ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

東京臨海新交通臨海線の車窓から、ベイエリアの夕暮れを楽しみました

2014年01月31日 | 日記
 今週は東京都港区の新橋駅から江東区の豊洲駅までを結ぶ、東京臨海新交通臨海線の愛称“ゆりかもめ”に何回か乗る機会がありました。

 株式会社ゆりかもめが運営する新交通システムの“ゆりかもめ”は、お台場などの東京臨海副都心地区を走っているために、ゆりかもめの車窓からは、東京タワーやレインボーブリッジ、東京スカイツリー、東京ゲートブリッジなど東京都のシンボルになっている“ランドマーク”の建物や建築物を望むことができます。

 東京湾沿いの高層ビルなどを対岸に見えることから、ベイエリアの都市部らしいの景観を楽しめます。

 ゆりかもめのターミナルの江東区の豊洲駅から芝浦ふ頭駅まで乗った時は、夕暮れ時でした。対岸の東京湾沿いの高層ビルなどの景観を楽しめます。



 西側に沈む夕日に照らされるビルなどです。





 たまたまビルの間から富士山のシルエットが望めました。



 東京臨海副都心地区から富士山までは約100キロメートル離れているそうです。

 大きな観覧車も残照に照らされています。



 パレットタウンに立つ、この大観覧車は、夜になると美しいイルミネーションが点灯します。

 お台場などの東京臨海副都心地区を走る新交通システムのゆりかもめは、東京ディズニーランドの乗り物に乗っているような気分にさせてくれます。

岩手県奥州市の回進堂がつくる「岩谷堂羊羹」をご相伴にあずかりました

2014年01月30日 | グルメ
 岩手県奥州市の江刺地区にある回進堂という和菓子店が販売する「岩谷堂羊羹」をいただきました。

 和菓子店の回進堂のWebサイトによると「300年の伝統を持ち、昔ながらの製法で作られる岩谷堂羊羹」と表記されています。さらに、「コシが強く深い味わいで、全国菓子博覧会銘菓菓子部門の内閣総理大臣賞をはじめ、多くの賞に輝いてきた銘菓」と伝えています。

 今回は岩手県の海岸沿いに、2011年3月11日に起こった東日本大震災・津波の被災地にお見舞いに行った方が、その岩手県の方からいただいた「岩谷堂羊羹」の“特小型の一口サイズ”の羊羹(ようかん)のお裾分けをいただいたものです。

 いただいたのは「ひとくち 純栗」です。





 調べてみると、回進堂の「岩谷堂羊羹」は「小倉」など10種類の羊羹をつくっています。伝統の“本竹皮包み羊羹”が一番のお奨め品のようです。

 実は、興味を持ったのは「岩谷堂」という名称でした。最初はお店の屋号だと思ったのですが、調べてみると、現在は奥州市江刺区の岩谷堂という地名でした。以前は岩手県の海岸と内陸を結ぶ、北上川舟運の重要な宿場町として栄えていた場所の地名でした。

 江戸時代には、伊達藩(仙台藩)最北の城下町として栄えた交通の要所だったそうです(伊達藩と南部藩の境の地です)。伊達藩の岩谷堂城主が唯一の甘味として保護・奨励を受けたことがきっかけとなり、「岩谷堂羊羹」が作られるようになったと記述されています。

 この当時は、地元で良質な小豆が栽培され、近くの海岸では良質な海草から寒天(かんてん)をつくっていたことから、羊羹づくりが始まったようです。寒天は江戸時代には、奥州市水沢区羽田町・黒石町などで盛んにつくられていたそうです。

 製造元の回進堂という和菓子屋は、江戸時代から続く伝統の「岩谷堂羊羹」づくりの技術を基に、約300年続く老舗です。現在は地元では別の和菓子店も伝統の「岩谷堂羊羹」という名称の羊羹を販売しています。このため、「岩谷堂羊羹」という名称は、岩谷堂の伝統の羊羹という意味でした。

