インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

旅にでも出るか…

2011-06-29 05:27:31 | 身の回り
   昨夜は27度で2時間設定でよく寝られた(途中で起きて窓を開けた)。

  それにしても、未だに夢の中で自分の手を見るという関門?を突破できない。ただ夢の中が妙に暗示的で、別の効果がぱらぱら出手来ているのかもしれぬ。「厳しい修練」を「ワクワクした遊び」に変えるためには…、マンネリ化した日常を変えなくてはならない。

  何もかも放り投げて…、というわけにもいかないので、少し休みを取って、旅にでも行って来よう(九州の方へ)。

  車で行くので修行者の旅でもないのであるが、何か物語を創作するための手掛かりになるのかもしれない。「は呪術を学び、いかにイーグルとになるのか」

 呪術師ネコは答えた(呪術師になるためには狂わなけれならない。汝、他のヒヨコと違った動きをせよ)

 ヒヨコはネコに教えられたまま、狂気の羽ばたきを覚えた(意識を壊すための踊りです)

 ヒヨコの力ははかり知れない(何にでもなれる)

 ニワトリの子供でもワシになれますか(生まれた時から決まっているような…)

 まずは夢見をしてください(やっぱりイーグルの餌でしかなかったり)



真夏でもない夜の悪夢

2011-06-28 05:46:17 | 身の回り
  昨夜はとても寝苦しい夜であった。冷房をして寝るより汗を出した方が健康に良いというわけで、そのまま寝たわけであったが、蒸し暑くて寝られない。熱病患者のように、首にタオルを巻き、汗だくのシャツを交換したりして、唸っていたのであるが、夜中の11時になっても32度で、窓を開けても涼しさは全然なく、絶望的であった。

 昨年の猛暑を乗り越えた経験からして、選択肢は二つしかない。冷房27度(2時間設定?)か、水風呂に入るか。

 とりあえず、水シャワーを徹底的に浴びたわけであるが、何か寝るときに体調が良くない。マジカルパス?をして、再び眠りについたのであるが、夢を見るどころか、再び目が覚める。

 これはいかんと、27度設定にして、ようやく夢を見られたわけであるが(夢の中で苦しい努力をしていたぞ)…、

 タイマーが切れてしまったせいだろう、再び暑くて起きてしまった(窓を閉めたのが悪かったが、冷房をするなら…)

 そこで窓をいっぱいに開けて、ようやく眠りにつくことができたが、ほぼ朝方であったわけで、今が一番涼しいのだわい(28.6度で爽やかな風が吹いています)

 それにしても、この瀬戸内界隈は、夏の夜は物凄く、サウナ好きな我が輩でさえ、耐えられない蒸し暑さである。アパートの立地に問題があるのかもしれないが、山と海に挟まれている殺人地域なのかもしれない。たぶん、そういう地域は、関東界隈にもあるであろうが、冷房が止まったら(電気供給問題で)、生死にかかわるのではないか(冗談抜き)。

 う~ん、今年も厳しい三か月になりそうである。

 

JINが終わって、暑い夏が本格的に…

2011-06-27 05:53:05 | 身の回り
  昨夜、JINの最終回を遅くまで観たせいか、朝起きるのがつらく感じる。それにしても、かなりロマンチックで、感傷的な終わり方であった。 A(ミキ)を追っていたわけだが、実はB(サキ)の方が大切だった…、というオチである。幸せの青い鳥か。

 人間はいろいろ目指しているモノがあるのだろうが(?)、果たしてAを獲得するためにBを犠牲にしていいものだろうか、考えさせられる。出世したり、カネを貯めたりするために、家族を犠牲にしたり、自分の体を壊すことも少なくないが、後で考え、得たものと失ったものを比較して カネは何とか戻る可能性があるが、失われた時間やら健康やら愛情は、取り返しがつかない。

