インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

風俗営業法の適用によるクラブの摘発について。

2012-05-30 05:37:01 | 考えるインディオ
 毎朝、アクセス解析を見て(このブログの編集画面が標準設定)、アルファポリスのポイントを眺めた後に(未だに押してくれていて有難い)、天気予報やら朝日新聞のサイトとかを巡回するわけであるが、面白い記事を発見した。


朝まで踊れるクラブ取り戻せ 規制撤廃求め全国署名活動(朝日新聞デジタル)

  風俗営業法の適用によるクラブの摘発が各地で相次ぐ中、利用者やアーティスト、経営者らが29日、深夜にダンスをさせても風営法の適用対象にならないよう求める全国署名運動を京都市で始めた。「クラブは若者の表現の場。楽しみを奪わないで」。都市部を中心にクラブカルチャーが衰退している現状を訴えた…
 
 …とある。 クラブじゃ踊れない? 風営法違反、店の摘発相次ぐ(朝日新聞デジタル)にも掲載されている。


 このブログも当初は「インディアンな踊り」がテーマ?であり、実際に自作小説でもそれが展開され、本人自体の身も心も踊っていた(踊りの神に憑かれて狂っていました)

 次第にカルロス・カスタネダの古代メキシコの呪術師の世界へと、シフトしているのであるが、やはり過去のを引きずっているわけである(果たして芸術的な要素はあったのか)

 
 踊りには、「音楽」が必要であり、「衣装」「踊り方」「デザイン」「設備装置」「妄想?」など趣向を凝らすことになるだろう。しかも踊る時間帯とかは、深夜の方が非日常的で、夢の心地にいるような雰囲気が出るのである。 4年前に書いた記事ダンスホールと宗教

新聞記事でも、
 坂本龍一さんは「クラブはサブカルチャーのハブ(中継点)。音楽、ダンス、アート、文学、ITなど多くの分野がつながっている。クラブ文化を取り締まるのは時代錯誤。日本文化破壊といっても過言ではない」と批判する…
とある。


 ただ、踊り場は酒場でもあるから、問題も多い。酒場には「ヤ」がやってくるし、麻薬の売人とかも客を求めて足を運ぶだろう。

 理性の支配していない集団狂気の現場が、オールナイトで続くというのは不気味ではある。まっとうな仕事をしていたら、普通疲れるから早めに切り上げるし(そもそも行かないか?)、当局も、麻薬の売人がネズミ算的に増えるのを危惧するのか(?)

 そういえば、この前のヒッピーマーケットでも踊っていたようであるが(日曜日は知らない!)、踊る場所やら、人間の種類によっても、状況は違うのかもしれない(大自然で、ヒッピーであれば…)。

 太陽の下で踊るクラブができれば面白いのかもしれんわい(大都会では場所がありませんか)。

 公園がありますよ、公園が(え? 警察が来る?)

目に見えぬ存在との戦いにおける策略 ~捕食者~

2012-05-29 06:09:46 | カスタネダ『呪術の実践』 !
  昨日の『無限の本質』の続きであるが、なぜ人間がグダグダ考えたり、内省したり苦しんでいるかというと、目には見えない存在であるが(非有機的存在)、宇宙にはそれを餌として食べている化け物がいるからだという。

 それを捕食者、「飛ぶ者」(暗がりであちこち飛び回る)という。これは何も固定観念が植え付けられていなくて、純粋に物事を見ることができた幼児期に「見る」ことができたが、「あんまり恐ろしいもんだからそれらについて考えるのをやめてしまう」という。

 なるほど、吾輩も、小さい頃は暗がりが死ぬほど恐ろしくて、そこから立ち去ろうといつも走っていたものだ。

 古代メキシコの呪術師によると、幼児期というのは、エネルギーのまゆの上に光り輝くコーティング(オブラード?)がまるごと展開されていたわけであるが、幼児は成長するにつれていろいろ教育され、固定観念を植え付けられる。

 (コーティング=「意識の光る上着」がじりじり減っていく)

 幼児は子供になり、次第に「あれこれ考える心」が発生する。この「心」というのは、宇宙において確かに存在する、異なる種類の意識(捕食者)のエサであるといい、その捕食者の食物を生み出させるために、我々人間には、捕食者から心が与えられているというのだ。

 人間とは、捕食者の囚人である。捕食者は、人間の内省につけ込み、「意識の炎を作り出し、捕食者特有のやり方で、冷酷に食い尽くしていく」という。

 つまり、生き生きとした不思議な存在である人間は、ただの肉片に過ぎなくなり、さらに肉片である我々は、捕食者からナンセンスな問題を与えられ(思考し)、焼肉にされているのだ!(なんてことだ!)