 回進堂では現在、寒天は「岐阜県恵那地方で、昔ながらの工法で製造された極上物のみを使用しております」と説明されていました。

 また、砂糖は「沖縄県産の品質の良いものを、くどさは感じさせず、当社の羊羹に合う使い方を開発し使用しております」とのことです。時代に応じた進化をしているようです。

 岩谷堂という地名は、良質な家具のブランドにもなっているそうです。「岩谷堂」という地名を、ブランド化して、地元の名称にしていることを知りました。

 考えてみれば、埼玉県草加市の“草加せんべい”も江戸時代に日光街道の宿場町として栄え、当時の米所(こめどころ)を活かして名物に仕上げたものです。

 それぞれの和菓子には、由来があることを知りました。特に、鎖国で約300年間続いた江戸時代には、それぞれ各地で名物が産まれたようです。

日本経済新聞紙の「大学は変われるか コストの通信簿」を拝読しています

2014年01月29日 | 日記
 2014年1月27日発行の日本経済新聞紙の朝刊から一面のコラム「大学は変われるか コストの通信簿」シリーズが始まりました。

 1月28日発行分では、その第二回目の「教育改革のジレンマ かさむ出費、経営は綱渡り」を拝読しました。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版には見出し「(大学は変われるか)コストの通信簿(2)教育改革のジレンマ」として掲載されています。



 日本を代表する有力大学である名古屋大学は、文部科学省が平成22年度(2010年度)から進めている国際化拠点整備事業(通称は「グローバル30」)に選ばれた13大学の1校です。同整備事業が目指す「留学生などに魅力的な教育を提供し、留学生と切磋琢磨する環境の中で国際的に活躍できる人材養成を図るために、海外の学生が我が国に留学しやすい環境を提供すること」を図っています。

 名古屋大学はこのための費用として、5年間で約13億円を受け取り、環境整備に努めます。外国からの留学生93人が暮らす5階建て宿舎に約4億5000万円を費やし、さらに外国人教員19人の人件費に約2億円、英語文献の購入費用に約1億円と、億単位の費用が次々と発生し「出費は想像以上に膨らみ、費用は補助金の約2倍かかった」と担当の副学長が語ります。

 外国人留学生一人当たりに給付する奨学金50万円(1年度当たり)を捻出するために、創立70周年で集めた寄付金の運用益の大半をつぎ込んだと伝えています。

 子供の少子化が進む中で、日本国内で選ばれる大学になるには、名古屋大学のような有力校でも、教育内容を向上させる投資が不可欠になっているそうです。

 ある有力大学の方に、IT(情報通信)システムの更新費用だけでも、毎年かなりの金額になっていると伺ったことがあります。ITシステムの例えばサーバーなどの最新版の導入もかなりお金がかかる時代です。

 教育改革の投資費用は膨らむ一方なのに対して、大学の収入アップを図ることは現実的には難しいそうです。東京都内の中堅私立大学の理事は「教育改革に取り組まなければ、大学間の学生獲得競争に勝ち残れない。しかし、教育改革をすればするほど、財政面では厳しくなる」と本音を語ります。

 1月28日発行の朝刊一面に掲載された「コストの通信簿(1)」では、長野県松本市にある私立大学の松本大学学長の苦悩を伝えています。

 現在、松本市では、長野県が現県立短期大学を改組して4年制県立大学を新設する構想が進んでいると伝えています。この結果、もし県立大学が開校すれば、「学費が安い県立大学に進学する高校生が増え、私立大学の松本大学は経営難に陥る可能性が高い」と訴えます。

 長野県としては、地元の高校生が県立大学に進学すれば、若者が地元の企業に就職する機会が増え、地元の地域振興につながると読んでいます。

 日本私立大学協会の副会長は「私立大学の定員割れは教育内容が悪いからではない。授業料で国立・公立大学に太刀打ちできないからだ」と訴えています。

 日本では、グローバル人材養成のために大学改革を迫られています、その現場である各大学は、大学経営の安定を求めて苦悩しています。大学経営が安定しないと、そこで学ぶ学生は困ります。なかなか奥深い問題です。

