まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ロシア女帝 エカチェリーナ2世

2009-07-09 01:45:05 | ロシア皇妃
政治も恋も男顔負け!!
ピョートル3世妃 エカチェリーナ2世


1729~1796/在位 (皇妃)1761~1762 (女帝)1762~1796

エカチェリーナ2世に関する本はかなりあるんです。
だいたいは愛人がたくさんいたというエピソードなんですけどね。
ポーランド王スタニスワフ・アウグストやポチョムキンなどの有名どころをはじめ
少なくとも12人はいたそうです。 すごいね

改名前はゾフィー・アウグステと言ってプロシアの下っ端貴族の娘でしたが
母ヨハンナが名門ホルシュタイン・ゴットルプ家の出でロシア皇室と繋がりがありました。
かなりの野心家だった母はゾフィーを社交界に大プッシュしていまして
プロシアで教育を受けていたピョートル(後の3世)とも顔を会わせたことがありました。
母娘はロシア皇妃の座を夢見るようになります。

1744年に女帝エリザヴェータの招きを受けたゾフィーはロシアへ出向き
エカチェリーナに改名して1745年に結婚しました。

     
しばらく見ないうちに天然痘を患って醜くなっていたピョートルのことを
エカチェリーナは好きになれず、またひ弱で幼稚なピョートルも
新妻のことが苦手だったらしく、なかなか夫婦関係が結べなかったそうです。

5年ほどするとエカチェリーナはサルティコフを最初の愛人にしています。
1754年に生まれた皇太子パーヴェルはサルティコフの子だとも言われています。

ピョートルはプロイセンのフリードリヒ2世を尊敬していて、ロシア正教に改宗せず
ロシアをバカにしていました。 これが貴族や軍部の反感を招きます。

女帝エリザヴェータはいつでも離婚させてやるという姿勢を崩さないし
子供もすぐに取り上げられてしまって(6年間会っていません)
つらい毎日を送るエカチェリーナでしたが、夫が嫌われていくのを尻目に
ロシア語や習慣を身につけ着々と崇拝者を増やしていきました。

エリザヴェータが崩御して即位したピョートル3世は
エカチェリーナと離婚して愛人エリザヴェータ・ボロンツォーヴァと
再婚する気配を見せます。
身の危険を感じたエカチェリーナは、ピョートル3世がプロイセンと和平を結んで
占領地を放棄したことで貴族の怒りが高まったのを機にクーデターに踏み切りました。

ピョートルは廃位から8日後( “ 痔 ” のせいで亡くなったことになっていますが )
エカチェリーナの愛人オルロフに殺害されました。

              
            後年はゆったりしたドレスがお好みだったようです

エカチェリーナの政治的な功罪については学者の方々におまかせしてはしょります。
なにしろ賛否両論の分かれる君主なので、政治素人は黙ってます

ザックリ言うとやはり贅をつくした宮殿を建てたり文化面に莫大な国費を使っています。
ロシアが文化的・経済的に躍進して他の西欧諸国に認められるようになった反面
農民は重税がかけられ、農奴はさらに苦しい状況におかれることになりました。
またフランス革命以降はかなり警戒し、検閲を強化するなど自由主義を弾圧しています。

後年はかなり太って動くのも苦しいようでしたが最後まで若い恋人がいたのがスゴい
自分の時と同じように孫を引き取り教育するなどして過ごしていましたが
次第に健康状態が悪化し、1796年に卒中で亡くなりました。

皇妃時代も女帝になってからも自分の立場の危うさは実感していたようで
とにかく貴族や軍部の機嫌を損ねないように苦心していた印象が残ります。
手にした権力を守るということは、いつの世も並大抵なものではないようです。
とっかえひっかえの若くハンサムな愛人たちが唯一の気晴らしだったのかもしれません。

ハプスブルク家のマリア・テレジアと比較されることが多いようですけれど
政治思想やバックボーンにはかなりの隔たりがあるような気がします。
マリア・テレジアが政治面中心に語られるのに比べ
エカチェリーナは愛人とか艶話の部分がクローズアップされてしまいますよね。
かくいう私も政治的な部分には無関心だったりするんだが…

