まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

いい気になって…ミニチュアお野菜編

2009-07-18 18:15:27 | クラフト
この間コメントで褒めていただいたのをいいことに
ミニチュアをアップしようかと…本日はお野菜篇です。
今回はあえて寄らずに撮り切り抜いてみました…これもめんどくさかった

VAN HALENがブレイク中らしいということで、エアロスミス・TOTO
BOSTON・Cheap Trickなどアメリカ勢をBGMにちまちま撮影してみました。
旦那さんは呆れ返って昼寝してします。

上の写真はトマトです。
野菜の仕上げにはニスや透明マニキュアを塗るのですが、あまりてからないように
苦心致しました。 下のトマトはちょっとテカってますね…

        
       こちらはソース用トマト。もう少し赤くすれば良かったかも

        
              ピーマンとカラーピーマンです

        
              アスパラガスです。5本1束です

         
        きゅうりはボツボツをつくるのがめんどくさかったです

作っているといつも旦那さんに「…楽しい?」って聞かれます
とっても楽しいんですけどね。

もう少し撮りましたので…つづく

大野幸子/ドールハウスのミニチュア小物―ごちそうの本 日本ヴォーグ社


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参考になります
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ロシア皇帝アレクサンドル2世妃 マリーヤ

2009-07-18 09:30:26 | ロシア皇妃
からだ弱すぎ…でも子だくさん
アレクサンドル2世妃 マリーヤ・アレクサンドロヴナ


1824~1880/在位 1855~1880

マリーヤの母親はアレクサンドル1世妃エリザヴェータの妹ヴェルヘルミーナです。
ヘッセン=ダルムシュタット公女ということになっているのですが
本当はグランシー男爵の娘だと言われています。
       
1838年に花嫁探しの旅に出た皇太子アレクサンドル(後の2世)は
14歳のマリーヤに恋をしまして、出生の秘密も承知した上で求婚しました。
母后アレクサンドラは反対しましたが聞き入れず、マリーヤが17歳になるのを待って
結婚しました…熱烈な感じがしますね

ところが! アレクサンドルは晩年まで奥様ひとすじの父ニコライ1世に似ず
ものすごくたくさんの愛妾をつくったのよねぇ… なぜならば…

マリーヤははにかみやで堅苦しい印象がありました。
ドレスの着こなしにセンスが無く地味で、会話も愉快じゃなかったそうです。

その上じめじめしたサンクト・ペテルブルクの気候がからだに合わなかったらしく
嫁いでくるなり病気になり、その後も病がちになってしまいました。
しかも8人もお子を生んでまして、病気と妊娠の繰り返しで寝つくことが多く
なかなか宮中のイベントに出席することができなかったそうです。
ひとりで行事に参加するアレクサンドルには誘惑が多かったらしいんだけど…
だからって浮気の言い訳にはならないと思うがね

1855年、ニコライ1世が崩御しアレクサンドル2世が即位すると
マリーヤは体調など関係なく式典や宮中行事に出席しなければなりませんでした。
果たしてこのことがマリーヤの寿命を縮めたのかどうかは神のみぞ知る…ですが
ドレスは重そうだし、エアコンもないし、ダンスもしなきゃいけなかろうし…
つらかったろう…きっと休みたい日もあったでしょうね?

マリーヤへの優しい態度や気遣いは変わらないものの
アレクサンドル2世は相変わらず浮気を繰り返していました。
特に寵姫エカチェリーナとは別宅まで設け子供も生まれて二重生活を送っていました。

こんなこともからだに響いたのかもしれませんね?
マリーヤは56歳で亡くなりました。

熱烈に愛されて結婚したはずなのに…
男性がプロポーズの時に言う言葉なんて信じちゃいかんね!
あ… 私見が混ざりすぎていますか?

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』 Wikipedia英語版)
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『初恋』翻弄されたい恋心

2009-07-18 00:31:26 | ロシアの作家
ПЕРВАЯ ЛЮбОВЬ 
イワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフ

うぅぅぅむ… 解説で小沼文彦氏が “ ツルゲーネフが思い描いた完璧な女性像 ” と
書いていらっしゃる女性が登場する物語2篇なんですけれど…
私の勝手な解釈では “ こんなに酷い目に遭わされても愛さずにはいられない
女性に存在していてほしい ” という願望なんじゃないかと…
ちょっとニュアンスが違うんですけど上手く言い表せません。

『初恋/1860年』
16歳のウラディーミルはある日隣家の庭で数人の男たちにかしずかれた
女王のようなズィナイーダを目にして彼女に近づきたいと思い
なんとか取り巻きのひとりになることができました。
奔放にふるまうズィナイーダに日に日にのめり込んでいくウラディーミルでしたが
突然彼女が恋を知ったことに気がつきました。
しかもその相手は若く美しいウラディーミルの父でした。

たとえばこんなことされたらどうですか?
一列に並んで花束でおでこをはたかれたり人前で四つん這いにさせられて
踏み台になったりって耐えられますか?
私は今ひとつ彼女の美徳がどこにあるのか理解できなかったんですけどね。

『かた恋/1857年』
N・Nはドイツの片田舎でロシア人の兄妹と知り合い親しくなります。
兄ガーギンは画家を目ざすという平凡な好人物、妹アーシャは感情の起伏が激しく
気紛れな扱いにくい女性でした。
N・Nはふたりが兄妹ではないと考えましたが本当に異母兄妹でした。
事実を打ち明けたガーギンはアーシャがN・Nに恋をしていることも告白しました。

アーシャは複雑な生い立ちから人付き合いが苦手になってしまったみたいです。
人を愛するということも良く分かっていないんじゃないかしら?
せっかく勇気を出して愛を打ち明けたのに…男性が少し臆病でした。
というか、兄ちゃんが妹のためだとしてもちょっと根回しに走りすぎたんじゃないかな?

