まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ポルトガル女王 マリア2世

2010-05-30 20:20:49 | ポルトガル王妃
国を治めた子だくさんママ
ポルトガル女王 マリア2世


1819~1853/在位 1826~1828、1834~1853

肖像画が可愛いでしょ? 少女時代のものだけど…
貫禄たっぷりになられた肖像画もあるんですけど、やめときます。

マリアはブラガンザ家がブラジルに亡命中に生まれました。
父はペドロ4世、母はマリア・レオポルディナ
ヨーロッパ生まれでない、唯一のヨーロッパ君主です。

1826年に祖父ジョアン6世が亡くなった時、父ペドロが即位の宣言をしましたが
ブラジルを離れず、娘であるマリアに王位を譲りました。

当時ペドロの弟にあたるミゲルは、母后カルロッタ・ジョアキナと反乱を起こして
オーストリアに追放中でしたが、国内には彼を王にしようという一派もありました。
そこでペドロはミゲルとマリア2世を結婚させて、成人に達するまでミゲルが摂政をする、
というアイディアを思いつきました。

          
ミゲルはペドロの案を承知したのに、1828年にポルトガルに帰って来ると態度が一変!
だってマリア2世は9歳だし、両親は不在という絶好のチャンスですもの。
さっさとマリアを廃位すると自分が王座につきました。
マリアは叔父ミゲルの治世中、ヨーロッパを点々として過ごしました。

1831年、ブラジル皇帝の座を退いたペドロは、ポルトガルに帰国すると
マリアの王座と自分のブラガンザ公位を奪還すべくミゲルと戦い
1834年にミゲルを退位に追い込みました。

晴れて女王に復位したマリア2世はミゲルとの結婚を無効にし
翌年、ナポレオン1世皇后ジョセフィーヌの孫で、継母アメリアの兄にあたる
ロイヒテンベルク公オーギュストと結婚しました。
しかし、24歳の夫はたった結婚から2ヶ月で亡くなってしまいました。

さらに翌年、サクス=コバーク=ゴータ家のフェルナンドと再婚して
フェルナンドも共治王になりました。
マリア2世の治世中も国家は決して安泰ではなく、暴動、政争は頻発し
コレラも流行りました。
マリア2世は3歳年上のフェルナンド2世に信頼を寄せていました。
難しい政局を乗り切れたのはフェルナンド2世の支えが大きかったようです。

そんな激動の中、マリア2世は1~2年おきに子供を生んでいました。
出産と妊娠を繰り返すマリアに医者は危険を警告しました。
マリアは「たとえ死んだとしても、それが私の役目なの」と言ったらしい…
自然に身に付いた母性からの発言ならいいですけど
そういい聞かせられて育ったとしたら、女性にとっては哀しい話しね。
他にも女性の役目はたくさんあるはず!

医者の忠告を聞かないから
34歳の時、11人目の子を出産したマリアでしたが、母子ともに亡くなりました。

マリア2世は愛情深く、善き母親で、国のために良かれという信念で
行動した人だったそうです。
治世中はポルトガルの学力向上にも務めました。

なんだかマリア・テレジアに似ているような気がしますね。
後には “ 善徳の母 ” という名も与えられていて、人気が高かったことを伺わせます。

マリア2世が長命だったら、ポルトガル王家の行く末が違っていたかもしれないですね。

             
              可愛いのでもう1枚載せちゃうわ

(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)

ポルトガルの歴史  創土社


このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『にんじん』この家族に愛は見える…?

2010-05-30 20:13:19 | フランスの作家
POIL DE CAROTTE 
1894年 ジュウル・ルナアル

『にんじん』を『赤毛のアン』の男の子バージョンだと
思っている人がいるかもしれませんけど(わたしだ… )大きな間違いでございます。

小さな頃に少年少女名作集みたいなもので読んだような気がするのですが
こんなに殺伐としていたかしら? 編集されてた?

“ にんじん ” と呼ばれる少年と、父のルピック氏、母ルピック夫人
兄フェリックス、姉エルネスチイヌの5人が主な登場人物です。
フランスの田舎か郊外が舞台で、一家はわりと裕福なようです。

60篇弱の短いエピソードから成る1冊で
物語というほど長くはないのでひとつひとつは揚げませんけど
夫婦仲の悪さのとばっちりをモロに受けている少年が、キレがちな子供に育ってる…
という印象が強く残っています。

たしかに、お子供は正直なだけに残酷なところがあることも
計算高さをうまく隠す…という一面があることも
虫なんか平気で殺す、という好奇心旺盛さもわかってますけど
この本は、にんじんという少年をダシに、親の(特に母親の)非道さを
存分に吐露している気がしてなりません。

例えばね…
食事中、家族は一切口をきかず、たまにルピック夫人が犬に話しかけます。
で、初めてルピック夫人が「パンをとって」というとルピック氏が投げつけるという…
にんじんがルピック氏と散歩に行こうとおめかししていると、夫人が行くなと言うし
ちょっと冗談をいったぐらいで出張のおみやげをしまい込まれて一生もらえません。

おねしょをしたらスープに混ぜられて、飲んだら大笑いする、
にんじんの額にツルハシがささって血が出ているのに、気絶した兄の方を看病する、
にんじんだけメロンがもらえず、ウサギの餌からあさって食べる、って
どうみたって、ひとりだけ虐待されてんじゃないの?

