ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

急斜面の梅林の中でヒガンバナが咲いていました

2010年09月30日 | 季節の移ろい
 長野県松川町にある嶺岳寺(れいがくじ)は数万本のヒガンバナが一面に咲く、地元の名所です。
 長野県南部の下伊那郡松川町はナシやリンゴ、ブドウなどの果物栽培が盛んな天竜川沿いの町です。その松川町エリアでは、嶺岳寺はヒガンバナのお寺として有名です。

 今年はヒガンバナの開花が猛暑の影響で大幅に遅れ、秋分の日の23日以降にやっと咲き始め、26日日曜日からの9月の最終週に“満開”になったそうです。曹洞宗のご住職が毎年、ヒガンバナを大切に世話して増やした結果、急斜面の梅林を埋め尽くすように多数のヒガンバナが咲きます。その数は数万本とみられています。一説には現在は5万本まで増えていると、いわれているようです。

 
 小ぶりなお寺の嶺岳寺は、松川町を流れる天竜川近くの急斜面の中腹に立っています。境内の周りは下側には田が広がり、上側の斜面にはリンゴやクリなどの果樹園です。塩尻市から天竜川沿いに南下する伊那街道側から本堂に向かう階段は人間しか通れません。その階段の脇にもヒガンバナが点在しています。

 急斜面に植えられた梅林の下に一面に咲くヒガンバナの方が絵になるため、写真愛好家の方々は、リンゴやクリなどの果樹園を貫く細い山道の途中に車を駐め、高級な1眼レフカメラを三脚に載せて、熱心に撮影していました。写真愛好家の方々は梅林を埋め尽くす赤いヒガンバナの撮影に夢中です。斜面の撮影ポイントを小まめに探しています。今年は開花期が大幅に遅れたため、好みの構図を求めて動き回ります。写真愛好家同士は顔見知りなのか、それとも同好の士のせいか、仲良く情報交換していました。


 咲いているのは、ほとんどが赤いヒガンバナです。9月の最終週になって7分咲き以上になり、満開といえる感じになったとのことです。ごく一部に白いヒガンバナも咲いていました。


 松川町の農産物の販売所に寄った際に、いろいろな種類のナシに出会いました。「幸水」「二十世紀」「あきづき」「南水」という種類が並んでいます。たまたま立ち寄っていた生産者の方から、「ナシは1週間単位で食べごろの種類が変わる」との説明を受けました。現在は大ぶりのナシでやや硬く、食べごろの旬のナシは「あきづき」「南水」とのことでした。「南水」という種類は初めて知りました。この地域で「新水」と「越後」というナシを掛け合わせてつくった“赤ナシ”系の改良種だそうです。甘みが濃いのが特徴とのことでした。ただし、出始めでまだ数がそろわないとのことでした。

 個人的にはナシでは「あきづき」が好きです。埼玉県では「あきづき」を生産しているのは神川町(かみかわまち)という地域で、時々寄っています。でも、いつでもある訳ではありません。自然の営みとは、人間の意志に関わりなく、進んでいくからです。実は、この神川町を流れている神川の土手もヒガンバナの群生地として有名な所です。今年はあまり咲いていないとのことです。

信州では各地でソバが実り始めています

2010年09月29日 | 季節の移ろい
 長野県茅野市の山道ぞいのソバ畑ではソバが実り始めていました。
 白樺湖から茅野市の中心部に向かって国道(大門街道)を下っていくと、段々畑の中にソバ畑が所々にあり、ソバの実ができ始めていました。背丈が1メートル以上にひょろひょろとした感じで伸びたソバは、実がつき始めています。白い花から少し薄い褐色に近づき、実になり始めています。もうすぐ、新ソバの季節です。

 信州の各地では、特に山間部ではソバ畑が目につきます。多くのソバ畑では、ソバの白い色の花が咲き終わり、実ができ、収穫期を迎えようとしています。ソバにも遅まきがあるのか、長野県の駒ヶ根市と松川町では、ソバの白い花がまだ咲き誇っている畑に出会いました。


