インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

日々がテスト?

2010-03-31 06:01:32 | 考えるインディオ
  カネを出すときには人間性がもろに現れる。だから、カネに関係させて相手の人間性を判断することも出来るのかもしれない。

 「カネを貸してくれ~」と頼みごとをする手もあるが(?)、疑われるので(??)、現金等価物を売ってみるというのも一つの手なのかもしれない。図書券、ビール券、JCBなどの商品券とか、たぶん、相手も使いにくいだろうが、「今、財布にたまたまこの券しかなかった」今すぐ現金が要るという状況で(無理やり。カネのないフリをする)。

 相手はこっちの財布を見て買い叩くかもしれないが、「ああ、このヒトはせこいひとなのだな(=運のない人?)」とか分かる。困ったフリをして売ることが大事で、今は困っていないが、困っている時に助けてくれるヒトこそ、本当の友人なのだから。

 10%上乗せで買ってくれれば、かなり良心的なヒトだ。価値を知っていて半額とか買い叩くヒトは、論外か(ただの貧乏人か)。

 順境では人は容易についてくるが、逆境では難しい。そういう状況になって初めて「あのヒトは風見鶏だったのだ」と気づいても、後の祭りか。

 もっとも本場のインディアンに商品券を見せてもスルーされるかもしれません(逆にせこい奴だと思われたりして)

宮島(大特集)

2010-03-28 23:19:16 | 瀬戸内海の島
 広島県人なのに、しかも神社とか色々旅行スポット紹介しているのに、「宮島」がないのはおかしなことだ。と、取材に行ってきた。弁天様(弁財天)を祀っている総本山で、しかもユネスコの世界遺産。

  車では行かれないので、フェリーで行く。

 

  広島市内の繁華街から行くルートもあるようだ(宮島口でも駐車料金が1000円かかる)。

 

 土曜日のせいか、いや、やはり本物の観光地か、船は凄まじい混雑だった(いや、大したことないか)。


 

  何かしら去年の仙酔島と似ているが、やや遠いか。金曜日は雪が降ったこともあり、この日も結構寒かった。しばらく震えていると、鳥居が見えてきた。

 おお、宮島へ来た!(久々登場!)

 

  ただのちっぽけな島であるのに、大都市の駅であった。外国人が余りにも多い(瀬戸内海一のグローバルな島だ)

   

 眠そうなシカが観光客を見ている。何かくれないかと物色しているのか?

 ここのシカをサファリーパークに放ったらどうなるのでしょう(さすがウマシカです)

 

  神社の周囲に宮島横丁が続く(弁天様のおかげ様です)。焼きカキが2つで400円で売られていたが(高い~)、結構売れていた。

  

 大きなしゃもじだ(この木、何の木、気になる…)

 

 鳥居が見えてきたので、寒さを忘れて突き進む(小学生の時以来だ)

  

  足場が悪いのに、浜辺を歩いているようだ(もうすぐ潮が…)。

  

  世界遺産の現場に感動しました(これぞ広島のシンボルです)

  

  丘の上を歩くと、桜がキレイだった。

  

  何かしら小京都を思わされる(尾道とは比較にならん)

  

  海辺に立つ神社は弁天様のように美しいから…

  

  入ってみようと思ったが、寒くて引き返したわい(入場料300円です)

  

 遠方から来られた方は、ぜひ、中に入ってください(近場の方はマニアックな場所を回りましょう)
 

最近の読書傾向

2010-03-21 22:47:53 | 映画や小説、テレビなど
 本を集めるのが趣味で、それゆえに読書をするが(何か表現が変だ)、最近面白い本をGETした(珍しく連続で読了した)。

 まずは平成の蟹工船なる横帯があるモノ。
ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない
黒井勇人
新潮社

