インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

映画な夢を…

2012-04-27 06:58:45 | 潜在意識の世界
  スペクタクル映画のような夢を見た。それは歴史ドラマのようで、ミステリーの要素も混じっていた。

 敵の陽動作戦に乗って、下へ逃げるか(道がある?)、ジャングルの上へ登るか。大集団なので、子供たちには危険が伴うが、それが素晴らしい人生経験になるだろうとか。

 主人公は、ある王国の青年のようで(女王の息子)、弟は謀殺され、あと、その王奥の中ので事件があり、おぞましい呪いで死んだ女(自殺? 死因を調べると…)がいた。

 完全に夢の中で映画に浸っていたのだが、ハッと目が覚めると(これは書き留めて小説にすべきだ! 新人賞間違いなし!)

 書いている端から忘れていくのだわい(必ず夢を思い出すのだという+が必要か)

 大きい魚を逃しましたね(え? おぼえている所だけ利用する?)

 

生まれた場所 ②

2012-04-25 06:39:55 | 考えるインディオ
  昨日、深い縁で、「親や友人」に囲まれている云々綴ったが、「生まれ育った場所」というのにも、とてつもなくヘビーな縁があるに違いない。

 そういえば、2年近く前、「生まれた場所」についてあーだこーだ考えていた(森林浴をしながら)。

 当ブログでは、ネイティブ・アメリカンな心、大自然に囲まれた生活を重んじているわけで、できれば近い将来、そのような生活を送りたいと思っている(ただ実家に帰ればいいだけだったり)。

 田舎の独自な文化に惹かれる。とりわけ、南の島の。 

 ちょくちょく紹介しているが、かつて吾輩は奄美大島に長期滞在したことがあり、実際にこの目で見てみた。

 完全に資本主義社会に飲み込まれていたものの(道路、自動車、コンビニ、スーパー…)、

 僻地の美しい海岸とか、密林な金作原とかを歩いていると、独自な文化を生み出したエネルギーの面影が残っているのである。沖縄とかも全くそうか。

 瀬戸内海の島とかもなかなかの味わいがあるのだが、海岸の綺麗さ(貝殻とかも全然違う)、アダンやガジュマルなど亜熱帯植物がそこらじゅうに広がっている光景は、強烈である。

 だから、進学やら経済的な問題で、東京や大阪などで生活している方々の故郷への思いも、格段に強いに違いない。


 平田大一氏(南島詩人)のシマとの対話(2011で止まっているのか)を読むに、共感する部分が多い。

 シマウタ37.6「琉球からのキセキな話題」

 奄美大島移住日記~南の島にIターン  

 調べれば調べるほど、沖縄の空気が羨ましく思われるのだわい(そのうち、応援ブログのコーナを設けましょう。参加者募集!)

 

人間関係 ~不思議な縁~

2012-04-24 05:45:58 | 考えるインディオ
 よく考えるのは、なぜこんな現代日本に自分が生まれたのであろうか、ということである。

 江戸時代やら、太平洋戦争の時代やら、アステカの時代やら、選択肢については無数にあると思われるのに。

 親とかもまさにそうだ。なぜ、吾輩があの両親の下で生まれたのか、考えさせられる。

 やはり何かしら深い「縁」があったのだろうとしか考えられない。

 新しく出会った人に対してもそう考える。

 一体何で、無限(カスタネダの世界でいう神様)は、かの人物を吾輩のもとに送り込んだのか、と。 

 人間など無数に存在するわけで、たまたま偶然ということになるのか??

「あの日あの時あの場所で君に会えなかったら、僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま」という小田和正の歌があるが、

 何かが少しでもズレていたら、永遠に巡り会えることは無かったのである。

 もっとも、今は当たり前のように思える相手でも、時間が経てば目の前から消えているケースも多いわけで、それも「縁」の強さ、ということになるのか。

 親とかは、相手が死ぬまで(死んでも?)消えないから、相当ヘビーな縁があったということに違いない(子供もそうか)。

 何からの検索とかでたまたまこのブログをヒットさせたあなた(そう、そこのあなたです)、

 きっと何らかの縁があるのかもしれませんが、どれだけ深い縁があるかは、閲覧の数で決定されているのかも(ヒヨコの画像にハリャ!?)