 この状況から脱出するためには、我々は修練によって、捕食者の口に合わないような、「まずい肉片」になるしかない。

 その修練とは、「予期してもいない困難な事態に平然と立ち向かう能力」であり、

 捕食者によって引き起こされた内的対話(グダグダ考えること)を止め、内的沈黙で責め立てる。

 そもそも「自分の心」とは「捕食者の心」である。


 『無限の本質』p280より

 大昔の呪術師たちの並外れた策略は、「飛ぶ者の心」に修練の重荷を背負わせることだった。

 彼らは発見した―― 飛ぶ者の心を「内的沈黙」で責め立ててやると、「外来の装置」が逃げ去って、それにより、この策略にかかわっている者は誰でも、心は外部に起源をもつという確信が得られることをな。

考えるより、覚悟する

2012-05-28 07:05:58 | 考えるインディオ
 ピースフルヒッピーマーケットで衝撃を受け(やけに閲覧が多かったぞ)、吾輩もアトリエでも作って、のんきに暮らしたいと思った。

もし人生があと一週間しかないと知ったら、雇われ人の身分を捨て、自分が主体となって自由に過ごすに違いない。

 一週間が一ヶ月となっても同じかもしれないが、五年とか十年とかになれば、まだまだ死なないことを前提に生きるようになるのかもしれない。

 吾輩が呪術師だと認定している斎藤一人という実業家は語る(エネルギー体=守護霊とか、カスタネダと通じる部分が多い)。


 斎藤一人のツキを呼ぶ言葉(知的生きかた文庫)三笠書房より


 「鳥とかネズミとか、みんな生きているのが大変なんだよ。それなのに、人間だけが生きていくことに文句を言うんだよね。大変なのが当たり前なの。覚悟が足りないんだよ。生きていくのは大変なんだと思っておけば、全然問題なんかない」

 人間は動物と同様に、毎日、様々なことをやって生きています。

 でもそれをするのに文句を言うのは人間だけです。

 動物は黙々と必要なことだけを行うのに、なぜ人間だけが文句を言うのでしょうか。

 (斎藤)一人さんはその原因が、生きることに対する覚悟の不足にあると言っているわけです。

 また、一人さんは、

 「動物は淡々と生きるけれど、人間は頭がいいので余計なことを考えてしまう。それで覚悟が足りなくなるんだ」

 と言っています。

 

 …この「余計なことを考える」原因というのが、実は宇宙にあり、それはまるでパンにコーティングされたチョコレートのようになっていて、

 「捕食者」たちが美味しい美味しいと食べている、とカルロス・カスタネダは死ぬ寸前に書いた『無限の本質』にあるわけである。

  人間が余計なことを考えれば考えるほど、捕食者たちに好都合なのであって、

  放浪な生活をするヒッピーたちはあまり美味しくないのだわい(明日は、このネタでいきましょう)

 

ピースフルヒッピーマーケット 2012 5/26

2012-05-26 21:15:23 | 身の回り
 ピースフルヒッピーマーケットへ行った。言葉にならないような衝撃を受ける。

 我輩など大した個性ではないことが良く分かった(屁理屈をグダグダ言っているだけのちっぽけな存在か)。

 駐車場は、多摩やら沖縄など見慣れぬナンバーでごった返しており、いきなりインディアンの移動式居住「ティピー」があった

 
 

 

 

 

 以下は店の紹介。


 一番印象に残ったのは、岡山の赤磐市に住んでおられるロロさんです(爽やかで目がとても輝いています)

 


 古代アメリカ人を彷彿するような方々。タイへ行かれるらしい(現地で仕入れたという水晶を買う)



 これで3000円は安いと見たのだが…。

 

 
 絵を描きながら、チベットなど世界を旅する女性。ヒッチハイクで来られたようだ。

 