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      外川継男氏『ロシアとソ連邦』 アンリ・トロワイヤ『女帝エカテリーナ』)

女帝エカテリーナ 上 中央公論新社


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表紙が変わっている…改訂版だそうです

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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ケイコ・オカモト)
2010-07-17 09:54:40
まりっぺ様、こんにちは

久しぶりにコメントします。
質問なのですが、以前読んだ本(三浦一郎著、
世界史の中の女性たち)にエカテリーナと夫のピョートルがいとこ同士と書いてありました。
自分でもいろいろ調べてみたのですが、どうも
分かりません。
本にはエカテリーナの母ヨハンナとピョートルの父親が兄弟と書いてあったのですが・・・
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2010-07-17 20:32:54
ケイコ・オカモト様
こんばんわ。

私も『世界史の中の女性たち』持っているのですが、今回は参照しませんでした。

エカチェリーナ2世の母方の祖父と、ピョートル3世の父方の祖父が兄弟だと思うんですよねぇ…
だから、エカチェリーナの母ヨハンナと、ピョートルの父ホルシュタイン・ゴットルプ公カール・フリードリヒがいとこ同士なんじゃないかと…

しかし、歴史の網は複雑怪奇ですから分りませんよね。
今度調べてみようと思います。

返信する
Unknown (ケイコ・オカモト)
2010-07-20 08:18:29
お返事ありがとうございます。

まりっぺ様のお返事を参考に改めて調べたら、
お答え通りエカチェリーナの母とピョートルの父がいとこ同士でした。(まりっぺ様の言うとおり祖父が兄弟)

これからも何かあったら教えてください。
(ヘンリー8世の愛妾については初めて知った人がたくさんいてとても面白いです)
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2010-07-24 02:05:10
ケイコ・オカモト様

こんばんわ。
こちらこそいろいろ教えて下さいね。
私の家系図は中世で終わっていて現代に繋がる血筋は希薄なので、コメントに教えていただくことが多いです。


返信する
偉大な女帝か悪女か (きなこもち)
2011-08-19 16:28:41
この記事の参考文献の『女帝エカテリーナ』は池田理代子先生の漫画版を読みましたが、その中ではエカチェリーナとピョートルはいとこ同士となっていて、母ヨハンナの夭折した兄(エカチェリーナの伯父)はエリザヴェータの婚約者だったそうです。他にもパーヴェルの実父が愛人セルゲイ・サルトゥイコフとなっていたり、晩年の愛人アレクサンドル・ランスコイがエカチェリーナ最愛の人と言われるグレゴリー・ポチョムキンに女帝の寵愛を奪ったことから毒殺されたとなっていました。

夫を廃して即位したり、多くの愛人がいたことから余り良いイメージがなかったのですが、この漫画でロシアに溶け込もうと並みならぬ努力をして、国を発展させたという点から相当な人物だったのだと思いました。
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2011-08-20 19:15:36
きなこもちさま、こんばんわ

エカチェリーナとピョートルがいとこ…の件は以前もコメントをいただいたので調べたのですが、家系図のようにおお互いの父母がいとこだと思うんですよねぇ…
でも、エカチェリーナは結婚前に(家柄を見栄えよくするため)一旦誰かの養女になって嫁いだような気もするので、そこで義理のいとこ関係が生まれているかもしれません。
今日は調べてないですけど…今度調べときます。

アンリ・トロワイヤは有名なので、たぶん池田理代子先生も参考にしているんじゃないでしょうか?

エカチェリーナなどの君主をはじめ有名な人物などは、歴史家の見解によって意見の相違がありますので、誰の説を信じるかがポイントですよね。
今大河ドラマで『江』をやってますが、あの方もかなり人物像が割れている人ですね。
私は永井路子先生説が好きで信じています。
返信する
Unknown (きなこもち)
2011-08-26 20:46:14
>エカチェリーナは結婚前に(家柄を見栄えよくするため)一旦誰かの養女になって嫁いだような気もするので

天璋院篤姫も薩摩藩島津家の分家の娘だったので島津本家の養女となり、さらに公家の養女となって徳川家に嫁いでいましたね。この二人、出自や夫が似ているのでもしかして混同されているということはございませんか?