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 IT企業に入社した28歳の若者の体験談(2ちゃんねる形式)であるが、実に面白かった。かなり濃いキャラの仕事仲間(井出、藤田、上原?)に囲まれた主人公のマ男が、サービス残業ばかりして、「IT業界はすげ~な~」と思わせられる一作(ココが特殊なのか?)。

 最もブラック会社は珍しくなくて、自分が今勤めている所も…(灰色か)。しかし、この間のバイト先は完全にブラックだったから、ましに思えるし、求人募集を見れば、ブラックばかりなのではないのか。

 そもそも、「ブラック企業は嫌だ」というなら、自分がプレーヤーとなって事業をすればいいだけの話で、ブラックに自分を委ねたのは自分の勝手であるから、恨むのは筋違いか。

 次に強烈な新書。リーマンショック以降に発行されたから割と新しい。

 
リストラされた100人貧困の証言 (宝島社新書)
門倉 貴史,雇用クライシス取材班
宝島社

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 リストラといっても、元々の立場が高いほど、転落の衝撃が激しいわけで、その不幸が描かれている(それを読みたがるというのも…)。まさに「他人の不幸は蜜の味」って感じで、youtubeのネットカフェ難民を閲覧するのと同じ感覚か?(それをやると、運勢学的に、いつの間にか同じドツボにはまるらしい)。

 昔は某会社で儲けていたが、今は警備員やタクシー運転手、介護士、レジの店員で収入が少ないとか、至る所で見られる現象だから、全然珍しくないわけだが、こう具体的に叙述されると想像力が膨らみ、心に響くものがある。

 金持ちの飼い主に捨てられた犬の場合、野良犬になったら苦労するのは間違いない。

菓子代わりにパンを…

2010-03-18 19:25:43 | 身の回り
  ネットにアクセスしない日もあり、妙に寂しいが、それはそれで有意義である。ただブログは毎日書いていないと、勘のようなものが鈍ってしまうので、たまには叩いた方が良いだろう。

 食べ物と一緒で、日々の行動が、人間の中身をつくるのだ(作家志望者はひたすら書くべきだ)。

 そういえば、毎日、玄米を食べているが、たまに日本酒と醤油を入れて炊き込みご飯のようにして食べることもある(名古屋では「さくらご飯」とか言うらしい)。これで味噌汁に干物か大根ナマスでもあれば何も要らないが、他人から「武士のようだ」といわれた。

 パンも結構食べるようになった(おやつの代わりか? ムダ使いだ)。福岡にいた頃は「フランソワ」なるメーカーのパンを食べていたのを思い出す。ヤマザキとかフジパンは何かしら避けていて、今では広島にいるから?「タカキベーカリー」のパンばかり。

 あまり身体には良くないが(?)、かなり美味しいので、お勧めである(butやや高いか)。本当は設備と時間さえあれば、自分で作った方がおいしいに違いない。個人的にはレーズンやら胡桃が混じったパンが好きで、中毒になっているのかもしれない。

 まあ、ニコチン中毒よりはましかもしれないが、食べ過ぎは人間を愚鈍化するので(大して消化もしないし)、「美味しい物を少量ゆっくりと味わって食べる」のが一番良いのだろう。

 このことは、ブログでも小説でも、同じなのかもしれないが。

何のために読むのか?

2010-03-15 00:18:35 | 映画や小説、テレビなど
 ジャンル関係なしで、本は沢山持っているが、全部読んでいるわけではない。最近は時間があるから、ページのアタマから隈なく読むことも出来ようが、小説以外はそういう読み方をしていない。このブログで紹介した実用本とかも、ほとんどそんな感じか(面白ければ全部読むかも)。

 本を読むために読む、ということだけは避けたい。確かに読書は映画鑑賞とかと違い、能動的な行為であるが、所詮、書き手がある観点にだけスポットを当てて説得しているものだから、鵜呑みにするのはどうかと思う。内容が凄いと盲信して実践するケースもあるが、なかなかそういうのにはお目にかかれない。最近では「情報は一冊のノートにまとめなさい」がある。