 宮古島(頂いた紙には「のーがらちむがら」という自然食料品・雑貨店とある)から、北海道へ旅する男性。

 地元で理想的な学校を設立したいと語っておられた。吾輩は砂糖なしのキャンディーや生アーモンド(くるみ)などを買った。

 

 インディアンの長老のような方がおられた。岡山の総社市で「太一や」という面白い店をやっておられるようだ。



 彼がお店の名前の由来である「太一」くんである(五歳らしい)。



 吾輩は、予定通り、ジャンベワークに参加した(マンツーマン!?)。

 ロロさんから教わったことで印象に残ったことは、「太鼓の真ん中の低い部分は、大地の音。端の高い部分は、風の音」。

 アフリカでは太鼓は会話の一部である。かなり長いことめちゃくちゃ叩いた。



 いつの間にか、演奏会に発展していったのだわい(実に素晴らしい体験でした)


明日は堂々公園でジェンベを叩く。

2012-05-25 05:40:49 | 実用書
  最近、夢見るためのエネルギー不足のためか夢を見ていないが、明け方に相当リアルな夢を見た。

 が、歯がゆいことに、断片的にしか思い出せない(内容はツイッターにでも書こうか)。

 何かの表が出てきて、夢の中でじーっと見つめ、「よし、しっかりと記憶したぞ!」と意識したのに、今は……。

 ピースフルヒッピーマーケットと何か関係があるのかも知れない。あすの堂々公園(福山市の郊外)が楽しみだ。

 そういえば、4年前、尾道に引っ越して間もない頃買ったジェンベを、最近叩いていないので(ついに狂ったか? アフリカの楽器がくる…)、

 ジェンベのワークショップに参加してみようと思う。重いから、現場が駐車場から近いことを願う。

 「ピースフルヒッピーマーケット」関連だけで昨日は21クリックあることから考え(開催される場所が場所だから、どうしても集中するか?)、

 最近、えらい閲覧数が増えていることも考慮し、

 馬が会う仲間に出会うかもしれんわい(どこかでジェンベを叩いています)

 ついに人前で叩きたいという夢が叶いましたね(え? 腕が疲れるので、そう長くない?)

ウォーボンネット→ イーグル→ 意識の暗い海

2012-05-23 05:49:12 | カスタネダ『呪術の実践』 !
 ピースフル・ヒッピーマーケットで検索ヒットされているようだ(昨日は10人ぐらい)。

 羽飾り(ウォーボンネット)が欲しいところだが、10万円もする(これで街中を歩いたら…)

 
 被って歩くのも命懸けの勇気(のそのそ母日記)がいりますね(クリックしてみてください→ ナバホ族ウォーボンネット)

 
 代官山恵比寿のインディアンジュエリー<LittleCloud☆リトルクラウド> オーナーisarockブログ

 インディアンの羽根飾り「WAR BONNET」 【ウォーボンネット】あります(笑) より

 それにしても、これで商売が成り立っているのだから、世の中は面白い(貴金属が主か)。

 インディアンジュエリー専門店【パインリッジ】
 ホピ・ズニなどのジュエリーリングやバングル約5000点以上の品揃え

 それにしても、羽飾りにはヘビーな意味があるようだ。平原インディアンの特色~羽根冠ウォーボンネット によると、命懸けの勇気が羽飾りの一枚を表しているわけであるが、現代では風変わりな趣向の、10万円で買った無駄遣いな人間にしか思われないか(?)。

 カラスやニワトリの羽ならともかく、イヌワシの羽など手に取ってみたことすらない。

 よく森林浴中に旋回している鳥を見かけるが、あれがトビか、ワシか、タカか区別すらつかない(多分、トビだと思うが)。

 「イーグル」なんて、古代メキシコの呪術師の得体の知れない世界を彷彿してしまう(▽△○…。最近、ご無沙汰である)。

  イーグルは、無限の宇宙エネルギーであり、意識の暗い海である、とする。

  最後に、人間の知覚自体が、宇宙からのサイバーになっているような世界観を紹介します(何を言っているのかわかりませんか)
  
