)、時間がなかったのか、そのまま吐き出してしまった。

 ハクさんは大ブーイングを受けることになった。「あなたは一体何を考えているのですか! 他人が書いたことを書いてどうするのですか! もしかしてあなたは、他人が書いたことをパクってばかりいたんじゃないですか!」
 かくしてハクさんは、大衆という名のモンスターに襲われる羽目になった。

 小説家に独創的なことを書かせるためには、「与えられたテーマで書かす」というのはダメだ。入学試験や就職試験の小論文ではあるまいし、高く評価される模範解答を探して書くことになってしまう。一小説家が、あらゆるテーマに対応できるわけがない。依頼したJR北海道にも問題がある。
 科学の世界であれ、哲学の分野であれ、本当に独創的なことは少数にしか理解されない(と思う)。

 大企業が作家にテストを与えた。
「電車に乗って感動したショートストーリーを書け」
「ふん、そんな電車ものはわしの書く事柄じゃないわい。不得意分野じゃ。30点じゃ」
 ハクさんは何個か書いたが、60点以上の物語が書けなかった。そんな中、毎日新聞の声の欄に95点の物語を発見したのであった。
「よし、これを出そう!」
 しかしカンニングテストはばれてしまった。
 文壇から追放されてしまったのである。

ハクさんには、いつまでも少数の支持者がいますよ!         
                             
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出版社はまだまだ倒産する。

2008-01-20 17:30:33 | 映画や小説、テレビなど
 ジュンク堂に半額の本が置いてあった。エクスメディアは超図解で有名だったので目を疑った。

 本の値打ちが前よりも格段に落ちている。

 今、こうやってインディオがブログを書いているように、誰でも情報を発信できる時代だ。情報は読むより、発信する方が面白いことに、皆気づいたかもしれない。情報が増える。情報のインフレーションによって、昔1000円した実用本は、今は100円しか価値がない。まあ、ITを調べたければ、エクスメディアの本を買わずとも、ネットでクリックすればいいだけだ。

 出版社に必要なのは、大量の情報を選別し、判定することかも知れぬ。ミステリー小説は沢山あるが、どれを買っていいのか分からない。だから宝島社は『このミステリーがすごい!』を発行している。ネット上でも、どのネット小説が面白いのか分からないから、アルファポリスは『WEBコンテンツ』で読者投票を設けている。まあ、宝島社の場合は、素人に判定させるのではなく、玄人だから基準になりうる。アルファポリスの場合、大衆が「得票数が多い=優良かも」という先入観で読むし、気まぐれもあるから、どうかと思うが。

 とにかく出版社は山ほどある情報の中でどれを出版化していいのか分からない。色んなライターが色んな記事を持ってくる。ネットを漁っても色んな記事がある。長年の勘と経験で、「これがましか」と掲載する。

 出版不況を打破するため、A社の出版会議は、会議室に上級素人を20人入れることにした。
 20人とも、自分の企画を通したくて必死でアピールする。
 A社編集長「では、売れるという根拠を示してください」
 とたん、皆が口をつぐんだ。インディオだけが叫んだ。「人間の本能です! 動物の、野生的な本能が、この本を買わせるのです!」
 A社編集長は冷静に、「感情論ではなく、何か数字を示してください」
 インディオは答えた。「A社の負債は20億円です。どうせ潰れるんなら、最後にとんでもないインディアンの本を出しましょう!ひょっとして当たるかもしれませんよ!」

大衆という名のモンスター

2008-01-19 18:02:37 | 考えるインディオ
 第138回芥川賞に決まった作家川上未映子さん(31)が過去に歌手として発売したCDに注文が殺到、発売元は追加生産に乗り出した。川上さんは02年に歌手デビュー。05年までに「未映子」などのアーティスト名でアルバム3作とシングル3作を発売したが、アルバムの売り上げは本人も「壊滅的」と語るようにヒットしなかった。ところが今回の受賞決定をきっかけに在庫の問い合わせが相次ぎ、17日だけでアルバム3作の注文が計約6000枚も寄せられたという。CDは早ければ来週半ばにも店頭に並ぶ見通し。
                        (朝日のニュースより抜粋)

 大衆は実にいい加減な存在である。昨日まで冷たく無視していても、なにかきっかけがあれば、明日は背中を押して励ましてくれる。しかし一ヵ月後には再び無視するわけだ。

 会社にしても、有名作家にしても、大衆が相手となれば、相当気を使わねばならない。大勢に受け入れらるために、本当に売りたいもの、書きたいものを殺して、迎合しなければならない。支持者の数だけが、彼らの存在を支えているのだから。

 その点、インディオは大衆を相手にしていない(相手にもされていないだろうが)。書きたいことを書く。だから、奇跡的に小説家になったとしても、流行作家になることはないだろう(なりたいが)。

 冷静に考えて、インディオを支持してくれる人は相当少ないと思われる。ネイティブアメリカンに共感する人々でさえ、毛嫌いすることを書いているかもしれない。まあ、中南米でも価値観の違う部族はたくさんあるのだから、気にすることはないかもしれない。