 週末に山で読書をしているが、実は「本を読む」ことよりも、「自然と触れ合う」ことの方が、重要なのかもしれない。所詮、カスタネダの著作物でさえ、注意を喚起するだけのきっかけか(?)。 「宇宙を流れるエネルギーを感じる」ことは、得体の知れない世界を追うことより、ただ目の前に咲き乱れるヒマワリを、じーっと見つめることの方が大切だったり…。

 

 それにしても暑い。今年は冷夏であることを期待していたのだが、恐ろしいことになりそうだ。今住んでいる瀬戸内界隈は、今年も地獄の夏を体験することになるのか…(ただ、冷房すればよかったり)。


 暑くて寝苦しくて何度も起きて睡眠不足になるより、軽めに冷房した方が賢いのかもしれんわい(健康には悪いのですが)

 そういえば昨年は27度で設定して寝たことがありますね(寝る前に水シャワーを浴びたり)

ミステリーな夢

2011-06-22 05:26:47 | 潜在意識の世界
  低血圧なので、夜更かしをすると、朝起きるのがつらい。肩胛骨はだいぶ良くなったが(病は気からか?)、歯の間の穴が気になるところだ(隙間ブラシが逆効果か?)。

 さて、今朝も夢を見た。どこでどう潜在意識と繋がっているのか解釈が複雑だが、現在毎日見かける人物も、「夢の中の登場人物」として出てくるところが面白い。しかも、歴史やらマンガが絡み合って、今日見た一つの夢では我が輩はいつの間にかルパン三世になっていた(そんな願望があるのか)

 もう一つの夢?でも、物語はミステリードラマの展開になっており、我が輩はその中で探偵役(??)として登場人物の行為を観察していたのだが、ドラマがこれからという時に、登場人物のさりげない行動から(絶対だまされる!?)、一瞬にして全てが解明され、「あなたが犯人ですね」で、終わってしまった。相手は驚いていたようだが(捕まえられ)、夢を見ていた己はそこで悟ったのであった。「呪術師は一瞬ですべてを悟るのか」と(相手の様子を見たり、目を見たり…)。

 かつて横溝正史とか各種のミステリー読み漁っていたのであるが、「西洋的な学校教育のたまもの」に過ぎなかったのかもしれぬ。証拠を一つ一つ突きつけ、論理的に証明していく。現実的に、ゴミくずやら拾って科学捜査とかし、犯人を特定するわけである。動機は?トリックは?…、「はあ、そういうことだったのか」となるのであるが、本当のミステリーは、「証拠も見ずに犯人を突き止める世界」にあるのかもしれない。

 もっとも現実世界では、表に出ていないだけとか、法律に触れないとかいっただけで、キワドイことをしている人間はごろごろいるわけである。とりわけ、現在のような経済状況であると、世相が悪化しているため、生きるためには許される部分もあるのかもしれない(そんなわけないか?)。「津波で家が流され、仕事も失い、どうやって生きていくのだ?」「何とかガンバってくれ」という社会である。大多数は良心に生きる人々なのであるが、悪知恵が働く者はサギとか悪事を働く土壌がそろっているだけ厄介だ。

 「俺がやったという証拠はどこにある!」と、犯人に逃げられる。しかしながら、「目撃者がいました」ということにして、状況を詳しく説明されたら、まあ、魂消て自白するだろう。

 もっとも目撃者は呪術師だったのだわい(しかも夢見の中です)

左の肩胛骨が痛い

2011-06-20 06:23:02 | 身の回り
  最近、体の左上が異常に痛い。特に左の肩甲骨の下の部分が、動かせないほど痛い時があり、マジカルパスとかもできない。内臓がおかしいということも考えられるが、サウナに二日連続長々と入っても、血圧がぜんぜん高くならいし(いや、異常か?)、何処がおかしいのか不明である。

 『癒しの風』で調べてみると、次のように書かれてあった。
  
  Q.数年前から左の肩胛骨の一点が深く痛みます。どのようにすれば痛みが抜けるのでしょうか?

