インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

『見知らぬ心臓』 事実は小説より奇なり

2015-03-22 18:00:52 | 映画や小説、テレビなど
 この前と同じで「ポン酢」を入れる予定の煮物を作っている間、雅太はブログを書くことにした。実家に戻ってタイヤ交換やら森林浴やら、さらにアパートに戻る途中で買い物やら支払やら済ませ、慌ただしく、一日が終わらんとする中、印象に残ったことが幾つかある。

 森林浴では、まだ若葉が生えていないので、枯れ枝の隙間から太陽を筒抜けにしていた。しばらくエネルギーを浴びていた。突如、見知らぬ老人が茂みから姿を現した。近所の人だろう、散歩なのか山を歩き回っていたようで、雅太を見て驚き、「あんた誰じゃ?」と質問攻めにしてくる。「ここは自分の家の裏庭、あんたこそ誰だ?」と思いつつも、笑ってごまかす。田舎の老人は、人間の多さを忘れ、孤立しているせいか、自己中心的なように思われる。親父に聞くと、放っておけと、構うことがなく、老人同士の間でも自意識の争いがあるのかもしれぬ。

 さて、雅太が読了した本がこれだ。

 
見知らぬ心臓
シャルロット・ヴァランドレイ
マガジンハウス


 鍋が煮えた。やはりラーメンのスープより味ポンが美味い。だから味ポンは絶え間なく売れるのだ。
 ちなみにこの本もフランスで35万部売れたらしい。これはノンフィクションであるが、これまで読んだミステリー小説よりも、不思議であり、感動的だった。やはり自分自身の体験というのは説得力があるがゆえに、最強である。

「16歳でベルリン映画祭女優賞受賞。17歳でHIVに感染、34歳で心臓移植……」、病気に負けんとするための薬漬けで、心臓に負担がかかり、移植してさらに戦いながら、まるでラブストーリーとミステリー小説の中に自らを置き、さらに女優業や自伝を書きながら世界に働きかけ、それがフィードバックしていくという、「著者は一体これからどうなるのか?」、という自伝である。

 これは確実に「映画化される」であろう。これほどまでに人の心を打つ物語は、なかなかお目にかからない。
 それにしても、この本で著者を誘導した最高の占い師「ピエール」というのは、雅太もちょっと会って、観てもらいたいと思う。
 パリの西郊外に住んでいるという。もちろん予約いっぱいだし、この本のおかげで、特別なコネでもないと観てもらえぬだろう。

 と、そこまで書いた時、「呪術師を目指している輩が、フランスの占い師に頼ってどうする!」という声が、どこからともなく聞こえてくるのであった。

超ショート小説の書き方

2015-02-12 19:15:43 | 映画や小説、テレビなど
  
  雅太は本日、面白い本を発見した。広島県の福山が出身らしく、小説作法にも関心のある雅太は面白いと購入したわけである。

テンプレート式 超ショート小説の書き方
高橋フミアキ
総合科学出版


 まさにテンプレートに当てはめれば、勝手に小説が仕上がるわけである。これは恐ろしい本で、例えば、「願望のテンプレート」があり、私はどうしても⚪️⚪️したいと思った。確かに障害がある。一つ目は⚪️⚪️だ。二つ目は⚪️⚪️。三つ目は⚪️⚪️。しかし、私は決して、決して諦めない。やるだけのことはやってみよう。⚪️⚪️。結果はこうだ。⚪️⚪️。

 実際に書いてみると、

  雅太はどうしても古代メキシコの呪術をマスターしたいと思った。確かに障害がある。一つ目は師匠であるナワールがいないことだ。二つ目は仕事に行かなければならないこと、三つ目は日本語であれ、英語であれ、本だけでは理解できないことがある。しかし雅太は決して、決して諦めない。やるだけのことはやってみよう。雅太は職場を、一種の修行場とみなし、「小暴君」がいたらラッキーだと考えることにした。雅太は英語力に磨きをかけ、出来るだけ原書で読もうと努めることにした。「魔女の夢」やルハン・マトゥスの第三の目の何たらの本も翻訳し、カスタネダ以外にもいろんな呪術師のやり方を取り込みたい。自分なりに工夫して実践してみた。結果はこうだ。雅太は65歳になった今(2038年)、夢見で分身を自由自在に操れるようになった。直感が鋭くなり、前兆を読み取れるようになった。雅太の人生は老人になってから面白くなってきたのである。さらに、雅太は意識を保ったまま死ぬことができる、非有機的存在となるチャンスに恵まれたのだった。