実は “(恋愛で)不幸な私 ” ってけっこう嫌いじゃないですよね?
女性なら妻子ある男性とか身分違いなんて大好物!
親の反対とか「実は生き別れた兄妹!」なんていうのも王道です。

一方『初恋』を考えてみますと…
究極の女性に弄ばれる自分ていうのは、けっこう男性が酔いしれたい
シチェーションではないですか?
そして、自分には見せない従順さを他の男性(しかも実の父!)に見せている
恋しい人の姿というのも、悲しみに身悶えつつ快感が得られるステージですね。

でも女性は弄ばれたり母親に恋人を盗られるっていうのはNGなのよね
あくまでも自分が愛されている上で結ばれない…というのが良い悲恋なのです。

振り向いてくれない人を慕い続ける…多少マゾヒスティックな気がしないでもないですが
男性が夢見る悲恋が描かれている1冊ではないでしょうか?

はつ恋 新潮社


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表紙は昔の方がいい気がする…映画のワンシーンらしいんですけどね
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『台所太平記』三人寄ればてんやわんや

2009-07-17 01:17:11 | 日本の作家

1962年 谷崎 潤一郎

谷崎潤一郎自身がモデルなのでしょうか?
風流な作家、千倉磊吉(らいきち)と二度目の妻讃子(さんこ)が
正式に所帯を構えてからその後20年あまりの間にやって来ては去って行った
数多の女中たちのエピソードが綴られています。

なんといっても若い娘さんたちばかりですからねぇ…男性にはたまりませんよね?
でも女性ばかりの職場で働いたことがある方はご存知でしょうが
けっこうめんどくさいんですよぉ 妬みとか陰口とか…

千倉家はものすごく働きやすい環境だったとお見受けします。
旦那様がいやらし~く手を出すこともなく、奥様は良き相談相手になってくれます。
食事も良いものを与えているし、早番・遅番もあってこき使われることはありません。
昭和ですから奉公のスタイルも江戸時代みたいに封建的なことはなかったでしょうが
それにしてもいいお家…住み込みで働くならこんな家が良いですね。

女中さんたちも若いながら働き者で、旦那様や奥様に多大な迷惑をかけるような
不届きものはおりません…が、そこは物語になるぐらいですから一風変わった
個性派が揃っています。
美人、不美人、田舎者、都会育ち、お人好し、気分屋、病持ちなどなど色とりどり
監督なさる奥様もさぞ骨折りだったでしょう。

エピソードはここで紹介するより直接読んだ方が面白いと思うので書きませんけど
道ならぬ恋愛のお話や、放蕩者を好きになった女中の激しい恋なんてものもあります。

谷崎作品だから旦那様と女中の怪しい一夜なんてものがあるかと思ったら
お気に入りの女中を贔屓したりすることはあっても艶っぽいお話はありません。
でも女中とふたりきりで部屋に籠ったり別荘に下見に行ったりして
なんとなく淫らな想像をかき立てられてしまうところが心憎うございます。

ドラマになったら面白そうじゃないの~? なんて思っていたら
映画にもドラマにもなっていたみたいですね。 映画は磊吉が森繁久彌だったみたい。
ふたたびリメイクして下さらないかしら? ドタバタ劇にはしないで欲しいものです。

磊吉は貫禄もあってアカデミックな感じがいいんだけど…讃子は黒木瞳とかになっちゃう?
そしてぜひ蒼井優を出してほしい! 誰の役かは今思い浮かばないけど
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ロシア皇帝ニコライ1世妃 アレクサンドラ

2009-07-16 00:22:58 | ロシア皇妃
祝!初のドイツ王女
ニコライ1世妃 アレクサンドラ・フョードロヴナ


1798~1860/在位 1825~1855

これまで、紹介はしてくれても自分の娘は嫁にくれなかったプロシア王も
とうとうロシア皇室に王女を嫁がせることにしたみたいです。

プロシア王ヴィルヘルム3世王女で改名前はシャルロッテという名前でした。
少女時代はベルリンをナポレオンに侵攻されてドイツ西部で暮らしていました。
ナポレオンから王国を救ってくれたのがロシアってことで断れない縁談ですね。

      

ニコライ(後の1世)がベルリンへ出向き自ら縁談をまとめました。
ふたりは会うなりお互いを気に入ったようでラブラブな手紙が残っています。
婚約から2年後の1817年に結婚しました。