 やはり何か書くために読む(=調べる)のが一番良いのかも知れない。書くといっても、それをカネにする場合(ライターとか)、その参考資料の参考にしたものまで読んだりするから(?)、一筋縄ではない。ノンフィクションといえども、創作されているので、裏の裏まで探る必要があるかもしれない。要は何も信じないということか。

 もっともそんな感じで素直でないから、『ツキを呼ぶ本』とか読んでもあまり効果がないのかも知れず、ブログとて何かしら首尾一貫した感じを受けないのかもしれない。興味や話が彼方此方に飛び、「一体この男は何を書きたいのか?」という疑問を抱かせるのである。

 実際、これを書いている現在でも、何が書きたいのか全く分かっていない。ただ更新するために書いている面もある(何たる事態だ!)。小説家として本を出し、それをサポートする意味でブログを書いているわけでもなく、アフィリエイトもただの飾りであるし(ヒヨコも…)、もはや行き詰っており、2010年の春、何かしら新しいことをやらねばならない時期に来ているのかも。

 スピリチュアル関係の本も何か怪しいものがあるし(脚色が多いのでは)、もはや己のちっぽけなスピリチュアル体験を書かねばならないか(夢とか、気づきとか、少しは書いているのだが)。

 本の内容よりも、一人の人間が生きていること自体が、不思議なことだらけなのだから。

  

カネは器に合った額だけやってくる?!

2010-03-14 19:43:47 | 考えるインディオ
  例年、季節の変わり目は体調が良くなく、昨年同様、風邪っぽい(先週から)。身体が休むようにメッセージを送っているのだろうが、動き回るから良くならないわけで、今から熟睡した方が良さそうだ。

 そういえば昨日、「1億円あったら…」とか書いたが、1億は生命保険で結構掛けていないといけない。「ラクして儲けたい」と誰もが考えているが、ローリスク・ハイリターンなんて有り得ないし(?)、今、IT関連とかの社長で1億円持っていても、運営しているうちに5年後、その倍以上の借金をつくったとか、そんな落ちがあるのではないか。

 やはり人間は身の丈に合ったカネが廻ってくるのが丁度良いわけで、実力以上のカネをGETしても、なかなか使いこなせるものではない。器が小さいと、株とかFXに手を出しても、おっかなびくびく損切りできず、すってしまうのが落ちか。

 相場であれ、人間であれ、短期的には激しく変動するが、長期的にはやはりその銘柄に合った値段(収入?)に落ち着くのかもしれない。もっとも、人間の場合、個人の力は知れたものだから(?)、所属する組織の力に左右され、時代の波に乗った会社に入って働くことが肝要か。

 その意味では、親の世代(団塊世代)なんて、実力以上に金を貰い過ぎていて、勘違いしている人間も多いから(??)、ギャップが大きい。努力が報われにくい時代で、親の世代の業が、子供の世代に巡って来たのかも知れぬ。「楽は苦の種、苦は楽の種」というが、孫の世代は新卒採用すら厳しいので、ひたすら「苦は苦の種」となっているのかも。経済的には。

 親の世代より、確実にケチな器が増えているが、「立場や金がヒトをつくる」としたら、それも仕方がないことか。自分だけがぱ~っと使ってもカネは戻ってこないのだから。利己的な「生活防衛」をしながら、「器を大きくしたい!」ってな志を持ったところで、何か虚しい気がする、今日この頃である。

カネが人間をつくる?!

