ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

仙台市では、お昼ごろから名残雪がほんの少し降りました

2012年02月29日 | 旅行
 今日は関東から東北にかけて寒波が来て、雪が降りました。仙台市は朝は気温は低い感じでしたが、心配された雪は降っていませんでした。

 午前7時のNHK総合テレビのニュースでは、東京都八王子市や埼玉県さいたま市では、明け方から雪が降り始め、数センチメートル積雪し、雪景色になっていると報じています。

 JR仙台駅前の西口にある大きなデッキ広場で上空を見上げると、いつ雪が降り出してもおかしくないほど、どんよりとした雲が覆っています。しかし、粉雪らしきものも降ってはいませんでした。

 その西口にある2階に当たるデッキ広場から見た青葉通りは、曇り空の下に、葉が落ちたケヤキ並木が見えます。



 青葉通りを西側に進んで、西公園の脇を通って、広瀬川にかかる千代大橋にでました。この大橋から仙台市博物館や仙台城址跡側を見上げると、どんよりとした曇り空の下に青葉山の山麓下側の森が見えました。



 大橋から北側に広がる広瀬川の上流にも、くすんだ曇り空の冬景色が広がっています。



 中央に見えている橋は広瀬通りから広瀬川を渡る広瀬橋です。広瀬川の河原に残雪がいくらかあるのは、先週土曜日に降った雪によるものです。

 青葉山の山麓にある仙台城址跡の大手門跡の道路の向かい側には、約1年前の東日本大震災で破損した城郭部分があり、まだ工事中のためにブルーシートがかかっています。



 青葉山の仙台城址跡から天守閣跡に登る道路は、途中で石垣などが崩れたため、まだ通行できません。約1年前の東日本大震災の爪痕は、まだあちこちに残っています。

 夜のテレビニュースでは、東京都内に積もった“大雪”の影響として、交通事故などといろいろと出たと伝えていました。明日は関東は、春の陽気を感じるような気温まで上がるそうです。

福島県の猪苗代湖では、コハクチョウを間近で見ることができませんでした

2012年02月28日 | 旅行
 福島県会津若松市や郡山市などにまたがる猪苗代湖にコハクチョウを見に行ってきました。猪苗代湖の東北部に位置する、猪苗代町の“白鳥浜”(ハクチョウハマ)は、コハクチョウが約2000羽も飛来する場所として有名です。

 猪苗代湖の東側は本の粉雪が少し舞う天気でした。猪苗代湖の東北部に当たる湖畔を巡る道路からは、北側にそびえる磐梯山(標高は1819メートル)が見えます。いくらか薄雲がかかっています。



 白鳥浜の道路からは湖のかなり沖合にいくらかコハクチョウがいることがなんとか見えました。しかし、道路と湖の岸辺の間には、例年以上に多い雪が積もっていて近づくための道が消えているために、岸辺には近づけず、コハクチョウの写真撮影ができませんでした。

 地元の方に聞くと「コハクチョウはもうあまり見かけない」とのことでした。

 このため、猪苗代湖の東側にある志田浜という場所に移動しました。ここは観光施設があり、湖面が見える岸辺にまで入ることができます。

 岸辺まで行くと、湖面越しに北側にある磐梯山を望むことができます。



 湖面越しに見える対岸の低山の山々は粉雪か霞によって少しぼやけてみえています。



 岸辺の雪の上に、マガモなどのカモ類が多数います。みんな身を縮めて、寒そうに集まって寒風をしのいでいます。



 猪苗代湖から東にある郡山市内では、上空を数羽ずつ隊列を組んで飛ぶコハクチョウの群れを見ることができました。シベリアなどに向かう“北帰行”が始まっていると思いました。これも春が近づいた証拠です。

栃木県大田原市郊外の森陰では、ザゼンソウが咲き始めています

2012年02月27日 | 旅行
 栃木県大田原市郊外の北金丸という地域にあるザゼン草自生地に行って来ました。斜面林の森陰の湿地帯にザゼンソウ(座禅草)が10数株ほど咲いていました。

 2月25日土曜日にいくらか雪が降ったため、ザゼン草自生地の日陰部分は雪が残っています。その中に、ザゼンソウが点々といくらか咲いています。



 濃い赤紫色の花弁の中に黄色みがかった肉穂花序(にくすいかじょ)と呼ばれる小さな花が多数ついています。残念ながら、ザゼンソウの向きが悪く、花弁の中の肉穂花序に陽光が当たっていません。