ニコライには次兄コンスタンチンがいたので少し気楽な立場でした。
ふたりは静かな生活を好み、公の場にあまり顔を出さず
お気に入りの人たちに囲まれて過ごすのが好きだったようです。

1825年、ふたりがベルリンに滞在していた時のことです。
コンスタンチンが貴賤結婚のため皇位を放棄したので
ニコライとアレクサンドラは長兄アレクサンドル1世からへ呼び戻されました。
ニコライは後継者になるのがいやで倒れ込んで泣いたそうですよ。

アレクサンドラは美しいだけでなく威厳があって優雅な女性でした。
宝石大好き、舞踏会大好き、国民に興味無しと、まさに “ The 王侯貴族 ” ですね。
結婚から20年たって子供が7人生まれてもお互いの愛は揺るがず
1837年に冬宮殿が火事にあった時、ニコライ1世は宮殿の焼失より
「婚約時代にもらったアレクサンドラの手紙が焼けてしまった」と嘆いたそう…

ニコライ1世は、子供の頃から勉強そっちのけで軍事に熱中していたそうで
厳格で堅苦しいところがありまわりの人たちからは少し煙たがられて
嫌われ者だったそうですが、良き家庭人だったみたいですね?

結婚してから25年、アレクサンドラは医者から健康上の理由でセックスを禁じられたのね。
するって~とニコライ1世はここにきて浮気を始めます。
相手はアレクサンドラの侍女バルバラ・ネリドヴァです。
アレクサンドラの嫉妬爆発! と思うでしょ? ところが最初はジェラシーを感じたものの
同じ男性を知っている者同士の気安さからか、二人の女性は友人になり
ニコライ1世の死後はふたりで暮らすほど気心の知れた間柄になったんですって
不思議だわぁ、貴族の男女関係…

1852年にはナイチンゲールで有名なクリミア戦争が勃発します。
ロシアは完全な孤立状態に陥ってしまい敗戦ムードが色濃く漂いました。
ニコライ1世は兵士たちを鼓舞しようと極寒の中軍事パレードを行ったせいで
インフルエンザを患って1855年に崩御しました。

              
                 晩年のアレクアンドラです
                       貴族!って感じだぁ


病気がちだったアレクサンドラは暖かい地方への転地を勧められましたが
思いで深いサンクト・ペテルブルクに残り5年後に亡くなりました。
最後の言葉は「ニキ、今行くわ」でした。

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)
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ロシア皇帝アレクサンドル1世妃 エリザヴェータ

2009-07-15 01:10:29 | ロシア皇妃
とっってもお姫様体質に見える…
アレクサンドル1世妃 エリザヴェータ・アレクセーエヴナ


1779~1826/在位 1801~1825

なんだか肖像画が、芸能人が描いた二科展入選の絵みたいなんですけど…

18~20世紀初頭の小説を読んでいると、よく貴婦人が失神するんですけどね
この方はそんなタイプなんじゃないかと思うのは肖像画のせいかしら?

              
                 こんな感じが…喉痛そう

バーデン公女でパーヴェルの最初の妃ナタリヤの姪にあたります。
改名前はルイーゼという名前でした。

         
可愛い孫の嫁探しをしていたエカチェリーナ2世に招かれてロシアを訪問し
その美しさが気に入られて結婚することになりました。
ルイーゼもアレクサンドルに(ハンサムだったんだって)ひと目惚れでした。

              
              あまりにも可愛いのでもう1枚のせちゃう

エリザヴェータに改名して結婚したのは15歳の時です。
元気はつらつなお年頃のはずなのですが、彼女はすぐに病にかかってしまいます。
まずは宮殿の寒さ…居間や舞踏室以外の見えないスペースはかなり手抜きだったらしい。
それからホームシック…とても仲のよい家族で母親が恋しくなっちゃったんだって。

そしてロシア宮廷…たいした娯楽がなく
(フランスには負けると思うが)淫らな雰囲気に溢れていた
宮廷の毒気にやられちゃったみたいです。
なにしろエカチェリーナ2世の若~い愛人ズーボフにも言い寄られたらしいですからね。

それに息子アレクサンドルを自分の皇位をおびやかす存在として嫌っていたパーヴェルは
エリザヴェータのことも警戒していたようです。
彼女もパーヴェルが嫌いで在位中は宮廷を避けていました。

エリザヴェータの拠り所は愛するアレクサンドルだけで
“ 彼がいなければ死んでしまう ” と記しています。

あぁそれなのに、アレクサンドルは権力者だしハンサムだからもてるじゃない?
女性たちがほっておかないじゃない? ということで愛妾を持ち始めます。
特にポーランド貴族の人妻マリーヤ・ナルイシキナとの関係は15年以上も続きます。

寂しいから…というのは言い訳になるかどうか分かりませんが
エリザヴェータも夫の友人チャルトリスキーや士官オフシニコフなどと
愛人関係になってしまいました。

あんなに怯えていた愛欲の世界に足を踏み入れてしまったわけですね。
オフシニコフは1807年に死亡していまして
アレクサンドルか王弟コンスタンチンの命令で殺害されたと噂になりました。

