まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

イギリス王エドワード7世王女 ルイーズ

2011-04-12 01:15:55 | イングランド王妃・王女
わりと自由に育てられた王女
エドワード7世王女 ルイーズ
ファイフ公アレグザンダー夫人


1867~1931

ルイーズはエドワード7世とアレグザンドラ・オブ・デンマークの長女です。
ジョージ5世の妹にあたります。

祖母ヴィクトリア女王の厳格な教育に反して、エドワード7世夫妻の子育ては
けっこう自由でワイルドだったみたいです。
ルイーズは最低限の教育しか受けていません。
         
1889年に18歳年上のファイフ伯アレグザンダー・ダフと
バッキンガム宮殿内のチャペルで結婚しました。
ファイフ伯はウィリアム4世とドロシー・ジョーダンの庶子エリザベスの孫にあたります。
結婚の2日後にファイフ公に叙位されました。

1911年に一家でエジプトへ航海中、モロッコで船が難破しました。
アレグザンダーは肋膜炎にかかってアスワンで亡くなりました。

1914年から1921年まで、ドラグーン騎兵隊の名誉隊長になったっていうんすけど…
兵隊の方々を激励する役ということでしょうか?
王女だったら赤十字とか看護婦会の名誉職が与えられそうなものなのにね。

1931年にロンドンで亡くなりました。
ウィンザー城のセント・ジョージズ・チャペルに埋葬された後
夫が眠るアバディーンシャイアのプライベート墓地に移葬されました。

長男が亡くなったため、長女アレグザンドラがファイフ公を継承しています。



               
お嫁にいかしてもらえなかったお気に入り
エドワード7世王女 ヴィクトリア・オブ・ユナイテッドキングダム


1868~1935

ヴィクトリアはエドワード7世とアレグザンドラ妃の次女で
兄のジョージ(5世)とはとても仲の良い妹でした。

        

王女ですから求婚者はいたのですが、母アレグザンドラはヴィクトリアの結婚を
なんとか阻止しようと頑張ります。
ずっとそばにいてほしかったんですって…そんな親のエゴでねぇ…
結局ヴィクトリアは結婚せずに両親と過ごしました。

1910年にエドワード7世が亡くなり、1925年にアレグザンドラ妃が亡くなりました。
この時ヴィクトリア57歳、もう結婚する気なんかおきないでしょうね。
バッキンガムシャーのアイヴァーに引っ込み、いなか暮らしを満喫したそうです。

1935年に亡くなりましたが、この報せに兄ジョージ5世はショックをうけて
1ヶ月後に亡くなったということです。
もともと体調を崩して寝込んでいたそうなので、これが原因というわけではないと思うが…

三女モードはノルウェー王ホーコン7世妃になりました。
こちらはノルウェー王妃で書くつもりで資料作っちゃったので後日…

ところで、ヴィクトリア女王の王女たちに比べてエピソードが短くありません?
日記とか手紙が少なかったのかしら? 一人ぐらい残していてもよさそうなものを…
ヴィクトリア女王一家の筆まめさはすごいですね!

(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イギリス女王ヴィクトリア王... | トップ | 『ブリギッタ・森の泉 他一... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
TVで (エリア55)
2011-04-13 18:30:36
先日ヴィクトリア女王をやってましたね^^
見ました?
ヴィクトリアの愛情をなんだか美化してるのが気になってしまった・・・
だって後半の愛人の話には一切触れなかったんです
あれは今では否定されてる話、とかではないんですよね?
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2011-04-13 22:36:43
そうなんですよね、ヴィクトリア女王やっていたんですよね。
実は友人からメールもらって最後の方しか見てないんですけど…

確かに美化されていたような気がします。
アルバート公は、妻を支えて出しゃばらない印象が強いですが、もともと政治向きじゃなかったという説もありますしね。

ジョン・ブラウンの件は、イギリス王室が全力で否定しているみたいです。

“ 非の打ちどころが無いヴィクトリア女王 ” のイメージはすごく大切なのかも。
イギリス王室の聖域なのかもしれないですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

イングランド王妃・王女」カテゴリの最新記事