インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

奇怪な図を眺めながら

2014-01-12 08:38:33 | カスタネダ『呪術の実践』 !
  今朝も雅太は着る毛布にくるまって、キーボードを叩き始めた。8時半過ぎ6.8度。その表示のある時計の隣、コルクボードには昨晩、幼児がクレヨンで落書きしたかの絵が、ピンで止められてある。古代メキシコの教義が記されたイーグルの図。

 雅太はそれを眺め、白い息を吐きながら、呟く。
 何かカスタネダの各巻から引っ張り出したモザイクのようだ。実際は、あの教義は「集合点」の移動と固定に尽きるのだが、それではイメージが湧きにくい。むしろ集合点という理屈を使っていない方が分かりやすい。要は、内的対話を止めること=内的沈黙の状態に達すること、こそ最も重要なことである、からだ。

 内的対話を止めるためには、「血の汗を出す思い」が必要で、実際それは呼吸を止めるのに似ていなくもない。ただ呼吸と違って、内的対話は眠っている間は止まっており、その代り「夢を見る」という塩梅である。その夢は何処からやってくるかというと、内的対話の芽を育む土壌、「自分の過去・経験」であり、だから自分の人生を「反復」する必要がある。

 内的対話を止めるには、それを「意図」しなければならず、エネルギー体にそれを意図させることが出来れば、もう一つの別の世界に到達できるという。第一の注意力から、第二の注意力へ。それはシーソーのようになっており、肉体の意識、理性的な物体の意識が沈めば、純粋エネルギーである、エネルギー体が浮かび上がるという構図なのだろう。

 そのためにはもっと自分自身を揺さぶらなければ、自分自身に忍び寄らねば、と雅太は腕を組み、退職届を出すのはそれほど効果的ではなかったな、と思ったりするのであった。

寒い誕生日

2014-01-11 10:10:06 | 身の回り
 雅太は蠅のように手を擦りながら、ブログを書き始めた。乾燥を嫌い、暖房器具はコタツしかない。雅太は着る毛布をして、コタツに足を突っ込み、温度計に目を薄める。10時過ぎているにもかかわらず、7℃。

 7時過ぎに目覚めた雅太は金縛りにあったように寒さで動けなかった。山奥は道路凍結の恐れがあり、誕生日が唯一祝われるであろう実家へ帰省できなかった。何だ、この身に染みる寒さは。一体日本は、中国地方はどうなっているのだ。滅多に観ない雅太だったが、テレビを点け、ニュースを探した。バス停が雪で半分埋もれる現場映像があり、シャベルで雪かきをしていた。北海道では最高気温がマイナス7℃の所もあるという。原因は、北極で渦巻く偏西風が緩み、アメリカやユーラシア大陸北部にはみ出してくるからだ、という。

 雅太の想像は膨らみ、車の中はきっとマイナスに違いない、それなら明日は…。「出戻り」した職場が雅太の脳裏に過る。きっと恐ろしく寒いに違いない。とはいえ、ピークは過ぎて仕事量が減ったので、そこまで遅くなることはならないだろう。雅太は余計な心配をしながら、神経をすり減らしている自分に嫌気がさす。

 きっとこうやって、明日の寒さへの恐怖とか、経済的不安といった心配性が、内的対話の根幹なのかもしれぬ。そして、この内的対話を撲滅して、内的沈黙へと向かうことが必要なのだが、一向に心の中の会話というのが減って行かない。普通の人間ならば、準備やら計画性といった理性的手段によって防衛線を張るのだろう。

 しかし、雅太は普通の人間ではない、呪術師たらんとした。正月、強い不安を克服するため、雅太はカスタネダの『呪師に成る』を読んだ。「力の足取り」の章で、うってつけの文が雅太の心に響いた。

 
 「力を狩るのは不思議なことだ」とドン・ファンは言った。
 「前もって計画を立てる方法なぞ、全然ありはせん。それがそのエキサイティングな所なのさ。しかし戦士はちゃんと計画があるかのように事を進めるんだ。というのも、自分の力を信じとるからな。それが、自分に、一番適切な行動をとらせるってことを、事実として知っとるんだ」


 退職届を出したばかりの雅太は、それを都合のいいように解釈し、「呪術師ならば計画性がなくとも何とかなるのだろう」と何度も頷いたわけであった。が、時が経つにつれ、船から海に飛び降りた後、どこに辿り着くか潮流に任せるというのは、悪魔の戯言のようにも思われるのだった。そんなエキサイティングなところに耐える力を持っていなかったということになるか。