A.左肩胛骨の痛みは、ほとんどの人が体験します。私たちは、それを「人類のカルマライン」と呼んでいます。肩胛骨を動かすワークやプラーナ振動法、そして印堂の呼吸をしてください。一番早いのは、ヒーラーにそのラインをマニュピレーションしながらネガティブ・エネルギーを抜いてもらい、エネルギーラインを通してもらうことです。


  「プラーナ振動法」と「印堂の呼吸」がその本に書かれてあるので、忠実に実行してみるしかない。

  おっ、さっそく肩を揺すってみると、早くも効果を感じたような気がするのであった 
   


夢だらけ

2011-06-16 06:51:04 | 潜在意識の世界
 さっき起きる時まで、大量の夢を見た。人間の潜在意識とは恐ろしいもので(?)、どこでどういう風にあんなストーリーがインプットされたのか、全然わからない。今、夢日記に思い出しながらつけている所だが、全部は隈なく思い出せない(修行不足か)。断片的に覚えている情報を眺め、これなら短編小説ぐらいにはなるかも、と想像する。不思議なリアリティがあるので何らかの賞は獲れるのではないかと思ったりするのだが、「夢に見たそのまま」を再構築するのはなかなか骨が折れる作業だろう(それが呪術の修業か?)。

 前にも書いたような気がするが、映画をみるより、小説を読むより、(自分の)夢を見るほうが断然面白い。それに、映画やら小説に耽っているより、寝ていた方が疲れがとれるし、夢を見た後は癒されたような気もするし(?)、これは一石二鳥である。商売的には、いかに面白い夢を見ることを可能にするか、のようなグッズやら指導書がもっと売れても良いように思われる。難解すぎるので、もっと噛み砕いたマンガやら入門書が売れそうな気がするのだが…。

 ふと思ったのだが、他人のブログを読むのも、「何か夢のようなものでもないものか」と漁っている行為の一つなのかもしれぬ。現代人は圧倒的にストレスで夢が足らない(見る時間がない)。我が輩も最近に至るまでこんなに夢だらけの毎日ではなかった。もちろん、夢を見ない日もあるが、ひどく疲れている時はそうだ。すると、代償行為として、映画やら小説に走るのかもしれない。ブログもたまに読むことはあるが、やはり夢の中では全く違った自分になりうる可能性があるわけで、「もし自分が違った環境に投げられたら、こんな文章を書くのだろうか」なんて思ったりするのか(頼りない表現だ!)。

 今の現実、合意的現実も、あと何年か経てば「あの時は夢の中にいたのではないか??」という風に考えるのかもしれない。ということは、「ブログを書いていた時期があったなぁ」と思い返すような日が来るのだろう。インディオ通信、これも夢の中の出来事で、夢を解釈しようと試みたものであった 

ナチュラルな自分

2011-06-14 05:46:13 | 潜在意識の世界
  やはり朝早く起きてブログを書く方が楽である。テレビもネットも見ず、本すら読まず、ベッドに横たわり、ドリーミングする。ほぼ必ずと言っていいほど夢を見るのだが(特に朝方。夢で出てきた紙がかすれているのが分かるほどリアル)、ぼーっとした頭でブログを書きながらも、「なぜあんな夢を見たのだろうか」と自問自答するわけである。

 もちろん、ドリーミングというか(昨日の『24時間の明晰夢』)、潜在意識が表層化しているのだろう。そして、起きている時に出さえ、肉体を持った夢の中でさまよっているような気がする(事実か)。そして、それは断片的に千切れていなくて、「昨日の続き」を生きているわけで、「3年前」やら「10年前」の続きでもなく、大分県やら福岡県に住んでいるわけでもなく、今は広島県に住んでいる。

 実家からかなり離れたアパートに住んで自分なりに生計を立てているが、結婚して子供がいるというわけでもないから、「何としてでも」という感じでもない。ただ惰性で月日が流れているような気もする。何か長くなりそうなので、朝食を食べながら、書くか。

