ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

日本経済新聞紙の「私の履歴書 横川竟 28 解任 500億円集め銀行団説得 再建かなわず」を拝読しました

2018年09月30日 | 日記
 2018年9月29日に発行された日本経済新聞紙の朝刊の最終面に載った「私の履歴書 横川竟 28 解任 500億円集め銀行団説得 再建かなわず 残った借金返済 」を拝読しました。

 日本経済新聞紙の9月の「私の履歴書」には、すかいらーく創業者の横川竟(きわむ)さんが執筆されています。

 9月29日の「私の履歴書 横川竟 28」は、2006年6月に業績不振に陥ったすかいらーくを再建するために、MBO(経営陣が参加する買収)による再生計画を進めていたら、そのMBOをするためのTOB(株式公開買い付け)の資金の総額1500億円の内の1000億円を出した野村プリンシパル・ファイナンスから、横川さんがすかいらーくの社長辞任を求められた話です。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版では、見出し「横川竟 28 解任 500億円集め銀行団説得 再建かなわず 残った借金返済」と伝えています。



 すかいらーくの生え抜きのメンバー5人で再生プランをつくります。横川さんによると「不採算事業や不良債権の整理、赤字店舗の閉鎖や業態転換などを行い、2年目まで赤字だが、3年目でトントン、4年目で黒字転換、5年目で再上場」のプランです。

 ところが、2007年3月にすかいらーくの2006年度の赤字決算を発表すると、筆頭株主の野村プリンシバル・ファイナンスが「赤字を何とかできないか」といってきます。「資金を出した株主や銀行団の不安を解消するためだ」そうです。

 この横川さんが執筆なさった「私の履歴書」の中身は、いつ、〇〇をしたという内容ばかりです。〇〇をしたことによる、出来事の因果関係の解説がほとんどありません。

 この時のすかいらーく経営陣による再建計画と、TOB資金を出した融資側(株主や銀行団)の再建計画の中身の比較ができません(これは、やはり秘密なのかもしれませんが・・)。

 野村プリンシバル・ファイナンスによる、短期間での赤字解消のためには、約500億円を集める必要があります。横川さんはサントリーなどから、その約500億円の出資の約束を取り付けます。

 しかし、野村プリンシバル・ファイナンスと銀行団の意見がかみ合わず(その中身は不明)、野村プリンシバル・ファイナンスは新経営陣を提案し、すかいらーくの組合も、この新経営陣を支持します。万事休すです。

 2008年8月12日に開催された株主総会で、横川さんは社長を解任されます。

 2018年9月30日に発行された日本経済新聞紙の朝刊の「私の履歴書 横川竟 29 再び『ひばり』のように カフェで居心地のい良さ提供 」を拝読しました。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版でも、見出し「横川竟 29 再び『ひばり』のように カフェで居心地のい良さ提供」と伝えています。



 横川さんは東京・お台場のパンケーキ店に入店して、そのパンケーキから「もっとおいしく、手ごろな価格でパンケーキを提供するカフェを作れば成功する」と考えます。

 その結果、2013年6月に「高倉町珈琲」の第一号を出店し、今年7月には20店目を出店し、この事業は成功しています。

 この「高倉町珈琲」カフェのコンセプトは「会社や家で嫌なことがあっても忘れられる居心地のいい場」だそうです。

 外食産業では、ある程度のいいコンセプトがあり、事業資金を集められると、まずは事業が始められます。このすかいらーく創業者の横川竟さんの話は、外食産業は時代の流れ(ユーザーの志向)をどう読み取るかが大事と伝えています。

 このすかいらーく創業者の横川竟さんの話で、すかいらーくグループの食材を集中して買い付ける子会社で、社員の不正があった話がありました。この時に、急成長する企業の社員教員がどうなっていたのかなどを知りたいと感じました。

 「私の履歴書」の中身は、いつ、〇〇をしたという行動内容の羅列ばかりです。〇〇をしたことによる、出来事の因果関係の分析などの解説がほとんどありません。社員教育の話をもっと知りたかったです。