真実の姿を見る力

2012-04-22 07:10:43 | 潜在意識の世界
 いつもは鈍らな自分であるが、突然、恐ろしいほど冷静になることがある。たまにではあるが、寝たり食べたりしたらすぐに元に戻ったりする。

 それがつい最近、現実世界ではなく、夢の中で起こったりした。

 夢の中で吾輩は有名人になっていたのだが(!?)、追われていたのかもしれないのに、都会のシンプルな街路を、ゆったりと、平然と、噛み締めるように歩いていた。死へのゴールを悟ったかのように。

 その平静さは眠りの中では長続きした。そのまま凪いだ海面のような心の状態で、別府の最後の日に見たような「不思議な絵」を見た。それもどこかの部屋の天井のような光景で、今度は隅っこの方をじっと見つめていた。

 光がないのに、目を開けてもいないのに、ものが見える。

 エネルギー体★の証明である。

 そういえば、先日『パイレーツ・オブ・カリビアン』~呪われた海賊たち~を観たのだが(アステカの呪い!)、「月の光が正体を暴き出す」というシーンが何かしら、このブログにある呪術なサイドバー(枠の幅次第で出てくる)、「見ること」を象徴しているように思われてならない。

 海賊たちは本当は骸骨なゾンビなのに、普段はそうは見えない。

 本当の姿は、月の光だけが映し出す。

 現実の世の中もそういうものかもしれず、「我々は目に騙されている」ということになるのか。

 資本主義の世の中は、消費者の目をいかに騙すか、あの手この手を使っているようだ。

 インターネットの時代においては、ホームページ制作の技量が、内容以上に重たいような気がする。

 このブログもプロな協力者の手を借りてこんなにも芸術的になったのだわい(ご協力、有難うございます)

 立派なブログになりましたね(傑作なプロフィールの写真にマウスをやってみましょう)

 

『ビッグ・フィッシュ』 ~ファンタジーとリアルのはざま~

2012-04-21 14:18:19 | 映画や小説、テレビなど

 ゴロゴロしながら映画を見ていたのだが、現実のシーンとファンタジーのシーンが入り混じった不思議な映画だった。

  ブルーム一家の一人息子、ウィルは、父親エドワードの現実にあったようなおとぎ話を耳にタコができるほど聞かされてきたのだが、さすがに20,30になると「作り話」であることに気がつき始める。

 親父エドワードの話を聞くのが嫌になり、会話もしない仲になっていたのであるが、親父が危篤状態に入り、ウィルとの和解が始まる。

 調べてみると、ビッグ・フィッシュとは、「誰も信じないホラ話」という意味があるようだ。

 人生において回想というのは、美化されたり、尾ヒレがついたりするものだが、エドワードの場合は、ファンタジー小説になっていたというわけだ(冒険もの)。

 とりわけ、エドワード夫人との出会いが、そこだけで独立したようなファンタジー映画となっており、巨人が出てきたり、理想の町が出てきたりしていた。

 青年エドワードは、小さな金魚鉢では小さな魚しか育たないとかで、スポーツやら事業に打ち込み、活発に活動したものの、地元の英雄として巨人と旅に出たりする。そこで困難な森を抜けたところで詩人や靴を奪った町長の娘と出会ったりした。サーカスを見ていると、そこで婦人に一目惚れし、時間が止まった。サーカス団長から、「一ヶ月働くごとに彼女のことを一つ教えよう」と奴隷なって働き、水仙が好きだとか、少しづつ彼女のことを知る(ケチで腹黒い団長!)。そしてついに彼女の本名を教えてもらった。が、大学生だった彼女には既に婚約者がいた。

 この辺から『ビッグ・フィッシュ』の美しい映像に魅了される。彼女が朝起きて、窓を開けたら、黄色い水仙で景色が埋め尽くされていた。そして水仙畑で、婚約者から彼女をつい手に入れたのだった。

 が、エドワードは出征する運命に遭う。彼女はエドワードが戦死したと思っていたのだが、洗濯物の間からふっと現れた時に…(観客は涙が出ます)

 現実主義のウィルは「作り話は山ほどあるけれど、話してないことも多い」と親父の書斎にある資料を色々調べてみる。すると、単なるファンタジーな話ではなく、現実が入り混じっていることに気づかされるのである(エドワードが冒険中の18歳の時、8歳だった町長の娘は実際にいて、大人になってからは明け渡しのサインをしていた…)。

 ラストシーンでは、エドワードは鼻にチューブを入れられ病室で死んでいくのだが、息子ウィルはエドワードの死をファンタジーのようにして聞かせ、彼の人生に幕を閉じようとする。

 現代人は人生を重苦しいリアルなものにはめようとするけれども、終わってみれば、人生は不思議な夢のようなものに違いない。

 