  ・・・という願望(あらすじ)になるのだが、、現実はいかに。

 他にも「対立のテンプレート」があり、Aさんの意見はこうだ。⚪️⚪️。Bさんの意見はこうだ。⚪️⚪️。そのとき、こんなことがあった。⚪️⚪️。

 実際に書いてみると、

  (雅太がなぜ生きているのか悩んでいた時)

  古代メキシコのシャーマンの意見はこうだ。世界は雅太の中にだけあるのだ。雅太自身の意識しかないのだと。つまり、雅太が死んだら、この世界は消える。雅太が意識しているから、この世界が存在するのだと。

  一方、現代文明人の意見はこうだ。世界は雅太を含め、多くの生き物、物質で成り立っており、雅太が死んでも存続する。つまり客観的なモノの世界があるのだと。

  そんな時、こんなことがあった。雅太は「breaking bad」なるアメリカのTVドラマにはまった。エミー賞を獲得した作品は、「ドン・ファンシリーズ」とは経済的効果では比較にならない。ドラマの中は、現代の切実な内容が盛り込まれ、タガが外れた主人公は、カスタネダ本の何かを具体的に感じさせるぐらいだった。

 だが、映画はウケを狙って作り過ぎられていた。カスタネダの本でさえ、フィクションは混じっているかもしれぬが、ウケなど関係なく、著者自身が驚き、感動した体験を語ってくれていた。それを感じた時期、カスタネダ自身の状況など、自分のことを話してくれていた。

 雅太は映画に心を打たれはしたが、より一層カスタネダの方に惹かれた。小説や映画の評価は個々によって違うのだろう。人それぞれが独自の道を歩んでいるかのように。



 

breaking bad

2015-01-30 21:29:39 | 映画や小説、テレビなど
 この二週間、雅太は深夜まで映画を見続けていた。タイトルは「ブレイキング バッド」。そもそもの発端が、雅太の英語学習から始まった。昔の学習参考書など「反復」を兼ねておさらいしていたが、「生きた英語」とは言い難い。本来ならば渡米し、肌で感じるのが一番なのであろうが、そんな余裕はなく、「字幕で英語を見よう!」が脳裏をよぎったのだ。雅太はかなりの間、レンタルショップへ行っていなかった。そのせいか、見慣れぬ面白そうなのが多かった。その中で、とりわけ雅太の興味を引いたのが、「高校教師が癌になって、麻薬作りに走り、、」という筋書きのアメリカテレビドラマである。

 直感で面白そうだ。雅太はとりあえず、一話だけでも見てみることにした。面白すぎ、蟻地獄に転がり落ちた。麻薬作りがテーマの作品であるが、このテレビドラマ自体が、とんでもない麻薬だったのだ。

 観客を蛇の生殺し状態にして、一話一話を完結していくという、悪魔がこしらえたとしか思われない代物である。それは「プリズンブレイク」を超えており、それはあまりにも切実で、普通にあるような、リアルな世界が舞台だからであろう。普通の人間が抱えている問題、究極の選択を、ドラマで表現しているのである。

 主人公50歳、ウォルター・ホワイトは、ガン宣告をされたわけであるが、妻はまだ妊娠中だし、障害の息子もいて、「金を残さずには死ぬに死ねない」。本当は能力がずば抜けているのに、「才能を眠らせたまま終わろうとしている」。呪術師の観点からすれば、「死」の、忍び寄り効果で、主人公は大胆な行動に走りはじめた。「I am awake」

 かつての教え子の不良ジェシーと、キャンピングカーで科学製品(麻薬)を作り始めるのであった。そして類は友を呼ぶ、引き寄せの法則で、ぞろぞろと悪い奴らが、主人公の目の前に現れてくるわけである。

 雅太は聞き取れる範囲で解釈し、字幕を追った。「OUT!」という表現だけで、「ちょっと出かけてくる」とかいろんな意味を表しているのがわかった。主人公は最後、I was in alive(生きている実感があった)と燃え尽きて、後悔などしていなかったようだ。ラストまで観たら、考えさせられる人は多いのではなかろうか。主人公の最後の2年は、食うか食われるかの世界で、神懸かり状態だったとも言え、そういう時期を体験できただけでも幸せだったかもしれない。