 やはり戸隠のように霧が降りる所がソバの適地なのでしょうか、遠くに霧が出ています。

 ソバの花は一般的に白色です。高さ数10センチメートルに育ち、細かい白い花を多数咲かせます。


 時々、一面がソバ畑の場所もあります。ソバ畑が一面に広がるのは、標高が800メートル以上の「○○高原」と呼ばれる山村に多いような気がします。このため、その背後には山々があり、絵になります。

 遠目には、白い点々が若々しい緑色の中に浮かんでいます。印象派の絵のようで、なかなかきれいな景色です。白色に加えて、赤色のソバがたまにあります。一面の赤色のソバの花は独特の雰囲気です。この赤ソバは、以前に信州大学のある教授がヒマラヤの山麓からソバの種を持ち帰り、品種改良した「高嶺ルビー」と呼ばれる品種が多いようです。箕輪町には「赤そばの里」と名付けた場所があります

 駒ヶ根市から松川市に向かって国道などを走ると、蕎麦屋が多数あります。この辺の方々はソバ好きなのでしょうか。そのうちに、蕎麦屋に「新ソバ」との表示が掲げられることになると思います。木曽町や松本市、大町市では早くも10月に、麻績町や長野市信州新町などの高原やソバの里では11月に“新ソバ祭り”などのイベントが開催されています。

 ただし、最近は長野県産のソバだけでなく、北海道産やタスマニア産も、ソバの原料として使われています。タスマニア産は、南半球でつくられるため、日本のソバと実のる時期が半年ずれていると思います。

 

標高2630メートルの千畳敷カールは秋でした

2010年09月28日 | 旅行
 氷河が削り取ってできた千畳敷カールは、夏はコバイケイソウなどの高山植物が咲き誇る野草の宝庫です。
 その千畳敷カールは、駒ヶ根ロープウェイの終点の千畳敷駅の眼下に広がっていました。すり鉢の底のような岩場の景色でした。中央アルプスの名峰の一つである標高2931メートルの宝剣岳の真下に広がっているのが千畳敷カールです。千畳敷駅の標高が2632メートルだそうなので、千畳敷カールは2630メートルから上下に100メートルぐらい広がった地域です。


 春は残雪の美しさ、夏は高山植物、秋は紅葉、冬は白銀の雪の世界と四季ごとに、それぞれ楽しめるそうです。駒ヶ根ロープウェイは一年中稼働しているからです。

 9月27日に、関東地方は朝から雨が降っているため、標高2630メートルぐらいの千畳敷カールは当然、雨と予想しながら、長野県の駒ヶ根市に向かいました。諏訪湖辺りから晴れ間が見え始め、駒ヶ根市に近づくにつれて、曇り空の中に青空が広がり始めました。小雨で、千畳敷カールは雲の中との予想が見事に外れました。バスセンターから駒ヶ根ロープウェイの始点のしらび平駅行きのバスに乗りました。バスは険しい斜面の森の中を切り開いてつくられた、つづら折りの山道を登っていきます。約30分のバスの旅です。

 駒ヶ根ロープウェイの始点のしらび平駅には、予想以上に多い登山家と観光客が並んでいました。60人乗りのロープウェイを1回待たされ、臨時号に乗って終点に登りました。途中から霧に囲まれ、ロープウェイからはモミの木に似たシラビソの大木の森を少しだけ見ることができました。やはり、千畳敷カールは雲か霧に囲まれて見通しが良くないのかと思いました。ところが、千畳敷カールは予想に反して晴れていました。もちろん、下から時々、霧が上がって来て、見通しが悪くなります。


 夏の高山植物の花は当然、咲き終わっており、初秋の雰囲気でした。ナナカマドなどの低木が赤い実をつけています。葉はまだ緑色で、紅葉していません。


 小さな赤い実をつけるという点では似ている低木が数種あり、実の赤い色の感じがいくらか違っていました。ナナカマド以外の木の名前は分かりませんでした。

 高山植物も実をつけています。葉や茎が黄色くなり、やや枯れかかっています。例えば、チングルマが毛をつけた実をつけて、遠くに子孫を飛ばそうとしています。


 この綿毛のような実の姿からは、夏の白色に中心部が黄色い可憐な花を想像することは難しいでしょう。多くの観光客はチングルマの種に気が付かずに、どんどん通過していきます。

