インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

マヤ文字について

2011-05-17 06:06:25 | 思想・宗教
  一昨日の深夜の続きだろうが、閲覧数:1,488PV と多かった(オールナイトでクリックされまくったようだ)

  これをどう解釈するべきか、悩むところだが、爆発的にヒットする何かの前兆なのかもしれぬ。2012年も近いし。

  そういえば、かつて、「Q.マヤ文明の世界観を教えてください」のような記事を書いたようだが(ぼんやりとしか覚えていない)、我々現代人と肉体的な認識が全然違うような存在であるとは思っていた。今でも全然謎であるが、古代メキシコの呪術師の末裔、カスタネダの本を読んで、ぼんやりながら少し謎が解けてくる。

 マヤ文字事典をぱらぱら捲って、これはちょっと普通の言葉ではないような気がする。

  『沈黙の力』にこうある(p72。マニアの世界で恐縮である)。

  (呪術師の)仕事は私たちと精霊とをつなぐ環をきれいにすることだという。そのとき「意志」が私たちの前に提示する建築物は、いわば一つの情報センターとなる。その中で私たちは、自分の環をきれいにするための手続きよりもむしろ、その手続きを生じさせる沈黙の知そのものを見つけることになる。この沈黙の知なしではどんな手続きも作用しないし、そうなれば私たちに残されるのはただ、何かが足りないという漠然とした感覚だけになってしまうだろう。

 (ドン・ファン)の説明によると、沈黙の知がもたらす結果として呪術師の手で解放された一連の出来事は、実に単純だがあまりに抽象的であるので、呪術師たちは遠い昔に、そうした出来事については抽象的な言葉でしか触れないようにしようと決定した。精霊の顕示やノックという言葉がその実例だ。

  たとえば、ナワールと未来の弟子とが初めて出会った時に起こることを、呪術師の側の視点から記してみても、それは全く理解できないものだろう、とドン・ファンは言った…


  ということは、マヤ文字とは「精霊のサインとかが書かれてある」ということになるのか。絵文字にもちゃんとしたルールがあるのだろうが、 あれが長々と綴られた場合、「理解できるものにしか理解できない」ような領域であるような気がする。

  ストレートに「死んだ」ではなく、「シバルバへ旅立った」という感じであるからして、死というものの認識が我々現代人のものとは違うような気がする。他にも、「死んだ」=「白い花が枯れた」とか表現され、魂とは生命という世界樹の花にたとえられている。ということになると、花が散る=死の前兆、ってことになって、何か我々日本人の感性と似ているような気もするのだが…(いや、人種に関係ないか)。

仙道の本も読んでみる。

2011-03-21 06:43:53 | 思想・宗教
 週末実家に帰ると、ストーブも要らなくなり、梅も咲いており、春の雰囲気を感じた。スピリチュアル関係?の書物を集めるコレクションをしているせいか、田舎の部屋にはぎっちりと本があり、岡本天明の日月神示(『ノウイング』&岡本天明)やら予言な書物をぱらぱらめくり、日本列島はやばいのではないかと思わされた。

 ある本には「放射性物質が大地にばら撒かれると、地球の浄化作用が働き、火山の噴火が起こる」なんて不気味なことが書かれてあるし、最強占い師オニ三郎は火の雨が降ると予言しているから、三千年に一度の大洗濯が行われるのか。

 2012年も近づいているし、もう少し修行?をしなければいかんかと、この辺最大の大型書店へ行きカスタネダの本を探したが、そんなものを探す輩はこの辺にはいないためか、全くない(広島市内へ行けば少しはあるかも)。な本がたくさん並んでいるコーナーがあり、別のカスタネダに固執する必要もないのではと物色していると、仙道の分厚い本を発見した。調べてみると、「カスタネダが書いたのではないか?」と思われる個所も多いほど、酷似しているところも多く、値段は高かったが(3500円!)思い切って買ってしまった。

現代仙道百科―心身改革の秘法体系 白揚社

 なんかいろんな行法が書かれており、タオな呪術の実践である。修行する上での日常生活の注意事項やら、細かく体系的に書かれており、これはカスタネダ『呪術の実践』より、実践的である。古代メキシコの呪術師の世界では、「宇宙を流れるエネルギーを見る」わけであるが、古代中国の呪術師の世界では(エネルギー=気)、さらに「人体を流れる気を見る」わけで、それを鍛錬し、気力を充実させ、何にもない空っぽな人間、タオの境地へと至るのか。