しかし、やはり貴族の出。
公の場やナポレオンとの戦時中はしっかり皇帝を支えたらしいですよ。

1825年、エリザヴェータは体調を崩します。
女遊びにも飽きたか妻に優しい気持ちを起こしたアレクサンドル1世は
一緒にアゾフへ療養の旅に出ることにしました。
しかしその途上でアレクサンドルが熱病で急死してしまいます。
5ヶ月後に埋葬を終えてエリザヴェータも亡くなりました。

ちなみに…
アレクサンドル1世は破竹の勢いのナポレオンを打ち破って
全ヨーロッパの王室にロシアの存在を認めさせた英雄でした。
死後1度も柩を開けることなく埋葬されたので根強く生存説が残ったそうですよ。
義経とかチンギス・ハンみたいな感じかしら?

決して幸福だとはいえない結婚生活だったかもしれないけど
最後にふたりきりの楽しい時間が持ててよかったですね。

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)
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『サイラス・マーナー』幸せ…それはpriceless

2009-07-15 01:06:51 | イギリス・アイルランドの作家
SILAS MARNER 
1861年 ジョージ・エリオット(メアリ・アン・エヴァンス)

誰が見ても安心なエピソード、ハプニングも予想の範囲内、暖かい人の心
お金じゃ幸せは買えないのよ、という分かりきった教訓…理想的です。
NHKの朝ドラにもってこいなんじゃないのかしら?
(でも連ドラは見ないんだけどね…むずがゆいから

ドラマティック&ドラスティックな展開に慣れてしまった眼には退屈そうですが
世間の荒波に疲れた身にはホッとできる作品となっています。

サイラス・マーナーという世捨て人のような主人公がいます。

彼は若い頃友人に裏切られ故郷を捨ててラヴィロウ村にやって来ましたが
特異な風貌と陰鬱そうな暮らしぶりから村人たちから避けられてしまいます。
その後は仕事一筋で金を貯め込むのだけが楽しみでした。
けれどもせっかく貯め込んだ大金を、地主の放蕩息子ダンスタンに盗まれてしまいます。

すっかり気落ちしたサイラスの前に現れたのが、幼い天使のような女の子です。
母親はサイラスの家の前で息絶えましたが、実はダンスタンの兄ゴドフリーが
一時の気の迷いで付き合って秘密で結婚していた女性でした。
ゴドフリーは愛する女性ナンシーと結婚するために父親だと名乗りでません。
サイラスは小さな女の子をエピーと名づけて自分で育てていく決心をしました。

子供を育てるサイラスは幸せ一杯だし、村人たちも彼を見直して優しくなるし…
万々歳でしょう?
2歳というやんちゃ盛りの子供と子育てにあたふたするサイラスが微笑ましくて
近所にいたらつい助けてあげたくなると思いますよ。
16年後には優しく美しい娘に成長するし、ホントいい話…

後半、盗まれたお金が見つかったりゴドフリーがエピーを引きとりたがったりと
ひとヤマありますが、たぶんそうなるでしょうね、というラストに落ち着きます。
読み手の善意に反するものはありません。

人に優しい物語、たまにはいかがでしょう?
大袈裟な仕掛けやドロドロした愛憎劇は読んでいてエキサイティングですが
善意の物語も自分まで善人になれたような気がしてよいものです
もちろん、作者の腕前がよくなきゃつまらないでしょうけどね。

初めて知ったけど、ジョージ・エリオットって女性だったのね~!
男性名で書いていた女性作家は何人かおりますが、彼女は知りませんでした。
どうして男性名にするのかしら?
よっぽど素性が知られたくないとか? それとも茶目っ気でしょうか?

サイラス・マーナー岩波書店


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引き続き…ミニチュア

2009-07-12 18:22:35 | クラフト
ある人から「ひとつひとつをよく見たい」という嬉しいリクエストをいただいたので
頑張って撮ってみたんだけど、小さいものを撮るのって大変なのね
ほぼ全てボケボケ… ありがちですけど100円玉を置いてみました。

ある程度よく撮れたものをアップします。
今回はおもちゃやさんの小物です。

上の写真はミニキッチンとおままごとセットです。
エコひいきらしく木製にしてみました。
キッチンはインテリア雑誌に載っていた子供部屋のものを参考にしています。

         
                  ロボットです。
            檜棒と釘、ビーズなどを使って作りました。

         
                  手押し車です。
                 バルサとビーズです。

          
                  テディベアです。
          雑誌に載っていた型紙を使って手縫いで作りました。

写真がうまく撮れたらまたアップします…

はじめてのミニチュアクラフト 学習研究社


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こういったテキストを見ながら作るのが近道
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久々にミニチュア…食器屋さんです

2009-07-12 18:22:25 | クラフト
先日、知人に(社交辞令かもしれないけど)褒められたのに気を良くして
ミニチュアの食器屋さんなぞを…

名前はセラミカ・ブルーにしました。
以前雑誌で見つけた食器屋さんの名前です。
外観はピンクと白で、やはりドアのたてつけが上手くいってませんね

         