意図の力

2012-04-20 06:50:36 | 潜在意識の世界
ふと思うことがある。

 サイドバーの記号で表現するなら(初めて見られる方は意味不明だが)、
 
 §の中では、強く+すれば、思うがままに自由に何でもできる。

 §の中で活動するのは肉体ではなく★であり、世界は□ではなく■だから可能なのだ、と言ってしまえばそれまでだが、

 これまでは夢の中でも現実世界同様、そこの物語の中に、ただ流されていっていただけだったような気がする。

 たぶん、夢見る人はみな、■な世界で、★の体で動いているに違いないが、自分の意志の力で何かができるとは思ってもみない(ふつう)。

 ただそこにあるのは自分の●であり、それはただ逃げるだけの受身な★である。

 しかし強く+して§すれば、●に○が混じり、夢の中で★が積極的に動けるようになるのである。

 不思議だと言えば不思議だが、現実に可能なのである。

 現実の肉体世界でも、実はもの凄く強く+すれば、何でも叶うかもしれず、成功哲学がそう語るように、実際にそうなのだろう。

 ○→●たり、●→○たり…。

 ということは…、「世界を揺さぶるような小説を書く大物作家になる!」という強い+を持てば、本当にそうなったり(いや、危険な小説だと出版されなかったり)

人生というドラマ

2012-04-18 07:01:22 | 考えるインディオ
  人生が旅ならば、その旅先では、いろんな人間との出会いがあり、ドラマが展開されている。

  インディオでさえそうであり、大したことはないかもしれないが、ここに至るまで幾つもの葛藤があり、胸が潰れるような思いをしてきた。

 最近、ある四十代後半の女性から、人生の記念写真を見せられ(プライバシーがあり詳しくは話せない)、波乱万丈だった人生を垣間見せられた。

 彼女の人生もまだまだこれからで、実際、看護とかの資格で復活しようとしているのであるが、まあ、若い時の絶頂期?の写真を見せられるとの連続である(これは、あなたですか?!)。

 飲食店経営で色んな大物(政治家とか)を接待していたり、有名人と写っている(パスがいるはず)。

 肉体的、外見的には衰えても、人生経験は蓄積され、酒のように発酵してしていくわけで、人間に独特な味が出ているに違いない。

 暗がりの中、life(Ms.ooja)を聴きながら、美人な写真集を捲って行くうちに、LIFEについて、いろいろ想像させられた。

 かなり化け(忍び寄りの術か?)、男たちを翻弄しようとしていたのであろうが、

 実際は無限、大宇宙の下で、翻弄されていただけなのかもしれない。

 岡目八目で、自分の人生が、なんとなく見えてきたりするのである。

寝る前に強く意図したら再び…

2012-04-17 07:15:10 | カスタネダ『呪術の実践』 !
  朝方(四時半頃一度起きた)、マジカルパスをして、夢見を強く意図して眠ると、体外離脱をしたようなリアルな夢を見た(ゲートウエイ・エクスペリエンスでいうと「私は肉体を超える存在である…」というアファメーションのこと)。

 例のごとく、つま先から全身が震え、エネルギー体となった自分は、にょきりと重たいから肉体の殻から垂直に立ち上がる。

「おお、久々の感覚だ!」と思いつつも、今回は寝る前に「全細胞を振り絞って」夢見を意図したためか、案外冷静であった。

 そういえば、カスタネダの本には「自分に対して無関心になるほどの平静さ(だっけ?)」が必要だとあった。

 それほど「平静」ではなかったので、眠っている最中に、何度も場面が変わったような気がするし、夢の中で自分がそれを欲していたような気がする。

 車を運転しているようなシーンもあり、「運転中でも体外離脱ができる」と何かが語った。

 ふつう事故死するだろうと思うが、夢の中で運転している最中に、体外離脱する(夢の中で夢を見る)なら、ありえるか。

 今回は夢見の前に強く+(意図)すれば、光景が鮮明になり、意識して行動できるということがわかった。

 それでも起きて時間が経てば、夢の記憶が廃れていってしまうのだわい(集合点が元の位置に戻ったのか)
 

荷物がない方が旅はしやすい

2012-04-16 06:51:03 | 考えるインディオ
  昨日はえらい閲覧が多かったが、「人生は旅である」ということに、共感した人が多かったのかしれない。

 そういえば、昔『マイレージ、マイライフ』という映画を観たが(今でも心に残っている部分がある)、「バックパック一つで旅をする」(まさに今回はこれだった)ことの意味は、非常に大きいと思われる。