 この本によると、こんなブログをグダグダ書いていればエネルギーが流出するのでよくなく(少なく考え、少なく食べ、少なくしゃべる)、この辺でやめようと思うのであった。

明日、奄美大島付近で日蝕が…

2009-07-21 21:18:13 | 思想・宗教
 国内では46年ぶりとなる皆既日食が明日、起こります2009皆既日食in奄美

 6月でも焼ける奄美大島は、今、相当暑いだろう。
 奄美へ行くなら、日蝕よりも大自然を見たい。
 黒糖焼酎の島が、黒く覆われる、生き物の反応は…。
 とりあえず、。奄美市(旧名瀬市)飲み屋街は繁盛するだろう。

 五年前の奄美大島ケータイ写真です(おがみ山公園が懐かしいです)

  
 それにしても日蝕のような不気味なものを見るためのツアーが沢山あるとはである。
 未開世界では恐怖の対象であり、ネイティブ・ハートでもそれについて言及されている(日蝕を見ないでビジョンを見ること

そしてあの日この「見てはならない神聖な死」「太陽がなにものかと闘う光景」を見なくてよかったと確認することにしたい。「人間以外のすべての動物たちは、日蝕の時間にはどこかに篭もってしまう。それは、すべてのいのちに大きな影響を与え、人間にはブレーン・ダメージを与えることを知っているからだ」という前の世界からの言い伝えを、それでもぼくは信じる…。

 ただの好奇心なのか?、大自然をなめているのか?、知らないが、光が闇に包まれる(太陽が死ぬ?)瞬間が見たいとは思わない。

 人間が死ぬ瞬間を見ても(スナッフ?)、見たら悲鳴が永遠に脳裏から消えないだろう。違うかもしれないが、どちらも生命の輝きが消える瞬間であるような気もする。

 いや、逆に生命が誕生する瞬間かも知れんわい(闇から光へ) 

 

インディオ版「悪人正機説」

2008-12-20 20:20:44 | 思想・宗教
 『さつま白波』を880円で買い、今飲んでいる(…ということは、酔っている)

 「瞑想―霊魂―宇宙」の世界に浸るためには、酒などによってはならないだろう(たぶん)。断食とか、ヨガ、マジカルパスなどを極めれば、超能力すらゲットできるかもしれない。

 酒を飲むということは、まさに「大地―肉体―踊り」の世界であり、それは「瞑想―霊魂―宇宙」の道を極めようとするものから見れば、邪な道に他ならないだろう。

 悪の道なのだ。
 しかし、だとしたら、今の世の中はどうなるのだ。
 欲望の塊だらけの、人間が動き回っている。
 政治家や商売人など、嘘ばかりついている。

 親鸞聖人は、画期的とも思える「悪人正機説」を唱えたが、今、まさにそうなのかも知れない。我々現代人は、直接ではないにしろ、間接的に、自然を破壊し、悪と関わり、欲にまみれている。

 輪廻転生が真理だとしたら、まさに背中にナイフを当てられているようなものだ。

 他力本願と悪人正機説(nozawa22)が面白い。キリスト教もそうだが、神(仏)の愛は無差別である。「浄土真宗は全ての人を包み込む」。善人なおもて往生す、いわんや悪人をや。悪人こそが、救われたい一心で、宇宙の偉大なる存在に、全てを捨て身を任せることが出来るのである。

 いや、おかしいか(どうせ悪人は救われないの?)

 「大地―肉体―踊り」で、神々に感謝し、救いを求めるのが、インディオ版悪人正機説なのかもしれない。

 それによって、「大地―肉体―」は、「宇宙―霊魂―」へと繋がるのではないか。

 

生命の原点へ戻る運動!~インディアン運動~

2008-12-10 20:58:31 | 思想・宗教
 不況が酷くなるにつれ、仕事がなくなり困る人間が増える。犯罪が増加して、警察などは忙しくなるかもしれない。テレビや新聞は、暴風雨の中の一部分だけを切り取って、勝手に解釈して?報道しているだけで、見てもあまり役に立たない。むしろBSの海外ニュースの方がためになるか(独断)。

 日本人は本当は欲しくもない商品を、余裕があるから無理して買って使っていた。自動車なんて、何度も新車を買い替える必要など何処にもなく、中古車で十分である。アメリカ人が借金して買っていたが、ああなった以上、もはや作っても仕方がない時代に突入した。

