インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

懐かしの映画

2014-06-29 09:27:11 | 映画や小説、テレビなど
  人生の折り返し点を曲がった雅太は、人生の時間が尽きていることをしみじみと感じ始めた。日々の労働、それは試練と修行の入り交じった中で行われるのだが、それで大半のエネルギーは食い尽くされ、残された時間で、自由に何かを活動する。

 独身であるが故に、料理をしたり、温泉へ行ったり、小説を読み、たまに映画を見たりする。新しい映画を借りるよりも、昔何かしら心に引っかかっているのを再度見直したりするも、とりわけ日記で書き残しているのは、再び心を打つ。

 今週の雅太は夢見を削って映画を深夜まで鑑賞した。『シッピング・ニュース』では、故郷やら先祖との因縁めいたものを考えさせられ、やはりその人は生まれ育った地域の、歴史的な力というものに左右させられるのか、と思ったりするのだった。

 また『この森で、天使はバスを降りた』では、ラストになると自然と涙がこぼれたりするのだった。双方とも、田舎が舞台となり、地域住民との確執、特に後者は「よそ者」として主人公が排除される構造が、映画では極端ではあるが、まざまざと思い浮かぶのである。

 ふと気がついたことは、高齢化の激しい田舎で、若者が舞台に多く登場しているような気もした。年金マネーが若者に回らないのが田舎の問題である。老人ホームやら地産地消の農産物、あとはゴルフ場やら農園などの観光ぐらいしか、雇用の場を見いだせない以上、田舎で育った若者は東京やら大阪などの大都市へ出て行かざるを得ないのである。

 二つの映画はともに、主人公が田舎で職を見つけ、それがドラマの設定となっているという特徴がある。孤島?の新聞記者、森林地帯のレストランのウエイトレス、は、よくよく考えてみると、無理があるのかもしれぬ。

 まあ、所詮、ドラマであると、雅太は久々のブログを終えるのだった。

ついに、親知らずを抜く。

2014-06-06 18:51:10 | 身の回り
  明朝、雅太は奥歯の激痛に苛んだ。痛みのあまり、焼酎を口に含んだが、耐えられず、職場へは向かわず、歯科医院の門を叩く。が、レントゲンでは原因が分からず、倒木のごとき親知らずが怪しいような気もする。そこで、どうせ虫歯を育むものだからと抜いてしまおうということになり、麻酔が打ち込まれた。低血圧の雅太の動悸が激しくなり、麻酔の量を3分の2で抜歯が始まる。酒に酔うのも早い、少量で効くのだから、麻薬も当然の結果かもしれぬ。案外、簡単に終了し、ガーゼで巨大な穴を塞いだ。

 問題は食事であるが、雅太は片方の歯によって普通通りの食事を敢行したわけである。むろんそれなりに気を使い、イカは刻み、汁は啜らず、首を傾げて咀嚼するわけである。

 雅太がネットで調べてみると、皆流動食やら饂飩やらを食べているようだが、結構な血液が排出され、ばい菌と闘うためには栄養価の高い物を食べねばならぬように思われる。

 空腹の雅太は大盛りのイカ焼きそばを作ったまでは良かったが、食べきれるかどうか自信が無かった。