 善悪を超えて、なんと素晴らしいモデルだ、ただ細く長く生きて何になるのだ、と雅太は思いつつも、やはり最後まで生に執着するのだろうな、と考えたりする。

 大半の人は、映画の主人公のように、いつかは自分の能力を開花させてやろうと思いつつ、自然とタイムアウトになってしまうのであろう。まさに雅太もその一人で、来年こそは、来年こそはと思いつつ、今の状態から脱出できていないでいる。多少は変化はあるのだが。

 それにしても、人間社会は麻薬作りをみんなしているのではないかと、雅太は思ったりする。なにせ、お菓子とかラーメン、ビール、タバコ、さらには映画やら音楽、小説に至るまで、「やめられない止まらない」状態に人間をはめよう、と会社組織は奮闘しているからである。

 ということは、精神世界も、坊主やら、古代の呪術世界も、そうなのではないか、と思ったりした。

 ということは・・・・ (幕は切れるのであった)

 

『風のマジム』、ラム酒

2014-11-20 19:55:32 | 映画や小説、テレビなど
 雅太は、会社で事件を起こしたわけであるが、何とか収束したようにみえる。今のところ、何事も変わっていないが、来週あたり、何か起きそうである。全く会社、職場というものは色んな人間がいて、役職が分かれたり、馬が合う合わないがあったりして、ギスギスしているのだが、やはり、これもヤスリで擦られるような感じで、これが人生の修行なのだと思う。職場とは、人生の修行場なのだ。その結果、個人的な力がついたり、衝撃的な出来事が起こったりする。全く面白い。

 さて、昼休憩に読書をしていたのが『風のマジム』という、南大東島で、ラム酒のベンチャーを立ち上げる女性の物語である。これはどうやら実話のようで雅太がネットで調べると実際にそんなサイトがあった。グレイスラム サトウキビ畑が風に揺れる大平原が彷彿される文章。純国産の美味いラム酒を作らんとする志。おばあ、頭の切れる上司、沖縄的な人情味ある仲間、純文学的で面白い小説だった。

 主人公マジムは、「ラム酒」を社内ベンチャーに応募して、通ったのであるが(その辺はかなりリアルである)、これもまた、人生修行の場の結果であり、その人物の「個人的な力」のなせる技なのであろう。夢をおびき寄せた、彼女はある意味、呪術師かもしれず、拍手を送りたいものだ。

 小説を読んだため、雅太は「COR COR AGRICOLE (アグリコール)」なるものを注文したい衝動に襲われた。ただ720mlで四千円を越えるようだ。

 本を味わい、酒で味わう。

風のマジム 講談社文庫
原田マハ
講談社


 それはカスタネダとかの本も同じかもしれぬ。
 本で味わい、現実で味わう。
 
 世界が神秘的で、底知れぬものであるということ、目の前に現れているのは、すべて意志が、お前に見せているものだということ。それは動物だったり、前兆だったり、死だったり。雅太は、カスタネダの作品の中で一番味わい深いのが『力の話(未知の次元)』なのではないのか、と思うのであった。

『ポリティコン』読破、理想郷は『呪術師の村』か?!

2014-10-12 16:08:26 | 映画や小説、テレビなど
  雅太は、読書の秋ということで、桐野夏生『ポリティコン』を読み耽った。テーマが「農村に理想郷を作る」というわけで、実に興味をそそられた。殺伐とした都会生活から逃げ出したいからといっても、理想郷の現実はシビアで、「年齢が45歳以上の人は生産費と経費が合わないから断っている」。だが、主人公のトイチは、女絡みで許してしまうわけであった。ドロドロした愛憎小説が、展開する中、「養鶏」を中心とした細い村の経済が、大学へ行きたいマヤのカネを捻出するため、拡大戦略に走るのであった。一方で、高齢化した村人も言いたいことを言いまくり、村は割れるのであった…。

 外国人嫁、食品偽装、マヤの乱れた環境、何でもありなストーリーが、型にはまった雅太には面白かった。雅太の高校時代など、バブルの絶頂で、「苦労」が欠けていたのである。しかも田舎で、「世間知らず」に拍車がかかり、今はそのツケを倍返しで払っていることになるのであろうか。いや、田舎、日本全体が、そのツケを払わされているのかも知れない、雅太は大きく息を吸いながら、「高齢化問題」「失業問題」「農業問題」などを考える。