 「明日のことは分からないのだから、そんな心配をしたら限がない…」、
 雅太の失態を、一緒に詫びに回ってくれた上司の口癖が、頭に響く。
 その通りだろう。雅太は内的対話には限がない、と思った。

 

戦士が生きる環境

2014-01-08 08:38:02 | 身の回り
 雅太は朝方マジカルパスをした後、小説の登場人物になったかのようなスリルあふれる事件の夢を見た。体外離脱前の前兆としてこういう夢を見る。実際に温泉に浸かったり、強盗と戦ったり、ドタバタする感触にリアル感があった。雅太は「これをそのまま原稿に記入すれば…」という何時もの発想になり、一応記録しておく。正月に雅太がこういう冒険的な夢見られなかったのは、精神的ストレスがに由来するものと思われた。

 出勤時間を気にしながらブログを書いたり眠りに就いたりするのも、戦略的に重要なのかなとも、雅太は思い始めた。時間が有り余れば、案外、密度が薄くなったりするものである。

 正月に雅太は何もかも捨て、ひたすら眠った。それは夢見を体験するための戦士の道であったのだが、外から見れば寒い冬に起きられない、働きたくないといった怠け者の道であったのかもしれない。

 インディアンの若者は断じて働いてはいけない、それは夢見が出来なくなるからだという声は、次元が違う社会での話であり、雅太が今、ここで生活しているのは、カネを媒介として支え合っている資本主義社会である。

 ブログを書くにも、水を使うにも全てカネがかかるという世界で、賃借であれば家賃が、持ち家であれば固定資産税が課されるのである。そこに住んでいるだけで住民税が課され、失業しても逃げ切れるものではなく、差し押さえという手段で圧迫してくるわけである。社会に背を向ける者に対する当然の仕打ちかもしれぬ。「生き方は他にある、人生はカネではない!」と幾ら戦士の道を叫ぼうが、何か空虚な響きを持つ。現実はカネという化け物が、戦士が戦うもう一つの心さえも占めているのであろう。

 と、そこまで書いていた時、雅太の頭に、そろそろオイル交換やらフィルター交換が必要でと、千円札が羽をつけて羽ばたいていく姿が過ぎる。三か月後には車検が控え、万札が飛んでいく姿も重なる。
 経済的な精神ストレスというのは、労働ストレスを凌駕するものだと、雅太は大きく息を吐いたのでった。

 

悩める戦士

2014-01-06 21:40:26 | カスタネダ『呪術の実践』 !
 雅太はクリーニング店に寄って、ビニールで大げさに包まれた代物を車の中に入れておく。明日返却する予定だったが、ビニールを引き裂き、再び着て過ごすのを想像しながら、夕食を食べ始めた。雅太はブログに今の心境を綴るわけである。

 突如退職届を書いたということは、傍目には、疲れが相当たまったとか、不平不満が限界まで来ていたとか、寒さで気が動転していたのだろうとか、それぞれが推理・憶測をしているに違いない。実際、そんな感じで、雅太の上司も飛び出す直前までに記した日報、それを手掛かりに、「ひょっとしてあの時のミスが原因で…」とか考えているのである。

 だが、おっちょこちょいの雅太はいちいちミスなど気にするタイプではなかった。本人は勝手に、呪術師の世界がどうの、破壊点がどうの、人生の連続を断ち切らねばならないとか、異常な強迫観念に憑かれていたのである。まさか雅太が古代メキシコの教義を実践し、それを深めんがために、全てを断ち切ろうとしていたのだとは、周囲が知るはずはない。

 結果は失敗に見えたが、ある意味、自分自身を揺さぶった、つまり「忍び寄りの術」という点で、雅太は少しは成功だったと思ったりした。ただ、集合点の移動を、憐みのない場所にまで持っていくことが出来なかったのである。

 それにしても、雅太の行動の評価はどうだったのか。
 雅太のメル友は次のように意見した。「自分の置かれた環境、自分自身をしっかり知ることが出来て、自分がすべきことをちゃんと行動できるなら、どこで何をしていようとそれは実現する……」。

 なるほどと、雅太は共感した。結局どこへ行っても同じなのであり、呪術師、いや、戦士たらんとするものは、全てが挑戦なのであり、そこから逃げてはならぬのだろう。

 ちなみに、戦士の闘う相手は、自分自身のもう一つの心であり、それは外部から植えつけられた意識であるという。
 戦士の大目標は、内的沈黙で、夢見とかはその補助に過ぎないという。

 そうなると、雅太は、何か己自身が「戦士の道」から逸れているような気もした。大目標が、夢見、つまり「体外離脱」で、その補助として呪術の知識、内的沈黙とか反復とかを利用するわけである。こうやってブログを書きながら内的対話を繰り返していくということは。きっと、物書きになりたいのであろうが。戦士は利益のために行動するのではなく、精霊のために行動しなければならないわけで。