   ※反復とは、言ってみれば「追体験」のことです。


  カルロス・カスタネダ、『無限の本質』より。

   ドン・ファンは次のように説明した。

   古代メキシコの呪術師たちは、宇宙全体が輝く繊維の形をしたエネルギー場で構成されているのを「見た」。

   どの方向を「見て」も、彼らには無数のエネルギー場が「見えた」。

   彼らはまた、それらのエネルギー場が輝く繊維の流れへとみずからの姿を変えるのを「見た」。

   その流れは宇宙における一定不変の力なのだ。

   そしてそれらのうち、「反復」に関する繊維の流れを呪術師たちは「意識の暗い海」と名付けた。

   またの名を「イーグル」ともいう。

   呪術師たちはさらに、宇宙のあらゆる生き物は、光を発する丸い点で「意識の暗い海」にくっついているのを発見した。

   この光を発する丸い点は、生物がエネルギーとして知覚されるときに、くっきりと姿を現す。

   古代メキシコの呪術師たちは、この光を発する丸い点を「集合点」と呼んだ。

   ドン・ファンによると、この点に、「意識の暗い海」の側面によって知覚が集められているのだという。

   ドン・ファンは、人間の「集合点」に、宇宙全体から無数のエネルギー場が輝く繊維となって集まり、貫通していると断言した。

   これらのエネルギー場は感覚データへと変換され、さらに感覚データが解釈されて、我々の知っている世界として知覚される。

   輝く繊維を、感覚データへと変えるのは、「意識の暗い海」である。

   呪術師たちはこの変質を「見て」、それを「意識の輝き」と呼んだ。

   集合点の周囲に、かさのように広がる光輝である。

   それからドン・ファンは、これから重要なことを話すからよく聞けよと、私の注意を促した。

   それは「反復」の及ぶ範囲を把握するのに肝要であると呪術師が考えているものなのだそうだ。

   彼は一語一語強調しながら以下の話をした。

   我々が有機体の「五感」と呼ぶものは意識の程度にほかならない。

   五感は意識の暗い海であるということを受け入れるなら、五感が解釈データを解釈したものもまた、意識の暗い海であると認めなければならない。

   我々が現にしているようなやり方で、周囲の世界に立ち向かうのは、人間誰もが備えている人類の解釈システムがもたらした結果なのだ。

   存在する有機体はみな、一つの解釈システムを備えていなければならない。

   そうして初めて有機体は環境の中で機能できるのである。
 

 

  
 

物々交換会について

2012-05-22 06:04:14 | 身の回り
  馴染みのない場所に、飛び込んでいった末、食べられる物や面白いものを色々GETして帰った。

  それなりに満足しており、今、その「千枚漬け」を咀嚼しながら、何を書こうか、大いに迷っている(誤解を招き易い)。

  ここ10年以上、かなりカネで苦労しているから、セコイところもあり、無神経な我輩は、交換の時のやりとりに配慮が足らなかったかも知れない。

  玄米10キロとかは簡単に換金できる絶対的優位性があるので(昨年は360キロぐらい手売りした!)、

 「う~ん、この布切れは(何の役に立つのか)」ってな感じで貨幣価値に直して考えていた。悪い癖ではある。

  コミュニケーションとかを重視しなければならないのに、「質屋の商人」のような目で見ていたかも。

  外国の品物とかなかなか手に入らないものもあった。吾輩の狭い視野でしか物事を捉えられなかったか。

  よ~く考えてみると、(玄米なんて)「面白みのないものを出したなぁ」とか思ってみたりする。殿様商売に走ったということだ。

  それにしても一癖ありそうな集団だったので、共通のテーマについての話題(映画や本、今の社会)があればもっとスムーズに行ったのかも。

  自尊心が強い方は、吾輩と話せばボロボロになるでしょう(吾輩がボロボロになったり)
 

ピースフルヒッピーマーケットに行ってみよう!