食器類は樹脂粘土で絵付けはアクリル絵の具です。
お皿の大きさは直径15㎜~25㎜くらい。
当時はライト付きヘッドルーペを持っていなかったので、絵付けが雑ですね。
作り直そうとは思っているのですが…

               

もっと雑然とした感じにしたいと思っています。
お皿なんかをうずたかく積み上げてワゴンにカップがたくさんあるような。
あと何枚作ればいいのやら…

私のドールハウスベストセレクション 2 学習研究社


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今さら…合掌、マイケル・ジャクソン

2009-07-11 13:28:12 | もろもろ
昨夜NHKでやっていたマイケル・ジャクソンの番組を撮ったので見てみました。
内容はイマイチだったけど『THRILLER』『BAD』のフルバージョンは
ものすごく懐かしくて涙が出そうだったなぁ…
かなり昔、NHKでマイケル特集をやったんだけど、またやってくれないかな?

もう何年ぐらい前なんでしょう?
ハードロッカーの私でも、若い頃は(なにしろすごい人気だったからね)人並みに
マイケル・ジャクソンを聞いてたしPVも観ていたものでした。
個人的にはナオミ・キャンベルと共演してハーブ・リッツが撮った
In The Closet が好きです。 ナオミの動きはヴァリエーションが少ないけど…

私にとってマイケルの死はジョン・ボーナムとフレディ・マーキュリー以来の衝撃です。
エルヴィス・プレスリーの時は彼の全盛期を知らないからピンとこなかったし
ジョン・レノンの時もビートルズは聴いていたけど、やはりオンタイムで
観ていなかったからなぁ…後々こみ上げてきたような気がします。

本当に長い間スキャンダル以外で聞いていなかった気がするけど
アーティスト&エンターテイナーとしては一流だったのだと再確認しました。
遺体がどこに葬られるのか分かりませんが安らかに眠っていただきたいですね。

『BAD』を久々に観て思い出したけど、やはりあの日本人が気になる!
お衣装の色や日の丸で一層目立っていましたね?
他のBADな皆さんと違って一生懸命ぶりが際立っていて健気でした。
原宿に修学旅行に来た中学生みたいな風貌や悪ぶった表情も微笑ましい
            
調べてみたらダンスユニットを結成されたそうですが今何処?
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ロシア皇帝パーヴェル妃 マリーヤ

2009-07-11 02:31:29 | ロシア皇妃
深い愛を捧げた皇妃
パーヴェル妃 マリーヤ・フョードロヴナ


1759~1828/在位 1796~1801

醜いというレッテルを貼られ前妻ナタリヤにはすぐに愛想をつかされてしまった
パーヴェルなんですけれども、見る人によってはぜんぜん違ったようで
再婚したマリーヤは終生彼にメロメロでした。

改名前はゾフィー・ドロテアといって、ヴェルテンブルク公の娘です。
パーヴェルがナタリヤと結婚した時お妃候補にあがっていたのですが
13歳という若さだったので外されていました。
      

ナタリヤが亡くなってからパーヴェルは嘆き悲しんでばかりいたのですが
エカチェリーナ2世がさっさと再婚相手を選び結婚させてしまいました。

ゾフィーは背が高くぽっちゃりしていて、ホッペタの赤い健康そのものの少女でした。
かなり高い教育を受けていて4カ国語が操れ、芸術にも造詣が深かったそうです。

パーヴェルは第一印象で「でっかいけど、まあまあかな」などと生意気なことを
言っていますが、ゾフィーはものすごく気に入ったらしく
友人への手紙で“ 満足なんてものじゃない ” “ こんなに幸せなことはない
“ 狂おしいほど愛している ” と喜びををあらわにしています。
1788年に結婚した後も家族や友人に “ 完璧な夫だ ” とか
“ これ以上優しい夫があるだろうか” とおノロけ三昧の手紙を送っています

パーヴェルはちょっと気に入らないことがあると烈火の如く怒りだすという
扱いづらい人だったらしいのですが
マリーヤはそんな夫を敬い夫婦仲はかなりうまくいっていました。
ただそんなラヴラヴなふたりの結婚生活にも問題が…

祖母エリザヴェータに育てられたパーヴェルとエカチェリーナ2世とはあまり
会うことがなく、愛情深い母子ではありませんでした。
また、息子の方が正統な継承者だということを重々承知していたエカチェリーナ2世は
パーヴェルへの警戒を怠らず、手ずから教育していた孫のアレクサンドルを
継承者に指名しようか…などと考えるようになっていました。

パーヴェルは次第に母エカチェリーナ2世を憎むようになり
マリーヤはふたりの板挟みになってしまうような格好に…やっかいですよね。
その上、こんなに熱愛してくれる妻を持ちながらパーヴェルが浮気を始めました。
アンナ・プローヒナを愛妾にしたパーヴェルはマリーヤを遠ざけるようになります。

1796年にエカチェリーナ2世が崩御しパーヴェルが即位すると
新皇帝はことごとく前女帝の政策を転換しようとします。
自分たちの特権が危うくなった貴族たちは反感を強めていきます。
パーヴェルは神経質になり濠を廻らした館を建てて身の安全を図りましたが
1801年、クーデターがおこり殺害されてしまいました。

マリーヤはエカチェリーナ2世のように自分が煽動したわけではないのですが
パーヴェルを継いで女帝になってみようかな…などと考えます。
しかしこれは息子アレクサンドルの反対にあい実現しませんでした。

アレクサンドル1世が即位した後も、マリーヤは宮廷で最も高貴な女性として
振る舞うことを望み、皇妃エリザヴェータよりしゃしゃり出ることがあったようです。
多額の年金をもらって豪奢な生活も維持することができました。
いつまでも若々しく見えたそうですよ。 65歳で亡くなりました。

              
                貫禄が出てきた頃でしょうか?

