インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

10月半ば、再び大三島に

2012-10-22 07:25:39 | 瀬戸内海の島
昨年の三月初めに大山祇神社に行ったが、それが人生の流れを変えるきっかけになったので、お礼参りに再び参拝に行った。



 鳥居の前にある店で食事を計画していたが、余りに人が多すぎ、入れなかったわい(人口3500人の島で唯一の現象か)

 


 神社の向こうではゆるキャラ・バリィさんが際立っていました(そのうちバリィ神社でもできるのでは)

 

 大三島の山奥にある「入日の滝」に行ってみる。



 島の反対側をまわって帰る途中、「ところミュージアム大三島」に寄ったが、とても印象深かったのでお勧めである(入場300円で、木造のキオスクなども見れて、コーヒーサービスまであった)。天気は素晴らしかった。

 

部屋の模様替え

2012-10-18 07:40:00 | 身の回り
  部屋のレイアウトを変えてみた。原稿を執筆する作家を想定した長机(座敷タイプ。昨年末に購入)があったのであるが、キーボードばかり叩き、あまりにも使わないため、テレビ台兼プリンター台と化してしまった。

 その分、部屋が広くなり、有効スペースにコタツでもおこうと考えている。昨年は寒すぎたので、今年の対策は万全なものとしたい。

 ストレッチ(マジカルパス?)のスペースを確保したいが、ベッドとコタツでかなり埋まっているので、問題でもある。

 ある本にあったのだが、その部屋の主(主人公)の一日の動きの線(動線)によって、レイアウトを決めるべきだとある。

 確かにそうで、ベランダと洗濯機、台所と食卓(この二つは同じ通路だ)の間は何も置かないほうがよく、ということはストレッチスペースがそこに来るということか。

 パソコンはネットでよく検索したり、文章を書いたりするので、一番便利な場所が良く、一方、タンスとかは物干し(ベランダ)の近くにあったほうがいいのか。

 人間はいつも同じパターンで一日を過ごしているので、ちょっとした配慮で生活がガラッと変わったりするのかもしれない。

  

コスモスの秋なのだなぁ

2012-10-15 07:21:39 | 身の回り
 先週の木曜日、インディオ号ジュニアはとうとう6万キロを突破した(デジカメを車に置いているので記念撮影)。

 

 しょうもないものを写しますね(やはり備忘録ですか)

 3万キロちょいの中古をネットで買って、2年半経っていないし(かなり新しそうだった)、最長でも浜田辺りしか行っていない。

 やはり尾道と山奥の実家の往復が効いたのか? 

 最近、米袋(最高で210キロ)を積んだりして酷使しているから、ヤバイかもしれん。

 世羅のラベンダーの丘(独創的なホームページだ前置きが)ではコスモスが咲き乱れていた。

 

 コスモスもヒマワリに負けじと、天高くそびえているのには驚かされたのであった。

 





『チェルノブイリ・ハート』を観て。

2012-10-13 15:29:11 | 映画や小説、テレビなど
  たまたまツタヤで準新作100円だったので、『チェルノブイリ・ハート』なる映画を借りてみた。

  1986年の春、旧ソ連、キエフ近郊のチェルノブイリ原発事故についての、ドキュメンタリーであった。

  福島の原発事故があったがゆえに、真剣に観ていたのだが、障害の子供たちに衝撃を受けた。タイトルの『チェルノブイリ・ハート』とは、子供に多発する甲状腺がんと並ぶ、放射能の影響による心臓病のことであるようだ。

 生まれてしまって、成長した以上、苦しみながらも、頑張って生きている。心臓の右心室と左心室の間の穴を防ぐため、破格の値段の手術をするわけであるが、手術が成功し、涙をボロボロ流して感謝していた、ターニャの母親には、心を打たれた(もらい泣きした)。

 執刀医自身も、もらい泣きしているわけであるが、これが毎回のためであるため「ただ仕事をしていただけだと」淡々と語る。手術を受けられずに死んでいく子供たちも多いわけだ。