 現金が手に入りにくくなっても、生きていかなければならない。
 だから、これからは米とか石油とか必需品が中心になる(酒もか?)。できるだけ現金は使いたくない。物々交換をやるだろう(実際、米農家は瀬戸内のみかん農家はやっている)。

 こんな時代だと諦め、瞑想する人々が増えるだろう(まさか、パチンコ店へ行くまい)。

 近代化させられた人間はストップし、太古にさかのぼるのである。
 自分の言葉、雑念を排除し、ただ命の声に耳を傾ける。全身をめぐるエネルギーに集中する。
 腹の中の命と会話する。まるで妊婦になったように。

 自分たち人間の命の根源的なものが、大自然と繋がっていることに気づくと、何か生きる喜びが湧いてくる。

 声が聞えてくる。生命に仕え、生命に奉仕せよと。

 人間はもっと大きな視点で物事を捉えなくてはならない。

 我々が今、生きて、ここに存在している理由。

 大自然から必要とされているのだ!(会社からは不要だが)

 この当たり前なことが、大恐慌で見直されなければならない。



神道政治連盟について考える

2008-11-30 20:17:11 | 思想・宗教
 綿貫氏は既に神政連の会長だった(こんな団体があったとは)
神道政治連盟

 やはり神道が政治に介入すると、国家神道にならざるを得ないのか?

活動内容は、
・世界に誇る皇室と日本の文化伝統を大切にする社会づくりを目指します。
・日本の歴史と国柄を踏まえた、誇りの持てる新憲法の制定を目指します。
・日本のために尊い命を捧げられた、靖国の英霊に対する国家儀礼の確立を目指します。
・日本の未来に希望の持てる、心豊かな子どもたちを育む教育の実現を目指します。
・世界から尊敬される道義国家、世界に貢献できる国家の確立を目指します。
とあり、

 応援者として、保守政治家がズラリと名を連ねる。

 神道政治連盟(宮崎義敬会長)は 一昨年12月18日午後、自民党立党50周年や 昨夏の参院選にむけ、皇室を中心とした我が国の歴史、伝統、文化を尊重する自民党の方針の堅持、靖國神社問題、憲法改正などを盛り込んだ要望書を安倍晋三幹事長に手渡した。

 …要望書では「皇室を中心とした我が国の歴史ならびに伝統と文化を尊重する貴党の方針を今後も堅持」
「国家存立の 根幹に関わる諸問題」として、①靖國神社問題、②憲法改正、③教育基本法改正、④昭和の日制定などについて「深甚なる考慮を払われ、毅然たる態度をもって真の保守政党としての責任を全うされますよう、ここに強く要望」している。
 この中で、改めて戦没者追悼施設の中心的施設としての靖國神社の歴史伝統を重視する方針を確認した上で、「国立追悼施設」建設の阻止と、引き続き首相の靖國神社参拝の定着化を求めた。

 …とある(やはり天皇崇拝か?)

 選挙の推薦基準を見ると、かなり戦前の思想に近い(そのものか)

「我が国の歴史・伝統を踏まへ、天皇条項や安全保障、政教分離問題に関する事柄を中心とした改憲論議を積極的に推進し、自主憲法制定に向けて努力します」とあり、国家神道を復活させ、自衛隊を正式な軍隊にしようとしているようだ。

 田母神さんとかなりそうな思想である。

 腐敗した資本主義社会を打倒するファシスト政党、が現れるなら、
 強烈にバックアップしてもらえるだろう(集票力が相当ありそうな…)。


 さらに、「歴史と伝統の尊重」「徳性の涵養」「愛国心」「宗教的情操の涵養」を踏まへた教育基本法の改正をも含む抜本的な教育改革に努力する政治家を求めている。
 具体的にどのような内容か関心がある(まさか教育勅語…)

 そして、ジェンダーフリー思想に基づく夫婦別姓制の導入や男女共同参画社会の推進に反対します、参政権が「国民固有の権利」であることを踏まへ、憲法違反となる外国人地方参政権付与法案に反対します、とある。

  働く外国人女性とかはどうなるのか(強制送還か?)

 しかし少子高齢化で介護職などでは必要とされるし、現実は女性社長も大勢活躍し、外国人の二世は日本に沢山地域に定着しているから…

かなり強引な主張のような気もするわい

 平和そうな名前に惹かれて調べてみたが

 実際はただの国家主義だった(精霊崇拝=天皇崇拝か)

 もっと時代に合った神道政治が求められているのでは… 




  小説『マネー神の崇拝』 最近、やけに更新頻度が多いですね(下心でもあるのですか)

   
 

 小説『蛇のスカート』   
  12月からアルファポリスでブログ大賞が開催されるますから(インディオ書店の要請もありますし)
 
 


 小説『桜の木に集う鳥たち』
 というより、応援クリックに応えているのです(たくさん有難う!) 