ルピック夫人はたまに優しさをみせますが、それが隠された愛情だとはぜったい思えない、
気まぐれで頭をなでる飼い主みたいな感じ…

そして、にんじんは口答えもしなければ、怒りも泣きもしないのです。
そのかわり癇癪もちで、嘘つき、たまに凶暴です。
このままほっといったら大変なことになるんじゃないの? と心配になったところで
(ほんの)少し明るい未来が垣間見えるラストが訪れます。

兄、姉、にんじんを同じように気にかけてくれて、一緒に転げるほど笑ってくれて
たまにお小言をくれるルピック氏の存在がなかったら、にんじんはどうなったことやら…
皮肉なことに、不仲な両親のバランスが上手くとれていた、ということでしょうか?

解説には “ 児童教育の貴重な参考書 ” “ 年少の読者に類い稀な一冊 ” となってるけど
年端のいかない子に読ませても、きっと意味が分らないと思いますよ。
モグラとか猫の頭が飛び散るところは面白がるかもしれないけど…

にんじん 角川書店


このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポルトガル王ペドロ4世妃 アメリア

2010-05-30 01:01:46 | ポルトガル王妃
ジョセフィーヌゆずりの美しさ
ペドロ4世妃 アメリア・デ・レウシュテンベルグ


1812~1873/在位 (ポルトガル王妃)せず (ブラジル皇后)1829~1831

アメリアの父はナポレオン1世の継子ロイヒテンベルク公ウージェーヌ・ド・ボーアルネで
祖母はジョセフィーヌです。

         

マリア・レオポルディナを失って3年、ペドロは再婚相手を探し始めました。
しかし、我が物顔の愛妾ドミティラはいるし、絶大な人気を博していたマリアへの
酷い仕打ちが噂になっていたせいで、候補選びは難航しました。

相手に選ばれちゃったアメリアは、兄オーギュストとともにブラジルに到着します。
アメリアを一目見たペドロは、その美しさにボーッとしてしまい
彼女を讃えてバラ勲章なるものを作りました。

あ、愛妾ドミティラは、アメリア到着前におヒマを出されていました。
賢明な処置ですね、ペドロ、Good Job!

アメリアも慈悲深かったみたいですけど、控えめな人だったのかしら?
前妃ほど人気もなく、落ち目になった皇帝ペドロの人気は回復しませんでした。

1831年、大規模な反乱がおこり、ペドロは皇帝を退位して皇子ペドロが即位しました。
アメリアはペドロとともにポルトガルへ向かいます。
懐かしのヨーロッパを目に前にした時、何を思ったんでしょうね?

ペドロはポルトガル王座とブラガンザ公位を賭けて
娘マリア(2世)の名の下に、弟ミゲルとの戦いに明け暮れて
勝利した1834年の末に亡くなりました。

アメリアはたったひとりの娘マリア・アメリアの養育と慈善活動に専念し
政治的なことには関わらずに過ごしました。
未亡人になったのは22歳の時でしたが、その後再婚もしませんでした。

1873年、結核のためマデイラ諸島で亡くなりました。

なんでも前妃マリアの人気には、ハプスブルク家出身の王女がやってきた!という
ありがたみも大きく物を言っていたらしいんですよね。
ナポレオンがらみで出世した家の出の娘なんて太刀打ちできるもんじゃありません。
ご本人にはなんの罪も咎もなかろうに、お気の毒なことです。

               
                アメリア王女です。可愛いですね
                特にエピソードが無いので、ここで紹介しておきます


(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』
      デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポルトガル王ペドロ4世妃 マリア・レオポルディナ

2010-05-30 01:01:26 | ポルトガル王妃
どちらかっていうとブラジル皇后
ペドロ4世妃 マリア・レオポルディナ・デ・アウストリア


1797~1826/在位 (ポルトガル王妃)1826 (ブラジル皇后)1822~1826

マリア・レオポルディナは、オーストリア皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの皇女で
姉にナポレオン皇后マリー・ルイーズがいます。

         

ジョアン6世は、ナポレオン失脚後もイギリスやスペインから牛耳られ
帰国が果たせずにいる状況を打破したいとハプスブルク家に縁談をもちかけます。
宰相メッテルニヒはメキシコに続く南米の統治で得られる富を考えて
ザクセン王と婚約していたマリア・レオポルディナを嫁がせることにしました。

マリアはずばぬけて美しくはなく、女性らしい優雅さに欠けていました。
一方、聡明で6カ国語を操り、自然科学を学ぶ高い教養を持った女性でした。
メッテルニヒはマリアのしっかりした性格に賭けることにしたのです。

ウィーンを発ちブラジルに渡ることになったマリアは
「涼しげな薄い花柄のドレスと、薄手のシルクのストールと…」なんてことは考えず
(考えたかもしれないけど)高名な自然学者や生物学者、地理学者たちを連れて行きました。
レオポルディナ探検隊…とでもいいましょうか