2010-03-13 20:25:56 | 考えるインディオ
  まろが生息している地域であるが、何かしら人口の割には激安店が多く、休日に徘徊していると職場の人間をたまに見かける。カネがないから中古の軽に乗って激安スーパーとかに行くのだろうが〔まるで鏡だ!〕、そのカネのなさが彼を貧乏性にさせているのだと思われる。

 潜在意識が「1円でも節約せねば…」となると、妙なことに神経を使いストレスを溜め、トータルで見ると(高い所でみると)、一ヶ月5000円浮かしたからといって、何か大事なもの(1万円どころではない)を失っているのではないか? ということもあり得る。

 例えば品性。激安店とかではそんな人間しか集まっていないので、貧乏な波動をもろに受けるのかもしれない。また「安いから買ってしまおう!」と余計なものを食べて病気になったり、「何か高いような気がする」とか貪欲さが出て必要なものに必要な代償を払わなかったりで、ケチな人間が出来上がってしまう。

 1億円あったとしたらどうなるか?(宝くじで当たったりして)

 人間の雰囲気がガラリと変ると思う。貧乏臭いものをすべて一掃し(?)、消費のために動き回るが、それは激安スーパーとかではなくて、高くても良い物を求めるようになるのではないか。生地の良い服を着て(アジア系の輸入品ではない)、中古車ではなく新車を買い、もちろんブックオフとかにも用事はない。

 暇つぶしに銀杏の机に高級なPCを置き、広い部屋でゆったりとコーヒーでも飲みながら小説でも叩いているかもしれない。もちろん、内容は貧乏臭くなくて、優雅で余裕があり、富裕層からも愛される内容であろう(それこそ、売れるのだろう)。資料代とかにもケチる必要はないし、自費出版でもしていれば良い(交渉しだいで名のある版元から出せるかも)。

 こうなると、オーラが変ってきて、ツキを呼ぶかも知れない。やはりカネはカネのあるところへ集まるものだし、手元の1億をケチらず生産的に手放せば、宇宙法則で?循環してくるのだろう。考えてみれば、貧乏人は自分自身で生産行為にカネを払っていないものだ。

 かくして1億円あれば、それが呼び水となって、人間を好循環に乗せる可能性があるのだが、滅多なことで手に出来るものではない。インディオも含め、ほとんどの人は貧乏性の無限ループの中で足掻きながら、一生を終えることになるのだろう。

 それでも、時代やら世界的に見ても、恵まれているのかもしれないが。

NETで繋がるということ。

2010-03-08 00:08:25 | 聖なる木を創る、地域通貨
internetとはコンピューターのnetworkであるが、目的がしっかりしていないと、ただ一方的になり、網状に繋がっていない場合が多い(このブログもしかり)。もっともgoogle経由でたまたまアクセスした人も多いし、適当に書いているブログでは、繋がりようがない。

 インディオ通信ではあるが、別に原住民やらインディアンの情報を集めたり、分析して発表しているわけでもなく、ただ文明に翻弄されている一人物の備忘録であるからして、第三者にとってどうでもいいことである。

 そういえば、「聖なる木を創ろう!」とか「インディオダンスホールで踊ろう!」とか得体の知れぬ企画はあるのだが、マーケット・メカニズムが働かないため、リアルさがない。「宗教団体をつくる!」に近い響きがあるが、インディアンたちがお布施を集めるビジネスをやるはずがないので(?)、もはや心の中で各自が勝手に世界に浸るしかない。

 net上で、絶対的な教義など押し付けるべきではないし、管理者が介入すべきでもない。ただ支持者が増えれば、発言力が強くなり(これが権威権力か?)、何かしら似たような魂が集う器が出来てくるのかもしれない。

 そして、無料で誰でもアクセスできる世界(来る者拒まず)から、パスワードで制限をかける仲間内の世界になるのかもしれない。民間企業のように、目的や構成員がしっかりとしてはじめてnetworkが有効に利用できるのだろう。目的があいまいでは情報提供の仕様がないし、得体の知れない情報提供者では…。

 netを最有効利用するには、独自のルールを作るべきなのかもしれない。そこで今、インディアンなルールを考えている所なのだが…、そうなるとメンバーにはある種の自己犠牲が求められることになり、それをどういう形で求めればいいのか…(カネとか血を流すとかは避けたい)