 夏に高山植物が咲き誇っている姿を想像しながら岩場を上り下りして歩きました。氷河期からは、あまり姿を変えていないのではないかといわれる、氷河が削った底面を歩きました。秋は、山の頂上から麓に降りてきます。その走りを千畳敷カールで見ることができました。

 麓の駒ヶ根市は名物がソースカツ丼であり、これを訴える看板が並びます。当然、元祖を訴える店が並びます。ソースカツ丼とは、飯の上に千切りキャベツを乗せ、その上にカツを載せたものでした。カツにはソースがからめてあります。


 もちろん美味なのですが、値段は予想した以上に高く、庶民派のB級グルメではありません。カツを柔らかくするために、いい肉を使っているためと推定しています。
 

ヒガンバナの開花が猛暑の影響で遅れています

2010年09月23日 | 季節の移ろい
 ヒガンバナ(彼岸花)の開花が、今年の夏の猛暑の影響で遅れています。
 近くを流れる荒川の支流の土手などに深紅のヒガンバナが毎年咲くのですが、今年は9月23日の秋分の日を迎えても、遠目には咲いていないようにみえます。

 荒川や支流の川の土手は野草が一度刈り取られるため、ヒガンバナがいっせいに咲くと、緑色の野草を背景に、深紅のヒガンバナが目立ちます。今年はまだ咲いていません。9月初めに伸びた夏草を刈り取っているには、群生するヒガンバナを綺麗に見せることも一因ではと思っています。

 川の土手のヒガンバナはまだですが、自宅の鉢植えのヒガンバナは茎が急に伸びてきて、今日は二輪、深紅の花を咲かせています。数個の球根がどんどん増えています。


 ヒガンバナの名所として有名な埼玉県日高市の「巾着田」(きんちゃくだ)は、例年に比べて開花が遅れていると、テレビのニュースが伝えています。例年ですと、9月20日前後の連休から秋分の日のお彼岸の日が見ごろを迎えるます。ところが、今年は茎の芽が多少出た程度で、訪れた人ががっかりして帰ったとニュースは伝えます。

 巾着田は高麗川が大きく円弧を描いて蛇行する場所で、ヒガンバナが開花する名所として有名です。有名になるに伴って、ヒガンバナが約百万本と大幅に増えました。そのWebサイトによると、早咲きの場所で9月24日には開花と伝えています。全面的に咲くのは、もう少しかかるようです。今年の猛暑の影響はこんな所にも出るのだと思いました。

 ヒガンバナは突然、茎が地中から伸びてきて鮮やかな深紅色の花を咲かせ、数日で花が終わって茎だけになる多年草です。開花した後に、ロゼット状の葉が伸びてきて、冬を越すという不思議な草です。日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同じ三倍体だそうです。昔、中国大陸から持ち込まれ、それが増えて全国に広がったのだそうです。秋の彼岸の時に、緑色の茎に深紅の細長い花が丸く反り返っる形状が印象に残る花です。この秋の彼岸に咲く点と独特の花の形状が相まって、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)との名前が付いています。

 ヒガンバナの球根はリコリンという毒を含みます。江戸時代などに不作の飢餓の時には、よく水にさらして食べた経緯もあるとのことです。

 先日訪れた富山県高岡市の瑞龍寺の参道には、淡いピンク色のヒガンバナが咲いていました。白色の花のヒガンバナもあります。「白花曼珠沙華」(しろばなまんじゅしゃげ))と呼ばれているそうです。

 ヒガンバナが満開の時に行ってみたい場所があります。2006年10月に熊本県から大分県へと西から東に抜けた時に、熊本県の山奥にかなり急斜面の棚田がありました。棚田の畔にヒガンバナが咲いている写真が飾られていました。天まで届くような急斜面に何段も重なった棚田の畔に、深紅のヒガンバナの花が仕切りのように何段も咲いていました。是非、本物を見に行きたいと考えています。開花のタイミングに行くのは予想以上に難しいと思います。棚田を維持してる方々の苦労などを見に行きたいと思います。

