領地においてけぼり
アフォンソ3世妃 マチルデ2世・デ・ボロンハ
1202~1262/在位 1248~1253
マチルデのフランス名はマオー2世です。
母親のイーダから1216年にブローニュ伯を継承していました。
1223年にクレルモン=アン=ボーヴェ伯フィリプと結婚します。
フィリプはフランス王フィリプ2世の庶子でしたので
1226年に異母兄ルイ8世が亡くなると
摂政ブランシュ・ド・カスティーヨに反乱をおこしたりしました。
1235年に亡くなりました。
その後3年間、女手ひとつで領地を守っていたマチルデでしたが
1238年にアフォンソと再婚しました。
当時はイタリアのボローニャ大学で学んだ方々がエリートだったようで
高位聖職者となり王権を強化、ほぼ独裁に近い政治を行っていました。
貴族たちの不満が高まり、内乱の末、聖職者と教皇によって
兄サンショ2世が廃位され、アフォンソが1248年に即位しました。
王になったものの、後継者が生まれないことにアフォンソの焦りが募っていきます。
1253年、マチルデは50歳を超えてしまってますね…アフォンソはもう無理だろうと考えて
マチルデと離婚することにします。
当時マチルデはボローニャにいたみたいで、ポルトガルに行きたいと願い出ますが
聞き入れてもらえませんでした。
マチルデには、最初の夫との間に一男一女がいました。
ところが息子アルベルトは、なぜか継承権を放棄してイングランドに渡っていました。
娘ジョアンは嫁いでいましたが、こちらはお子が皆夭逝していたみたいです。
そんなわけでマチルデの爵位は、従姉妹のアデライデ・ド・ブラバントに継承されました。
若いにもほどがある花嫁
アフォンソ3世妃 ベアトリズ・デ・グズマン・イ・カステーラ
1242~1303/在位 1253~1279
ベアトリズはカスティーリャ王アルフォンソ10世と、愛妾マヨールの娘でした。
32歳で世継ぎがいないアフォンソ3世は、離婚したその年にベアトリズと再婚しました。
しかし彼女は11歳…いくら若い方がいいっていったって、あんまりでしょ?
子供なんか生ませたら可哀想じゃないの
さすがに長女が生まれたのは17歳ですけど…
ベアトリズは期待に応えて8人のお子さんを生んでいます(3人は夭逝)
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
アフォンソ3世妃 マチルデ2世・デ・ボロンハ
1202~1262/在位 1248~1253
マチルデのフランス名はマオー2世です。
母親のイーダから1216年にブローニュ伯を継承していました。
1223年にクレルモン=アン=ボーヴェ伯フィリプと結婚します。
フィリプはフランス王フィリプ2世の庶子でしたので
1226年に異母兄ルイ8世が亡くなると
摂政ブランシュ・ド・カスティーヨに反乱をおこしたりしました。
1235年に亡くなりました。
その後3年間、女手ひとつで領地を守っていたマチルデでしたが
1238年にアフォンソと再婚しました。
当時はイタリアのボローニャ大学で学んだ方々がエリートだったようで
高位聖職者となり王権を強化、ほぼ独裁に近い政治を行っていました。
貴族たちの不満が高まり、内乱の末、聖職者と教皇によって
兄サンショ2世が廃位され、アフォンソが1248年に即位しました。
王になったものの、後継者が生まれないことにアフォンソの焦りが募っていきます。
1253年、マチルデは50歳を超えてしまってますね…アフォンソはもう無理だろうと考えて
マチルデと離婚することにします。
当時マチルデはボローニャにいたみたいで、ポルトガルに行きたいと願い出ますが
聞き入れてもらえませんでした。
マチルデには、最初の夫との間に一男一女がいました。
ところが息子アルベルトは、なぜか継承権を放棄してイングランドに渡っていました。
娘ジョアンは嫁いでいましたが、こちらはお子が皆夭逝していたみたいです。
そんなわけでマチルデの爵位は、従姉妹のアデライデ・ド・ブラバントに継承されました。
若いにもほどがある花嫁
アフォンソ3世妃 ベアトリズ・デ・グズマン・イ・カステーラ
1242~1303/在位 1253~1279
ベアトリズはカスティーリャ王アルフォンソ10世と、愛妾マヨールの娘でした。
32歳で世継ぎがいないアフォンソ3世は、離婚したその年にベアトリズと再婚しました。
しかし彼女は11歳…いくら若い方がいいっていったって、あんまりでしょ?
子供なんか生ませたら可哀想じゃないの
さすがに長女が生まれたのは17歳ですけど…
ベアトリズは期待に応えて8人のお子さんを生んでいます(3人は夭逝)
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)