南米という未知の世界へ嫁ぐマリアに申し訳なく感じたメッテルニヒは
珍しくイタリアのリヴォルノまで見送ったそうです。

90日!の船旅の末到着したマリアをペドロが出迎えました。
ふたりはすぐにお互いを気に入り、幸せな結婚生活をスタートさせました。
マリアは慈善活動にも精をだし、人気は上がる一方でした。

でもね…ペドロはもともと荒くれ者で粗野な人でした。
激動の中で野生児みたいに育ったペドロは怒りっぽく、暴力に訴えるタイプ、
しかも浮気癖もあって、結婚生活は次第に不幸になっていきました。

ブラジルでは、当時すでに独立の気運が高まり、独立運動がおこっていました。
1821年に晴れて帰国することになったブラガンザ家でしたが
ジョアン6世はペドロを摂政として残していきました。

王家が帰国した後、ペドロはブラジルを植民地ではなく国家にしたいという思いを抱きます。
マリアもその考えに賛成で助力を惜しみませんでした。

ペドロがサン・パウロへ出向いて不在の時に、代理でポルトガル議員団に面会したマリアは
一方的な命令文を目にして、ペドロに宛てて手紙を書きます。
“ 果物は熟れています。まさに今が食べ時です ” てな暗号でね。
手紙を受け取ったペドロは独立を宣言し、皇帝ペドロ1世として即位しました。

この独立については、ジョアン6世の意向だったという説と
ジョアン6世はスペインやイギリスの手前反対していた、という説があります。

              
              よき母ぶりがうかがえる1枚ですね

ペドロは、1826年にジョアン6世が亡くなると、ポルトガル王ペドロ4世を宣言しました。
しかしポルトガル国内から反対の声があがり、2ヶ月後に退位して
王位を娘のマリア(2世)に渡しました。

その7ヶ月後、マリアは29歳で急死します。
毎年の出産で健康が衰え、7人目の子を流産したためでしたが
一説ではペドロの暴力による…と言われています。

異国に嫁ぐことが当たり前と言えば当たり前だった王侯貴族の娘たちにしたところで
90日も船に乗っていく所とあっては怖くて不安だったでしょうね。
おいそれと実家には帰れないし、一生家族と会えないかもしれない…
船乗りたちから聞かされた恐ろしい風習や不便な生活も気にかかる…

そんな思いで嫁いできた女性を悲しい目にあわせるなんて、君主なんて言えないわね!
妻ひとり幸せにできないで、国民を幸せにできるもんか

人気の高かったマリアを失ったペドロと偉そうな愛妾ドミティラは国民から嫌われ
後の退位を招くことになりました。 …つづく

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』
      デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ポアロ登場』初期の短篇を今頃・・・

2010-05-30 01:00:16 | アガサ・クリスティ
POIROT INVESTIGATES 
1923年 アガサ・クリスティ

今にして思えば発刊順にアップすれば良かったな、などと思うのですが
時すでに遅し… 以前はポアロが最後に選んだ12の事件を扱った
『ヘラクレスの冒険』を紹介したのですけれど、今日は初めての短篇集を…
本当に考えなしで呆れちゃいますね。

『〈西部の星〉盗難事件(The Adventure of “ The Western Star ” )』
対になっているというアメリカの女優ミス・マーヴェル所有の〈西部の星〉と
ヤードリー夫人所有の〈東洋の星〉におこった宝石盗難事件。
依頼を受けたポアロでしたが、ふたつともまんまと盗まれてしまいました。

『安アパート事件(The Adventure of the Cheap Flat)』
ヘイスティングズの知人ロビンソン夫妻が破格の家賃で借りたという高級アパート。
ポアロはその話しを聞くと、頼まれてもいないのにいきなり行動を開始します。
いったいなぜ? ポイントは夫妻の平凡な風貌と名字にありました。

『ダヴンハイム失踪事件(The Disappearance of Mr.Davenheim)』
ポアロとジャップ警部は、失踪中のダヴンハイム氏を巡って賭けをします。
ジャップからの報告を聞くだけで事件を解くと断言したポアロは
ダヴンハイム氏と妻が同じ部屋で寝ていたかと質問して、ジャップを呆れさせます。

小さな事件を侮るなかれ!
後ろには大きな事件が隠れているかもしれません。

ポアロはなんてことないおしゃべりや、ちょっとした疑問から
瞬時にそういうことが判っちゃうのよね!

短めのお話ばかりですが、いろいろな悪事のパターンがぎゅうっと凝縮されていて
読後は悪事のひとつやふたつ、上手くいくんじゃないかとさえ思えてきます
もちろん、今と昔では状況が違うから無理だと思いますが…

ヘイスティングズは最初からヘマをしているし
ジャップも「ポアロも耄碌しちゃって」なんて思いながら負けちゃうしで
この後のポアロとヘイスティングズ、ポアロとジャップの関係性が伺い知れる一冊です。

今後のポアロの活躍に期待がふくらみます
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする