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神聖ローマ皇帝カール4世妃 ブランカ

2011-01-19 22:17:58 | ドイツ系王妃
最初の王妃
カール4世妃 ブランカ・マルガレーテ・フォン・ヴァロア


1316年頃~1348/在位 (神聖ローマ皇后)せず (ボヘミア王妃)1346~1348

カールの父ボヘミア王ヨハンは、ドイツ王になれず、神聖ローマ皇帝の座は
ヴィッテルスバハ家のルートヴィヒ4世に奪われていました。

1346年、ヨハンの画策でルートヴィヒ4世の対立王に選ばれたカールは
翌年ルートヴィヒの事故死によって単独王になり、1355年に晴れて皇帝に即位しました。

そんなカール4世の妃ブランカはフランス王フィリプ3世とイザベル・ダラゴンの王子
ヴァロワ伯シャルルの娘でした。

姉のイザベラはブルボン公ピエール1世に嫁ぎ、その娘、つまりブランカの姪が
シャルル5世妃ジャンヌです。

けっこう華々しい家系なんですけど、ブランカ自身のエピソードはあまり無し…
ブランカが十代前半だと思われる1328年に
12歳のボヘミア王子カレル(カール)と結婚しました。

1346年にカレルがボヘミア王に即位し、ブランカも王妃になりました。

        
カールは単独のドイツ王にはなったといっても、聖職選帝侯の支援を受け
教皇の言いなりのように思われていて貴族たちの嘲笑の的でした。

ブランカはカールが皇帝に即位する前に亡くなっていますので
後に金印勅書を定めたりして力を発揮する姿は見ておらず
夫のみじめな姿だけを見ていたことになりますね。
もしかしたら、妻の前では力強く未来の構想を語っていたかもしれないですね。

王女がふたり生まれまして、姉マルガレータはハンガリー王ラヨシュ1世妃になりましたが
14歳で亡くなっています。

次女カタリーナは最初ハプスブルク家のオーストリア公ルドルフ4世に嫁ぎました。
この人は後に舅のカールに歯向かいます。
死別して翌年バイエルン公オットー5世と再婚しています。



                 
ふたりめの王妃
カール4世妃 アンナ・ダー・フォン・プファルツ


1329~1352/在位 (神聖ローマ皇后)せず (ボヘミア王妃)1349~1353

前妃ブランカの死から9ヶ月後、ボヘミア王カレル1世(神聖ローマ皇帝カール4世)は
新しい妃アンナを迎えました。

アンナはバイエルン公ルドルフ2世の公女でした。
          
1350年、待望の王子ヴェンツェルが生まれますが1年で夭逝します。
アンナはその後子供ができませんで、23歳の若さで亡くなりました。

カール4世はお妃運があまり良くないのよね。
皆若くして亡くなっちゃって…次の王妃もそうなんですよ。 つづく

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)

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