![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/40/c202c9bf5959a90c5c9c05f2860d81ac.jpg)
“ブラッディ・メアリー” の由来になった
イングランド女王 メアリー1世
1516~1558/在位 1553~1558
肖像画ってあてにならないものだけど
メアリー1世といえば登場する上の肖像画から推測するに
すごく頑なで思い詰めそうなタイプよね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
こんな人に好かれたらやっかいそう・・・
新教であるプロテスタンに対する弾圧で有名なカソリック女王、メアリー1世。
その弾圧があまりにも凄まじく、血に溢れたものだった事から
“ブラッディ・メアリー” というカクテル名ができたという噂も。
おそろしや![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp16.gif)
9日間の王座で終わったジェイン・グレイを女王として認めないとすると
メアリー1世はイングランド初の女王になります。
彼女は6人の妻を持ったことで有名な、ヘンリー8世の長女にあたります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/1b/71a2d0e9b7785744777b5bd416d66797.jpg)
系図で見るように、彼女の母キャサリン・オブ・アラゴン(スペイン王女)は
ヘンリー8世がアン・ブリーンと結婚したいがために
結婚は無効だったという理由で離婚されています。
そのせいで彼女は庶子扱いになり、つらい少女時代を過ごしました。
ちなみにアン・ブリーンの娘エリザベスも、母親が姦通の罪で処刑されたため
庶子扱いになりました。
(ヘンリー8世の後を最初に継いだのは、3番目の妃ジェイン・シーモアの子
エドワード6世です)
母親の影響を受けたメアリー1世はカソリックの強固な信者で(スペインはカソリック)
まわりの反対を押し切ってスペイン王フェリペ2世と結婚します。
このためイングランドはスペインとフランスの争いに巻き込まれてカレー市を失い
彼女は“スペインにイングランドを売った女” として国内ではすこぶる不人気でした。
結婚したとはいえお互いが一国の王である夫婦が、一緒に過ごしたのは
2年足らずという短い時間です。
それでも夫のために自国の兵を動かしたメアリー1世。
夫のフェリペ2世は完全に政略結婚のつもりでいたのでしょうが
メアリーはどうだったのでしょうね?
38歳で初婚、夫は11歳年下の色男さんです。
彼女は2度ほど妊娠騒ぎをおこしていますが、どちらも想像妊娠だったようです。
子供を望むあまりなのか、フェリペに対する思いの強さなのか、謎です。
フェリペ2世はメアリー1世の死後、速攻で妹のエリザベス1世に求婚しています。
彼女は草葉の陰でどう思ったことでしょう?
メアリー1世は死期がせまっても、なかなかエリザベスへの継承を認める書類に
サインしなかったんですって。
姉妹とはいっても、母親は違うし、ほとんど一緒に暮らしてないんだから
愛情なんか感じてなかったとは思いますが、国のことですからね・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
きっと政治には不向きな女性だったんでしょうね。
あるいは側近が悪かったのか?
修道院の院長にでもなってれば(当時の王侯貴族の子女には多い)
とんだ汚名を着なくてすんだんではないでしょうか?
(参考文献 森護氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
石井美樹子氏『イギリス・ルネサンスの女たち』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
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イングランド女王 メアリー1世
1516~1558/在位 1553~1558
肖像画ってあてにならないものだけど
メアリー1世といえば登場する上の肖像画から推測するに
すごく頑なで思い詰めそうなタイプよね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
こんな人に好かれたらやっかいそう・・・
新教であるプロテスタンに対する弾圧で有名なカソリック女王、メアリー1世。
その弾圧があまりにも凄まじく、血に溢れたものだった事から
“ブラッディ・メアリー” というカクテル名ができたという噂も。
おそろしや
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp16.gif)
9日間の王座で終わったジェイン・グレイを女王として認めないとすると
メアリー1世はイングランド初の女王になります。
彼女は6人の妻を持ったことで有名な、ヘンリー8世の長女にあたります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/1b/71a2d0e9b7785744777b5bd416d66797.jpg)
系図で見るように、彼女の母キャサリン・オブ・アラゴン(スペイン王女)は
ヘンリー8世がアン・ブリーンと結婚したいがために
結婚は無効だったという理由で離婚されています。
そのせいで彼女は庶子扱いになり、つらい少女時代を過ごしました。
ちなみにアン・ブリーンの娘エリザベスも、母親が姦通の罪で処刑されたため
庶子扱いになりました。
(ヘンリー8世の後を最初に継いだのは、3番目の妃ジェイン・シーモアの子
エドワード6世です)
母親の影響を受けたメアリー1世はカソリックの強固な信者で(スペインはカソリック)
まわりの反対を押し切ってスペイン王フェリペ2世と結婚します。
このためイングランドはスペインとフランスの争いに巻き込まれてカレー市を失い
彼女は“スペインにイングランドを売った女” として国内ではすこぶる不人気でした。
結婚したとはいえお互いが一国の王である夫婦が、一緒に過ごしたのは
2年足らずという短い時間です。
それでも夫のために自国の兵を動かしたメアリー1世。
夫のフェリペ2世は完全に政略結婚のつもりでいたのでしょうが
メアリーはどうだったのでしょうね?
38歳で初婚、夫は11歳年下の色男さんです。
彼女は2度ほど妊娠騒ぎをおこしていますが、どちらも想像妊娠だったようです。
子供を望むあまりなのか、フェリペに対する思いの強さなのか、謎です。
フェリペ2世はメアリー1世の死後、速攻で妹のエリザベス1世に求婚しています。
彼女は草葉の陰でどう思ったことでしょう?
メアリー1世は死期がせまっても、なかなかエリザベスへの継承を認める書類に
サインしなかったんですって。
姉妹とはいっても、母親は違うし、ほとんど一緒に暮らしてないんだから
愛情なんか感じてなかったとは思いますが、国のことですからね・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
きっと政治には不向きな女性だったんでしょうね。
あるいは側近が悪かったのか?
修道院の院長にでもなってれば(当時の王侯貴族の子女には多い)
とんだ汚名を着なくてすんだんではないでしょうか?
(参考文献 森護氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
石井美樹子氏『イギリス・ルネサンスの女たち』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
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コメントありがとうございます
いろいろありまして、お返事が遅くなり申し訳ありません
メアリー1世には、一途と言うか頑なな感じのエピソードが多い気がします
肖像画も思いつめたような顔をしてるし… イメージがわきやすい人ですよね