インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

技芸か、パワーか

2009-09-04 21:07:04 | 映画や小説、テレビなど
 昨日は閲覧数 : 350 PV 訪問者数 : 226 IPで、空前絶後の訪問者があった (過去最多の179人を大幅更新!)

 ヤノマミ NHKで14人?の訪問があり、ラビバトラもちらほら、中には「大麻 水講栽培 グロウ」でやって来られた方もいるようだ(ヤノマミの放送でもあったのか)

 別にメチャクチャ面白い記事を書いているわけでもないし、役に立つ記事を書いているわけでもない。個性的ではあるかもしれないが、大したことはないかもしれない。たまたまアクセスが集中しただけなのかもしれない。

 ここらでアクセスを維持するために、あっとの内容を書かねばならないが…、全くの準備不足だわい(どんどん逃げられます)

 最近、映画をみる代わりに読書をしているが、やはり良い本は「芸がある」と思う。実際に目の前にたくさんの読者がいることを想定して、いかに技術やら工夫やらオリジナリティを発揮するか…、が練られてある。プロなのである。

 考えてみれば、映画にしても、踊りにしても、サッカーにしても、観ている人は細かい所までみているのである。

 ど素人でも、あの踊りは「面白くないなあ」とか、あの映画は「つまらないなあ」と、直感で分かるわけで、技芸だけが先走っても、何かしら圧倒されない。パワーがないのかもしれない。

 Bachのパイプオルガンとかパッサカリアとかフーガとか技法があるのだろうが、テクニックだけではなくパワーも感じる。なぜだろうか?

 それはたぶん、「神に捧げられた音楽」だからだと思う。

  アフリカやアマゾンの奥地とか、技術的には?な踊りだが、神に捧げられているがために、下手だなと思いながらも惹き付けられる何かがあるのだと思う。

 それで東南アジアとかの踊りを観ると、洗練された手の動きとか、技芸と共に宗教的なパワーもあるわけで、プロの領域を超えている(神の領域?)。

 小説とかもそういうものがあればいいのだが…、

  聖書やコーランがそうかも知れません(愛読者が億単位です)