2012-05-21 05:38:34 | 身の回り
  言葉より行動で、とにかく物々交換会以外にも、色んな所に行ってみようと思う。

  広島の福山市神辺町の外れで、「Peaceful Hippie Market」なる催しがあるそうだ(今週の土曜日)。

  頂いたパンフレットを見るに(我輩と何か趣向が似ているぞ)、

  

  

 5月24日から28日まで。

  5月26日土曜日には様々な店があり、ジェンベを持っているので、ワークショップの「ジェンベワーク」に関心がある(実家の物置にある)。

  何かよく見ると、「インディアンな体験をしてみよう」なビジョン・世界観だ。

  

  自然や人生の厳しさ、楽しさが学べそうだ。無秩序になりやすいので、カリスマ的な指導者、長老とか必要か。

  それにしても、参加者が増えるのもわかる。現代文明に疲れている。

  抱えているものが多いから自由になれない。人生も、荷物がない方が旅をしやすい

  旅の終着点は、死だ。

 カスタネダ『無限の本質』より。

  「我々は死への途上にある存在だ」ドン・ファンが言う。「不死ではないのに、不死であるかのごとく振舞っている。この欠陥が個々の人間を破滅させ、いずれは人類を破滅へと導くだろう」

  ドン・ファンはさらに、呪術師が普通の人間よりも有利な点は、自分が死にゆく存在であることを知っており、それを片時も忘れないことだと語った。そして、自分は死にゆく存在であるという知識を獲得し、その知識を絶対確実な真理として保持するために、多大な努力を払わねばならないと強調した。
 

  

  ちょうど金環食が騒がれていた。

 
  
  

  さて、このブログのグーグル・ヒット率は異常なので、閲覧されることは間違いない。

  ひょっとしたら、羽飾りをつけて歩いていますので、宜しくお願いします(見かけたら手を振ってください)

  現地調達できねば、インディアンTシャツですゴーストダンスがあったり)

ネコも一つの人生経験

2012-05-20 06:46:01 | 身の回り
   言葉というのは語れば語るほど、誤解を招く部分があり、

  何も考えずにしゃべるタイプの我輩は、できるだけ言葉以外の表現方法を行使すべきか。

  アメリカTVドラマ 『イベント』(最近ハマっている!)、物々交換会への参加(女性だらけの中に混じった!)、夢見や呪術について等々、

  備忘録としては書きたいことが濃縮された日が続いている(次に詳しく書こう)が、

  何かちょっと疲れていて面倒なので、ほとんど見た光景をそのまま掲載します (クレームが来たり)

  前回の花めぐりの続きで、香山ラベンダーの丘で、ポピーを眺める。

  


  


  

  ハンモックで寝そべる。 
 
  

  ネコになりたい。  


  

 
  芝生に転んでネコになってみる。


  

  物々交換会の光景(8人ぐらい参加)

  
  

    ピラニアの置物を巡る争奪戦。
  
  

  物々交換会でもずっと寝転んでいたのであった(高所にある西国寺からの夜景が、永遠に心に残り続けるでしょう)

  

  

水晶の夢 !警告か!

2012-05-18 06:07:36 | 潜在意識の世界
 奇妙な夢を見た。水晶の先端からメールを受取れたようで、せっせと水晶をいじって、返信しようとした。その時、周辺に人が集まってきたので、「静かにして!」と怒鳴って、部屋に篭ってしまった(誰も入れない)。

 コミュニケーションの道具に凝り固まって、現実の人との触れ合いが希薄になっていることが、暗示されているように思われてならない。

 iphone 4sが欲しいと思っていた吾輩に対する警告か(機械に振り回されるな、ってか)

 もう既にネットやPCで振り回されています(え? これは日記の代わりですか?)

 そもそも、現代文明で失われたものを取り戻そう!という趣旨で書いているのに、機械生活にズブズブにはまり込んでいくのは本末転倒だ。

 だが、こうやってブログでも書かねば相手に伝わらないし、逆にインターネット上でも「へ~、こんな人がいるのかぁ~」「なるほど~」な情報が手に入り(すごく簡単に)、非常に便利ではある。

 最近、ツイッターとか知って、吾輩も参加することにし(今日見た夢をつぶやきます)、ある物々交換会のフォロワーになってみたので、

   ※  ツイッターアカウントは@indeliogohogohoです(フォローを期待しております)

 何かこれから効果が期待できそうだ。

 もっとも、氷山の一角(言葉や画像)だけ見て判断が下せるわけもなく、根本的には実際の生活の中で、自分の五感(第六感も?)を鍛えて行くしかないのだろう。


 
 ちなみに、水晶の夢の続きは、手のひらに耳を澄ませば、誰かの(いろんな人の)ささやき声が聞こえてくるような内容であった。

血の夢

2012-05-16 05:41:00 | 潜在意識の世界
 強烈な夢を見た時ほど要注意である。

 しばらく覚えているわい(後でゆっくり丁寧にノートに書きます)