 今回は、紺屋地獄の温泉旅館で3連泊してしまったが、荷物が重くて移動が面倒だ、という心理がかなり働いていた。それでも最後は、衣類を圧縮し、ペットボトルや濡れたタオルなどを捨て、身軽にして、宿を後にしたわけである。

 あちこち行くために、コンパクトに、身軽に旅行をしようと、意識はしていたのだが、

 現地に着くと、少しずつ物は増えていき、身動きが取れなくなったわけである。

 何となく今、この場所で生活している状況と重なる部分があり、長く居れば居るほど、精神的にもそこに居続けるしかないように働くのだろう。

 ここ(尾道市)に引っ越して、あと3ヶ月で四年目になろうとしているが、荷物が重くて動けないのが現状なのかもしれんわい(どこに行っても同じだと分かってきたか)

人生という旅

2012-04-15 07:11:13 | 考えるインディオ
今、尾道のアパートにいる。また日々の生活を成り立たせるために、これまでのパターンが続く。

 温泉旅行も終わりに近づく頃、何げに現地の求人誌とかに目を通してみた。旅館・飲食店とかの募集が多い(時給700円未満とかも多い)が、やはり今の日本経済の現状を反映していると思った。

 九州、大分は魚も美味しく、温泉も満喫できるし、かなり住み心地がよさそうだ(カネさえあれば)。

 高速バスで広島に戻る直前、名残惜しく、別府タワーを眺める。



 逆に、広島方面へ旅行する客もいる。フェリーで2時間寝転がっていればいいので、大分↔広島はオススメである(ただ1日1往復)。



 フェリーから西日を眺め、人生というのもある種の旅なのではないかと思う。

 色々な所を、色々な形で体験し、色々な人に出会い、別れ、そして元いた場所(あの世)へ戻っていく。

 サイドバーを見るに、生きたままあの世を体験しようという、試みをしようとしているのかもしれない。目的さえわかれば、安心して、帰路を楽しめるというものか。

 そういえば、不思議な体験を幾つかした。「*米*米」な感じの模様が、朝方の眠りの中で見えた(「不思議な絵これね)。

 

別府の泥温泉、四日目。別府駅前より

2012-04-14 11:13:58 | インディオ号の足跡+旅・魚釣り
 頭の中でヒヨコ編集者がせかすのであるが、一銭にもならん温泉作家など続けられないので、戻らねばなるまい。

 朝食後、最後の泥温泉を満喫し、今、別府の駅前のネットカフェで報告書を作成しているところだ(あと一時間で高速バスが出る!)

 別府温泉保養ランドは、泥湯で有名な所で、テレビで宣伝した後は殺到すると番台が語っていた。サービスは良いとは言えず、たぶん、リピーターは別に当てにしていないようだ。恐ろしい殿様商売だが、本物の温泉とはこういうものか(?)

 最後に、旅館を記念撮影しておいたが、綺麗好きには耐えられないかも知れんわい(ひょっとして泥の温泉自体もそうかも)



 温泉の中は撮影できないので、周辺より。



 露天風呂はなかなかの絶景で、もくもくと湯煙が立っているのである。奥地にある泥湯(自律神経病治療?)がメインか。



 せっかく九州に来たのだが、今回は「旅館⇔別府駅周辺」でほとんど動いていない。九州を観光したいなら車は不可欠か。

 それにしても、地方の商店街は、メインから外れれば寂しいもので、もっと活性化される必要があるだろう。

  

 人口減少、少子高齢化、ネット通販やら経済不況に加え、

 大型施設に客足を奪われているのですね(近くに大型ショッピングセンター「ゆめタウン」がありました)。


別府、三日目…

2012-04-13 13:36:31 | インディオ号の足跡+旅・魚釣り
  泥の温泉に浸かりまくっているが(さっき朝も入った)、そんなに散財するわけにもいかず、他は大して観光していない。車でないと移動が難しく、現在、路線バスで別府駅前に来ている。そしてまた旅館に戻って、泥温泉に浸かって眠るというわけだ。

 昨日は、温泉から出ると、高級な蕎麦焼酎?!を飲みながら、いかれた創作活動をした(記念撮影。無名作家某旅館にて)

 

 何か建物が古くて、ちょっと部屋を変えてもらった。別の場所(昨日の反対側)から見ると、山桜とか高速道路、駐車場からこの温泉の人気状態などがよくわかる。

 

 そういえば、福山市から来たという70過ぎの年配の方と泥温泉の中で話し込んだ。出雲・山陰経由で車中泊しながら、鹿児島まで温泉の一人旅をしているようだ。テレビで情報を嗅ぎ付け、ココにやってきたようだ(我輩と一緒か)。

 混浴に異常に興味があるようで、女性専用の暖簾をくぐったり、女湯の方向ばかり見ている(かなりのエロ爺だ)。

 竹原市(広島)にある石風呂も混浴かのお

 はあ、そうですね(狭いサウナですから)

 女性は来るのかいのお(居れば行こう)

 まあ、同じ男性として気持ちは分からぬでもないが、性欲に振り回される年齢でもあるまいに(関係ないか?)


