まりっぺのお気楽読書

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フランス王シャルル7世愛妾 アニェス

2009-07-26 00:35:09 | 王の寵姫・愛妾
フランス初の “ 公式 ” 愛妾
アニェス・ソレル


1421~1450/愛妾 1441~1450

それまでのフランス王に愛人がいなかったなんて ありえない! わけですが
初代の “ 公式 ” 愛妾ということでただの愛妾とは違うのね~。

アニェス・ソレルは兵士の娘で、シャルル7世の義兄ナポリ王レナートの侍女でした。
並外れて美しく極めて高い知性の持ち主だったそうです。

      
20歳の時レナートに同行してトゥールーズへ行き初めてシャルル7世に会ったのですが
もともとレナートの愛人だったのかシャルル7世への貢ぎ物だったのか分かりません。
いずれにしてもシャルル7世はメロメロになりました。
アニェスを王妃の侍女にして引き止め猛アタックしてほどなく愛妾にしました。

シャルル7世はアニェスにロシュ城を与え入り浸っていたのですけれど
いつも、どんな時も王妃ではなく彼女と一緒にいたいという欲望を抑えられなくなって
考えだしたのが公式の愛妾というフランス王にはもってこい!の制度でした。
これで晴れて公式の場へアニェスを連れ歩くことができるわけです。

思えばシャルル7世はジャンヌ・ダルクの活躍と王妃マリー・ダンジュー の実家の
財政的な援助があって王になれたようなものでした。
王になったら浮気なんて… しょうがないねぇ

もともと温厚ですっかり現状に満足していたのですが、1449年、
再びイングランドのヘンリー6世が王位を主張して攻め込んできました。
この時、無気力なシャルル7世を奮い立たせたのがアニェスだと言われています。

公妾アニェスの、王妃より華美で派手な装いや尊大な態度は早くから反感をかっていて
女性で初めて(王から贈られた)ダイヤモンドを身に着けたり
アニェスの子供たちが正式な王子や王女を凌ぐ愛情を注がれるに至って
王太子ルイ(後の11世)の怒りは爆発! 刀で斬りつけたこともあったそうです

こんなことが響いたのか、後年王と王太子の対立は熾烈になり
シャルル7世は毒殺を恐れて餓死したとも言われています。

アニェスは4人目の子供を身ごもっていた時、ジュミエージュの王のもとを訪ねて行って
腹痛と出血を訴え急死しました。
赤痢と診断されましたが、現在は水銀による毒死だと判明しています。
治療で用いられたものかもしれませんが、当時は王太子ルイによる毒殺だと噂されました。

シャルル7世はアニェスの死後、彼女の従姉妹アントワネット・ド・マニェリをはじめ
数人の愛妾を持ちましたが公妾にはしませんでした。

ところでジャン・フーケのアニェスをモデルにした聖母像は片方のお乳を見せてますね。
これは絵画のためでなく、彼女がこういう服をデザインして着ていたかららしいですよ。
なぜお乳を…? 見せっぱなしってことですか?

             
                 こちらも見せてます

まわりは止めたけれどもシャルル7世は気に入ってて何も言わなかったんですって。
愛する人のお乳を他の男が見ても気にしないなんて…変なの

(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』
      川島ルミ子氏『国王を虜にした女たち』 Wikipedia英語版)

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コメント (3)
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