政略結婚で好きでもない男性に嫁がされて失意の一生を送る貴婦人が多い中
相手をひと目みるなり恋に落ちることができたなんて、とても幸せなことですね。
しかも一生その気持ちが変わらないなんて…なかなかできることじゃない!
恋愛結婚でもそうはいかないものよ

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)
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ロシア皇帝パーヴェル妃 ナタリヤ

2009-07-10 00:14:07 | ロシア皇妃
失意の新妻
パーヴェル妃 ナタリヤ・アレクセエーヴナ


1755~1776/在位せず

ナタリヤは改名前の名をヴェルヘルミーナといい
プロシアの中堅どころの貴族ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘でした。

エカチェリーナ2世が息子の嫁を探しましょうと思い
プロシアのフリードリヒ2世に相談を持ちかけたところ紹介されたのが未婚の3人姉妹でした。
エカチェリーナ2世は誰がよいのか決めかねたもので3人ともをロシアに招待し
パーヴェルが気にいったヴェルヘルミーナと結婚させることにしました。
ヴェルヘルミーナは陽気で華やかで美しくパーヴェルは狂喜したそうです。

一方パーヴェルは “ 稀に見る醜男 ” “ 目以外は醜い ” など という人もいまして
あまり容姿は良くなかったみたいです。
普段は上品で貴公子然としていましたがキレ易く、怒ると醜さ倍増だったそうです。

     

改名、改宗を経て18歳の時に結婚したナタリヤは最初の数ヶ月は
のびのびと無邪気に宮廷生活を満喫していましたが、みるみるふさぎ込むようになりました。
彼女は夫パーヴェルに失望するとともに女の幸せも得られないと絶望して
ロシア語も覚えようとしなくなり、パーヴェルのことも拒むようになって
ついにはパーヴェルの親友アンドレイ・ラズモフスキーと愛し合うようになります。
ラズモフスキーはナタリヤがロシアにやって来る時に迎えに行った人物なのですが
その時からナタリヤに惹かれていたということです。

ふたりの不倫は宮廷中に知れ渡り、ラズモフスキーは追放されそうになるのですが
ナタリヤにぞっこんLOVEのパーヴェルは不貞に気がつかず
親友を追放から守ろうと奔走する始末…お人好し

結婚から3年後、ナタリヤは身ごもりました。
エカチェリーナ2世はもちろん嫁の不貞を知っていましたが
「もう誰の子でもいいや、後継ぎさえできれば」と思っていたふしがあります。
パーヴェルだってピョートル3世の子じゃないかもしれないんだしね…

結局ナタリヤは女の子を死産した後しばらくして亡くなりました。
21年の短い人生でした。

この時期ドイツ方面との縁談が増えていますが、どうやらロシアに比べて
家庭的な雰囲気の中育ってきた娘さんが多いみたいでホームシックにかかる人続出。
それにロシアの宮殿は見た目は派手でも防寒がずさんでたいそう寒かったと
アンリ・トロワイヤは『女帝エカテリーナ』の中で書いています。
ロシア宮廷という華やかな印象とは大違いで戸惑うことも多かったんじゃないかしら?

ナタリヤはドイツにいれば、もちろん王侯妃など
トップクラスの貴婦人にはなれなかったかもしれませんが
見せかけだけの豪華さと陰謀渦巻くロシア宮廷でファーストレディになるよりは
幸せな人生が送れたかもしれないですね。

さてさて、ナタリヤには早々に失望されてしまったパーヴェルなんでしたが
次の奥様は少し事情が違ったみたい…つづく

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)

ロシアとソ連邦 講談社


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ロシア女帝 エカチェリーナ2世

2009-07-09 01:45:05 | ロシア皇妃
政治も恋も男顔負け!!
ピョートル3世妃 エカチェリーナ2世


1729~1796/在位 (皇妃)1761~1762 (女帝)1762~1796

エカチェリーナ2世に関する本はかなりあるんです。
だいたいは愛人がたくさんいたというエピソードなんですけどね。
ポーランド王スタニスワフ・アウグストやポチョムキンなどの有名どころをはじめ
少なくとも12人はいたそうです。 すごいね