 …では、昨日のようになてしまうので、

 あれどこだっけ(せっかく掘り出した宝物が…)

 今日は、起きたらすぐにノートに走り書きをした。

 さて、夢の中の自分は、肉体で動いていないのであるが(エネルギー体であるが)、ごちゃごちゃしたストーリーの中で、血を流していた。

 生々しかったので、「おい、おい、大丈夫か」と夢の中で真っ青になっていたのだが、

 起きたら早速、夢占いに関する書物を漁ってみる(3冊ある。必ずしも悪い夢ではないようだ)

 
『夢判断入門』マーク・サーストン(エドガー・ケイシー文庫)によると、

【血】
 ①健康、または不健康を暗示する肉体の力
 ②ある人の考えや理想(例えば、輸血は理想の伝達を象徴する)
 ③活気づける、生命力
 ④力

 …などである。

 『夢占い キーワード辞典』(マリィ・プリマベラ)によると、

 (血)血は生命力の象徴であり、転じて生きるために必要なもの、つまり金銭や財産を意味します。例えば血を飲む夢は、今は体力が落ち込んでいるものの、健康を回復する兆し。あるいは財産を手に入れる予兆となります。

 (血を吐く)生命力が失われている証。病気の心配があります。血の量が多いほど、その可能性は濃厚。また財産を失う暗示の場合も。ただし、今まで金銭的に困っていた場合なら、財産を得る暗示です。

 (怪我等で出血する)事態は一時的にごたつくでしょうが、それを契機に解消へと向かいます。特に金銭問題が解決するサイン。
 
 (どす黒い血・悪臭を放つ血)一見ラッキーな夢のようでも、こんな血が見えたら障害がある暗示。

 もう一冊の本も、血は、生命やエネルギーの象徴で、健康や金銭に関することを意味しているとしている。

 「宙に浮く夢」の検索ヒットがあまりに多かったので、今回はきちんと説明しておきました(これからは「血の夢」で来客が増えるのか)

 

魔法のクセ②

2012-05-15 06:07:44 | 実用書
  この前の続きである。

 「3、笑顔を作る」。

 「楽しいことがあるから、笑顔が起こる」というより、「笑顔があるから、楽しいことが起こる」というのだ。
  さらに、「笑いは免疫力を上げ、細胞を活性化させ、若返りの効果がある」、ようである。
  

  「第三の目」は眉間にあるので、そこを開くためにも、笑うということを意識すると良いようだ。

  にこっと笑って「ありがとう」というと、あなた自身が発光するようです(良いことが集まってくるといいます)

 「4、メモをする」。

  成功者と言われる人はほとんどがメモ魔。とにかく、「忘れる前に書いておく」。

  今朝の夢は忘れてしまいました(なんだっけ、確か…)

  メモは検索リストのようなもので、芋づる的に思い出すことができるようだ。できれば「手書きが良い」らしい。

  そして、ダメだとか、無理だとか、難しいとか、嫌だとか「ネガティブなことは書かないこと」。自分に返ってくるからである。

  本日はここまで(またあ、明日、いや、いつか)

  そういえば最近、「やるべきことのリスト」を作成していますね(チェックシートを利用して判断をなくすのですね)

花咲く季節 ~チューリップの次は藤~

2012-05-14 06:22:35 | 身の回り

田舎の実家で森林浴。若葉はさらにあれから成長した(一週間前と比較されたし)。



 さて、この前のチューリップ祭だけでなく、世羅町には、まだまだ沢山の花のスポットがあるようだ(今回はふじ園へ)



 高原の雰囲気や花の香りは、写真では伝えられません(震えがくる現場の寒さもです)← 厚着をしてください。



 色んな花が咲いていたが、とりわけ目立ったのが、リビングストン・デージー(南アフリカ産)であった。花畑の中で平らになっている一群。



 10時半ぐらいから花が開き出すのだそうだわい(現場で係員?による突然な解説がありました)