 「腕の良い料理人は筋に沿って巧みにさばくから包丁を取り換えるのが少ない(荘子)」とかドリーミングの本に書かれてあったが、人生でも似たようなことがいえるのかもしれない。かけ離れた理想とか目標とかではなく、「もって生まれた自分の筋」に沿って生きるのが、一番かと。「こうあろう」とするならば、それは無理やりではなく、自分の人生の筋に沿っていなければならないのだろう。

 我が輩の場合、ど田舎に生まれてしまったのだから(こんなブログも書いているし)、大都市に生きるのはどう考えても、筋に沿っていない。生家、特に裏山(昨日の写真)辺りが原点であるように思われる。そしてそこから、『ベロボディアの輪』でささやかれているように、「リアルな現実」と「自分自身」の両方を作っているのであろう。そこであんなインディオな?ブログやら小説をせっせと作ってUPさせたり、現場自体が「画像フォルダ」に大量に収まっているわけか。山で育った割には海も多いのであるが。

 ナチュラルな包丁というか、さばき方を何処で手に入れるかというと、やはりドリーミングであり、ドリームランド(夢)なのかもしれない。そのドリーミングというのは、言葉には表せない感覚、「明晰さ」であり、カスタネダに言わせれば、「内的沈黙」ということになるのか。ならば、ドリーミングできるためには膨大なエネルギーが必要ということになり、日常生活やら仕事に追われていては適わない、ということか。かくして「我が部族の若者たちは決して働かないだろう」というロジックを成り立たせるのである(!?)。

 ドリーミングは、多分、視覚以外の感覚器官で、世界を照らし出そうとするもので、大まかにいえば、それは「エネルギー」なのだろう。例えば夜の光景。実は太陽がないだけで、昼と同じ光景がそこには存在している。夜は何も存在しないのではなく、知覚できていないだけで、エネルギーのある「見る者」であれば感知しうる、ということになる。だから呪術師は夜でも平気で山を歩けるということか(とういうことは、それが出来ねば呪術師ではないということか)。

 とにかく、世界の一部分しか、我々は見ていない。同様、自分の一部分しか、自分は見ていない。今の生活スタイルもまさにそう。全然違う自分(筋に沿って料理された自分)を、人生で見てみたいものだ。
 

 

ドリーミング

2011-06-12 22:05:42 | 潜在意識の世界
  さっきJINを観て、ついに坂本龍馬が暗殺された…!?ようである。SF時代劇とはいえ、面白いので、ああいうのを書けば、大衆受けして売れるだろう(商売になるだろう)。そういえばアルファポリスからミステリー大賞の案内が来たが、またアレを出すしかない。考えてみれば、年初頭に「今年は小説を書くぞ!」ってな決意をし(新しいノートパソコンを調達し)、東日本大震災やらに注意が向いて(フィクションが軽くなり)、2012年も近づいているしと、呪術な本ばかり読んで、ちょこちょこ実践したりしている。

 確かに夢の世界は凄くなっており、日常に近い世界の中で我が輩は宙に浮くことに成功したのだが(やったぞ!)、誰も注目していない。もっともそれはドリームランドの世界だけではなく、合意的現実の世界でもそうで、このブログを通してインディオが呪術を何かしらマスターしたとしても、ほぼ誰も注目しないだろう。

 昨日は曇りの中、ボケーッとドリーミングしていた。非言語的な感覚、ちらっと見えるような何か、センシェントな体験を目指したのである。小川のせせらぎを聞きながら、額の上にピラミッド水晶をのせたりする(かなり、マニアになってきた!)