大宇宙の星に願いを

2010-03-07 13:38:55 | 潜在意識の世界
  うとうと昼寝をしていると夢を見た。冬の薄暗い屋内で、何やらある女の先生がいて、何やら話を聴いていた。そのうち外へ出て、大人の生徒達が真冬の夜空を見上げ始めた。一月二月の冬空が一番キレイな気がする。先生は語りかけた。

「あなたが子供の頃からなりたかったことで、今も実現しそうなことは何ですか?」

 大宇宙の夜空を眺めながら、皆が考え、語る者もあらわれる。我が身を振り返って、子供の頃になりたかった夢などあっただろうか。そもそも夢なんてあったかしら。

 無理やりに、政治家やら医者やら社長になりたいとか、ほざいていたかもしれないが、本音では?だし、スタートラインからしてナンセンスだったかも知れない(勝手に看板を掲げれば、社長にはなれるかもしれない)。

 昔から個性的だったので(ただ自我が強いだけか?)、人とは違うことをやってみたいと思っていた。絵描きやら考古学とかに関心はあったが、二十歳ごろには哲学に猛烈に関心を持った(別に哲学科へ行った訳ではないが)。

 20代も後半に入って小説を書いてみたくなり、それが考古学への興味とリンクして(?)、インディアンの小説やら書いてみたわけであるが、作家になるにはとんでもない壁を乗り越えなければならなかったようだ。登り方を間違えていたのかもしれない。

 インディアン世界は共感する部分も多いが、古代メキシコとか光だけでなく、闇も崇拝していたわけで、実際、社会では生け贄とか血みどろのルールが横行していた。

 古代アメリカ世界にいて、「あなたが子供の頃からなりたかったことで、今も実現しそうなことは何ですか?」と問われると、「生け贄になること」と答えるわけで(??)、やはり「子供がなりたいもの」は時代背景や周囲の圧力で決定するのかもしれない。

 まさか子供の頃に「インディオ通信」なるものを書いているとは思わなかったし、そもそもああいった世界に関心を持つとも思わなかった。だけれども、現代人のルールがおかしいと思えば、それに代わるルールを探す必要があり、それがあの世界だっただけか。

 現代の物質文明に忠実に生きると、カネやら欲望に執着し、生と死の間にとてつもない壁があるように思える。大自然とか大宇宙とかの繋がりが、人と人との間を通じて感じられないなら、人間関係も偽善的で希薄なものになるのではないか。

『ジェリコ』の世界

2010-03-06 19:33:34 | 映画や小説、テレビなど
最近、アップ回数が減ったが、ブログが単なる自己満足に気づいたから(今さら)、仕方がない。だからどーした、それでどーなる、と自己主張が虚しくなったのかもしれない。

 さて、『ジェリコ』であるが、核爆弾パニックであんなドラマのようになるとも思えないが、社会が混乱に陥れば何が起きても不思議ではない。大勢が空腹になれば、民主主義など簡単に崩壊するだろうし(?)。

 所詮、ルールなんて、権力者サイドの都合の良いように出来ているわけで、今の日本とて、豊かな社会の前提が崩れれば、すぐにパニックになり、争いは起こるだろう(既に水面下では起きているのかも)。

 日本には資源が少ないので、パニックになる条件はかなりそろっているのかもしれない。小麦を輸入できなければ、スーパーのパンの棚はガラガラで、石油がなければ車は単なる鉄の塊である。

 日本にいる人々が働いて(工業製品を輸出したカネで)、必要な資源を買っているのだが、それが出来るのもマネー(円)の価値が保証されているうちだけだろう。何かしら通貨の価値が揺らいでいる。1$88円で交換できるとはいえ、ガソリンは129円もするし、穀物価格は上昇している。じりじりとパニックになっているのかもしれない。

