まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『夫が多すぎて』喜劇と現実

2009-07-01 02:11:49 | イギリス・アイルランドの作家
TOO MANY HUSBANDS 
1919年 ウィリアム・サマセット・モーム

見るからに羨ましい題名です
でもどういう意味? と思いつつ読み始めてみました。

若く美しいヴィクトリアは3年前に戦争で夫ウィリアムを失い
その友人だった陸軍省勤務のフレデリックに請われて再婚しました。
ワガママが過ぎるヴィクトリアでしたが美しいもんだから崇拝者は他にもいて
裕福なペイトンが通って来てはなにかと面倒を見てくれています。

ところが戦死したとばかり思っていたウィリアムがひょっこり帰っています。
フレデリックとウィリアムの間でヴィクトリアの奪い合いが始まるかと思いきや
なぜかふたりは激しく彼女を譲り合います。

ヴィクトリアはそんなふたりを尻目にペイトンの新車でドライブに出かけ
帰って来た時には彼との再婚を決めていました。
そこで3人は一刻も早く離婚する方法を話し合います。

モーム大好きな私でも戯曲は初挑戦でした。
小説ではユーモアと悲哀がほどよく融和してしっとりとした後味を残すモーム作品ですが
この作品では喜劇作家の一面がクローズアップされているようです。

例えばヴィクトリアですが、物欲主義の権家で自己中心甚だしい女性なんですけど
それを分からせるために、これでもか!というほど身勝手なことを喋らせます。
それから親バカの典型シャトルワース夫人、成金を絵に描いたようなペイトン
観客の同情と嘲笑を買うためだけに存在するふたりの夫など
ものすごく解り易い人物像を作り上げています。

モームが書く人物像に心憎さを覚える私はちょっと違和感を感じましたが
たぶん各々の役に命を吹き込んでいくのは役者の領分なのでしょう。

喜劇は悲劇に比べて風刺が多いので時代を敏感に繁栄していると承知しています。
こんなこをというのはとても野暮だと思いますが、この時代笑いごとではなく
戦死したと思った人が生きていたということはあったと思うんですよね。
題材にした物語もけっこうあるし、何より当事者がすごく大変な目に遭ったと思うんですよ。
とくに再婚しちゃってた女性がね。

当時この劇を観て心おきなく笑える人たちは幸せな人だったかもしれないですね。
コメント (2)
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ロシア皇帝アレクセイ妃 ナタリヤ

2009-07-01 01:04:13 | ロシア皇妃
ロシア演劇の母かもしれない
アレクセイ妃 ナタリヤ・ナルイシキナ


1651~1694/在位 1671~1676

マリーヤの死後長男アレクセイが亡くなってしまい、残ったふたりの皇子も虚弱で
後継者に不安を覚えた皇帝アレクセイは再婚相手を探しナタリヤを選びました。

ナタリヤは取りたてていうほどの家柄の娘ではなかったかれど
皇帝の親友マトヴェーエフが後見人になっていました。
この再婚にミラスロフスキー家は大反対でしたがアレクセイは再婚し
以後ミラスロフスキー家とナルイシキン家は反目し合うことになります。
         
ナタリヤは初めてモスクワに公立劇場を設立した皇妃でした。
しかも自分で脚本を書いて何本か上演したらしい…初代女流シナリオライターですね。

結婚から5年後にアレクセイが亡くなり、前妻の子フョードル3世が即位しましたが
子供たちはナタリヤになついていたようで
特にからだの弱いイヴァンは彼女を「ママ」と呼んでつきまとっていました。
親子関係は悪くなかったみたい…ただまわりの家族たちが黙っちゃいないんですよ

からだの弱かったフョードル3世が亡くなると、議会はさらに虚弱な弟イヴァンではなく
ナタリヤが生んだピョートルを皇帝に選びました。
後には大帝とよばれるピョートル1世もまだ10歳ですのでナタリヤが摂政になりました。

しかし、これにはミラスロフスキー家とイヴァンの姉ソフィヤが大反発!!
彼らはナルイシキン家がイヴァンを暗殺したという噂をたてて市民の反感を煽りました。
イヴァンはしっかり生きていてナタリヤが育てていたんだけれども
のせられた市民は反乱を起こし、ナルイシキン家の高官やマトヴェーエフは惨殺されます。

ピョートル1世は共同統治者に格下げされて、イヴァン5世が即位し姉ソフィヤが摂政に。
ソフィヤが権勢をふるっている間、ナタリヤは教会の援助を受け
身の危険を感じたピョートルとともにモスクワ郊外で侘びしく過ごしていました。

ピョートルがソフィヤ政権を打倒すると、ナタリヤはモスクワの宮廷へ戻りました。
イヴァン5世は共同統治者となって残っていたので、久々の親子対面ができたわけです。

せっかく家族が仲良くやってるのに、親戚がガタガタ言うんじゃないわよ!!
という、犬神家ばりの骨肉の争いはどの王家にもありますねぇ。
手に入る物が大きければ大きいほど、なりふり構わずになれるものなのでしょうか。

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)
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