  

日本人と神道

2008-11-29 13:05:14 | 思想・宗教
 昨日のアクセス数は、閲覧数 : 292 PV 訪問者数 : 139 IPで、多かった。ラビバトラもそうだが、何か日本ブログ村からのアクセスが多い〔検索を含む〕。コメント部長以外からもコメントが来るようになったし、新しい読者層を獲得したのかもしれない (??)

 麻生総理のように「口は禍のもと」は、ブログは同じで、余計なことを書きすぎると叩かれるようになるかも知れぬ。「沈黙は金」で、自分の意見は何も書かないという手もあるかもしれない。報道ステーションの古○さんのように、できるだけ大勢の人の感情を損なわないよう配慮し、赤字で苦しむ中小企業や失業者、低所得者の目線で語ることが重要なのかもしれない(本人は大金持ち。使う時間がないだろうが)。

 ただアナウンサーは思想宗教を出さないから面白くないし、偽善にも思える。批判ばかりして、何をどのようにすべきなのか主張していない。

 共産党の批判は正しいが、無神論で共産社会が築けるのか疑問に思われる。人間の理性を過度に信頼するより、根本的にある素朴な感情を重んじるべきではないか。

 インディオは、日本人は一見、無宗教に見えるが、それは汎神論の極致であるのではないか、と思う。

 あらゆる存在が神である(もちろん自分も)

  …となれば、もはや宗教など考えるに値しないかもしれない。

 そもそも学校教育では、ほぼ宗教は教育されず、知識やら科学的な思考やらを詰め込まされるだけ。後は社会に出て、ひたすら出世や金儲けなど、現実を直視するだけ。宗教など考える暇は何処にもない。

 失業したり定年退職したり、病気になったり近親者が死んだり、考えざるを得ない状況に追い込まれたら、考えるだけ。もっとも考えなくても、神社へ行っては神を拝み、寺を行っては仏を拝み、クリスマスケーキを食べながらイエスキリストの誕生日を拝む(?)

 神は至る所にいるのだわい(お盆は先祖の墓へ)


 作務さんの世界不思議発見を拝見し、やはり日本人はネイティブ・アメリカン的な発想が普通だと確信した。

 『神道の本』を読むと、

「そもそも神道とは悠久のものであり、教理教説といった枠から比較的自由で、時代と深く関わりながら、しかもそれを超越しているといった存在であるとされる。

 だが仏教の日本到来によって、神道も仏教思想に取り込まれ、その影響を免れることは出来なかった。それは各時代の主要なモードが、神道の考え方に反映していることをみてもはっきりしている。

 時代の変化にともない、仏教のほか、呪いなどの陰陽道、道徳を説く儒教などが神道の教説に現れており、中でも江戸においては寺請け制度、檀家制度があったため、一般民衆に対する仏教の影響は根強いものがった。

 日本は一千数百年の長きにわたって神と仏が密接に融合していた。いわゆる神仏習合という抜き差しがたい関係にあったわけだ。
 わずか百数十年前までの話である。

 ところが、明治維新の神仏分離令によって、神道と仏教は無理やり引き離されてしまう。その衝撃は凄まじいものであった…」

 とある。「神道を国家統合の精神とする国家神道へと走る」わけである。


 要は、神道は解釈が多用?だから、あちこちに引っ張られて、利用されているのだろう。

 国家神道について『神道の本』では、
 国民教化運動として、「神を敬って国を愛し、天理人道を明らかにし天皇を崇拝して国政を遵守すること」となっており、神職だけでなく、僧侶もそのアジテーターとして国家の精神的支柱である神道をアピールした、とある。

 時代背景として、そういう思想の必要があったのだろう。世界が帝国主義間で競争していたから、日本も遅れをとれなかった。

 資本主義を発展させる→ 植民地の必要性→ 石油や資源確保、商品の販路先確保。

 お人好し国民?をそう仕向けるため、資本家や軍人が、国家神道を押し進める(打開策)。


 神の国→ 天皇崇拝→ 国政遵守(富国強兵)→ 徴兵制→ 戦争突入

 
 今でも、日本は資源小国だから、植民地?は必要であり、それは自動車など付加価値が高い商品の輸出によって、何とか?まかなっている(貿易立国だ)。でも石油はないし(高騰した)、海外販路は減少し、それどころか、逆に米国債を買わされているし、国の借金が多いから政府自体、ヤバイ状況である。

 アメリカは今でも石油の必要性から、軍事介入している(帝国主義)。不況だから、国家を復活させる打開策として、ますます介入するのか??