 

 センシェントとか、聞き慣れぬ言葉が出てきたのは現在読書中の『24時間の明晰夢』(アーノルド・ミンデル)の影響で、これはたぶん覚醒を目指そうとする本である。今、眠くて頭がボケーッとしているが、この現実(合意的現実)は、日常の漠然とした感覚、直感(ドリーミング)から発展したものであるとする。つまり、このblogで書き殴られてあることは、我が輩のドリーミングが根源となっているわけである。さらにそれは眠っている時の夢(ドリームランド)にも浸透するわけで、著者は「ドリーミング→ ドリームランド→ 合意的現実」と、逆円錐型の頂上である、今の現実は、ちらっとみるドリーミングから起こっているとするのだ。何か「唯識論」の理屈を思い出す。

 とにかく、ねそべって辺りを見回すと、大いなる生命が感じられるのである(このアングルから見るとかなり森だが、実際はそれほどでもない)。

 

 森に行けば幾らでも樹木はあるのだが、ふつう、そんなものに注目は集まらない。広島なんて何処だろうがたいがい山に囲まれているわけであるが、だれも山などに注目せず、道路やらビルやら看板ばかり目にするわけである。

 「我が部族の若者たちは決して働かないだろう。働く若者は夢を見ることができない。知恵は夢からやってくるのだ」とネズパース族の酋長ジョーゼフの有名な言葉があるが、ドリーミングこそが、偉大なる精霊であり、物事を成し遂げるための根源的な力なのであろう。滅多に生計は立てられぬが、ミュージシャンやら、芸術家やら、小説家やら、発明家やら、そういった現実で生きようと思えば、常にドリーミングしていなければならないわけで、カンバスやら原稿用紙をずっと眺めて、自分の手が作品をつくり上げるのではなく、ドリーミングによって自分の手がそこに引き寄せられ、勝手に書かされるという現象が起きなければならない。

 …ということで、自分も「新規投稿」の真っ白な空間を埋めているのだが、これも何らかの訓練になっているのだと思う。カスタネダの『沈黙の力』の序文で、カスタネダが師匠ドンファンから教わったりした事や体験をまめにノートにまとめていたので、ドンファンにそれを本にしたらどうかと言われ、私は作家じゃないんだから馬鹿げているというと、

 「もちろん、おまえは作家ではない」と彼は言った。「だから、おまえは呪術を使わねばならん。まず、自分の体験をもう一度体験しなおすつもりで視覚化し、それから【夢見】の中で【見る】ことが必要なのだ。つまりおまえにとって、書くことは文章の訓練ではなく、呪術の訓練になるわけさ」

  本日の記事を見るたびに、山奥でドリーミングしていた時のことを思い出すだろう。あの瞬間、我が輩は樹木に、じーっと見つめられていたのである。

ベロボディアの輪③ ~意識の変容~

2011-06-09 05:44:36 | カスタネダ『呪術の実践』 !
  新しい水晶くんである。一日塩水につけて清め?、何かしら冷たく、重くなたような気がする。

  

  夢に見たから買ってしまったわけであるが、効果があるのか人体実験してみたい。値段は…電子書籍リーダーが買えるくらいか。

  さて、『ベロボディアの輪』の続きであるが、(ノボシビルスクのアパートに戻って、アルタイのミイラの記事が引き金となり?)自分を組み立てる夢を見た後、

  翌朝、いつも通りの朝を迎えた。このところ体験が心に影を落としているらしく、今までとは違った風に自分のしていることを見ているもうひとりの自分がいた。古い決まりきった習慣が懐かしいと同時に不思議な感じがした。

 短期的に見知らぬ土地で放浪な?生活をしたりしていると、こんな感覚に陥ったりする。街を歩いている自分を頭の上から眺めているような感じである。生活が型にはまってしまうと、そういう感覚は薄れてくる。

  国立病院で精神病患者を大量に診察しているオルガであったが、「精神的な正常と異常の診断や、幻想を非現実だと決めつけることは、もはや私にとって単純なことではなくなっていた。アルタイで見た鮮烈な夢が残した打ち消しがたい感覚は私の現実感を根本から揺るがしていた」わけであり、そこに変性意識への回路を開くための新しい手段を工夫している物理学者が現れる(引き寄せる?)。筒状の鏡のような部屋で、トランス状態になり、紙に手書きの文字をびっしりと詰めるわけである(『ノウイング』&岡本天明 の世界だ)。