  目に見えない放射能の影響が、何十年経っても長いこと続くわけで、やっぱしただ事ではないのだな、と思わされた。

  現実問題、故郷を捨てられない、仕事は変われない、ということで、リスクを覚悟して危険地帯に住み続けるわけであるが、自分の子供がこういう病気に罹ってしまったら、「離れていればよかった」といことになるのか。

  セシウム137はカリウムと似ているので体内に蓄積されるとかあり、何か日本でもとんでもないことになるのではないかと予感させられる映画であった。最近では報道されなくなっているし、我々は状況を甘く見ているのかもしれない。
 

このブログもターニングポイントに入っているのだろう。

2012-10-11 06:43:49 | 考えるインディオ
  反復作業がなかなか進まない。「想起」といっても、今年初頭に大まかにやっていたのであるが、本格的に詳細に進めているのは最近になってからである。

 まだ「2012年2月16日ブログを大改造する!」ような地点にまでしか、ゴホゴホモグラは掘り進んでいない。

 そういえば、HTMLの高い本を買って、画像やらサイドバーをいじっていたなぁ、と懐かしんだりするのである(現在あるのはは自力で作ったのではない)。

 インターネットに過度に期待していた傾向が、あったのかもしれない。

 このブログの目的は、「創作者の表現の場」ということなのであろうが、物語のようにきちんとした連続性がないため、「備忘録」なのかもしれぬ。

 そして、何か創作の作品が出現した時には、下地というか、母体になるのだろう。

 現にある「作品?」は序章にしかすぎず、第一章は出来上がっているのであるが、まとめ上がらないのが現状ということか。

 第一章は「混沌」ということなのだわい(どこでどう出られなくなったのか)

 そこでモグラのように過去にさかのぼっているのですね(第二章は「反復」だったり)

 

久々に離脱したが…

2012-10-09 07:08:35 | 潜在意識の世界
  いつも通り、パソコンを立ち上げ、ブログを書きながら、朝食をとっている。中ぐらいのアジ二匹に納豆、キャベツ、カボチャでいったところだ。洗濯機は回っており、今から干すところ。

 さっき干した。窓を開けると青空にひんやりした空気が顔に当たった。

 再び咀嚼しながら、ぼーっと考えるに、昨夜、体外離脱をした(久々)。

 マジカルパスをした後、横になって「く」の字の状態で寝ていると、寝ている自分が分かり、全身に震えが走った。

 「ついにやった!」と思い、会いたい人をイメージし、そこへ飛んだのだ。

 最初は列車のように都会の夜を移動していった。見知らぬ場所につき、ここはどこだ?と思って移動し続ける。
 
 途中で、ここはリアルな世界ではないことを思い出し、目的地をイメージし、相手の特徴を念じて、一挙に飛んだのであった。

 とても感動したが(かなり個人的な内容なので省略)、その夢の場面を長いこと「固定」できなかった。

 やがて相手は消えた。夢見の体もそこにはなくなり、リアルな肉体の感じが襲ってきた。

 胃がむかむかし、痛み始めた。意識が芽生え、起きたのである。

 実に不思議な体験であったが、この一瞬のために、得体の知れない本を読み漁っていたのだなぁと思ったりしたのであった。

ダリアと灯火が焼き付ける、10月上旬の記憶

2012-10-07 07:46:03 | 身の回り
  時は過ぎる。

  どんなに濃い一日も、一か月経てば、記憶は煙のように消えていく。

  世羅高原農場にて、チューリップ、ヒマワリときて、とうとうダリアも制覇した。 

  

  ダリアは個性的で、いろいろ変わった名前がある。みたものをとにかく載せよう。

  

  

  変わったものは覚えている。赤銅ダリア。本当に赤銅でつくられたような印象を受けた。

  

  これは「スパルタカス」。何か剣闘士のほとばしる鮮血をイメージさせられる。

  

