ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

日本経済新聞紙の解説「トップ決断にノー言えず」を拝読した話のまだ続きです

2013年05月31日 | 日記
 2013年5月26日に発行された日本経済新聞紙朝刊の掲載された「日曜に考える」の中の解説「トップ決断にノー言えず」を拝読した話のまだ続きです。

 解説「トップ決断にノー言えず」はシャープが5月14日に東京都内で開催した社長交代会見が行われた背景などを解説したものです。

 この社長交代会見では、6月25日に現在社長の奥田隆司さんが、取締役でない会長になり、現在、代表取締役副社長執行役員の高橋興三さんが社長に就任するとの発表でした。さらに、同時に会長(五代目社長)の片山幹雄さんが取締役を辞任し、フェロー(技術顧問)に就任します。

 Webサイトなどの情報によれば、会長の片山さんは「シャープ再建の計画構築にリーダシップをあまり発揮しない奥田社長に対して、私は会長職を辞するので、同時に奥田さんに社長退任を迫った」とのうわさが流れています。その深層は分かりません。

 逆にいえば、液晶パネル・液晶テレビ事業では国内国外に人脈を持たない、社長の奥田さんは、台湾の鴻海精密工業(ホンハイセイミツコウギョウ、Hon Hai Precision Industry)の出資話を持ち込んだ相談役(第四代社長)の町田勝彦さんに、その提携話の実務を任せたともうわさされています。鴻海精密工業がシャープの第三者割当増資を引き受ける計画が、現在、頓挫しています。

 その一方で、会長の片山さんは2012年12月に米クアルコムから出資を引き出し、2013年3月には韓国のサムソン電子からそれぞれ100億円程度の出資を引き出し、さまざまな企業と均衡を保つ事業提携戦略を繰り広げます、

 シャープは今後、主力取引銀行などからの1000億円規模の資本増強が不可欠とみられています。その主力の取引銀行からみると「奥田社長時代のシャープの経営は誰が仕切っているのか分からない」との批判が巻き起こっていたそうです(確証データはありませんが)。
 
 シャープの液晶パネル・液晶テレビ事業という主流からではなく、非主流派から社長を託された奥田さんは、当たり前ですが経営再建の司令塔役を果たすことが社長としての一番の責務だったと思います。

 社長の奥田さんは非主流派から選ばれたというハンデキャップがあったでしょうが、やはり社長が経営再建の司令塔役を果たさないと、巨額赤字を計上したシャープは企業として存続できません。社長が果たすべき任務を理解し実行できなかったのか、主流派の相談役、会長、他の取締役の中で、自分の仕事を果たす環境づくりができなかったことなどは大問題です。日本の大手企業の一番の課題は、企業経営に責任を持つ取締役の果たす役割です。

 6月25日に新社長に就任する高橋さんは再建の司令塔として権限が“表向き”一本化されたとみられています。

 ただしシャープは、主力銀行から取締役常務執行役の役目を果たす二人を経営陣に6月25日に受け入れます。主力銀行の管理企業にならないようにして、新社長の高橋さんが辣腕をふるうことが、シャープ再建の第一歩になりそうです。

 シャープは5月21日に新型の液晶テレビとして、フルHD(ハイビジョン)規格の4倍の解像度を持つ“4K”の新製品の「AQUOS UD1シリーズ」2機種(60型と70型)を発表しました。



 この4K規格の液晶テレビが、シャープの企業再建にどのように貢献するのか、興味は尽きません。

日本経済新聞紙に掲載された「トップ決断にノー言えず」を拝読した話の続きです

2013年05月30日 | 日記
 2013年5月26日に発行された日本経済新聞紙朝刊の掲載された「日曜に考える」の中の解説「トップ決断にノー言えず」を拝読した話の続きです。

 この解説「トップ決断にノー言えず」はシャープが5月14日に東京都内で開催した社長交代会見が行われた背景を解説したものです。

 現社長の奥田隆司さん(画像の向かって左側の方)は、シャープでは珍しく短命(1年3カ月)の社長となりました。 



 来月6月25日に新社長に就任予定の高橋興三さんは、画像の向かって右側の方です。

 解説「トップ決断にノー言えず」によれば、シャープは2012年に創業百年を迎えましたが、その百年間に社長を務めた方は6人しかいません。創業者の早川徳次さんが約59年間も社長を務めたことも一因ですが、二代目社長の“中興の祖”である佐伯旭さんも約16年間、社長を務めました、三代目社長(現特別顧問)の辻晴雄さんは約12年間、社長を務めます。辻さんが社長時代の1990年に液晶事業本部が発足します。

 そして、1998年に四代目社長に町田勝彦さんが就任し、2001年に液晶テレビ「AQUOS」を発売し、液晶テレビ・液晶パネル事業に事業資本を集中させ、急成長します。創業者から四代目社長までの4人が約95年間を務めました。しかも、二代目の佐伯さんと三代目の辻さん、四代目の町田さんは縁戚(えんせき)関係にあり、シャープは巨大な同族会社でした。この延々と続く巨大な同族会社であるシャープの社風として「社長などの経営陣にノーと言える風土ではなかった」と、現社員が証言しています。これが見出しになっています。