長野県諏訪市にある霧ヶ峰高原では、マツムシソウの花がまだ咲いています

2018年09月30日 | 旅行
 長野県諏訪市四賀にある霧ヶ峰高原の霧の駅交差点辺りの草原は、ススキで覆われています。秋らしい風景になっています。

 霧ヶ峰高原の霧の駅交差点は、山岳道路のビーナスラインが東側の茅野市方向から西側の諏訪市市街地に向かう道と、北側の上田市武石の美ヶ原高原に向かう道との交差点です。

 霧ヶ峰高原の霧の駅交差点の東側は、車山(標高1925メートル)まで続く、なだらかな草原の山麓になっています。登山道もあります。



 この日は少し曇った天気で、時々、風が強く吹く天気でした。



 この辺りは、ススキに覆われた草原になっています。



 そのススキ原の中にある草原では、ヨメナの花が咲いています。



 そのヨメナの花には、アブが来ています。



 草原の中を探すと、マツムシソウの花がいくらか咲いていました。

 そのマツムシソウの花に、ヒョウモンチョウが蜜を吸いに来ています。このヒョウモンチョウは、ギンボシヒョウモンではないかと推定しています。



 タムラソウの花にも、ギンボシヒョウモンが蜜を吸いに来ています。





 このギンボシヒョウモンは、花の蜜をすっと吸い続けています。





 さらに、草原の中を探すと、リンドウの花を見つけました。



 この日は、風があったためか、野鳥の姿はほとんど見つけられませんでした。鳴き声は少し聞えました。

 霧ヶ峰高原では、これから秋の季節の進みが加速していきます。

長野県佐久市甲甲あたりの広大な水田地帯の稲刈りした部分に、ダイサギなどが来ています

2018年09月29日 | 旅行
 長野県佐久市甲甲あたりの広大な水田地帯では、稲刈りが半分以上進んでいます。その北北東方向の奧には、浅間山がそびえています。

 佐久市などを含む佐久平は、薄曇りの天気で、浅間山(標高2568メートル)の山頂部には、雲・霧がずっとかかっています。朝晩は雲がもっと下側までかかっています。





 この佐久市甲甲辺りは、千曲川と支流の湯川が合流する辺りで、優れた水田地帯になっています(千曲川はこの辺りでUターンするなど複雑な流れです)。



 佐久市に合併される以前は、この辺りは浅科村という農村地帯でした。ここではブランド米「五郎兵米」をつくっています。

 佐久市甲甲辺りの広大な水田は、半分以上が稲刈りが済んだ感じです。その稲刈り後の田んぼに、ダイサギやコサギがいくらか来ていて、お互いに距離を保ちながら、点在しています。



 ダイサギやコサギなどは時々、飛んで、場所を変えます。何を食べているのは不明です(バッタなどの昆虫ではないかと推定されています)。





 その稲穂が稔って、黄色く色づいた田んぼの上には、トビ(たぶん)が上空で輪を描いて飛んでいます。



 最初は、千曲川と支流の湯川の小魚を狙っていると推定していましたが、何と、稲穂が垂れた田んぼに急降下し、また急上昇しました。



 このトビは田んぼに集まる昆虫を食べているのか、それともネズミなどの小動物を食べているのか不明です(稲穂辺りに降りたように見えました)。

 ヒガンバナの深紅の花が少しまだ咲いています。



 ほとんどのヒガンバナの花はもう萎れています。佐久平の秋はどんどん進んで行きます。


長野県佐久市の東端にある佐久荒船高原では、まだコスモスの花は一面で咲いています

2018年09月29日 | 佐久荒船高原便り
 長野県佐久市の東端にある佐久荒船高原では、9月末になりましたが、コスモスの花はまだ一面で咲いています。

 佐久荒船高原は標高が1100メートルから1200メートルあるため、曇ったり、雨が降ると、気温は20度(摂氏)以下と涼しくなります。 

 この日の佐久荒船高原は薄曇りの天気で、お昼過ぎにいくらか日射しがよくなりました。佐久荒船高原の中央部にある“コスモスの丘”も薄曇りの日射しでが当たっています。





 コスモスの背丈がやや伸びて、花の咲く位置が高くなりました。コスモスの花は一面で咲いています。







 群生するコスモスの花の中には、よく見るとイムタデあるいはオオイヌタデの赤い穂のような花も咲いています。





 このコスモスの花が種になり始めると、野鳥がやってきます。渡り鳥もやって来ます。

 “コスモスの丘”を囲む森の草むらでは、ツリフネソウの赤い花が咲いています。花は少し萎れ始めています。



 森の中では、赤い実を付けた木がありました。ガマズミの実のようです。



 薄曇りの天気の日に、午後3時過ぎの夕日が当たっている荒船山(標高1423メートル)の南面の艫岩(ともいわ)です。





 荒船山の艫岩の下に広がる山麓の木々は、まだ紅葉していません。

 佐久荒船高原では、秋が一気に深まりそうです。

長野市戸隠の棚田では、イネは稲穂を垂れて、黄金色に染まっています

2018年09月28日 | 旅行
 長野市戸隠の戸隠森林植物園では秋の気配が強まり、その入り口ではマツムシソウが花を咲かせています。

 戸隠隠神社の奥社の入り口近くの西側に広がっている戸隠森林植物園を散策した話の続きです。

 標高が1200メートルある戸隠森林植物園では、マツムシソウの薄い青紫色の花がまだよく咲いています。





 戸隠森林植物園を出て南下し、戸隠神社、戸隠神社宝光社の前を過ぎて、戸隠蕎麦屋の店などが並ぶところを過ぎて、東に向かい飯綱高原を目指します。

 戸隠神社の戸隠蕎麦屋の店を過ぎて、農村地帯に入り、振り返ると、晴れていれば、戸隠連山が見えます。この日は、戸隠連山はやはり雲の中でした。



 ソバや野菜を栽培するだんだん畑の中に、棚田もありました。棚田のイネは稲穂を稔らせています。稲穂は黄金色に染まっています。



 イノシシなどの侵入を防ぐ電気網が張り巡らせてあります。

 この辺りでは、道路沿いに観光用にコスモスなどが植えられています。





 コスモスの花が風にそよいでいます。



 ここから、さらに東に進むと、北側に飯縄山(標高1917メートル)が望める地域を東に進みます。この道の途中には、個性的な有名な蕎麦屋が数軒、点在しています。飯縄山の南側の山麓です。

 飯縄山の大部分はやはり雲の中でした。



 飯縄山が望める地域から南東方向にくねくね道の坂を下って、長野市の市街地(善光寺など)に向かいます。

 この坂の途中は、段々畑と棚田と、リンゴなどの果樹園がある斜面です。

 ここの棚田では、稲刈りが済み、稲穂は稲架(はざ)にはざ掛けして干してあります。





 山里らしい風景です。日本の山里の原風景です。