 小説は有機やら無堆肥農業に言及しているが、一筋縄ではない。一体カネにならない農業で、どうやって生計を立てるのか。必要であるのに成り立たないという矛盾。雅太の実家は個人農家であったが、概算金という買い取り価格があまりにも安いため、「直販できなければ、米なんて作るべきではない」と独自で販路を拡大させていた。それでも「独立」にはほど遠い。今朝も30kの米袋を12ばかり提げたせいか、腰に鋭い痛みが走る。

 要するに小説のいわんとしていることは、「理想郷など作れるわけがない」ということなのだろう。創設者の志は、現実の前に空回りするのである。

 一方で、雅太の読む『呪術師の飛翔』はあと50ページを残すこととなったが、内容がリアルで濃すぎた。主人公タイシャが、「呪術師の家」に入り、クララ、マンフレッド、エイブラー(ドン・ファンか?!)、ネリダという個性的な呪術師に出会い、さらに家の管理人であるエミリート老人にも出会い、それぞれが師となり、呪術師への門をくぐって行く。夢見の世界、ダブル、霊体の開発を、マジカルパスやら水晶の利用で、促進して行く。特に「意図」を叫ぶことによって。ここで、「意図! 意図!」かのシルビオ・マヌエルが『沈黙の力』で「意志だ! 意志だ!」と狂ったように叫んだ理由が分かった。意志をおびき寄せる意図こそが、ダブルを動かすアクセルであるということを。雅太は、理想郷というのは、肉体の世界には無いのではないかと考えたりする。

 幽体の世界こそが理想郷であり、それを生み出す呪術師な村こそが、理想郷ということになるのだろうか。「仏門に入ったらどうですか」という第三者のささやきが聞こえたりするのであった。

 
ポリティコン 上
桐野夏生
文藝春秋
ポリティコン 下
桐野夏生
文藝春秋
 

懐かしの映画

2014-06-29 09:27:11 | 映画や小説、テレビなど
  人生の折り返し点を曲がった雅太は、人生の時間が尽きていることをしみじみと感じ始めた。日々の労働、それは試練と修行の入り交じった中で行われるのだが、それで大半のエネルギーは食い尽くされ、残された時間で、自由に何かを活動する。

 独身であるが故に、料理をしたり、温泉へ行ったり、小説を読み、たまに映画を見たりする。新しい映画を借りるよりも、昔何かしら心に引っかかっているのを再度見直したりするも、とりわけ日記で書き残しているのは、再び心を打つ。

 今週の雅太は夢見を削って映画を深夜まで鑑賞した。『シッピング・ニュース』では、故郷やら先祖との因縁めいたものを考えさせられ、やはりその人は生まれ育った地域の、歴史的な力というものに左右させられるのか、と思ったりするのだった。

 また『この森で、天使はバスを降りた』では、ラストになると自然と涙がこぼれたりするのだった。双方とも、田舎が舞台となり、地域住民との確執、特に後者は「よそ者」として主人公が排除される構造が、映画では極端ではあるが、まざまざと思い浮かぶのである。

 ふと気がついたことは、高齢化の激しい田舎で、若者が舞台に多く登場しているような気もした。年金マネーが若者に回らないのが田舎の問題である。老人ホームやら地産地消の農産物、あとはゴルフ場やら農園などの観光ぐらいしか、雇用の場を見いだせない以上、田舎で育った若者は東京やら大阪などの大都市へ出て行かざるを得ないのである。

 二つの映画はともに、主人公が田舎で職を見つけ、それがドラマの設定となっているという特徴がある。孤島?の新聞記者、森林地帯のレストランのウエイトレス、は、よくよく考えてみると、無理があるのかもしれぬ。

 まあ、所詮、ドラマであると、雅太は久々のブログを終えるのだった。

あのタイトルの小説が完成。

2013-06-28 22:44:46 | 映画や小説、テレビなど
三月ごろから執筆していた物語は、本来、アルファポリスに出す予定だったが、止めた(とっくに昔に)。

 中止して、改稿に改稿、いや新しく付け加えて大調整し、別の新人賞に回すことにした。

 それがやっと完成し、今、推敲を重ねている所である。

 落選が決定したら、アルファポリスに飾られることになるかもしれないが、まあ、推敲すればどこかで日の目を見そうな気もする、今回の小説ではある。

 書いていてなかなかカスタネダを深めるのに役に立ち、自分自身はかなり満足している所である。

 それにしても、小説を書くというのは、肉体労働のハードな奴に匹敵するかもしれない(『ベストセラー小説の書き方』でもそうあったし)。

 もちろん、明日も書くことになるのだが……、受賞するかどうかは精霊の力しだいだわい(内容が内容だから弾かれたり)