 1990年に発足した液晶事業本部を育てる研究開発を勢力的に進めた成果を受けて、四代目社長の町田さんは日本の他の電機メーカーに先だって、液晶テレビ事業にヒト・モノ・カネを集中投資し、液晶パネル・液晶テレビ事業を育てます。

 その象徴が三重県亀山市の亀山第一工場と第二工場でした。液晶パネル生産から液晶テレビ組み立てまでの一貫生産ラインを築き、亀山工場は“コンビナート”と呼ばれます。このコンビナートは、最近、非難の対象になっている垂直一貫体制です。生産した液晶テレビが国内市場で売れ続けている間は、高収益を産む態勢でした。

 この絶頂期の2007年に、五代目社長に片山幹雄さんが就任します。2008年に、五代目社長の片山さんと当時会長の町田さんが推進した総額4000億円の巨額を投入する堺工場(大阪府堺市)の大型液晶パネル工場は、ライバルである韓国のサムソン電子とグローバル市場で闘うための事業投資でした。この大型液晶パネル工場への巨額投資のハイリスクを見積もり、その巨額投資に待ったをかけることができる、他の役員や社員はいるはずもなく「ノーと言える雰囲気ではなかった」のです。

 この当時は、社長と会長以外の役員(取締役)や幹部社員には、シャープの主流の液晶事業部関係者が引き上げられ、「液晶事業関係者以外は傍流という雰囲気だった」そうです。

 そして、2008年9月に米国発のリーマンショックが日本を襲った結果、国内市場で液晶テレビが売れなくなります。この結果、堺工場の巨額投資を軽減するために、当時の片山社長はソニーから堺工場に1000億強の投資話を引き出し、投資額圧縮に努めます。しかし、当時のシャープはソニーに大型液晶パネルを約束した数を供給できず、ソニーの怒りを買い、ソニーは約100億円しか投資しなかったといわれています。この時に、シャープは約束した大型液晶パネル数を供給していれば、その後の展開が変わったのではないかといわれています。ソニーにとっても、現在と異なる状況になった可能性があります。

 また文章が長くなったので、明日に続きます。明日で最後です。

日本経済新聞紙に掲載された解説「トップ決断にノー言えず」を拝読しました

2013年05月29日 | 日記
 2013年5月26日に発行された日本経済新聞紙朝刊の中面に掲載された「日曜に考える」の中の解説「トップ決断にノー言えず」を拝読しました。

 この解説「トップ決断にノー言えず」のサブ見出しは「シャープ 赤字続き経営陣刷新」です。日経新聞のWebサイトでの見出しは、少し異なり、メインとサブの見出しを組み合わせています。



 メイン見出しは、解説を熟読しないと、意味がたぶん分かりません。サブ見出しは、即物的でシャープの内情を解説するものと伝わります。

 2013年5月14日に、シャープは東京都内で開催した社長交代会見で、新社長に代表取締役副社長執行役員の高橋興三さんが、現社長の奥田隆司さんに代わって、6月25日に就任すると発表しました。今回の解説「トップ決断にノー言えず」は、文章量は紙面の三分の一とコンパクトで、文章表現も冷静でかなり押さえた感じになっています。しかし、今回の異例の社長交代劇の背景を説明する中身になっていると感じました。

 今回のシャープの社長交代劇は、発表前に一部のマスコミが速報として報じました。しかし、シャープはその内容を否定するなど、なにか背後にきな臭い動きが感じられました。その後、経済週刊誌などが、今回のシャープの社長交代劇の深層を解説する報道記事を出し続けました。

 今回の日経新聞の解説「トップ決断にノー言えず」を読んで、日本の大企業の中には、企業ガバナンスと呼ばれる企業統治態勢ができていない企業があると感じました。その代表格がシャープです。同社は大幅赤字に陥った、ここ2年間、企業統治態勢がおかしかったといえます。

 2008年3月期には、シャープは同社にとって過去最高の1020億円の純利益を稼ぎ出します。1998年から社長を務めた町田勝彦さんが液晶テレビ「アクオス」に事業を集中させた成果です。2004年に、三重県亀山工場を稼働させます。当時、巨人だった松下電器産業(現 パナソニック)に比べて、“一・五流”と揶揄(やゆ)されたシャープの快進撃の始まりです。2006年には亀山第二工場を稼働させます。

 2007年にシャープの社長に就任した片山幹雄さんは、翌年2008年9月に米国発のリーマン・ショックの洗礼を受けたシャープの再建に着手します。実際には、その前に当時の世界最先端技術・設備を投入した、総工費4000億円強をつぎ込んだ建設途上の大型液晶パネル工場の堺工場(大阪府堺市)の投資額があまりにも巨額すぎることから、同工場を分社化し、ソニーから1000億円強の約34パーセントに相当する出資話をまとめます(この後日談は、後でご説明します)。
 
