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ポルトガル王ジョアン2世妃 レオノール

2010-05-16 01:02:06 | ポルトガル王妃
マカオにもある慈善の証
ジョアン2世妃 レオノール・デ・アヴィシュ


1458~1525/在位 1485~1495

レオノールはポルトガル王家の歴史でたったふたりしかいないポルトガル人の王妃です。

レオノールはアヴィシュ家傍系の王女ですが
王家をとって代わろうと時機を伺うブラガンザ家の血も流れています。

ブラガンザ家のガッツが垣間見える家系図ですね!
でも、レオノールの妹イサベルが嫁いだブラガンザ公フェルナンド2世は
あまりにも頑張りすぎて1483年に反逆罪で処刑されます。

         

レオノールは小さな頃から王太子ジョアンと一緒に育てられ
12歳の時に結婚しました。 ジョアンは15歳でした。
小さな許嫁たちはいくつぐらいから結婚を意識するんでしょうね?
結婚する頃には飽きちゃってたらどうするのかしら?
顔を見たこともない人と結婚させられるよりはマシですかね。

1481年に即位したふたりには王子が生まれましたが、次男は夭逝し
長男の追う太子アフォンソは乗馬中の事故で16歳の時に亡くなりました。

当時ポルトガルにはアフリカの富が集まっていました。
ジョアン2世は、庶子ジョルジュを富める国の継承者にしようと考えました。
しかしレオノールは反対、弟のマヌエルを継承者にしようとします。
ジョアンは教皇に猛アピールしたものの、教皇は敬虔なレオノールに味方して
庶子への継承は叶いませんでした。

1495年、ジョアン2世が亡くなります。
ジョアン2世は王権を強化し、貴族は反感を抱いていました。
毒殺の疑いも拭いきれません。

弟のマヌエル1世即位後も、レオノールは宮廷で女主人を務め
チャリティーにも精を出してアクティブに暮らしました。
主に貧しい人々を救うための団体Santa Casa da Misericórdia設立の先頭に立ち
当時ヨーロッパ一と言われた設備を誇る病院を建設しました。
この団体はポルトガルだけでなく植民地にも設立されて、今も各地に残っています。
マカオにもあるんだって。

また、こちらもヨーロッパ随一と言われるマドレ・デ・デウス修道院も建てています。
レオノールは後年、多くの時間をこの修道院で過ごしました。
その時は尼僧のような服に身を包んでいたそうです。

上の肖像画を見ると、なにかトラブルがあったくさい王妃?と思ってしまいましたが
実はいい方ね。
人を肖像画で判断してはいけない…

              
             あまりにもイメージが違うのでのせてみた

(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)

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