 長すぎて全部書き写す根性はないが、「オルガ、聞きたまえ!」と男の声がし(夢の中で)、

 「君は比喩を評価していることは知っている。このような比喩がある。われわれは素粒子が観察者の位置によって二重の性質を持っていることを物理学で学んだ。それらは個別の粒子として存在しうると同時に、波動にもなりうる。君はそのことを既に知っているかもしれない。しかし人間も同じ二重性を持っていることは知らなかっただろう。我々は分離した粒子であると同時に、波動なのだ。どちらであるかは内部の観察者の位置によって決まる。われわれは独立した個人であると信じているゆえに、自分自身のことを実際に分離した粒子として知覚する。しかし、同時に我々は常に境界を全く持たない波動なのだ…

 君が自分の波動性を体験したいなら、自己感覚を変容できなければならない。この波動は存在するすべてのものの一部なのだ。それはどこにでも移動することができ、どこででも停止することができる。身体にその波動のリズムを見出させ、それと一つになるのだ」

 身体をかたどっている境界が次第に薄れていくのを感じる。やがて境界が消滅し、私の意識は瞬時に爆発して広がり、宇宙全体に拡散する。今や私は宇宙とつながった無限の存在であり、宇宙から分け隔てられてはいない。直線的な時間が消え失せ、アルタイでの体験のすべてが一斉に心の中に押し寄せてくる…


 「自己感覚を変容する」ためには、お決まりの感覚パターンからおさらばするしかなく、不安定な未知の世界に身を委ねることになる。まずは朝飯を食べず、仕事も放棄し、地図も持たずに知らない土地をぶらぶらする(できれば外国がいい)、ということになるか。

 さて、夢の中に出てきた男(物質文明とは異なった進化の枝に属している)はオルガに語る。

「…君がここにいるのは、君の文明が信奉する現実と他の文明のそれとの間に相互作用が生まれている兆候だよ。われわれの時間らせんは互いに接近しつつあり、全ての異なった流れの最終的な融合が間もなく起ころうとしている。人類全体がさなぎの段階を終えようとしているのだ。毛虫が内部に形成されている蝶の身体に気づかず将来の羽毛についての知識を持っていないのと同じように、そのことはまだ気づかれていない。羽根自体でさえ、飛行をはじめるまではその意味を理解していない。君が信じるリアリティの流れに属する人々は、確固とした一つの新しい有機体を着実に形作ってきた。今、それが全容を現し、他の人類の流れと融合する成熟の時期を迎えつつあるのだ。

 君と同類の人々は大きな個人的変容を経るだろう。それは世界の終末のように思えるかもしれない。なぜなら、古い世界の大半が実際に新しい存在によって置き換えられるからだ。これまでの古い現実像や世界観が通用しなくなるため、それぞれの人間の心理学的な構造も変容するだろう。君たちはこれまで知らなかった存在の側面を体験し、理解することを学ぶことになる。個々の人間にとって、それは違った形で起こるはずだ。

 ある者たちにとっては、それはたやすく、ほぼ瞬間的に起こるだろう。他の者はストレスと苦痛を通して努力する必要があるだろう。古い世界観の枠組みにどっぷりつかっているために、なにも全然気づかぬ者もいるに違いない…


 文章は続くが、疲れたのでここまで。やはり2012年を契機に、人類は脱皮するというか、「毛虫→ さなぎ→ 蝶」になるということなのか。ということは、もう既にタイムリミットが迫っているので、せめて「さなぎ」の段階に入っていなくてはならないだろう。水晶で成長を早められるのか(しかもピラミッドパワーです)

ベロボディアの輪② ~自分自身の組み立て~

2011-06-08 05:06:28 | カスタネダ『呪術の実践』 !

