まりっぺのお気楽読書

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神聖ローマ皇帝フランツ1世皇女 マリア・クリスティーナ

2011-05-24 22:59:59 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
お母様のお気に入りは姉妹たちに嫌われる…てパターン
フランツ1世皇女 マリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ
テッシェン公アルブレヒト妃


1742~1798

マリア・クリスティーナは、フランツ1世とマリア・テレジアの四女です。
三女マリア・カロリーナは1歳で亡くなりました。

マリア・クリスティーナは母マリア・テレジアと同じ誕生日ってこともあってか
とにかく女帝のお気に入りで、ミミと呼ばれていました。

           
ミミは美しいだけでなくて芸術的才能も持ち合せていたということですが
そんなことはおいといて…とにかく女帝の依怙贔屓ぶりは大変なものでした。
また、ミミも母親を上手く操る術を身につけていました。

ミミは、従兄弟にあたるサヴォイア家のベルナドット・マリアの妃に予定されていましたが
彼女には意中の人がおりました。
相手はザクセン選帝侯子アルブレヒトです。
女帝の従姉妹マリア・ヨーゼファの息子で、家柄は悪くはないんだけど
なにせ六男で継承の見込はなく、普通なら聖職につくか軍隊に入るってところです。

もちろんフランツ1世は大反対してました。

1765年にフランツ1世が亡くなると、ミミはおセンチになっている女帝を説得し
愛する人と結婚してもいいという許しを得ました。
女帝の皇女の中で恋愛結婚を許されたのはミミだけです。

さらに女帝はミミに莫大な持参金を与え
結婚後はアルブレヒトをハンガリー総督に任命しています。

他の兄弟姉妹がミミにすごい嫉妬を感じるのもしょうがないですよね。

特にミミの妹マリア・アマーリアは恋愛中の相手がいたのに
無理矢理パルマ公に嫁がされて激怒し、ミミどころか女帝とも不仲になります。

兄のヨーゼフ(2世)も長男を差し置いて母の愛を独り占めしているミミが気に入らず
弟のレオポルト(2世)も口やかましくなんにでも首をつっこむミミが嫌いでした。

ミミは兄弟姉妹についてすぐに女帝に告げ口し、しかも巧みなもんだから
女帝と子供たちの間に度々トラブルをおこしていました。
兄ヨーゼフの妃マリア・イザベラには弱々しく取り入って親友になり
皇太子妃を支配下に置こうなんて考えます…なんか、すごく狡猾な人ね。

マリー・アントワネットは姉たちに手紙を書く時
フランス製のドレスや肖像画なども送っていますが、ミミには送りませんでした。
ミミがフランスを訪問した時もヴェルサイユで一般客のように接しました。
プチ・トリアノンでプライヴェートに会いたいという申し出も断っています。
久しぶりに会う姉妹だっただろうに…そんなに嫌われ者?

そのかわりミミには、女帝から山のような贈り物が届いていたというから
「別にあんたたちの贈り物なんかいらないよーだ」と思っていたかもしれません。

マリー・アントワネットが処刑された時ミミは
「再婚相手を探す必要がなくなって良かったじゃない」と言ってのけたそうですよ。
実の妹よ、ヒドくない?

1780年にネーデルラント総督に任命されたアルブレヒトとミミは12年間その座にいました。
ラーケン宮殿を建てて、莫大な美術品をコレクションしました。
これもすべてお母様の愛のお力よね。

夫婦の仲はとても良かったそうで、幸福な結婚生活だったということですが
子供は女の子が一人生まれただけで、しかも生まれた翌日に亡くなりました。

兄弟姉妹との仲は悪くても、強力なバックがついていたから気にならなかったでしょうね?
他の兄弟姉妹と違って好きな時に女帝に会うことができて、シェーンブルン宮殿にいる時は
女帝よりいい部屋を使っていたっていうんだから…
概ね幸せな人生だったんじゃないかとお察しします。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 
      テア・ライトナー『ハプスブルクの子供たち』 Wikipedia英語版)

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3 コメント

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何だか微妙…。 (アンジェリク)
2011-05-22 23:33:13
まりっぺ様、こんばんは。

「偉大なる女帝」マリア・テレジアにも、(当たり前ですが)人間としての愚かさがあったのですね。

母親として、えこひいきはいけませんよね。
マリア・クリスティーナにとっては良いでしょうが、他の兄弟姉妹からしてみれば腹が立つのは当たり前です。

政略結婚、嫌な時代です。
この女性は幸せだったのでしょうが、他の兄弟の事を思うと、心の底から喜べないような感じです。
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こんばんわ (まりっぺ)
2011-05-23 00:22:44
アンジェルクさま、こんばんわ

依怙贔屓される方はする方の勝手でそうされているわけで、しかたないと言えばそうなんですが、彼女のようにそれを上手く利用したり、贔屓されようと頑張ったりするタイプはどうも好きになれないですね。

ただ、歴史上の人物は書き手で大きく印象が変わるので、どこまで本物に近い性格なのかわかりませんが…

マリア・テレジアの皇女たちで嫁いだ人はミミ以外政略結婚していますが、結果的にはあまり上手くいかなっかた気がします。
結婚が有効な政治的手段だったとすれば、マリア・テレジアはこの部分では名君と言えたのかどうか、ちょっと疑問です。
返信する
母に溺愛された四女。 (メリエンダ)
2018-06-08 11:13:01
マリア・クリスティーネ。愛称ミミ。母帝が溺愛し、手元に置いて離さなかった四女。それに反比例するように兄弟姉妹には嫌われまくった女性。義姉のイザベラとは親友みたいに仲が良いから、その夫で、実の兄、ヨーゼフとも仲が悪かったのは何故に?なんて思っていたのですが、どうやら、ヨーゼフは、妻のイザベラは自分を愛し、彼女も愛してくれて、互いに隠し事なくしている、と思っていたのに、実はイザベラは夫婦生活を幸せと思っていなかったらしく、彼女の死後それを知って、ショックを受け、イザベラがその事を秘かに打ち明けていたのがペンフレンドだったミミで、ヨーゼフは妻が、夫でなく、義妹のミミを信頼していたことに激しく嫉妬していた、とされているそうですね。けど、母帝は彼女が美しくて、自分の期待に応えて成長してくれたせいか、とにかく、溺愛しまくり(汗)。思うに彼女は、人の心を掴むのが、上手い、“人だらし”だったのではないでしょうか?
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