 推敲しだいだと思いますよ(落選しても推敲し続けたり) 

そういえば、まだ書いていますよ。

2013-06-15 16:49:49 | 映画や小説、テレビなど
 午前中は雨が降っていたが、午後に少し晴れた。久々の雨、まさに恵みの雨だ(飢饉になるかとおもった)。

 今日は朝から、ずーっと小説を書いていた。もう、これは本能であり、ど頭の中を整理するためにも、書かざるを得ないのである。

 有機コーヒーを飲みながら、甘さ控えめ?チョコを齧りながら、小説を編集する。冷房をしていないので(健康に悪いので)、汗だくである。

 今から、温泉サウナにでも行ってこようかと思うが……、まだ小説モードから抜け切れていないのだわい(自分の世界ですね)

『マヤ終末予言「夢見」の密室』 ② 忍び寄りの術

2013-04-23 07:12:52 | 映画や小説、テレビなど
  昨日は普通の夢だった。分厚い文庫本(460ページあった)の続きを読破して少し寝るのが遅くなったからか。

  色んな本から引用して練り上げられたオカルトなミステリー小説であった。上手い建築物のような小説であるが、最後の部分で懐疑論者は「はりゃ? これが動機か?」という部分もあるが、はまる人ははまるであろう。後半の事件の展開、前半のマヤの世界観に。作者は中立的であるように装われている。

 p73

 晴れ渡る静謐な宇宙の中で、ただ中心にある眼だけが静かに覚醒しているような。
 その、静かな醒めた目を中心にして、その周りを静かに公転するような惑星になったような。


 
 これは作者が体感したであろう内容で、やはり資料から引用して登場人物に語らせるやり方より、こっちの方が読者の心に響く。

 確かに自分の考えていることを一方的にずらずら書いていると批評されてしまうので、カスタネダは『夢見の技法』でこう語っていた、とつなぎ合わせる手法の方が、客観的で批判されにくい部分はあるだろう。

 もっとも、そのカスタネダ自身が、「あの男は出鱈目ばかり書いていたのではないか」と疑われているのであるが。

 ただ、カスタネダの場合、自分が体感した内容のみを綴っているので、その分、心に響いてくるわけである。どこまでがフィクションで、どこまでが本物か分からないが、騙されるまま全部信じてみれば、まあ、凄いとしか言いようがない。

 『沈黙の力』p157より 

  …すると彼は、背中を叩くのはお前の注意をからめ取って疑いを取り除くためのトリックで、知覚そのものを操る本物の操作ではないのだ、と答えた。彼は自分の温和な性格に合わせて、それをただのトリックと呼んだ。そしてひどくまじめに、わしが素直な男で奇矯な振る舞いに及んだりしないのはお前にとって幸運だったな、さもなくばわしがお前の頭から疑念をすっかり取り除いて精霊に集合点を動かさせるまでに、ただのトリックどころではなく、いろいろおかしな儀式に耐えなくてはならなかったろう、といった。

  「魔法に捕まえてもらうために必要なのは、頭の中から疑いを消し去ることだ。疑いがなくなれば、どんなことでも可能になるんだ」

 要するに、

 カスタネダは、読者を精霊への道に導くために、ドン・ファン・シリーズにウソを利用し、トリックを仕掛けたのだわい(これぞ、忍び寄りの術です)

『マヤ終末予言「夢見」の密室』 ①

2013-04-20 18:45:32 | 映画や小説、テレビなど

 夕方、実家からアパートへ戻る途中、面白い本を発見したので、猛烈に読んでいる所だ。

マヤ終末予言「夢見」の密室 (祥伝社文庫)小森健太郎

 最近、小説など読んでいないのだが(書いてはいるが)、ペラペラめくってカスタネダとか古代マヤとか、マッチするキーワードがあり過ぎたので、買ってしまった。発見するのが遅すぎたかもしれない。

 カスタネダ・ファンには恐ろしい勢いで読める(今、270ページぐらい)。『呪術と夢見』『夢見の技法』『未知の次元』などを参考資料にしており、色即是空&空即是色=トナールからナワール&ナワールからトナールなど思考を、仏教などに絡めていたり、精神分析学とかも織り込んでいたり、まあ、うんちくの塊である(そこが売りか)。

