ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

朝日新聞紙の「東芝の迷宮 パソコン事業 小さすぎた実力」を拝読しました

2016年04月30日 | 日記
 2016年4月29日に発行された朝日新聞紙の朝刊の経済面に掲載された連載「けいざい+ 東芝の迷宮・8 パソコン事業 小さすぎた実力」を拝読しました。

 連載8回目の解説は、東芝が不正な会計処理をした総計2249億円内の約4分の1を占めたパソコン事業の不正の実態解明です。今回引責辞任した歴代の3社長は東芝のパソコン事業の栄光の時代をいつまでも夢見ていたことが示されます。

 朝日新聞紙のWeb版である朝日新聞 DIGTALでは、見出し「東芝の迷宮・8 パソコン事業 小さすぎた実力」と報じています。



 この記事では、東芝がパソコン事業で行った不正会計のやり方を明らかにします。東芝は自社のノート型パソコン「dynabook」の製造を台湾のパソコン生産メーカーに委託しています(日本のパソコンメーカーは現在、人件費の安い台湾企業に製造を委託しています)。
 
 2001年3月に設立された東芝の子会社の台湾にある東芝国際調達台湾社は、同社が仕入れた部品を、委託先のパソコン生産メーカーに販売します。この時に、実際より高値で販売します。そして、製造委託したパソコン完成品を買取ります。部品を実際より高値で販売する“マスキング”という手法で、部品の売上げを高くみせています。

 実際には、パソコン完成品を買取るときに、その“高値分”を上乗せして買取っています。このやり方は「バイセル」という取引です。これによって、パソコン事業での利益かさ上げによる不正額は税引き前損益ベースで合計578億円に上りました。

 東芝は1985年にIBM PC互換ラップトップ・パソコン「T1100」を世界で初めて商品化し、現在のノート型パソコンという製品分野を創出します。東芝は、このノート型パソコンの開発によって、デスクトップ型ではない市場で優勢をとる戦略をとります。

 このノート型パソコンの開発する直前まで、日本市場ではワードプロセッサーという日本独自の製品で、東芝は「Rupo」を販売し、当時の富士通やNEC、パナソノック(当時は松下電工)とワードプロセッサー市場でし烈な販売競争をしていました。
 
 この日本語ワードプロセッサーという製品も東芝が初めて実用化しました(東芝の青梅工場に第一号が展示されています)。実用化では日本の他社に先駆けるとの自負を持ち、「T1100」を世界で初めて商品化します。実は、この「T1100」は米国国防省が一定数量をまとめ買いするという裏技によって、製品価格を抑えたとの伝説があります。

 製品価格が高く収益率が高かったノート型パソコンの事業で東芝は成功します。この時に貢献した西田厚聰さんはその事業実績から常務、上席常務、執行専務を経て、2005年に社長に就任します。しかし、この時の高収益には、「バイセル」という不正取引があったと推定されています。

 日本では、ノート型パソコン市場を築き、電気メーカー各社は事業収益を上げます。例えば、ソニーは一時、画像・音楽処理などに優れた「VAIO」というノート型パソコンで市場をリードします。
 
 ところが、2007年1月に米国のアップル社が「iPhone」というスマートフォンを発売すると、ユーザーの中にはノート型パソコンを使わない者が増えます。この結果、ノート型パソコン市場は潮目が変わり、急速に市場が縮小します。
 
 この結果、例えばソニーはノート型パソコンの「VAIO」事業を他社に譲ります。これに対して、東芝は昔の栄光に惑わされ、ノート型パソコン事業の再建を模索し続けます。こうしたことが、長年の会計不正処理の根底にあると推定しています。
 
 

朝日新聞紙の「東芝の迷宮 本社を救った虎の子の『独立国』」を拝読しました

2016年04月30日 | 日記
 2016年4月28日に発行された朝日新聞紙の朝刊の経済面に掲載された連載「けいざい+ 東芝の迷宮・7 本社を救った虎の子の『独立国』」を拝読しました。

 連載7回目の解説は、東芝の子会社東芝メディカルシステムという国内でも有力な医療機器メーカーを、キヤノンが今年3月17日に買収額6655億円で買収することで決着した話から始まります。

 連載記事の冒頭では、ある東芝役員が「東芝メディカルを売らなければ、東芝はつぶれていたかもしれない」とつぶやきます。

 朝日新聞紙のWeb版である朝日新聞 DIGTALでは、見出し「東芝の迷宮・7 本社を救った虎の子の『独立国』」と伝えています。



 これからの成長分野と考えられる医療機器事業は、東芝にとっても今後の高収益が期待される事業分野です。当たり前のことですが、将来の東芝を支える事業分野です。

 しかし、2016年4月27日発行の朝日新聞紙の経済面の見出し「東芝、2600億円減損 3月期WHののれん代」という記事が伝えるように、東芝の原子力事業子会社の米国ウェスティングハウス(WH)の買収時に生じた“のれん代”を2016年3月期決済で約2600億円減らすと発表しました。