改名前はゾフィー・アウグステと言ってプロシアの下っ端貴族の娘でしたが
母ヨハンナが名門ホルシュタイン・ゴットルプ家の出でロシア皇室と繋がりがありました。
かなりの野心家だった母はゾフィーを社交界に大プッシュしていまして
プロシアで教育を受けていたピョートル(後の3世)とも顔を会わせたことがありました。
母娘はロシア皇妃の座を夢見るようになります。

1744年に女帝エリザヴェータの招きを受けたゾフィーはロシアへ出向き
エカチェリーナに改名して1745年に結婚しました。

     
しばらく見ないうちに天然痘を患って醜くなっていたピョートルのことを
エカチェリーナは好きになれず、またひ弱で幼稚なピョートルも
新妻のことが苦手だったらしく、なかなか夫婦関係が結べなかったそうです。

5年ほどするとエカチェリーナはサルティコフを最初の愛人にしています。
1754年に生まれた皇太子パーヴェルはサルティコフの子だとも言われています。

ピョートルはプロイセンのフリードリヒ2世を尊敬していて、ロシア正教に改宗せず
ロシアをバカにしていました。 これが貴族や軍部の反感を招きます。

女帝エリザヴェータはいつでも離婚させてやるという姿勢を崩さないし
子供もすぐに取り上げられてしまって(6年間会っていません)
つらい毎日を送るエカチェリーナでしたが、夫が嫌われていくのを尻目に
ロシア語や習慣を身につけ着々と崇拝者を増やしていきました。

エリザヴェータが崩御して即位したピョートル3世は
エカチェリーナと離婚して愛人エリザヴェータ・ボロンツォーヴァと
再婚する気配を見せます。
身の危険を感じたエカチェリーナは、ピョートル3世がプロイセンと和平を結んで
占領地を放棄したことで貴族の怒りが高まったのを機にクーデターに踏み切りました。

ピョートルは廃位から8日後( “ 痔 ” のせいで亡くなったことになっていますが )
エカチェリーナの愛人オルロフに殺害されました。

              
            後年はゆったりしたドレスがお好みだったようです

エカチェリーナの政治的な功罪については学者の方々におまかせしてはしょります。
なにしろ賛否両論の分かれる君主なので、政治素人は黙ってます

ザックリ言うとやはり贅をつくした宮殿を建てたり文化面に莫大な国費を使っています。
ロシアが文化的・経済的に躍進して他の西欧諸国に認められるようになった反面
農民は重税がかけられ、農奴はさらに苦しい状況におかれることになりました。
またフランス革命以降はかなり警戒し、検閲を強化するなど自由主義を弾圧しています。

後年はかなり太って動くのも苦しいようでしたが最後まで若い恋人がいたのがスゴい
自分の時と同じように孫を引き取り教育するなどして過ごしていましたが
次第に健康状態が悪化し、1796年に卒中で亡くなりました。

皇妃時代も女帝になってからも自分の立場の危うさは実感していたようで
とにかく貴族や軍部の機嫌を損ねないように苦心していた印象が残ります。
手にした権力を守るということは、いつの世も並大抵なものではないようです。
とっかえひっかえの若くハンサムな愛人たちが唯一の気晴らしだったのかもしれません。

ハプスブルク家のマリア・テレジアと比較されることが多いようですけれど
政治思想やバックボーンにはかなりの隔たりがあるような気がします。
マリア・テレジアが政治面中心に語られるのに比べ
エカチェリーナは愛人とか艶話の部分がクローズアップされてしまいますよね。
かくいう私も政治的な部分には無関心だったりするんだが…

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      外川継男氏『ロシアとソ連邦』 アンリ・トロワイヤ『女帝エカテリーナ』)

女帝エカテリーナ 上 中央公論新社


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表紙が変わっている…改訂版だそうです
コメント (9)
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ロシア女帝 エリザヴェータ

2009-07-07 01:15:06 | ロシア皇妃
打倒ヴェルサイユ!のおしゃれ番長
エリザヴェータ


1709~1761/在位 1741~1761

エリザヴェータが生まれた時には、父ピョートル1世と母エカチェリーナ1世
結婚を公表していなかったので、正統な後継者から外されていました。
イヴァン6世の母で摂政アンナ・レオポルドヴナから疑いをかけられて
身の危険を感じたので軍部にクーデターを起こさせ即位しました。

美しい女性だったそうで、ピョートル1世も生前諸国の王侯と結婚させようとしたのですが
庶子だということが響いて縁談がまとまりませんでした。
そこでコサック兵あるいは聖歌隊員といわれるアレクセイ・ラズモフスキーという男性と
大恋愛をして、結婚したと言われています。

      

即位したエリザヴェータは、肩身が狭い時期を過ごした反動か大浪費を始めます。
彼女はヴェルサイユにメラメラと闘志を燃やしていたらしく
文化もファッションもロシアから発信してやる!と躍起になりました。

文化面ではモスクワ大学や芸術アカデミーを創設しています。
これは良しとして…

問題なのはファッションの方です。
迷惑なのは他の貴婦人たちで、おしゃれはしなきゃいけないがやりすぎはNGってこと。
ドレスを15000着持っていたというエリザヴェータは自分が1番でなくては許せず
自分より容姿が良かったり素敵なドレスを着ている女性は罰せられたらしいよ
すごく困りますよね。 命がけの舞踏会ですよ

しかしVOGUEもELLEもパリコレも無い時代。
どうやっておしゃれ情報を仕入れていたんだろう?