 いかなるシナリオが待っているのか、恐ろしいことである 



 
  小説『マネー神の崇拝』一体どんなシナリオになるのですか(不安です)

   
 

 小説『蛇のスカート』   
 前と同じ打開策は無理だと思います(石油なしの生活をしましょう)
 
 


 小説『桜の木に集う鳥たち』
ラビバトラの予言で、再び考えましょう(結構ゴホゴホですが)   

  

 

風水・陰陽道・アステカ ~金持ちの特質~

2008-11-16 14:00:47 | 思想・宗教
 『最強風水師が教える 運のいい人 悪い人』
  李家幽竹 幻冬舎(2006) 1200円+税

  これを読みながら、いろいろ周辺を変えている。髪を短くする、窓に物を置かない、玄関をキレイに、手帳に未来を書くなど実践していると、自分自身が陽気で明るくなった感じがする。

 風水は、陰気→ 陽気→ 金運、というような循環の流れを意図しているのだろう。その背景には、陰陽道があり木火土金水などで万物を捉えている。

 気=精霊であり、それは万物に宿る。物神崇拝に繋がる。

 アステカ帝国の大神殿では、太陽の神と雨の神が祀られていたが、それは陽(陽中の陽)=火、陰(陰中の陰)=水と考えると、陰陽道の崇拝にもに繋がるかもしれない。

 我々現代人は皆、金(お金)を追い求めている面もあるが、所詮、金は流れる万物の中で、一つの形態にしか過ぎない。金は水に変わり、水は火に変わる。精霊は流れ動く。金も引き寄せられる所に、引き寄せられていく。

 金は暗く、引きこもりで、無能な、陰性の人間には集まらず、どうしても明るく、行動的で、パワフルな所へ向かう。だから風水の本は我々にそうなるように手引きしている。

 てっとりばやく陽性になるには、太陽の光を浴びたり、海に飛び込むのが早いような気もするが、それだけでは駄目か。浜辺が貧乏人仲間だらけでは金運はやってこないかもしれない。

 やはり日々の行動が重要で、陽性になる仕事をしていなければならず、小説家とか陰性で、金運がやってくるとは思われない(椎名誠系なら別か?)。

 ただ金持ちは、今度は金を手放さなければならず? それが出来ないから日本は不況なのかもしれない。知恵ある陽性の大金持ちならば、金がなくなっても再び巡ってくるかも知れないが、陰性な金持ち?は二度と来ないと恐れて金にしがみつくのか。

 中身のない画一的教育? 少子高齢化社会、激しい格差社会…。

 日本にも、若くてパワフルな陽気な大金持ちがいるが、なかなか育たないと思う。資質ある若者は多く、「やったらどうか」と聴いてみると「経営なんてこえーこえー」と手を出さない。

 パワフルで陽気な金持ち(予備軍)。どうしても血の気の荒いヤクザ男をイメージしてしまうが(偏見か?)、彼らがお札を葉っぱのごとく、歓楽街とか高級品店で捨ててきたから、潤っていた業界も多いはず

 木火土金水、精霊、商品は流転している。金を握っているのが陰性老人ばかりでは、流れが死んでしまう(もちろん彼らの金も紙屑になる)。

 例えば、ベストセラーになる可能性があるCD、映画、小説なども、ごろごろあり、制作会社や出版社に持ち込まれているだろう。しかし金を出さないから、木が育たず、実らないわけである。すぐに金になるもの、類似品ばかりを追求した結果、文化が育たなくなってしまったのである(違うか?)。

 やはり出版事業は太っ腹でないと駄目だ(誰か、インディオの作品で金を捨ててください)



古代マヤの自己供儀

2008-10-12 21:36:02 | 思想・宗教
 『マネー神の崇拝』は資本主義経済の世界観を、古代アメリカの世界観でRIMX?したような感じになっているが(逆か?)、金が万能な物質となっている現代では、何かしら共通するものを感じる。金のために献血するなら、もはや血は金と同一視されているとっても過言ではない。