 さて、先日の続きである。オルガは夢見でシャーマンのウマイに教えを授かる。

 これから最高の秘密をおぬしに聞かせてやろう。わしらは身体を持ってこの世に生きている間に、二つのものを作り上げる仕事をゆだねられている。第一の仕事は、わしらが住む現実を作り上げること。そして第二の仕事は自分自身の組み立て、つまり、この現実の中で生きる自己そのものの組み立てじゃ。

 両方の仕事にまんべんなく注意を払わねばならぬ。それらのバランスを保つことが、必要とされる聖なる術そのものじゃ。一方の仕事を忘れると、もう一方がわしらを捕らえ、永遠にその奴隷にしてしまう。多くの人々にとって、『精霊の湖』の場、つまり『内なる生き物』の故郷が空っぽとなり、死んでしまっているのはそのためじゃ…。


 …わしは嘘を言わぬ。外の世界との仕事は、内なる探求に劣らぬ満足をもたらす絶対的なパワーと能力を持っているのじゃ。周りの海岸を恐れてはならぬ。そこに見えるのはすべておぬし自身の顕れなのじゃ。自分自身で生み出したものを恐れるのは馬鹿げている…


 この文章を咀嚼するに、自分の頭の中だけを変えるのはナンセンスで、実際に自分の周囲を変えなければならないということだろう。というより、環境を変えなければ、自分自身が変わるわけがないということか。意味深長である。オルガは後で尋ねる(もちろん、夢の中で)。

「どのようにして自分自身をつくり出すかについてもっと聞きたいんです。自分自身の住む現実を生み出すことについては理解し始めています。今は、この現実の中で生きる存在に関して、あなたのおっしゃったことを学びたいんです」

「自分自身や周りにいる人間を見るがいい。みんなが四六時中やっている唯一のことはおのれの自己を作りだそうとすることじゃ。すべての人が絶えず変化成長する自分ということ存在に話しかけ、それを型に嵌め込もうとしているのじゃ。

 人が自己を形作る方法には三つの主要なやり方がある。頭の中で過去に問いかけ、おのれが生み出そうとしている自分の像に合わないものを変えたり、削ったりし、それを助長するものを拡大することによって過去を作り直すことが一つ。他方で、人々は未来について考え、何をするか自分がどのように見えるか、持ち物は何か、他人にどのように受け入れられるか、といったことを絶えず思い浮かべる。

 人々がする第三のことは、自分たちを現在に結び付けることじゃ。自分が何者で何をしているかということについての他人の知覚を、いつも無意識のうちに自覚し、絶え間なくそれに反応しておるのじゃ。こうした反応のいくつかはおのれが抱いている自己の像を支持するが、それを打ち砕く反応もある。人々はある人間が自分に引き付けられ、他の人間がそうではないことに気づく。たいていの場合、自己の像を支えてくれない人々が身近にいると、それらの人々を嫌いになるということが起こる。逆に周りの人々からの支えを体験すると、彼らを好きになるという感情を生み出す。人々はこのようにして自分自身を作りだすために過去、現在、未来を組み合わせるのじゃ。注意して見ておれば、どんな人間でもあらゆる状況でそれが起こっているのがわかるだろう。見回して見るがいい。多くの興味深い例に気づくはずじゃ。

 だが、人が自分を作りあげる方法を余すところなく理解すれば、おぬしは全てを自覚しながらそれから独立していられるもう一つの自己が存在していることに気づくようになるだろう。それがおぬしの慈愛の自己で、しんの自由と魔術が始まる地点なのじゃ。それは偉大なる選択術の源じゃ。だが、現在のおぬしにはこれぐらいで十分じゃろう」


 かくして「もう一つの自己」という思想に発展していくのである。写すのに疲れたので、本日はこれで失敬。

ベロボディアの輪

2011-06-06 05:09:14 | カスタネダ『呪術の実践』 !
  また宙に浮かぶ夢を見た後、疲れているのかも知れぬと、癒しを求めて田舎に戻り、森林浴をする。そして『ベロボディアの輪』なる文庫本を読むのであった。

