まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ポルトガル王マヌエル1世妃 マリア

2010-05-18 01:52:06 | ポルトガル王妃
姉のあとを継ぐ
マヌエル1世妃 マリア・デ・アラゴン・イ・カステーラ


1482~1517/在位 1500~1517

マリアは姉イサベルが亡くなって2年後、王子ミゲルが亡くなったことで
イベリア半島連合王国構想の希望を失いかけたマヌエル1世に嫁ぎました。

          
父のフェルナンド2世と母イサベル1世
マリアをスコットランド王ジェームズ4世に嫁がせるつもりでした。
でも、アフリカに続いてインドまで航路を伸ばし(by.ヴァスコ・ダ・ガマ)
莫大な富を握っているポルトガルを捨て置くわけにはいきませんね!

とりあえずイングランドにカタリナを嫁がせる話も進行していたので
敵対するスコットランドの方はペンディングし、マリアをマヌエル1世に嫁がせました。

ふたりには6人のお子様が生まれています。
よかった、後継ぎも安泰だね、と思いきや…王女イサベルの結婚が
後に、ハプスブルク家に付け入る隙を与えることに

マリアは最後に王子を生んだ1年後に34歳で亡くなりました。


姪もあとを継ぐ
マヌエル1世妃 レオノール・デ・アウストリア


1498~1558/在位 (ポルトガル王妃)1518~1521 (フランス王妃)1530~1547

そんなわけで、マリアの死後は姪のレオノールが嫁いでまいりました。
マヌエル1世の死後、フランス王妃になりました。

(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
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ポルトガル王マヌエル1世妃 イサベル

2010-05-18 01:42:34 | ポルトガル王妃
華々しい一族の哀しい姉妹たち
マヌエル1世妃 イサベル・デ・アラゴン・イ・カステーラ


1470~1498/在位 1497~1498

父はアラゴン王フェルナンド2世、母はカスティーリャ女王イサベル1世
妹にカスティーリャ女王ファナとイングランド王ヘンリー8世妃キャサリン
そして後にマヌエル1世の後妻になるマリアがいます。

すごい一家でありますが、なんか姉妹は皆不幸な人生を送った気が…

        
イサベルは20歳の時ジョアン2世の王太子アフォンソと結婚しました。
アラゴン・カスティーリャは豊かなポルトガルを隣で見ていて
「くっそーぅ!」と思っていたはず。
なんとか王位にくい込んでいかなくちゃね!

そんな政略結婚でしたが、若い二人はとても愛し合うようになりました。
ところが結婚の翌年、アフォンソは乗馬中の事故で亡くなります。
イサベルは重い病に陥り、ジョアン2世から親元へ帰されました。

病から回復したイサベルは二度と結婚しないと決め、修道院に入ろうとします。
でーもー、くい込みたい一心の両親は気づかぬふりで6年が過ぎ
1497年にマヌエル1世との再婚を勧めます。

イサベル…なぜに6年もグズグズしていたのかしら?
ちゃっちゃと修道院に入ればよかったものを…イサベル1世が止めたか?

マヌエルはフェルナンド2世とイサベル1世に倣い
キリスト教に改宗しない国民を追放するという条件を掲げていました。
フェルナンド2世とイサベル1世のイベリア半島統一構想に拍車がかかるってもんです。

結局イサベルはポルトガルへ再び嫁ぎます。

同じ年の10月、アラゴン・カスティーリャ王国のたったひとりの王子ファンが亡くなり
長女のイサベルが王位継承者に指名されました。
マヌエル1世にも逆統一の期待が膨らんだはず…

けれども、イサベルは翌年出産の際に亡くなりました。
幸い王子ミゲルは誕生したわけですけれども、2年後に亡くなりました。

マヌエルはカスティーリャ王座を手に入れるチャンスを失い
ミゲルの死でイベリア半島連合王国の希望も消えました。

てなわけで、イサベルの妹マリアに求婚することにしましたとさ

マヌエル1世の野望やいかに… 次回へつづく

(参考文献 Wikipedia英語版)
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