ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

埼玉県川越市郊外の広大な田んぼの中に、オジロトウネンが来ていました

2017年09月07日 | 季節の移ろい
 埼玉県川越市久下戸や古谷本郷などには、広大な水田地帯が広がっています。

 川越市並木にあるJR川越線の南古谷駅から東側は、田んぼが一面に広がる農業地域になっています。昔の荒川水域の水田地帯の面影を残している地域です。

 その稲穂が頭を垂れて、稲が実っている田んぼです。小雨が降り始めたために、少しけぶっています。



 実っている稲穂が目立つ田んぼの中で、首を出しているダイサギです。



 田んぼの中の水が溜まっている休耕田には、オジロトウネンが来ていました。



 オジロトウネンはチドリ目シギ科オバシギ属の水鳥です。体長は13センチメートルから16センチメートル程度です。





 浅瀬の水辺の中を歩き回っています。





 オジロトウネンは数羽、来ているようです。



 田んぼの中を流れる水路には、アメリカザリガネがいました。



 稲穂が実った広大な水田地帯では稲刈りが進んでいます。


人気小説家の原田マハさんが書いた「リーチ先生」を読み終えました

2017年09月07日 | 
 人気小説家の原田マハさんが書いた「リーチ先生」を読み終えました。この小説は、日本で陶芸家として活躍したイギリス人陶芸家バーナード・リーチさんの自伝風小説です。ノンフィクション風なエピソードの積み重ねが面白い小説です。

 この小説は、2016年10月30日に集英社が発行しました。価格は本体が1800円プラス消費税です。ページ数は中身が464ページと少し分厚いです。



 この小説「リーチ先生」は、苦労して陶芸家になった沖亀之介という少年・青年の眼を通して、イギリス人陶芸家バーナド・リーチさんが日本で陶芸家として成長していく過程を描いています。

 横浜市の小さな大衆食堂で住み込むで働いていた沖亀之介という少年は、常連客の外国人を相手にするために、ある程度の英語を自然と身につけていました。その大衆食堂に青年の高村光太郎が訪れ、沖亀之介に高村家の書生にならないかと誘います。沖亀之介が描いたスケッチを見て、その才能に感心したからです。

 高村光太郎は横浜市から米国に向かう船で、米国に絵画を学びに行くところでした。

 その沖亀之介という少年対して、高村光太郎は、東京美術学校(現在の東京芸術大学)で彫刻を教えていた父の高村光雲への紹介状となるメモを渡します(別に、高村光太郎は父の高村光雲に手紙を送っています)。

 絵描きになりたいとの思いから、沖亀之介は高村光雲邸を訪ね、書生になんとか採用されます。

 その高村光雲邸に英国人青年のバーナド・リーチさんが訪ねてきます。友人の紹介を基に訪ねて来たバーナド・リーチさん(当時英国領だった香港生まれ)は日本で生活するために、当時珍しかったエッチングによる版画を教え始めます。

 ある程度、英語が話せる沖亀之介は、東京都内で生活を始めたバーナド・リーチさんの手伝いに転職します。

 バーナド・リーチさんはエッチングによる版画を、当時の日本に伝えるために、エッチング教室を開きます。ここに、当時(明治時代から大正時代に移るころ)、日本に西洋文化・美術の新しい波に影響を受けた白樺派の青年達がやってきます。

 学習院高等科出身の若い青年達(武者小路実篤さんなど)は「自然」「人間」を尊重する運動の中で、フランスの印象派などの新しい絵画(セザンヌやゴッホなど)を日本に伝えていきます。その白樺派の青年の一人である宮本憲吉青年などと友人になります。

 日本での芸術・美術を求めているうちに、バーナド・リーチさんと宮本憲吉さんは陶芸の魅力にひかれていきます。日本各地で発達している陶器の雑器のよさを感じていきます。

 日本に何の基盤・伝手もないバーナド・リーチさんは、沖亀之介青年と苦労して、陶芸窯を設け、陶芸家として出発します。

 何かを求めて、ひたすら努力する青年達の話です。当時、外国人がほとんどいなかった日本社会に英国人バーナド・リーチさんは明るく、楽しく立ち向かって行きます。

 実は、この小説の本当の主人公は沖亀之介さんなのですが、長くなったので、今回はここまです。資産もなく、学校で組織的に学んだことがない沖亀之介は陶芸家になるために楽しく苦労していきます。

 無名のバーナド・リーチさんは、富本憲吉さん、濱田庄司さん、河井寛次郎さんらを友人に得て、日本の陶芸の魅力を明らかにしていきます。後の民芸運動です。

 当時の素朴な日本社会の実情は、今からは信じられないものです。質素な生活感のある日本社会でした。