インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

『破裂』② ~超高齢化社会と安楽死~

2009-09-09 21:40:22 | 映画や小説、テレビなど
 昨日は閲覧数 : 378 PV 訪問者数 : 198 IPでやけに多く、「ゴマブックス倒産」検索で流れて来られた方が16人おられたようだ。ようやく『破裂』も読み終え、「超高齢化社会へ突入する日本」(4人に1人が65歳以上)について危機感を持った(超高齢化社会における高齢者医療費抑制策について)。

 国家予算の半分が医療費の水準になるわけだから、ただごとではない。実際、小説でも佐久間なる厚労省の官僚が、この現実を何とかせねばと動いている(とんでもない解決策)。日本に寝たきりの老人が多いのは、脳の血管は弱いからすぐに脳梗塞や脳出血で寝たきりになるが、心臓が強いので長生きする(欧米は逆)として、佐久間は優秀な心臓研究医に愚痴る。

「…医者は世間知らずのバカばっかりだ。循環器の医者は心臓を治すことしか考えとらん。脳の血管が詰まろうが、腎臓が弱って透析が必要になろうが、おかまいなしだ。自分たちが寝たきり老人を増やし、日本の社会全体を危機に陥れていることなど、気づきもしない」

 それで、その佐久間なる厚労官僚(かなりの予算をコントロールできる)は、ぴんぴんポックリ(PPP)なる政策によって、日本国家を救おうと燃えているわけである。日本を安楽死先進国にしたいのである。

 この小説の底流には、医学に対する懐疑や矛盾がある。全体として捉える立場の官僚、佐久間は「医療の奢りに我慢がならなかった」とある。

 医療は命を救うことを至上の価値として、すべてにそれを優先してきた。自らを正義と信じ、権威を振りかざし、他の議論を圧殺してきた。なぜ医療はそんなに威張るのか。

 そして現場の葛藤は、江崎という麻酔医の視点から述べられている。医療の立場と患者の立場は全然違うわけで、患者は自分の命がすべてである。しかし医者の手術は人間のやることであるし、医学の進歩のために積極的に挑戦もしなければならない。あまり細かく追及されれば、誰も手術などしなくなり、医学生が産婦人科を敬遠するのもそうか。

 病院に頼るのも、車に乗るのと同じで、事故が必ず起こるわけである。しかし客観的に因果関係が証明できないし、立場上、証言者も現れないから、裁判沙汰になることはあまりないわけである。

 さて、医療裁判で患者の味方をし、感謝され褒められた江崎医師(彼の母は痴呆)は告白する。

「だから僕は患者思いでもなんでもない。ただ、できる範囲のことをやっているだけなんです。母だってほったらかしでいいんです。手厚い介護なんて幻想だ。医療もほとんどまやかしです。目の前の苦しみをごまかしているだけなんだ。どんなにあがいたって、困難はなくなりやしない。苦しみも悲しみも、そのまま受け入れるしかないんです」

 結局は、人間の理性の力では、老いや病気、死を克服できない。戦後、国家が哲学(宗教?)なしで、科学万能主義にかたより突っ走ったそのツケが、超高齢化社会として目の前に存在しているのではないか。

 経済が復活して医療費が徴収できれば、という問題でもないような気がする。カネがあっても、健康なものを食べていなければ病気になるわけで、国がタバコを配り、ジャンクフードどころか、ビールや焼酎の宣伝はじゃんじゃん流してもOKだが、大麻は持っていただけでもOUT。また、老人とか病人とか、金を払って一箇所に押し込めるシステムでは、子供などにとって非日常的な存在となっているし,社会に「哲学的な判断」が欠けているのかもしれない。
 
 死を扱う哲学世界は、信憑性も怪しいし、狂気も混じっているが…、

 まともな思想(綺麗事)だけでは、本格的に超高齢化社会に入ると、どうにも対応しきれなくなるのでは、と思うのであった。