 こうした対策(主に、韓国のサムソン電子対策)を取りながら、2009年に大型液晶パネルを生産する堺工場が稼働すると、液晶パネルの在庫がたちまち積み上がります。このため、2009年に亀山第一工場の古い世代の液晶パネル生産設備を、中国企業に売却します。日本国内からは、技術流出になるとの批判が出ました。シャープの事業赤字の実態を知らない、外野からの批判でした。

 さらに、2011年には亀山工場を中・小型液晶パネル専用拠点に転換するなどの対応策に追われます。片山社長は台湾の鴻海精密工業(ホンハイセイミツコウギョウ、Hon Hai Precision Industry)との資本・業務提携を探り、2012年には、この動きを公表します。

 片山さんは、シャープの“プリンス”と呼ばれ、10年は社長を続けると就任当初はみられていました。しかし、2011年度に巨額赤字を出した責任をとって、2012年(平成24年)4月1日に社長の座を高橋さんに譲ります。2012年のシャープ再建の責任者として、社長の高橋さんが辣腕(らつわん)をふるうと誰もが考えました。しかし、そうではなかったと、日経新聞の解説「トップ決断にノー言えず」は押さえ気味に語ります。長くなったので、この続きは明日にします。

群馬県下仁田町郊外の山麓では、ジャーマンアイリスの花が目を引きます

2013年05月28日 | 旅行
 群馬県甘楽郡下仁田町郊外から富岡市郊外まで向かう際に、道路脇に植えられたジャーマンアイリスの豪華な花に目を奪われました。

 金洞山(標高1094メートル)などの妙義山系(表妙義系)の南側の山麓を通る峠の道は 下仁田町から富岡市に抜ける裏道です。この道沿いに点在する農家(大部分が農家だと思います)の家の前の庭や畑の片隅に、さまざまな園芸種が植えられ、元気に花を咲かせています。

 その中で、一番目を引くのがジャーマンアイリスの大きな花です。いろいろな種類・花の色がちょうど見ごろを迎えています。





 田畑などの片隅に植えられたジャーマンアイリスは美しい花を咲かせ、厳しい農作業の従事者をいくらか和らげているように感じます。





 下仁田町から富岡市に抜ける道沿いにある小さな棚田は、まだ田起こしなどが行われてなく、田植えはまだ先のようです。

 峠沿いの山麓の林では、野生のフジの花があちこちで咲いています。





 雑木林の木に巻き付いて咲くフジの花の近くでは、甘い薫りがします。フジの花の蜜を求めるハチやアブの羽音が聞こえるところもあります。

 下仁田町などの郊外の山麓では、多彩な園芸種の花々が初夏の訪れを伝えています。のどかな山里の自然を感じる風景です。

群馬県嬬恋村の浅間高原しゃくなげ園にシャクナゲの花を見に行きました

2013年05月27日 | 旅行
 群馬県吾妻郡嬬恋村の鎌原にある浅間高原しゃくなげ園は、5月中旬から6月上旬まで、シャクナゲの大群落の花を見る人で賑わいます。

 長野県軽井沢町から浅間山(標高2568メートル)の広大な裾野を、群馬県側の北軽井沢に向かって上ります。途中で、県道大笹・北軽井沢線を西に向かい、浅間山山麓の見渡す限りの広大なキャベツ畑の中を延々と走ります。

 浅間山南側の裾野にある嬬恋村の三ツ尾根山麓の広大なキャベツ畑から見上げた浅間山山麓です。



 キャベツ畑の中から山道に入って、しばらく進むと、標高約1600メートルにある浅間しゃくなげ園に到着します。

 この浅間しゃくなげ園には、アズマシャクナゲなどの日本のシャクナゲの木が約15万本植えられていて、嬬恋村のボランティアの方々が世話をして咲かせているそうです。

 今年は5月下旬で、駐車場より下側のシャクナゲは花期が終わっていました。駐車場より上側でも花期は過ぎている感じでした。山麓一面に咲くシャクナゲの花は残念ながら拝見できませんでした。

 山麓の上側で咲いているシャクナゲの花です。







 浅間高原しゃくなげ園を囲んでいる針葉樹林の日当たりのいいところに葉を出しているタラの芽の木(?)です。



 浅間高原しゃくなげ園からみえる浅間山山系南面の山頂部です。避難小屋がみえます。



 実は、浅間高原しゃくなげ園は、昨年もお伺いしたいと考えていましたが、同園のWebサイトを拝見したら、もう開花期が過ぎていると知って、今年に延ばした経緯があります。来年こそ、シャクナゲの花の全盛期に訪ねてみたいと考えています。

 なお、嬬恋村の三ツ尾根山麓のキャベツ畑には、浅間しゃくなげ園の開花期には案内板がそれぞれ要所に立っています。この案内板の標識がないと、そう簡単にはたどり着けないと思います。6月上旬過ぎには、この案内板は撤去されるとのことです。