埼玉県深谷市の荒川の白鳥飛来地で、人気の冬鳥のミコアイサに出会いました

2014年01月28日 | 季節の移ろい
 埼玉県深谷市の白鳥飛来地に行った話の続きです。荒川に飛来しているコハクチョウの群れの近くに、同様に数10羽のカモ類が飛来しています。

 この60羽から70羽程度いるカモ類の中に、ミコアイサが1羽来ていると教えていただき、探しました。コハクチョウの群れの近くばかりでなく、荒川の上流側にも下流側にも、10数羽ずつに分かれてカモ類の群れがいます。

 河岸の上から、丹念に探したところ、全身が白いミコアイサの雄を1羽見つけました。



 ミコアイサは、カモ目カモ科アイサ属の野鳥です。春から秋までは、ユーラシア大陸亜寒帯のタイガなどで繁殖し、冬になると南下して中国や日本などに越冬するために飛来するそうです。

 ミコアイサの雄は野鳥観察愛好家に人気の高いカモ類です。ミコアイサの“ミコ”は「巫女」を意味します。ミコアイサの雄は、繁殖期が近づくと、全身がほぼ白色の羽根姿に変身します。繁殖時に雌に存在を意識させ、番になるチャンスを増やすためと考えられています。非繁殖期のミコアイサの雄は、雌に似た灰色の地味な羽根だそうです。



 ミコアイサの1羽の雄まで、川岸から50メートルから60メートルぐらい離れているので、小さくしか見えません。

 ミコアイサの雄は、眼の周囲が黒く、顔が白いので、“パンダ”カモとも呼ばれています。

 午後3時を過ぎ、夕方に近づくと、カモ類たちは6、7羽から10羽程度の仲間と飛び立ち、場所を変えます(この理由は分かりません)。







 ミコアイサの雄1羽もいつの間にかいなくなっていました。

 荒川沿いに上流と下流を探し歩いて、元いた場所から100メートルほど上流の対岸付近にいるミコアイサの雄を見つけました。



 たくさんいるカモ類の中から、ミコアイサの雄、1羽を見つけるのは至難の業です。

埼玉県深谷市を流れる荒川河川敷の白鳥飛来地に、また立ち寄りました

2014年01月27日 | 季節の移ろい
 埼玉県深谷市から熊谷市にかけて流れる荒川の河川敷にある白鳥飛来地にまた行ってみました。熊谷市にある用事があり、いくらか時間があったので、コハクチョウの群れを見るために立ち寄りました。

 深谷市と熊谷市の市境近くにある深谷市川本の荒川河川敷は、白鳥飛来地として以前から有名です(河川敷きの入り口には「鹿島古墳群」という遺跡があります)。県道からの入り口には「白鳥飛来地」という大きな看板が立っています。

 数年前から鳥インフルエンザ対策として、飛来したコハクチョウやカモ類などにエサを与えることを止めたために、飛来したコハクチョウたちは、エサを求めて、本来の「白鳥飛来地」の河川敷きから周囲に分散し、荒川の上流や下流などの数カ所を移動するようになっています。

 今回、川本の荒川河川敷に行くと、白鳥観察のボランティアの方が「コハクチョウの群れは、今日はもう少し上流側にいる」と教えていただきました。

 その指示に従って、荒川上流の本田地区の河川敷きに行ってみると、コハクチョウが50羽から60羽程度いました。いくつかのグループに分かれています。







 よく晴れた風がほとんど無い天気だったために、コハクチョウたちはのんびりとしています。



 あまり波がない川面を、静かに上流側に行ったり、下流に行ったりしています。



 夕暮れが近づき、夕日が川面に当たり始めました。



 白鳥観察のボランティアの方に、コハクチョウがいる場所を教えてもらった白鳥観察者の方たちが、三々五々とやってきて、コハクチョウたちを観察していきます。のどかで平和な冬の風景です。