  これは「プー」。吾輩もそろそろこうなるのかもしれん(おっさんは、かくも可憐でないか)

  

  昔の音楽バンドのような名前ですね(姉が好きでした)

  

  販売店には、世羅のコシヒカリ(精米済み)が売られていた。尾道界隈からはブランドとして扱われているようだ。

  

  吾輩の家でも、稲刈りが済み、朝さっそく米を知り合いに渡したわけであるが、10キロ玄米2500円では…(持ち運んで腰が痛いぞ)。

  格安出血サービスですね(山奥の山水で作って美味しいようです)
  
  そういえば、秋といえば収穫後の祭りであり、子供の頃は神社で遊んだものだ。
とも人のまつり」に関心があるのであるが、尾道には「灯り祭り」というものがあり、そっちに行ってしまった(寺、寺、寺…)

  

  西國寺の灯りがひときわ目だったわい(写真に熱中したのは虚しいですね)

  


反復しています。

2012-10-05 07:45:29 | 考えるインディオ
 思い出しの掘り下げの作業がなかなか進まない。39年間生きてきたのに、まだ今年の3月下旬までで叙述は止まっている。

 モグラのように掘り下げてきたのであるが、かたい岩盤にぶち当たって、それを削るのに苦労しているようだ。

 「一体何でこんな発想になったのか?」

 たとえば、▽△○▼▲□○とか。小説のアイデアとか。

 「おお、おお、そういうことを考えていた時もあったな!」と、思考回路をつなげるのに時間がかかるのである。

 呪術の世界では「型にはめて考えるのから解き放たれなければならない」わけであるが、

 やり方がわからず、イメージがつかめないので、徹底的に?型にはめているという矛盾が生じている。

 当時には見えなかったものが、時間がたった今、見えているから、それが面白いのかもしれない。

 ただ不可解なことはいまだに多く、壊れない岩盤も多いのかも。

 反復の作業をして、人生の課題が浮き彫りになってくるのであった。

なかなか進まぬ「反復」の作業

2012-10-02 06:52:34 | 考えるインディオ
  寒くて毛布にくるまって寝ていた(21.6℃)。癒されるような夢に泣いていたが、朝食を食べながら今ブログを書いている所だ。

 窓を開けると、青空が広がり、小鳥が飛んでいた。電車が走っていた。線路沿いなので、たまに(大都会に比べれば)みかける。

 福岡市や大阪市に住んでいた頃をたまに思い出すが、思い出しの作業は、まだ今年の4月ぐらいで、まだまだ先は長い。

 それにしても、今年は色々あった。春に行った三泊四日の泥温泉の旅が、かすんで見えるくらいだ(もっとも大したことはなかったか)。昔やったことがある三泊四日の車中泊の旅の方が、鮮明に記憶に残っている。

 安楽に?生きるより、苦闘した方が思い出しやすいことか。

 裏を返せば、思い出しに苦労するような人生を歩んではいけないということだわい(日々、流されています)

とうとう10月になってしまった。

2012-10-01 08:46:01 | 身の回り
 実家では稲刈りが終わり、10月に入り、肌寒くなってきた(室内は25℃)。

 過去をword形式にし、windowsphoneに入れながら「反復」している。毎日つけている日誌(情報は一冊のノートにまとめよ的なアレ)で漏れていることは、このブログやら携帯のメールやらで、「ああ、そういえば!」と芋づる式に思い出したりする。

 それにしても、興味・関心が、あちこちに飛んでいる。まとまりに欠けているのは、このブログもそうで、寄り道だらけで何か進んでいないような気がする。「小説家になりたい」というより、「古代メキシコの呪術師になりたい」という感じか。

 とにかくブログの文章がだらだらグダグダ長くて読みにくい。パソコン上では短く感じても、スマートフォンではとてつもなく長く感じられる(まだ終わらないのか!)

 というわけで、今日はこれぐらいにしておくのだわい(反復を再開します)