確かに君主を始めとする有名な人物は歴史家によって見方が違うので誰の説を信じるのかがポイントですよね。特に、君主や王妃、皇后などの権力者やその妻は評価が分かれ安いかと思います。

江に関しては、ドラマの方はかなり酷評されているようですが(汗)、確かに彼女も人物像がかなり割れていますよね。私も永井路子先生の説を信じています。
返信する
こんにちわ (まりっぺ)
2011-08-29 07:58:44
きなこもちさま、こんにちわ

ちょっと最近バタバタしてまして、ついでにアンリ・トロワイヤの『女帝エカテリーナ』が奥の方に入り込んじゃってまして調べてないのですが、もしかして『篤姫』と混同してるかもしれないですね。
ガセネタだったらごめんなさい
返信する
ロシア人の血を持たない、女帝エカチェリーナ (メリエンダ)
2018-11-14 19:00:37
エカチェリーナは、漫画『女帝エカチェリーナ』で日本にもその名が知られたロシア女帝、また、日本史に詳しい方ならば、大黒屋光太夫との絡みで有名ですよね。
ゾフィーこと、後のエカチェリーナ2世は、ドイツの小貴族の娘、つまり生粋のロシア人ではないどころか、ロシア人の血を一滴も引いていない。にも関わらず、無能で、プロシアびいきだった夫を追い落とし、皇帝になってからは、誰よりもロシアの為に、と邁進した女傑、女帝。
女帝と言うと、ほぼ同時代にもう一方、マリア・テレジアが存在しましたが、やはり、女帝=エカチェリーナ2世の方が好きですね!何せ、エカチェリーナは、他国の小貴族の娘→皇太子妃→皇帝と成り上がったハングリー精神溢れる女性、マリア・テレジアも、皇帝になるには様々な紆余曲折がありましたが、彼女には、約束された地位に就いた、というイメージが強くて、しかも旦那一筋…
例えさせてもらうと、マリア・テレジアは、“品行方正な優等生”、エカチェリーナは、“破天荒な才女”といった感じです。
エカチェリーナには、多くの愛人がいて、一番有名なのが、最愛の伴侶、とされたポチョムキン、他には、ポーランド王スタニスワフ、オルロフ、初めての男とされ、嫡男パーヴェルの実父とされたサルトゥイコフ、サルトゥイコフに関しては、エカチェリーナがまだ皇太子妃時代に通じ、なんと、姑公認の愛人で、彼は、ロマノフの血筋にあたる為、甥に代わって、嫁の胎内により優れたロマノフの血を宿らせるように後押ししたとか…あくまでも噂ですが…
女帝の愛人は、12人とも、300人‼ともされ、オルロフ兄弟全員が愛人であったとも噂され、孫のニコライが、“お祖母様は、冠を戴いた娼婦”と言ったらしいですね。いくら何でも、兄弟全員だなんて…さすがに、300人は、完全に誇張みたいですね。
女帝のその出自に不満な連中の反乱が起こったりしましたが、エカチェリーナ2世の治世は、“帝政ロシアを、ピョートル大帝が作り上げ、エカチェリーナ2世が息吹を吹き込んだ!”と讃えられ、その治世は概ね良かったそうですが、
心配だったのは、自身の死後のことで、女帝は自らが手塩にかけた孫息子を後継に!と望んだらしいですが、後を継いだのは、息子とは名ばかりのよそよそしく、不仲だったパーヴェル。エカチェリーナは、多くの息子(しかも、ほぼ全員が“種違い”!)がいましたが、何れも出来が良くなかったみたいですね…だからこそ、孫息子に期待をかけ、次代皇帝にしたがっていたのですね…
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