 今日9月23日は昨日の猛暑日から気温が一気に10数℃下がったそうです。秋が急に来たようです。

木工彫刻で有名な富山県井波町に行ってきました

2010年09月22日 | 旅行
 富山県南砺市の井波町(いなみまち)は欄間(らんま)などの木工彫刻で有名な町です。
 「井波彫刻」という名称を獲得するほど、井波町は木工彫刻という地場産業を育成できたのは、「井波別院 瑞泉寺」という雛(ひな)にはまれな立派な寺院が建立されている地だからです。このお寺の建物の伽藍(がらん)などに優れた木工彫刻の作品が並んでいます。このお寺の前にある門前町は、現在は欄間や仏像などの木工彫刻をつくる工房が並んでいます。工房は木を彫っている作業場が外から見えるショーウインドになっています。


 欄間は部屋の上部にある“飾り窓”にような透かし彫りです。部屋を仕切る襖(ふすま)の上に配置され、片面の絵柄が、もう片面の絵柄と違う複雑な透かし彫りです。


 最近は自宅に欄間を飾る和風の住宅をあまり見かけません。もちろん、欄間はかなり高価です。部屋の仕切りの襖ごとに配置すると、かなりの費用がかかります。昔はその家の力(財力)を示す“粋”な飾りだったようです。

 戦国時代に一向一揆という宗教集団が支配した地域の一つが現在の富山県南砺市辺りだった結果、この地に立派なお寺が立てられたそうです。入り口の山門からして立派な建物です。ある意味では“城”だったようです。そして、経済の中心地だったようです。戦国時代に、大名などの武士が支配していない地域がいくつかあったことに驚きます。日本にもそんな地域があったとは(たしか、現在大阪府の堺市も町人が支配していたと習った記憶が・・)。

 南北朝時代の1390年の明徳元年に、当時の本願寺の第五代上人(しょうにん)の綽如(しゃくにょ)上人が開基となって建立(こんりゅう)された浄土真宗のお寺です(「真宗大谷派」と表記されています)。戦国時代に栄えたものの、一向一揆をつぶそうとした織田信長が派遣した佐々成正の軍勢に焼かれて、一時衰退します。その後、豊臣秀吉が庇護し、江戸時代に再建され復興したとのことです。この江戸時代の再興時や、江戸時代に何回かの火災に会った時、そして明治時代と大正時代の復元工事などによって、地元の大工の棟梁や彫刻師などが腕を磨いて、現在の木工彫刻の地場産業を築いたそうです。火災などの度に、再建という仕事ができ、木工彫刻を育てたようです。

 山門は総檜づくりの真言寺院の山門形式を示す代表的な建物だそうです。江戸時代に火災に会い、京都市の東本願寺から最初は京都の大工が派遣され再建工事を始めたそうですが、途中からは井波町の大工が受け継ぎ、再建したそうです。


 こうして、井波町には木工彫刻の地場産業が形成されていったようです。太子堂(聖徳太子像を持つ)、菊の門(勅使門)という建物も木工彫刻をふんだんに盛り込んだ傑作だそうです。

 瑞泉寺は正確には「後小松天皇勅願所 井波別院 瑞泉寺」という名称です。本堂も北陸随一の大きさです。中に入ると、その広さに驚きます。今風にいうと、ワンルームの通し部屋でかなりの広さです。信徒の方が多数入ってお祈りができます。京都市のお寺にも引けを取らない大きさでした。この地域の信徒の熱心な献身ぶりが感じられます。


 大きな屋根の軒には木工彫刻の飾りが多数配置されています。木工彫刻師の腕前を競う場です。


 こうした作品は木工彫刻師に仕事が与えられた結果の傑作です。この蓄積が地場産業を育成したと思います。木工彫刻の仕事が持続してあったことがポイントだった気がします。各地には、その地の歴史の積み重ねがあり、思いがけない発見がある点が旅の醍醐味だと思います。