まりっぺのお気楽読書

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神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世妃 イザベラ

2011-01-16 02:17:03 | ドイツ系王妃
ハーレムに入っちゃうってどういうこと?
フリードリヒ2世妃 イザベラ・フォン・エンゲランド


1214~1241/在位 1235~1241

二人目の妃を亡くしたフリードリヒ2世が次のお妃に選んだのは
イングランド王ジョンとイザベラ・オブ・アングレームの王女イザベラでした。


        

フランスの領土を失ったフリードリヒは、反撃の時にイングランドの援助が欲しくて
教皇グレゴリウス9世が持ってきた縁談に飛びつきます。
よくよく考えたらフリードリヒにはすでにビアンカ・ランチアという
最愛の女性がいたんですもの、政治的にOKなら相手は誰でもよかったのかもね…

でもイザベラは美しい女性だったそうですよ。
結婚のためにケルンへ向かう道すがら、イザベラはヴェールを上げ
ドイツの皆さんにお顔を見せてあげてたいそう喜ばれたそうです。
イザベラは21歳、フリードリヒは40歳でした。

結婚するとイザベラは、フリードリヒにモンテサンタンジェロ城を贈られました。
ふつう「ここにお住まいなさい」ということだと思いますよね?

ところがです
イザベラは人々からは隔離されたハーレムでの生活をしなければなりませんでした。

ハーレムと書いてあるけど、イタリアですからねぇ…
オスマン帝国みたいなのでなくて、男子禁制という意味ですかね?
なんでもイザベラの兄コーンウォール伯リチャードが十字軍の帰りに彼女を訪ねた時
兄妹だっていうんで特別に会うことが許されたみたいですよ。

いずれにしても、イザベラがイングランドから連れて来た従者たちは
二人の女性を除いて皆帰国させられてしまいました。
異国で頼りになる同胞がいないとは…心細かったでしょうね

イザベラはノヴェンタに引っ込んで暮らし
フリードリヒが定期的に訪れるという生活だったようです。
定期的というのがどれぐらいのスパンかわかりませんけどね…

皇后だというのにすごく地味な生活じゃない?
そんな生活の末、4人目の王女を出産する時に27歳という若さで亡くなりました。
アンドリア大聖堂の、前妃イザベラ2世の隣に葬られました。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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