 この減損を実施した理由については、2016年4月27日発行の朝日新聞紙朝刊の連載「けいざい+ 東芝の迷宮・6 進むと止まるも『のれん地獄』」で解説しています。ごく簡単にさわりを説明すると、2006年に東芝は米国ウェスティングハウスを約6000億円で買収します。この時に、将来の収益力を加味した企業の見えない価値の“のれん代”として、資産計上します。その額は、2016年3月時点で約3300億円でした。

 2011年3月の東京電力の福島原子力発電所“事故”以来、原子力発電所の新規受注が難しくなり、将来の収益予測は低下します。いろいろな思惑を経て、米国ウェスティングハウス“のれん代”を2016年3月期決済で約2600億円減らすと発表します。この結果、東芝の財務状況は深刻化します。

 今回、東芝が成長分野の医療機器事業を売却する話は、当初は想定していない話でした。東芝が持つ安定して事業利益を上げる子会社だったからです。しかし、2016年3月期決算が過去最悪の5000億円超の赤字になるとの見通しが出てきてからは、“虎の子”の東芝メディカルシステムを売却しないと、東芝の財務内容が悪化するとの背に腹は代えられない状況に陥ります。2016年前期末に約1兆円あった自己資本が、リストラなどの費用で約半分に目減りしたからです。
 
 当初は、東芝の役員は「5000億円で売れれば御の字」と読んでいました。しかし、医療機器事業という成長分野を自社に取り込みたいと考えた、富士フイルムとキヤノンの2社の買収合戦が過熱し、最終的にキヤノンが買収額6655億円ですべての株を買収します。キヤノンは複写機やカメラなどの既存事業の成功以降にで、実は新規事業として高収益を上げる事業を育てたことがなかったからです。
 
 東芝メディカルシステムのルーツは興味深いものです。英国の当時の大手レコード会社EMIは、音楽事業で大儲けたお金を、当時の最先端研究成果だったCT(コンピュータ断層撮影、Computed Tomography=CT)の製品化に投じます。この製品化・事業化に成功したEMIは、当時の音楽事業会社の東芝EMIを通して東芝に接触します。東芝はCTの輸入を始め、その内に子会社の東芝メディカルシステムは、X線CTなどの医用機器では世界的メーカーに成長します。
 
 EMIが儲けた事業収益を新進気鋭の成長分野に投資したことは、現在の日本企業の構造改革の手本としたい事例です。さらに、キヤノンが自社の事業群の構造改革に成功することを願うばかりです。
 
(追記)
東芝は東芝メディカルシステムを6655億円で売却し、その収益で存続危機を脱しますが、問題になっていた米国ウェスティングハウス“のれん代”を2016年3月期決済で約2600億円減らすことから、まだ単体の資本欠損800億円との経営危機があり、まだ本質的には解決していません。今後の財務改革が必須と考えられています。
 

福島県耶麻郡猪苗代町の深山にある達沢不動滝に行ってきました

2016年04月29日 | 旅行
 福島県耶麻郡猪苗代町達沢という山奥にある達沢不動滝に行ってきました。

 猪苗代町は、観光名所としてWebサイトにいくつかの滝を紹介しています。その紹介されている中で、今回は行くのが簡単そうな達沢不動滝(たつさわふどうたき)を選んで、行って来ました。

 実は、数年前に泊まったことがある宿舎の山奥にありました。温泉街を抜け、途中から未舗装になる山道を進むと、新緑の森の中を流れる清流に出ます。ここから山道を10分ほど歩くと、達沢不動滝があります。その滝の手前に、不動尊をまつる神社があります。