 ベロボディアは「白い水の土地」を意味し、「選ばれた一握りの人間によってのみ発見され、入ることを許されてきた神秘的な秘密の国」で、アルタイ山脈のどこかにあると信じられていたようだ(シャンバラの別名!?)。



 これは精神科医オルガ・カリティディ(ノボシビルスクでの生活時。現在はアメリカ在住らしい)の実体験をもとに書かれた小説で、親友アンナに紹介された患者(ニコライ)が引き金となってアルタイへ行き、そこでシベリア・シャーマン(カム)の女性ウマイ(古代アルタイの女神と同一名)に邂逅するわけである。本書の「解説」にも書かれてあるように、どことなくカスタネダの書物に似ているし、実際、オルガは夢見で教えられるわけである。タイトルにしても『時の輪』を髣髴する。オルガの夢見は、まさにカスタネダの世界そのものである。

 …後で、不思議な夢を見たことを思い出した。夢の中で、磨かれてピカピカに輝く重厚なドアのそばに立っていた。ドアは閉まっていた。手を伸ばしてドアに触れた。ドアに触れていると、次第に手の感覚がリアルに感じられるようになった。手を動かすと、自分自身の感覚がさらに鮮明となった。

 自分がまだ眠っており、夢の中にいることは分かっていたが、同時に意識的な自覚と完璧な自由意志を持っていた…
 
 
 「ハイアーセルフはミラクルを起こす!」ということを実証しているような物凄い本だったので、また後でまとめてみたい。

 背後の川に足を浸ける。冷たい感覚が生きている実感を催す。



 オルガがシベリアの氷の上に寝た(ウマイの命令で)ことに触発され、我が輩も雑草の上に寝てみると、ここでも空は果てしなく青い。アルタイ山脈は広島からそう離れてはいないか…。




 そういえば、『人生の癒し』なる本にアロマテラピーが出ていたのでベルガモットを買って心を落ち着ける。



 著者の越智啓子氏もオルガと同じ精神科医で(九回もインディアンの過去生があったという)、思想的にも行動的にもかなり似ている部分があるように思われる。ちなみに彼女は沖縄に移住し、啓子メンタルクリニックを生業としておられるようだ。

 オルガの小説はメンタルがクリニックされるような小説であり、文庫本でもずしりと重たいものがあった。ネットで調べてみると、若返りの方法が紹介されてありました天使の卵) 




近況報告

2011-06-02 06:02:54 | 考えるインディオ
  netで変わった形をした水晶を注文した(来週あたり、掲載)。これから長いこと付き合っていこうと思う。

 そういえば、今、『ベロボディアの輪』なるシベリア・シャーマンの知恵の文庫本を読んでいるが(なかなか面白い。今、104ページぐらい)、かなり寒そうな地方の、何かしらカスタネダの本を髣髴させる本である。来週あたり、感想記事を掲載したい。ちなみに、この本はアマゾンでカスタネダを調達している時に、発見したもので、絶版であるらしい(新品同様の中古本を仕入れる。はるばる山形の鶴岡市から旅をしてきたようだ)。

 昨夜も草原を走ってみた。完全に奇人変人の類だが、日常生活で見方が凝り固まっているので、いろいろやってみるもの良いかもしれない。

 自分の中の無意識の海が、今日一日一日を飲み込んでいく。良いこと悪いこと、何もかも、ただ飲み込んでいく。

 プラスの言葉、プラスのイメージで、無意識の海を埋めていきたいものだ。
 まずは、自分がこれまで無事に生きてこられたことに感謝!
 自分が今、持っているものにも、感謝! 
 これを読んでくれている人にも感謝! 

 これだけ与えられているのに、不満を持つなんて、何て贅沢なのだろう…と思いつつ、いろいろ念じてみるのであった(よきことの細部をリアルに想像するのが良いらしいです)