 陽当たりのいい場所でも、まだ咲き始めた感じです。



 このザゼン草自生地は斜面林の中に、伏流水が湧き出るため、サトイモ科のザゼンソウなどが自生しているそうです。最盛期には2万株のザゼンソウが花開くそうです。

 この自生地は大田原市の天然記念物に指定されています。その入り口は、農家の個人の軒先です。軒先を通って、自生地に入ります。

 この農家のお宅の庭先では、フクジュソウ(福寿草)が咲いています。





 黄色い花が陽光がよく当たっているので、“黄金色”に感じます。落ち葉が堆積した黒土の中から、フクジュソウが力強く育っています。

 寒が戻った天気が続いていますが、里山では春が確実に近づいています。3月6日は二十四節気の啓蟄(けいちつ)を迎えます。もうすぐ春です。

さいたま市のさぎ山記念公園の池で、水鳥のオオバンに会いました

2012年02月26日 | 季節の移ろい
 埼玉県さいたま市緑区にある、さぎ山記念公園の池で、水鳥のオオバンに出会いました。

 この公園がある場所は、江戸時代にはコサギなどの“シラサギ”(白鷺)と呼ばれる水鳥が多数住み着いて営巣していた“野田のさぎ山”と呼ばれた地域です。昭和後半ごろから、シラサギが別の地域に営巣するようになり、あまり見かけなくなったそうです。その“野田のさぎ山”を記念して設けられた「さぎ山記念公園」は、いくつかの池で構成されています。見沼自然公園と一体化しているようです。

 公園内にある一番大きい池には、マガモなどの水鳥が多数、水面に浮かび、泳いでいます。

 クイナ科の水鳥であるオオバンが、池の側の岸辺に上がって、地面をついばんでいました。





 オオバンは身体の羽根の色が黒く、クチバシが白いというコントラストを持っているために、よく目立つ水鳥です。野鳥図鑑によると、クイナ科の水鳥の中では「比較的よく見かける水鳥」だそうです。これまでは、クイナ科ではバンを観察したことしかありませんでした。

 オオバンは、しばらく地面をついばんでいて、その内に思い出したように池に入って泳ぎ始めました。

 近くを流れる疏水(見沼代用水)の側の大きな木に、コサギが1羽、留まっていました。



 コサギやオオサギなどのシラサギが多数営巣し始めたのは、江戸時代の徳川吉宗が八代将軍だった享保年間(1716年~1735年)だそうです。明治と大正時代は禁猟区として保護され、昭和27年(1952年)には「野田のサギおよびその繁殖地」として営巣地が特別天然記念物に指定されたそうです。

 最盛期だった昭和32年(1957年)には、営巣数が約6000個、親サギ約1万羽、ヒナを合わせると約万3羽ものシラサギが生息していたといわれています。現在は、しら鷺山の面影はありません。自然が一度変化すると、元に戻すことは至難の業です。

単行本「亨保のロンリー・エレファント」を気まぐれに読み始めました

2012年02月25日 | 
 昨日、ある読みかけの単行本がどこにあるのか分からなくなり、未読と読みかけの単行本や文庫本などの片付けを急に始めました。

 その探している読みかけの単行本は、旅行に持っていって読みかけになったまま行方不明になっています。未読の単行本などは、未読の本の箱に入れてあり、すぐ探せます。未読の本の中で、結果的にすぐに読み出さないものになった本は、特定の本箱に並べて、購入したことを忘れないようにしています(購入したことを忘れて、また買ってしまうことを防ぐためです)。

 ふだんは、同時並行で読む単行本、新書、文庫などが10冊ぐらいあり、いろいろな所に適当に置いています。その読みかけの本を、旅先から帰ってきた時に、何かの紙袋に入れて忘れてしまうケースもあります。

 読みかけの単行本を探すために、散乱していた雑誌類を片付け、いくつかの雑誌は廃棄するために、紐で縛って捨てる準備をしました。行方不明の本を探すと、本以外にも、いろいろなモノが出てきて、その処理に追われました。

 夜になって、本探しに疲れ、未読の本の中から、薄井ゆうじさんが書いた単行本「亨保のロンリー・エレファント」(発行は岩波書店)を読み始めました。



 江戸時代の亨保一三年(1728年)に八代将軍の徳川吉宗が「象を飼ってみたい」との思いから、安南(現在のベトナム付近)から雌雄2頭の象を輸入させ、長崎港から江戸市中まで東海道などを、その象に歩かせた話は有名な史実です。だいぶ前に、その象輸入の顛末記のエッセイを読んだ記憶があったために、そんな内容の小説を読んでみたいと、だいぶ前に購入したものです。第1刷は2008年5月9日の発行なので、3年間ほど寝かせていたようです。

 読み始めると、第一章は武州・中野村(現在の東京都中野区のようです)の農民親子が、象のエサの確保を頼まれ、エサとなるワラやタケザサ(竹笹)を大量に集めて、浜御殿(現在の東京都中央区の浜離宮庭園)まで運ぶ話です。

 農民の父親は才気あふれる人物です。象が大量の糞を出すことに手を焼いている、象の飼育係の役人に、その糞の処理を申し出て、引き取ります。地元などで最初は肥料として、次に“漢方薬”として売り出し、儲けます。

 本書は七章仕立てで、亨保年間に象を迎えた、いろいろな人々のエピソードが語られています。第六章は、将軍徳川吉宗とそのお世継ぎの家重との親子の話のようです。お世継ぎの家重は生まれつき、身体が不自由で、手足をうまく動かすことができません。将軍親子のエピソードが展開するようです。

 まだ読みかけなので、第一章以外はパラパラとめくって見た感じです。著者の薄井ゆうじさんは雰囲気のある文章を書く名人と思いました。

 毎日多数の新刊が発行されます。読みたい本は多数あるのですが、とても読み切れません。本の整理だけでも、結構大変です。でも、とても幸せな状況です。