![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/7a/0580eb36252c1861650420d1f8e05751.jpg)
相談役、まったく役に立たず
ハインリヒ3世妃 アグネス・フォン・ポワトゥー
1025~1077/在位 (神聖ローマ皇后)1046~1056 (ブルグント王妃)1043~1056
ハインリヒ3世は皇帝に即位した1043年、アグネスと再婚しました。
アグネスの実家ポワティエ家のアキテーヌ公領は
一時期はフランス王より領土を持ってたってくらいの強大な公領です。
カール大帝当時のフランク王国再建を目指していたハインリヒ3世は
この結婚にものすごい野望を抱えていたに違いない…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/f6/aa535c47a02df33bbcb4703a95bdae98.jpg)
アグネスが表舞台で活躍するのはハインリヒ3世の死後
息子ハインリヒ4世の摂政になってからです。
彼女が相談役にしたのはアウグスブルクの司教ハインリヒ2世でした。
この人、ものすごく傲慢で宮廷中から嫌われていたそうです。
しかもアウグスブルク司教とアグネスには愛人関係があったとする説もあります。
母親摂政は味方につける相手を吟味しなきゃ!!
相手選びを間違えてその座を追われたママさん摂政がどれだけいたことか…
自分だけならまだしも子供たちまで廃位される場合もあります。
貴族たちには相手にされず、ハインリヒ4世はないがしろでした。
アグネスは涙を飲んで亡き夫の政敵たちにも譲歩しましたが何も好転しませんでした。
とうとうハインリヒ4世は12歳の時、アグネスをダシに呼び出されて
ケルン大司教やバイエルン公たちによって軟禁されてしまいました。
手元に君主がいない摂政なんて、ただの役立たずですね。
アグネスは摂政の座から退きます。
それから3年後、アグネスはローマに渡り、どうやらそこで余生を過ごしたようです。
それでも遠い空の下から息子と政敵たちの仲介に務めたそうです。
母の愛ですね…でもこうなる前にしっかりとした相談役を選ぶべきだったのでは?
(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
ハインリヒ3世妃 アグネス・フォン・ポワトゥー
1025~1077/在位 (神聖ローマ皇后)1046~1056 (ブルグント王妃)1043~1056
ハインリヒ3世は皇帝に即位した1043年、アグネスと再婚しました。
アグネスの実家ポワティエ家のアキテーヌ公領は
一時期はフランス王より領土を持ってたってくらいの強大な公領です。
カール大帝当時のフランク王国再建を目指していたハインリヒ3世は
この結婚にものすごい野望を抱えていたに違いない…
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アグネスが表舞台で活躍するのはハインリヒ3世の死後
息子ハインリヒ4世の摂政になってからです。
彼女が相談役にしたのはアウグスブルクの司教ハインリヒ2世でした。
この人、ものすごく傲慢で宮廷中から嫌われていたそうです。
しかもアウグスブルク司教とアグネスには愛人関係があったとする説もあります。
母親摂政は味方につける相手を吟味しなきゃ!!
相手選びを間違えてその座を追われたママさん摂政がどれだけいたことか…
自分だけならまだしも子供たちまで廃位される場合もあります。
貴族たちには相手にされず、ハインリヒ4世はないがしろでした。
アグネスは涙を飲んで亡き夫の政敵たちにも譲歩しましたが何も好転しませんでした。
とうとうハインリヒ4世は12歳の時、アグネスをダシに呼び出されて
ケルン大司教やバイエルン公たちによって軟禁されてしまいました。
手元に君主がいない摂政なんて、ただの役立たずですね。
アグネスは摂政の座から退きます。
それから3年後、アグネスはローマに渡り、どうやらそこで余生を過ごしたようです。
それでも遠い空の下から息子と政敵たちの仲介に務めたそうです。
母の愛ですね…でもこうなる前にしっかりとした相談役を選ぶべきだったのでは?
(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)