 さて、あまりにも温泉に浸かりすぎたせいか、手がしわしわになり、今、写すとこうなっている。

 

 このネットカフェに1時間以上もいることになり(延長、延長か)

 これから、ぶらぶらし、食事をし、再び旅館に戻って、泥温泉(蒸し風呂もある)に入り、蕎麦焼酎でも飲みながら、創作活動をするのだわい(さすがに最後の宿泊になりそうです)

 先生、原稿の締め切りはもうとうに過ぎていますが(え? 原稿料が出ないから、こんな生活は続けられない?)

 そのうち、温泉旅館に何ヶ月も逗留して小説を書いて暮らせるような身分になりたいものである(どこぞの編集者さま、よろしくお願いします)。

ただ今、別府を放浪中!

2012-04-12 12:12:23 | インディオ号の足跡+旅・魚釣り
 広島(尾道界隈)に棲息しているため、大分の別府までは結構距離があり、面倒なのでバスで行った。

 徳山(現周南市)からはフェリーで国東半島へ行く。到着前に(ちょうど外国人が首を出したわい)

 

 ひたすら高速バスに乗り、雨上がりの太陽が異様にまぶしかった。

 

 現地でちょこっと買い込んだ後、泥温泉付の宿に到着。18時過ぎに泥温泉に入る

  

 宿からの眺めを記念撮影。 

 

 翌朝、紺屋地獄にある保養ランドを眺めるに、桜が咲き乱れていた。

 

 そして今別府の実になネットカフェで現況報告しているのだわい(またここに来るかも)

 

エネルギーを回復させる旅に出る

2012-04-09 09:41:55 | インディオ号の足跡+旅・魚釣り
 昨日はよく眠った。今17.5℃で春を感じる。あと三ヶ月もすれば、泳げるだろう。

 最近体外離脱しないが、肉体のコンディションにもかなり左右されるのかもしれない。

 そこでちょっと休養をとり、別府の温泉へでも行こうと思う(往復1万¥でな高速バスがあるようで、ぶらり一人旅ならこっちかフェリーにも2時間)。
  
  別府温泉保養ランドは前にも行ったことがあるが、今回は鉱泥温泉にも入ってみたい。

 別府には三泊ぐらいする予定で(平日だから何処でも泊まれるか?)、

 そこでエネルギー状態が素晴らしくなれば、

 な神秘体験ができるかも知れんわい(宿でゲートウェイのipodか)

 ということは、しばらくなブログがないということですね(旅先でUPして下さい) 

髑髏のパズルを作りながら…

2012-04-09 06:55:30 | 映画や小説、テレビなど
 土曜日の夜中に、パズルに熱中した(何時間もかかった)

クリスタルパズル ブラック スカル 50128
ビバリー


 最初はあまりにも複雑で仕上がるとは思わなかったのだが、あるポイントに着目して、コツが掴めば、作業が楽しくなり、一気に出来上がった。創作活動の啓示のように思われて仕方がない。

 読者(作者も含む)の意識に大ショックを与えるような、物語の完成図がイメージされており、実際に、それを構成するピースやらほぼ揃っていて、、そのピースもガチャガチャやっているうちに、かなりブロック的に大きくなっている。

 小説はさて置き、このブログでさえ、ガチャガチャやっているうちに、ぼんやりとした?形が浮かび上がってきたような感じもする(未使用のピースが多すぎます)

 まさか☠なブログを創ろうとしているわけでもないが、傾向も何もなく、適当にキーボードを叩いているだけかもしれない。

 閲覧者は美味しい言葉を探そうとしているが、残念ながらこのブログはカオスである(完成品は化け物か?)。

 生き物はただ餌に群がるだけであり、今をただ噛み締めるのみである。

 

  このウサギは狩られるということは考えていないのだわい(何か現代人を彷彿させる大久野島のウサギです)