 『ジェリコ』では塩とかガソリン、電力(冬場だったので)などが取り上げられていて、スーパーで肉と小麦を何グラムかの比率で物々交換する場面があったが、他の地域と交易できなければ(ドラマの設定)、仕方がない。

 ただ、本当に価値ある品物だけが取引されるとなると、経済活動が恐ろしく縮小するので、人々の労働は一体どうなるのか? 多分、失業者だらけで、資源の強奪やら人口減少(殺し合いや自殺)が要請されるのかもしれない。

  もっとも、現在の不況が深化すれば、日本も『ジェリコ』の世界になるのかもしれない(いや、なるわけないか)。日本では現在、中国など外国の品物が沢山売られているが、生産サイド(メーカー)が国内中心でないと、雇用がないので、カネが上手く廻るわけがない。経済システムから大勢がはじかれる。

 ルールを守って生活できるのは、税金で生きる公務員、マネーを動かす銀行員、巨大な設備を持っている大企業の関係者だけということになりかねない。国を支えている多くの中小企業はとても不安定で、それゆえに人も雇えず、ルールを守どころではない(税の滞納、労働基準法違反?)。公共事業がないから地方の経済は死んでいるし、労働者は給料が安いので激安店でしか買い物出来ずに、商店街も死んでいる。

 公務員や大企業も支えきれなくなっている。デフレのパニックで価値のない商品が弾かれているためか。機械文明で人間(労働力)の価値も下がっているから、人間も要らないってことか? いまどきPCを使いこなすなんて、当たり前になってきたし…

 人間が多すぎるから淘汰されているのかもしれないのに、「子供手当て」なんて与え、暗い未来の日本に誕生させ、失業者予備軍を増やすのはどうなのか、と思うのであった(何というマイナス思考の文章だ!)。   

映画を観ながら…

2010-03-01 00:23:22 | 考えるインディオ
  さて、今日は晴天だったが、チリ地震の津波注意報で、海辺には出かけられなかった(瀬戸内海は島の要害だらけで関係ないか)。『ジェリコ』なるアメリカTVドラマシリーズを観ていて、世界がパニックになったら(自分の所だけ残ったら)どうなるのか考えさせられた。

 アメリカのTVドラマシリーズと言えば、『24』『プリズンブレイク』にもはまったが、これもリアルな感じでハラハラさせられて面白い(現在5を視聴中)。あと、主人公が若い女性の霊能力者?である『トゥルー・コーリング』『ゴースト』も最初の何本か観たが、まあ、きりがない。

 主人公が坊主とかの「おっさん」で、成仏できない幽霊やら、時空を遡ってやり返せるようなドラマが出来ても、リアルではあるが(?)、暗い感じの重苦しいドラマになってしまうのかもしれない。

 やはり「おっさん」は拳銃でも握って、ヤクザやら警察相手にバンバン撃ち合うようなストーリーでないと、刺激がないということなのか。しかも難題を次々に解決していく明晰さを備えていなくてはならない。常に死に掛け、血を見なければならないのだ(「おっさん」主人公の悲しい掟)。

 いや、霊感を備えた「おっさん」が主人公ものもあったかも。

 とにかく、主人公の意識は高い次元にあり、必要な物もカネも人も、次々と手に入り、目的を達成していくわけで、それはただの映画のセット・シナリオかも知れぬが、成功へのイメージトレーニングにはなるのかもしれない。

 ただ映画の観すぎも、お菓子を食べるようで、美味しいけれども全然栄養にはならないのだろう。恐ろしく冷静沈着になると、映画を観ている自分を、さらに映画で見ているような妙な感覚になったりする。こうしてブログを書いている自分を、背後で何者かが見つめているとすれば…

 このインディオも、大地を舞台とした映画に、主演しているというのだろう。タイトルは『もがく男』って感じか。

 もっとも、この世に生れ落ちた人間は皆もがいているのかも知れないが。