 雅太は戦略的に、自分自身を大いに見直さねばならぬと思うのであった。

  

運はどちらに軍配を

2014-01-05 23:10:00 | 身の回り
  揺れる心で雅太は会社に電話し、応接間での管理者たちと長い話が始まった。これからの話で、慇懃な言葉で腹の探り合いが展開された。まだ次の仕事を見つけていないのならとか、慣れた仕事の有利さとか、雅太の評価が悪くないので別の部署でもいいとか。
 雅太は形式上はもう死んでいるのだが、馴染みの上司が庇ってくれたり、代わりの人がいなかったり。疲れからくる、年末の突発的な発作ということで、もみ消されたわけである。

 クリーニングに出している服が戻ってきたら出社ということになり、雅太は一息ついて、温泉に入る。客は溢れていた。サウナでリフレッシュする。失業した雅太は、消費意欲や行動意欲が落ちていたが、一挙に戻ったわけであり、メル友にも一報したりする。「それでよかった。あなたは先も見ず崖から飛び降りた」ような、当たり前の返事に、やっぱり10人いたら9人はそう考えるだろうな、と思ったりする。

 会社の話によると、突然辞表を出す人は「怒りによるケースが多い」らしく、雅太の場合は、疲れとか突発的なもので、また説得すれば船に戻ってくると考えていた節もあるようだ。勝手に飛び込んで逃げたくせに、浮き輪を投げてもらって、それに捉まって船に戻ったわけだから、雅太とすれば感謝するしかないだろう。

 そういえば、正月、雅太は御調八幡神社で500円ちょいの賽銭を投げておいた。今日になって、雅太は温泉で500円玉を拾ったり、温泉の割引券やら大型スーパーで500円のサービス券が出たり、何となくラッキーが続いたような気がした。それがこの日の答えの啓示か。雅太はまだまだあの職場で修業しなければならぬという定めなのかもしれぬ。

 ここまで思いをブログに綴ったところで、雅太は眠りに就くのであった。

果たして自由になれたか

2014-01-05 21:56:14 | 身の回り
  深夜22時。雅太は非常に長いトンネルを抜けたような気分でブログを書きはじめた。
 
  飛び出して雅太が上手く行く様を、果たして共感する戦士たちは信じることが出来るか。

  「戦士は信じなければならない」わけであるが、どうもまだ「信じられない」という閲覧者の声が聞こえてくる。

  そう、雅太自身も、心のどこかで信じていないのかもしれない。

  雅太は正月休みとあって、田舎の実家に戻り、二泊してエネルギーを充電した。親には「いつまで休みか?」と問われ、「ず~っと休みだ」と答えるわけにもいかず、野菜や水など必要なものをしこたま車に入れて、アパートに戻る。
  雅太は、これまでになくエネルギーがあるので期待して眠る。が、スクラッチの外れのごとく、かすのような夢ばかり見て、朝起きれば、絶望的な気分に陥った。

 それでも、カスタネダの教え通り、「反復」なる行為を実践する。とりわけ4年間で40冊にも及ぶ日誌の類を、雅太はペラペラと捲って心理的変化を読み取ろうとした。とたんに、蜂の巣をつついたように、内省の毒針に刺され、気が滅入る。退職した雅太は自由になれたはずで、しばらくは生活に困らぬはずなのに、何かおかしい。内的対話が凄まじいのに驚く。それは眠って蓄えたエネルギーが、「不安」の言葉の火を吐く怪獣となって、雅太を攻撃してくるのである。

 「生活の型を壊せ!」といえども、仕事がなければそもそも「生活」ができぬ。呪術師の道を行く前に、雅太はノイローゼになる気がした。世間体を捨て、とりあえず、ネコのように寝て、夢見を究めようという戦略であったが、罪悪感というか、一体これからどうなるのかという不安が凄まじく、それは泣き叫ぶ赤子のようで、無理に抑えようとすればするほど膨らんでいく。

 雅太は人生の連続性を中断させた、つまり破壊点に到達したと考えていた。しばらくアパートに引き籠って、誰とも会話せず、呪術に励む予定であった。が、雅太が半ば強引に破壊点を作り出しても、「内的沈黙」は全く訪れないわけで、逆に強力な「内的対話」が訪れたわけである。素晴らしい効果が現れないし、ワクワクもしない。ひょっとして無謀に飛び込んだだけではないのか。

 焦った雅太は、荒れ狂う海の中から、船に向かって手を挙げた。