 夢見の第一の門とか、第二の門とか、第三の門とかあるけれども、内容は曖昧にしてあるので、カスタネダ目的の読者には不満が残るところだ(能力高き主人公は、さっさとクリアしていく……)。

 まだ半分だが、結構面白く、作者は古今東西の哲学書や宗教書を読み漁っていると見た。ただ説明するのに限界があるようで、作者はこのやり取りで、説明を投げるのであった。
 

  「カスタネダの呪術師シリーズの本をお読みになるとよろしいわ」と横から卯月が口を挟んだ。…
  …「カスタネダ、ですね。今度読んでみます」(主人公)

 作者自体が、夢見の第三の門辺りをクリアしたのかどうか気になるところだが、体外離脱の話まではミックスされていないようだ。

 これを読んで、吾輩が書いたとしても、マニアしか買わないかと思ったりするのだわい(既に先生がいました)

 


記憶喪失な朝

2013-03-31 08:46:42 | 映画や小説、テレビなど
   冗談なしに、夢から覚めたら、今どこにいるのかわからなかった。5年近く、尾道に住んでいるのにである。

  色んなところに住んでいたからかもしれない。夢では大都会でマウンテンバイクに乗っていた。そういえば、車があった気がするのだが、どこに置いていたのだろうと、夢の中で(起きてからも)思いを巡らす。無料で放置できるわけもないのだが、駐車料金を払っている覚えもない。

  自転車ならどこでも置けるが、長期間放置するにはやはり難しくなってくるわけである。折り畳みの場合だと、屋内に置いていれば盗まれる心配もない。自転車ならガソリンは食わず経済的だが、坂道や長距離はしんどいわけで、夢の中で吾輩は無意識のうちに車を求めたのであろう(楽がしたい)

 普通の夢は日常生活の投影であり、車は毎日のように運転しているから、「所有している感覚」が強烈なのであろう。

 夢の中で自転車に乗っており、車があったはずだ、しかし駐車場はどこだ?と考えあぐねている理由は、たぶん、大都会では駐車場を借りるのもバカ高いからだろうと思う。裏を返せば、夢の中でお金がないという潜在意識が、強烈なのかもしれない。

 タダでおける場所などあるわけもなく、おかしいおかしいと目覚めてからも考えあぐねていると…

   そういえばアパートと一緒に駐車場も借りていたのだわい(月3,000円なら安いか)

   車を手放せば楽になりますよ(え? 仕事に行かれない?)

資料ばかり読んでいた一日。日本のはじまりの。

2013-03-30 19:30:53 | 映画や小説、テレビなど
  早く書かねばならないのだが、説得力がないことを書いていても仕方がない。やるからには徹底的にやりたいわけである。

  それにしても、今日は説得力を増強させるために、資料ばかり漁っていた。カスタネダではなく、古代日本の資料である。

  今回の小説は、日本人のロマンである「邪馬台国」が深く絡んでいる。既に結構書物に投資して?読んでいたのだが、インターネットでも検索すれば出るわ出るわ、いかに日本の始まりについて皆の関心があるかがよく分かった。

  読者はかなり知っているので、いい加減なことは書けないわけである。

  女性シャーマンの卑弥呼が、一体どんな呪術で統治していたのか、内容に関心があるが、所在地にも関心がある。

  地域の持つ力というのがあるので、二つは関係しているのかもしれない。

  どちらにしても、説得力があることを書かなければならないのだわい(面白いのは当然)
    

推敲にも時間がかかる…

2013-03-29 18:55:19 | 映画や小説、テレビなど
  小説とは、何となく彫刻など造形作品に似ているのではないか。ひたすら推敲しなければならないからである。

  このブログは書いたらすぐに送信をボタンを押すが、小説は書いてすぐ投稿というわけにはいかない。

  そんなことをした小説など読めたものではない。カンナで削り、彫って彫って、磨きまくるのである。

  それで提出しなければならないわけであり、ぼんやりした作品をUPしても、没になるのがオチである。

  最初の30枚にしても、磨けば磨くほど良くなっているのが自分でわかる。もちろん、今でも大まかにノミを打っているのだが(40枚目とか)、全体のバランスを考え、削っていくわけである。

  ということは、100枚(原稿用紙300枚)書くなら、200枚書いて削って100枚にするのが、ベストなのかもしれない。

  もっとも小説の場合は足したりできるわけで、芸術作品より、取り返しがつくわけである(筆勢が奪われるかもしれないが)。

  書き始めるより、当然、書き上げる方が難しい。

  知覚の限界に挑戦するわけだから、書けば書くほど、内容がレベルアップし、発展していかなければならない。

  一体どんな凄いもの書いているんだって思われるかもしれんわい(見たら逆の衝撃を受けたり)

  そろそろ冒頭部分を出してください(え? まだまだ推敲する?)
  