 そう考えると、お金を寄付するというのは「自己供儀」のような気もする。

 そこで資料で調べると、
「死に至らしめる儀式を行って、人間や動物を生贄にするばかりでなく、マヤの人々は自己供儀(儀式的な自傷行為)も実践していた。この行為を表すために、とくに二つの文字が使われていた。そのうちひとつは文字通り「放血」を意味している。自己供儀を行うのは、神官や高官などの特権階級に限られていた。
 レリーフに刻まれたテキストによると、自己供儀の際には、王や王妃は、香、荒々しい踊り、薬物などで朦朧とした状態になった上で、自らの血を流したという。
 男性が自己供儀を行う場合は、鋭利な黒曜石の刃、または植物の棘で自分の男根を突き刺して穴を穿ち、その穴にわらを通した。女性はこれと同じことを舌か唇に行った。体の特定の部分(特に性器)から流された血は、土に栄養を与え、豊穣ととうもろこしの方策をうながすと信じられていたのである。
 自己釘を行っている間に王や王妃はトランス状態に陥って幻覚を見る。幻覚に現れるのは、流された血のシンボルとされた「聖なる蛇」だった。マヤの宇宙観では、この原始の蛇を仲介として、人間は天界や地下にある冥界(シバルバ)と交信できるとされた……『マヤ文字辞典』より」とある。

 単なるマゾヒストだといえばそれまでだが、「放血すること」=「聖なる蛇」として神々と交流することと考えていた…。

 ということは、(やはり)神々に血を捧げることによって、部族社会を守ろうとと考えていたのか。

 大体、権力者なんて、血を流す必要なんて全くないはず。

 国民から税を吸い上げ、贅沢三昧で暮らす王様が多い中、マヤの王族には感心せざるを得ない。

 捕虜を生贄を捧げるというのは許しがたいが、神々に捧げるという確固たる世界観が出来ていたのであるから仕方なかったのだろう。捕虜も納得していたといわれる(しかし実際は…)

 今の世の中でも、ニュースに取り上げられないだけで、実際は恐ろしい出来事??が黙々と行われている(推測)。借金のかたに保険金やら内臓がやり取りされていても不思議ではない。
 自殺者3万人の世の中。ほとんどの原因はお金か?
 金との交換で、たくさんの血が流れている。

 魚や牛だって、金と引き換えで殺されてしまう。

 書いていることが分からなくなったが、

  血は金と変わらないということか?(金の亡者の思想…

 
    
 

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 小説『蛇のスカート』   混乱に乗じて、民主党政権誕生か

 




  小説『桜の木に集う鳥たち』 しかし選挙がないわい   
 
  
  

  

昨日はアクセスが多かった…

2008-08-29 20:41:42 | 思想・宗教
インディオ通信は最近減少傾向であったが、昨日は閲覧数396(PV)、訪問者数105(IP)と、このブログにしては多いようだった。何か書かねばなるまい。

優先順位からして、インディアンの記事だが、魑魅魍魎な事柄を並べ立てることになると、完全なオカルトブログになってしまう。タイトルからしてだから手遅れかもしれないが、これまでにない何か斬新なことを書きたいと思う。

 アステカ人は神ウイツロポチュトリなる部族神を祀っていたわけであるが、なんでこの神に大量に生贄を捧げたのだろうか、不思議に思う。生贄がないと、太陽が滅びるという脅迫観念があったのだろうが、果たしてそれだけだろうか。

 アステカ文明の資料を見ると、は舌を出している(太陽の暦石など)。舌を出しているということは、を食べると同じことを、に対しても行うということなのか

 とするなら、神官はであり、の準備をしていることになる。

 人間を一体なんだと思っていたのか。我々現代人が考えるような見方で、人間という存在を見ていなかったように思う。ひょっとしてのような視点で人間を捉えていたのではないか。

 ハブやガラガラ蛇などは、赤外線(動物の体温)を感じ取る赤外線感知器官(ピット器官)を持っている。火など熱を持った物体に飛び掛る。古代インディオ世界は、人間を単なる純粋なエネルギーの物体であると捉えていたのではないか。

 個人主義的な自我など、インディオ部族の世界には存在しない。そこに存在するのは、踊ったり酔ったりして感じる肉体だけであろう。

 …

 我は動くエネルギーの塊である(人間ではない)

 それなら猫も人間も区別がつかなくなってしまう(馬鹿か)

 その区別を取っ払ってしまおうというのだ(差別反対)

 何でそんなことをする必要があるのだ(無意味だ)

 それはの生贄になるためである(エネルギー返還)

 今は生贄にされる心配はないからねぇ

 でもいつ死ぬか分かりません(2012年が…)

 よく分からんが、つまり昔のインディオたちの頭の中は空っぽだったんだね

  そりゃ空っぽでないと生贄台の上に素直に寝てくれませんよ



  小説『蛇のスカート』  前半終了。悪魔崇拝者登場。

  



 小説『桜の木に集う鳥たち』 1,000票突破に感謝! 

