![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/6f/dc7f816a01a4fd96c7a393edc0141aa7.jpg)
ハーレムに入っちゃうってどういうこと?
フリードリヒ2世妃 イザベラ・フォン・エンゲランド
1214~1241/在位 1235~1241
二人目の妃を亡くしたフリードリヒ2世が次のお妃に選んだのは
イングランド王ジョンとイザベラ・オブ・アングレームの王女イザベラでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/78/fc1123a0d1b68960e4c34c93b028b390.jpg)
フランスの領土を失ったフリードリヒは、反撃の時にイングランドの援助が欲しくて
教皇グレゴリウス9世が持ってきた縁談に飛びつきます。
よくよく考えたらフリードリヒにはすでにビアンカ・ランチアという
最愛の女性がいたんですもの、政治的にOKなら相手は誰でもよかったのかもね…
でもイザベラは美しい女性だったそうですよ。
結婚のためにケルンへ向かう道すがら、イザベラはヴェールを上げ
ドイツの皆さんにお顔を見せてあげてたいそう喜ばれたそうです。
イザベラは21歳、フリードリヒは40歳でした。
結婚するとイザベラは、フリードリヒにモンテサンタンジェロ城を贈られました。
ふつう「ここにお住まいなさい」ということだと思いますよね?
ところがです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp27.gif)
イザベラは人々からは隔離されたハーレムでの生活をしなければなりませんでした。
ハーレムと書いてあるけど、イタリアですからねぇ…
オスマン帝国みたいなのでなくて、男子禁制という意味ですかね?
なんでもイザベラの兄コーンウォール伯リチャードが十字軍の帰りに彼女を訪ねた時
兄妹だっていうんで特別に会うことが許されたみたいですよ。
いずれにしても、イザベラがイングランドから連れて来た従者たちは
二人の女性を除いて皆帰国させられてしまいました。
異国で頼りになる同胞がいないとは…心細かったでしょうね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
イザベラはノヴェンタに引っ込んで暮らし
フリードリヒが定期的に訪れるという生活だったようです。
定期的というのがどれぐらいのスパンかわかりませんけどね…
皇后だというのにすごく地味な生活じゃない?
そんな生活の末、4人目の王女を出産する時に27歳という若さで亡くなりました。
アンドリア大聖堂の、前妃イザベラ2世の隣に葬られました。
(参考文献 Wikipedia英語版)
フリードリヒ2世妃 イザベラ・フォン・エンゲランド
1214~1241/在位 1235~1241
二人目の妃を亡くしたフリードリヒ2世が次のお妃に選んだのは
イングランド王ジョンとイザベラ・オブ・アングレームの王女イザベラでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/78/fc1123a0d1b68960e4c34c93b028b390.jpg)
フランスの領土を失ったフリードリヒは、反撃の時にイングランドの援助が欲しくて
教皇グレゴリウス9世が持ってきた縁談に飛びつきます。
よくよく考えたらフリードリヒにはすでにビアンカ・ランチアという
最愛の女性がいたんですもの、政治的にOKなら相手は誰でもよかったのかもね…
でもイザベラは美しい女性だったそうですよ。
結婚のためにケルンへ向かう道すがら、イザベラはヴェールを上げ
ドイツの皆さんにお顔を見せてあげてたいそう喜ばれたそうです。
イザベラは21歳、フリードリヒは40歳でした。
結婚するとイザベラは、フリードリヒにモンテサンタンジェロ城を贈られました。
ふつう「ここにお住まいなさい」ということだと思いますよね?
ところがです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp27.gif)
イザベラは人々からは隔離されたハーレムでの生活をしなければなりませんでした。
ハーレムと書いてあるけど、イタリアですからねぇ…
オスマン帝国みたいなのでなくて、男子禁制という意味ですかね?
なんでもイザベラの兄コーンウォール伯リチャードが十字軍の帰りに彼女を訪ねた時
兄妹だっていうんで特別に会うことが許されたみたいですよ。
いずれにしても、イザベラがイングランドから連れて来た従者たちは
二人の女性を除いて皆帰国させられてしまいました。
異国で頼りになる同胞がいないとは…心細かったでしょうね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
イザベラはノヴェンタに引っ込んで暮らし
フリードリヒが定期的に訪れるという生活だったようです。
定期的というのがどれぐらいのスパンかわかりませんけどね…
皇后だというのにすごく地味な生活じゃない?
そんな生活の末、4人目の王女を出産する時に27歳という若さで亡くなりました。
アンドリア大聖堂の、前妃イザベラ2世の隣に葬られました。
(参考文献 Wikipedia英語版)