記憶に残る一冊を再び。

2013-03-24 11:48:43 | 映画や小説、テレビなど
   『コンセント』。10年くらい前に読んで、余韻が深かったのを覚えており、このブログでも言及した。

  昨日、bookoffで100円で買って、拾い読みした。沖縄のユタに通じる主人公の物語で、何かしらんが、説得力があった。

 読み方は色々であり、吾輩など読んでいると、福岡にいた頃が沸々と甦ってくる。

 オカルト系ではかなりの傑作、さすがベストセラーだ。

 主人公を掘り下げ、立体的に作っているから、リアリティがあるわけだ。しかも編集力が抜群だ、当然だが、最初から「ユタ」という文字は出てこない。

 いろいろ衝撃的なこと(兄の死)とか体験し、過去の人間を梯子し、最後にユタに到達し、覚醒するわけである。

 その意味では、この小説も、主人公の知覚の限界を探る物語である。

 ひるがえって、吾輩が執筆中の物語は、スタートラインからして、リアリティに問題があるかもしれん(あらすじで読み手が

 ただ、あっと驚き、面白ければいいのだわい(作風は変われません)

 締切が近づいてきましたね(え? 「JUGEM」から「小説になろう」blogにかえる?)

31枚目… 語りすぎないこと

2013-03-22 18:17:31 | 映画や小説、テレビなど
  物語を作ろうとすると、物凄く頭の活性化になる。熱中している、いつの間にか時間が無くなっている。

  好きでやっているのだから、もう、書き手の勝手である。ただ商品レベルにするには、推敲に推敲を重ねなければならないだろう。

  自分が書いているのは「夢の体」がテーマの一つになっているわけだが、「会話」によってぐだぐだと説明するような、「情報提供型の小説」になってはいけない。

 大体、採用原稿レベルぐらいになると、既に作者は編集者の域に達していなければならず、「会話」を見れば、原稿が没になるかどうかすぐ分かる。

 登場人物にベラベラと「黒田くん、君が自由に夢の中で動けるための方法を教えよう」「え? そんなのがあるのですか」「それはね……」というような感じを濫用すると、何か「本物の会話」という感じがしない。不自然であり、現実味がないのである。

 カスタネダ用語を少し入れてみようかと思っていたが、慣れている読者でないと、物語は非常に読みにくくなってしまうし、かなり胡散臭くなる。「エネルギー体」「夢見の体」「第二の注意力」「夢見の注意力」「集合点の移動」…。馴染みがない概念を説明するがためにカスタネダは何冊も本を書いているわけで、たかだか短い小説にそれを入れてしまえば、読み手を制限するし、破たんしてしまう。

 つるかめ算を、小学生(一般読者)に中学生(カスタネダ愛読者)で学ぶ連立方程式を使って簡単に解けるからと、方程式で解説したところで、分かるものではない。どう考えても、慣れるのに時間がかかるのだ。

 「カスタネダより、カスタネダの内容が分かりやすい」ように書き、さらに「語るより、見せること」を優先して書かなければならない。

 しかも何より「面白く」なくてはならず、これが何より一番だ。

 …さて、アルファポリスのwebコンテンツを見るに、顔ぶれが変わっている。締切が近いからだろう。

  インディオ編集者は、どう判断するか(受賞者を当てれば一万円)

 ぱらぱら読んで、字の分がこなれていれば、次に会話を見る(最後に内容か。時間がかかるぞ)

 「吠える島」というのが最後まで読まれる雰囲気がする。他も漁ってみたが、ケータイ小説っぽいのが、閲覧者からすれば受けるのだろう。

 あんまり難しいことを書いたら、アウトになってしまうわい(盛り込みすぎていたり)

 時間が足りませんね(早くイーグルを完成させましょう)