  
   

神々が生きていた頃の遺品

2008-06-21 17:27:49 | 思想・宗教
 今回、インカ・マヤ・アステカ展のトラロック神(アステカの水の神;写真)はインディオのケータイのキーホルダーと化している。

 解説書曰く「アステカ時代に作られたトラロックの壺の中でも際立って美しいとされている。土器の表面は青色を基調とし、特にメガネのフレームのような目の表現と口から伸びる二本の牙、そして壺上部の頭部が特徴的である。古代の人々は、トラロカン(天国)に住むトラロック神に、雨と豊穣を祈願していた。この水を貯えるトラロックの壺は装飾性にも優れており供物として利用される例が多い」とある。

 何かハクション大魔王が出てくる壺に似ている。日本にも神をかたどった壺や皿があろうが、ここまで狂信的ではない。

 精霊崇拝のアステカの人々は、プレイステーションポータブル用ゲームにはまっている現代人と同じ感じであろう。プレステに没頭する現代人は電源を止めれば、資本主義の現実に戻るが、アステカの人々は死ぬまでゲームが止められない。もっともプレステの人々は頭だけで画面に没頭しているが、アステカの人々は肉体そのもので、大自然、大宇宙に溶け込んでいた。

 ピラミッドや球戯場などの建物から、暦や祭り、こんな小さな壺にいたるまで、偉大なる神々(…グレートスピリッツか)を表現していたから、人間なんて神々に仕えるゲームのコマに過ぎなかったわけだ。人間が飲む水を受ける器は、中に入っている水の神を表現している。これなら、確かに、水を扱う度に神を忘れないだろう。

 よし、これからは日本人もこれをやらねばなるまいな。
 
「危険な宗教団体だ!」

「すみません。インディオ通信の関係者だけでやります」

「あのー、その壺はどこで売っているの?」

「今からロクロを回しますから」 

 → 誰か作ってくれませんか? 制作者募集! 


 その前にインディオ通信の関係者募集!

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親は(ケツアルコアトル)神か。

2008-06-20 03:29:53 | 思想・宗教
妙な夢を見て目覚めた。

中南米の神話で、「ケツアルコアトル神が犠牲になって、今の世ができた」とある。何か、血を流すイエス・キリストを髣髴する。
ネイティブ・アメリカンの発想で、「いけにえ」があるが、神は人間のために血を流した、だから人間は神のために血を捧ぐ、という思想がある。

親と子供の夢だった。子供が内臓(腎臓か肝臓?)が悪化し、命を救うために、親が自分の臓器を差し出すというものだった(ような…)。親でないインディオに、そんな心境はわからぬ。何としてでも自分の子を救いたいから、そんな行動に出るのだろう。幼い子供は何も意識していないが、産み育てた親というのはそういうものなのだろう。ケツアルコアトル神は血を流す生みの親なのだ。

 将来、子供は親に暴力を振るうかもしれないが、そんな子供は…。大自然に育てられたが、自らの欲望、資本の原理に則って、環境を破壊尽くす人間は、どうしようもないのかもしれない。

 大自然は、お金は授けてくれないが、命を授けてくれるのだから。

展示品に想う

2008-05-28 07:35:19 | 思想・宗教
 ふと考えた。
 インカ・マヤ・アステカの展示品は、単なる妄想の産物であるのか?
 動物や人間、神?の顔をそこらじゅうモノに描き印している。
 意味のない世の中。
 雨は雨。
 別の「雨の神」ではなく、へんてこりんな顔を持つはずがない。ましてや生贄を。
 太陽や風、森羅万象すべてがそう。
 ただそこにあり、そうなった現象。
 別に意味はない。
 人間だってそう。
 ただ生きている。ただそれだけの存在だ。

 世界がばらばらになって、無意味になっている。
 我々はそんな世界で生きているのだが、
 彼らは「物語」の中で生きていた。
 とんでもない物語だが…
 彼らは夢の中で眠っていたのだ