 作家の川上未映子さんの場合。大衆は「元歌手の芥川受賞者」に興味関心があるのであって、川上未映子さんの「小説や思想」に関心があるのとはちょっと違う。売り出すためには確かに、「一流大卒が書く超アウトロー小説」とか、きっかけが必要かもしれないが、まともに小説を読まない相手に本を売るのはどうかと思う(いや、かまわないか)。

 芥川賞作家といえども、その肩書きをはげば、普通の人間に過ぎない。大衆を相手にするだけの人間の器があれば生き残っていけるだろうが。商売の道具にされるのではなく、逆に将来を見通して、利用してやるって感じで。

 でも、やっぱ基本は彼女の世界についてきてくれる、少数の支持者を相手にすべきでしょうね。

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芥川賞と直木賞が選ばれる。

2008-01-17 03:22:59 | 考えるインディオ
  第138回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が16日、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞に川上未映子(みえこ)さん(31)の「乳(ちち)と卵(らん)」(文学界12月号)が、直木賞に桜庭一樹(さくらば・かずき)さん(36)の「私の男」(文芸春秋)が選ばれた。中国人で初の芥川賞候補となった楊逸(ヤン・イー)さん(43)は次点で受賞を逃した。副賞は各100万円。授賞式は2月22日午後6時から、東京・丸の内の東京会館で開かれる。
                       (朝日のニュースより)

 シンデレラが二人誕生した。なぜ彼女たちが選ばれたのか、知る由もないが、運が良かったのだろう。

 素人であるが、物書きの一人として、上手い書き手ならゴロゴロいることを知っている。たぶん、選ばれた二人の小説より優れたモノはゴロゴロあるだろう。スポーツや学業と違って、小説に優劣はつけられない。もちろん、文章・ストリーテリング・発想など客観的に採点できる部分も多い。しかし、最終的には選考者の趣味の問題である。

 インディオは逆に落選した楊逸(ヤン・イー)さんの作品を読んでみたい。

 ニュースで取り上げられた事件だけが、世の中の事件ではない。事件はゴロゴロ存在している。たまたま明るみに出たか、取り上げられただけの話である。重要でない事件が新聞に載り、切迫した事件は取り上げられず、知る人ぞ知る。新聞に載った事件の事情でも、隠された裏側の部分まで踏み込んでいるとは限らない。

 報道された事柄は、信頼できない。自分の目で見て、体験したことを信頼すべきである。小説もしかり。絶賛されているものを読んでも、大したことがなかった場合も多い。やはり読み手が違うから評価が違うのである。

 女子高生の書いたものは、女子高生に評価されやすい。インディオのようなおっさんが「素晴らしい!」といったところで、それはお世辞でしかない。

 つまり小説とは、書いた人間の人生経験の域内を出ない、ということだな。

1月16日… 読んでやってください。

2008-01-16 01:45:00 | 映画や小説、テレビなど
 深夜、サイトを覗いてみる。

 おお、ついにミステリーのTOPに、宣伝が出ている!→アルファポリス-Webコンテンツ

 自分の書いた代物を突き放してみて、江戸川乱歩賞がとれるほど凄い小説だとは思われないが、そこらの小説よりは面白いと思われる。もちろん、ここはおかしいなという点が幾つかあるかもしれないが、まだまだ人生経験や知識が不足しているから仕方ない。過去の新人賞受賞作にしても少しはご都合主義になっているもんだ。

 アルファポリスにはドリームブッククラブもあるので、日の目を見ることを期待したい。

少子高齢化とインディオ文明

2008-01-14 18:57:25 | 考えるインディオ
 インディオ文明は、多産多死で、少子高齢化の逆である。民間療法などで薬草や治療が行われたであろうが、盲腸ぐらいで簡単に死んだであろう。本当に生命力の強い人間だけが老人になりえた。今ではほとんどの人が最低50,60は生きられる。

 インディオ文明は子供や若者が多いだけでなく、生き物をを尊重し、老人に敬意を払う相互扶助社会だったから、年をとっても生きやすい社会だったかもしれない。

 今は老人が生き難い社会だ。産んだ子供に助けてもらえれば、少しはましになるかもしれないが、その子供自体がアップアップして余裕がない。逆に親に助けてもらいたいぐらい、若者にとっても生き難い社会である。

 結婚して子供を育てる経済力がない。だから独身が多いのであるが、インディオ社会は貧しくとも子供は多い。やはり社会システムに問題があると思う。

 子供を育てるのは共同体であり、地域住民だろう。都会はそれが崩壊している。むしろ沖縄などの離島のほうが、インディオ社会に近くて暮らしやすい面もあると思う。

 しかし離島や過疎地でも、若者は出稼ぎにやって来ざるをえないシステムになっている。老人だけが、開き直って農業をしながらスローライフを楽しんでいる感じだ。

 開き直って若者がそれをやったら、良くは思われないだろう。
 特定集団で開き直れば、ヤマギシ会のようになるかも。

 地域社会全体が、インディオ化する以外、少子化の解決策はないかもしれない。