 神社に入ると、境内から大きな岩の上から、清流が白い“すだれ”のように落ちる滝が見えます。



 この黒い大きな岩は一枚岩のようです。その上部は少し斜めになっているようにみえます。





 白い“幅広のすだれ”のように落ちる水は落差約10メートルを落ちています。

 この滝の源流は、安達太良山系の船明神山に源をもつ不動川だそうです。

 中央の滝の西側には、優美な女滝が水量少なく落ちています。



 達沢不動滝から流れ出す清流は、ちょうど新緑の木々に囲まれています。
 
 その新緑の中で、ミソサザイが倒木の上で、大きな声で鳴いています。


 
 数10メートルごとに、ミソサザイのオスは縄張りを持っているようで、それぞれ大きな声で鳴いています。

 この達沢不動滝は、紅葉の時期には観光客が多く訪れる観光名所だそうです。

 達沢不動滝から温泉街に戻り、山岳道路を郡山市郊外に向けて山麓を下りると、里山の春に出会いました。



 のどかさを感じさせる風景です。 

(追記)
 今回ご紹介したミソサザイという小さな野鳥のクローズアップ画像は、弊ブログの2016年4月23日編をご覧いただければ、幸いです。

福島県耶麻郡猪苗代町の磐梯山山麓にある天鏡台では、サクラが満開でした

2016年04月29日 | 旅行
 福島県耶麻郡猪苗代町の磐梯山山麓に広がる昭和の森の中にある天鏡台では、サクラがまだ満開です。

 磐梯山(標高1816メートル)の山麓の標高720メートルから850mに広がる昭和の森の上部にある天鏡台(てんきょうだい)という見晴らし台から、猪苗代湖を眺めました。



 春霞によって、眼下に見える猪苗代湖は霞んで見えます。

 天鏡台周辺には、花の色から見てソメイヨシノ(染井吉野)と思われるサクラの並木が満開です。





 標高が高い分だけ、ここではまだソメイヨシノらしきサクラが満開です。地元の方々が花見の宴を開いています。

 ソメイヨシノに加えて、濃いピンク色の花を咲かせているサクラの並木もあります。



 天鏡台から少し下った桜並木の辺りから、磐梯山の山頂を望むことができました。



 このソメイヨシノの桜並木の辺りでも、地元の方が花見の宴を開いています。



 猪苗代町、磐梯町、北塩原村にまたがる磐梯山は、“会津磐梯山”(あいづばんだいさん)と呼ばれる故郷を代表する山です。

 磐梯山山麓に広がる昭和の森から東方向に進むと、観音寺川沿いにソメイヨシノの桜並木が続く花見の名所で出ました。ここには提灯が吊され、多くの花見客が花見の宴を開いていました。

 ここから北側に向かい、秋元湖に向かう道の分岐点近くにある秋元発電所周辺の名家(みょうけ)の桜並木を通過しました。

 猪苗代町にある代表的な桜並木はほぼ満開です。

 この途中の道沿いで、眺めた磐梯山です。



 磐梯山は二つの山頂を持つようで、先ほど、昭和の森から眺めた磐梯山の山頂部分と山容が違うように感じました。

仙台市青葉区霊屋下にある伊達政宗公のお墓である瑞鳳殿に行って来ました

2016年04月28日 | 旅行
 仙台市青葉区霊屋下にある仙台藩の初代の伊達政宗公のお墓である瑞鳳殿に行って来ました。

 仙台藩の基礎を築いた伊達政宗は、青葉山につながる小高い丘にある瑞鳳殿(ずいほうでん)という“お墓”に祀られています。

 広瀬川が大きく蛇行する所に、“霊屋下”(おたまやした)という地名の場所があります(瑞鳳殿という“お墓”をつくってから地名が変えられたようです)。ここから、かなりきつい坂を上ります。

 下側にある瑞鳳寺を過ぎると、かなり育ったスギ(杉)の大木が続く、うっそうとした森の中に入ります。瑞鳳殿近くの急な坂は、参拝者に試練を与えます。



 瑞鳳殿の入り口の涅槃門(ねはんもん)です。この門の名前はすごいです。この建物は青森のヒバ製だそうです。



 涅槃門を抜けて、さらに急な石の階段を少し上ると瑞鳳殿にでます。ちょうど、ヤエザクラ(八重桜)の花が満開です。





 瑞鳳殿です。寛永13年(1636年)に70歳で生涯を終えた伊達政宗の命により、翌年に瑞鳳殿が建てられ、祀られたそうです。



 この瑞鳳殿は、江戸初期の桃山文化を取り込んだ廟建築(びょうけんちく)で、豪華絢爛な色彩です。

 実物は、昭和20年(1945年)の空襲で焼失したのだそうです。現在の建物などは昭和54年(1979年)に再建されたものです。

 瑞鳳殿から少し離れたところに祀られている仙台藩二代目藩主の伊達忠宗(だてただむね)を祀る感仙殿(かんせんでん)です。





 この感仙殿の周囲も、大きく育った杉木立です。

 その隣には、仙台藩三代目藩主の伊達綱宗(だてつなむね)を祀る善応殿(ぜんのうでん)が立っています。

 仙台藩四代目藩主以降は、普通のお墓として祀られています。

 瑞鳳殿、感仙殿、善応殿の桃山様式の絢爛豪華な装飾は再建時に復元されたものです。

 元々は現在の米沢市から東北南部の宮城県周辺を平定した伊達家は、ここにルーツを示すお墓として、瑞鳳殿を築きます。

 当時の伊達家・仙台藩の繁栄を示す建物です。そして現在は、仙台市の重要な観光名所になっています。