魔法のクセ

2012-05-10 06:57:22 | 実用書
 最近、面白い本を見かけた。

運命の波にのる魔法のクセ(習慣)
はづき虹映
きこ書房


 吾輩の場合、部屋がさばけているが(成功者はキチンとしている)、これは習慣の問題であり、そう簡単には治らない。

 さばけている原因は、余計なものを買いすぎる、出したらそのまま。


 それはそのまま自分の頭の中身が目の前に現れただけかもしれず、「余計なことに関心を突っ込み過ぎ、没頭しやすく、堂々巡りで進まない」(このブログを読めば一目瞭然か!?)。

 まずは、買い物を控える、キチンと元あった場所に戻す、ということを今すぐやるべきだ。

 さて、この本では「数字の暗号」とかも触れられているが、魔法の習慣の最初は、

 「1、履き物を揃える」。

 自分を褒めるためにやり、そのためには「人知れずにやること」「他人の履き物も揃えること」。公共のトイレとかで乱れたスリッパとかも直せるかが、試金石だ。

 そして「2、胸を張ること」。

 顎を引き、胸を開いてグッとはると、頭の上から降り注いだ宇宙エネルギーが、胸の方へ流れてくる。第4のチャクラ(ハートチャクラ)にどんどん流れ込んでいく。

 ウルトラマンのカラータイマーにエネルギーがどんどん充填されていくというのだ。

 これは「5、空を見る」にもつながってくる。すべてのよきことは、天から、空から舞い降りてくるからだ。

 明日も、この本について言及します(ネタつぶしか)

 

 
 

田舎の可能性 ~物々交換について~

2012-05-08 05:49:37 | 経済
  寒くもなく、暑くもなく、快適に過ごせるシーズンになってきた。田舎に帰って寝ていると、カエルの声が嵐となって夜の夢の中に紛れ込んでくるようだ。田植えのシーズンであり、苗は若葉の如くすくすく成長し、あと半年後には稲穂が実るだろう。

 興味のある人はこちらへ→ 米の収穫(2010年の秋)

 ただ、両親が米をあまり食べないため(玄米食で、パンとかも「買って」食べている!)、昨年収穫した米が大量に残っている(新米がとれた時にきっちりなくなるのが理想である)。それを毎月五分の一ずつぐらい減らすとして、新米が出回ることには価値が下がるだろうから(?)、今のうちに整理整頓すべきか(出来ればこれまでと違う人に配りたい)。

 そういえば、昨年も、コメを売りさばく一環として、ミカンと物々交換した。相手は向島のみかん農家で、コメを欲しがっていたので(カネを出したくない)、米30キロとミカン75キロ(早生と遅の二回に分ける)で成立した。新鮮な農作物同士だと、物々交換というのは、非常に有効であろう。

 もともと田舎では、物々交換なるものが頻繁に行われており、たとえば、吾輩の実家では、ジャガイモ(立地上、猪に食べられるので敬遠している作物)をもらって、大根をあげたりしている。

 もっとも、それは人間関係を深めるための一環なのかもしれず、たとえタダで野菜を渡したとしても、見返りは求めていない(というか、お返しは暗黙の前提か?)。

 野菜の高騰 ~前兆か?~にあるように、実際に農家は捨てているからもったいないし、日本人の多くは根本的な所で、「全てのものをおカネにしよう、おカネを儲けよう」とか思っていない(ネイティブ・アメリカンに似ている)。

 とはいえ、何でもカネに変えようとする世の中だから、出来れば現金化したいが…、今、食料は安いのである。

 日本のコメ農業(食料については新しい仕組みが必要である)

 農産物は、いかにして現金になるか?(昔の稚拙な発想?)  

 そういえば、福島の原発とかの影響で、アメリカがコメの生産量を増やすようだ。4年以上前、『エコノミスト』で「日本が餓え死にする、らしい。」という内容に触れたが、いざという時には食料が入ってこない可能性が高い。

 物々交換というのも、生命のあり方とか、日本のあり方とか、そういう別次元の問題意識から、発展していくのかもしれない。

 調べてみると、過去にもいろいろ書いていたのだわい(googleですぐ検索できたぞ)

  農村の物々交換経済について考える(ラマダーンの長い夜)で言われる通り、田舎と都会の生活は、おカネでは比較ができません(イイ所だけ取りたいですね)