冬宮(現エルミタージュ美術館)など宮殿の建設にも着手しているのですが
これがまたご存知の通り贅を尽くしているわけです。
その上ダンス、グルメ、アートと湯水のようにお金を使ったエリザヴェータは
とうとうフランスの銀行から「もう金は貸せん!」と言われたりしています。

            
             エリザヴェータ、お買い物に行くの図

国政の方は任せっきりで、税制や農奴制が改定されたりして国庫や貴族は潤っていましたが
その分下層の国民の貧しさはとんでもないことになっていたらしい…
よく革命がおきなかったものです。

晩年はかなり肥満してしまったそうです。
後継者には甥のピョートルを指名し妃も選んで結婚させ孫の教育も引き受けていましたが
度々卒中の発作に襲われるようになり、1762年に亡くなりました。

しかしエリザヴェータの贅沢に驚いてちゃいけないんですよ。
ピョートルの嫁というのが後のエカチェリーナ2世です。 彼女はもっとスゴい!
アンリ・トロワイヤの『女帝エカテリーナ』によるとエリザヴェータとエカチェリーナは
あまりうまくいっていなかったようですが、さてさて…つづく

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)

ロシア皇帝歴代誌 創元社


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『危険な関係』手紙の功と罪

2009-07-06 00:17:38 | フランスの作家
LES LIAISONS DANGEREUSES 
1782年 ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ

うぅぅむ…手紙って危険極まりないものだと思うんです。
こっぱすかしいポエムを書きとめた日記帳ぐらいデンジャラス!!
ラヴレターなんて書いてる時やもらった時には嬉しくてハッピーでしょうが
他人が読んだら噴飯ものだし、ヘタすれば人ひとり陥れることも可能ですからね。

っていうお話でございます。 すべてが手紙の形で語られています。

修道院から出されて結婚話に戸惑うセシル・ヴォランジュの手紙
ツールヴェル夫人をものにすると誓うヴァルモン子爵からメルトイユ侯爵夫人への手紙
そんな人はやめてセシルにしなさいよ、というメルトイユ侯爵夫人の返事
ヴァルモンには気をつけなさいとツールヴェル夫人に忠告するヴォランジュ夫人の手紙
ぎこちなく愛を告白するダンスニーからセシルへの手紙

などなどから物語は始まりますが、次第に手紙の内容が変化を見せ始めます。

最初は必死でヴァルモンの誘惑をはねつけていたツールヴェル夫人の手紙には
隠しきれない愛の苦悩が見え隠れするようになります。
恋を禁じられてヴァルモンとメルトイユ夫人にいいように手玉にとられる
セシルとダンスニーの手紙には戸惑いや不満があらわれてきます。

ここらへんから少しまどろっこしくなってくるんですよね。
「口で言っちゃえば早いじゃん!」とまったく情緒のないこと言って申し訳ないのですが
長~い手紙を書く暇があったらひとっ走り行ったほうが早くはないの?

特にヴァルモンとツールヴェル夫人の手紙は、微妙に変化が見えるとは言え
延々と「いいじゃん」「いやよ」の繰り返しでうんざりしてきちゃった
その微妙な心の変化が面白いのだというのは分かりますが、ツールヴェル夫人たら
“ いやよいやよも好きのうち ” っていうのがミエミエなんですもの。

結局ツールヴェル夫人は「幸せです」「不幸のどん底です」と
いちいちヴァルモンの伯母ロズモンド夫人に手紙を書き送ることになるのよ。
伯母さまいい迷惑

そして後半、お互いを完全に理解し合っていると思えた
ヴァルモンとメルトイユ夫人のやりとりに変化がおこります。
手練手管を自慢し合って、相手のラヴ・アフェアを祝い、アドバイスを与え合っていた
ふたりなのに、少しずつ非難めいた言葉が増えていき、最後は大変なことに!

だってふたりは、自分の恋愛遊戯やら陰謀やら何もかもがあからさまに書いてある
相手の手紙を持ってるんですもの。
これは社交界の中で評判だけを頼りに生きている人にはすごい最終兵器でしょ?

ふたりはこの手紙を利用してお互いを陥れようとするのですけれど
どちらが上手く利用できたのかの判断は難しいところがありますね。
私はヴァルモンの方が一枚上手だったんじゃないかと思うけど…

手紙はメールよりたしかに気持ちがこもっているようだし
もらった方も印象深いとは思いますが、くれぐれも相手の手元に
残ってしまうものだってことを忘れないようにしなきゃいけませんね。
内容によっては悪魔の契約書に署名したような状態になっちゃいますからね。

そして何度でも言わせてもらうけど、他に考えることはないのかよ~、フランス人。
1日中愛とか恋とか逢い引きのことばっかり考えてるんじゃないわよ!!
(あくまで昔の貴族に限って言わせていただいております)

危険な関係〈上〉 岩波書店


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こちらは岩波文庫。上下巻になってます。
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