 夢から目覚めた彼らが、現代人を体験したとする。

 「何だ、この味気ない世界は」
 「こ奴らの夢は、金儲けや物質の消費しかないのか」

 「そうです。それが現実であり、現実の物語なのです」

 彼らは言った。
 「労働なんてまっぴら御免。おやすみなさい」


 
 

宝島社3月号記事「インディアンの教え」

2008-02-17 20:13:05 | 思想・宗教
小さな本屋で『ヤクザの金』とある表紙を見つけ、マネー神の崇拝を連載しているせいか、立ち止まった。「インディアン」の教えが6ページもあったので、気になって買った(ヤクザ・マネーの方が分量が多く面白かった)。どうも宝島社はアウトローな記事ばかり載せる傾向があるようだ。

 まず人間は「輪」のほんの一部、「調和」して生きる発想とある。「聖なる輪の教え」、生きとし生けるもの全ての生命(いのち)、大地、空、水、火、鉱物全ておりなす聖なる輪。人間はその輪の一部として生かされている。そこに優劣などなく、全てのものが全てを補い、輪の中で調和して生きている。・・・・・ネイティブの人々にとって、豊かさとはモノを蓄積することではなく、大地とのつながりの中で、グレートスピリットの意志に従って生きること。大地に生かされている一つの生命として、この聖なる輪がいつまでも健全に維持されるように、自分の使命を見つけ謙虚に生きること。・・・・・とある

 次に、大好きな「インディアンになってしまった日本人 日本人との橋渡し!”聖なる俗人”ラコタ族の「高橋ゴロー」  とある。原宿のシルバーとレザーアイテムの店「ゴローズ」のオーナー。「イエロー・イーグル」というインディアンネームを持つ正真正銘のラコタ族のインディアン。銀細工職人である彼は、作ったものとお金を交換して、旅に出たり遊んだりするという「お金=交換手段」の考え方であるらしい。

 あと片山恭一の小説もインディアン思想が色濃く出ているとある。なるほど、ストレートではないが表現されている(小説家として巧い)。確か、難病で死にそうな彼女とアボリジニのいるオーストラリアへ行くのが夢だと、書いてあった。コンクリートジャングルの大都会より、あっちが救いの理想郷なのである。(片山はON LINE小説は恋愛小説ばっかでもちょっと言及)。「資本主義的な発想や行動パターンを超えていく、ボディ・マインドとスピリット・マインドが相互に響き合うような重層的な生命観の構築しなければならない」(難しい言い回し)と書かれてある。ボディ・マインドは身体が生き続けるために働く心で、スピリット・マインドは物事をきちんと理解するために使う霊の心(魂)であるらしい(『リトル・トリー』より)。

 要するに「資本主義的な発想=金重視」から、「生命の発想=精霊重視」に転換せねばならないということか。だが、あらゆるものに霊があるなら、マネーだって何らかの霊魂が宿っているはずだ(もの凄い霊が)。

 『マネー神の崇拝』が「古来の精霊重視」に転換するかどうかが問われているのか。日本よ、先進国から後進国へ転換せよ!(ムリです)
 
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Q.マヤ文明の世界観を教えてください。

2008-01-07 23:10:46 | 思想・宗教
A.現代人とは世界の見方が違う。現代人は科学的であるがゆえに、大地とか人間を無機的機械的に捉えがちだが、マヤ人は世界に生命中心の意味を植えつけたように思われる。

「大地」という言葉は存在するが、「大地」は存在しない。ただ足元のイメージがあるだけ。むしろ「ヘビ」「ワニ」を当てた方がしっくりする(言葉を当てはめるより、生き物を当てはめる)。

 立場によって、全て見えるものが違う。大地の視点とはヘビの視点であり、太陽の視点とはワシの視点である。ジャガー、鹿、ゴムの木、あらゆる存在(=精霊)に「顔」をつけ、人間と同じ次元に戻す。神経を通しているのかもしれない。

 頭で考えた言葉は、所詮、言葉でしかない。「人間」は存在しない。名前は存在しない。ただ食物を食べ、消化し、排出している存在。人間は七面鳥を食べることによって七面鳥になり、ジャガーに食べられることによってジャガーになる。

 つまり、言葉を頭で考える世界ではなくて、言葉があいまいで、肉体で自然に溶け込む世界観だったのだと思います(…やらせ、のようなQ&Aだ)。