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“ スペイン女王 ” ではないけれど・・・
スペイン(カスティーリャ)女王 イサベル1世
1451~1504/在位 (カスティーリャ女王)1474~1504
(アラゴン王妃)1479~1504
先日フランス王妃がめでたく最終回を迎えたので、さてどこにしようかね?と
悩んだ挙げ句スペイン王妃にいたしました。
いきなり有名人でございます。
統一を果たしたとはいえ、イサベル1世は正式にはカスティーリャの女王で
アラゴンは夫フェルナンド2世が治めていました。
これは結婚する際、カスティーリャは自分で統治するとイサベルが主張したためで
当時としてはめずらしい恋愛結婚であっても、王としての立場は譲らないという
王家に生まれた者の強さを表していますね。
けれども教科書などではイサベル1世をスペイン女王としていますので
それに倣っていこうと思います。
エピソードを詳しく書くと大変長くなるので
授業で習ったスペイン統一とコロンブスへの援助は省きます。
イサベルはカスティーリャ王ファン2世の王女ですが、異母兄エンリケ4世がいて
女王になるとは思われていませんでした。
しかし、エンリケ4世がやっと授かった王女ファナがたぶん王の子ではなく
ベルトラン伯の子だという噂が囁かれて、ファナの王位継承を阻止しようという
貴族たちが王弟アルフォンソを担ぎだして争うことになりました。
アルフォンソが死亡したためイサベルを女王にという声が高まったのですが
イサベルはこれを固辞して、一応内乱はおさまります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/5c/0d34ad1b1726e29d33df97e360adb384.jpg)
エンリケ4世が亡くなった時、本来であればファナが即位するはずでしたが
貴族たちの大半がイサベルを支持したため、1474年に即位しました。
後にファナと結婚したポルトガルのアフォンソ5世との間に戦争がおこりますが
1479年に和平条約が結ばれて、イサベルは女王の座に留まりました。
さて、有名な恋愛結婚の件ですが、実はイサベルとアラゴン王子フェルナンドは
直接会ったことはありませんでした。
たぶん噂に聞いていて「結婚するならフェルナンドがいいかも…」ぐらいは
考えたかもしれませんが、恋愛とまではいえませんでいた。
1469年、イサベルにポルトガル王アフォンソ5世との縁談が持ち上がります。
年の差20歳で後妻にイサベルを、ということになったのです。
これを断ったイサベルにエンリケ4世が激怒し、彼女をオカーニャに監禁しました。
その後イサベルは脱出してバリャドリードに逃げ込みました。
アラゴンも、もちろんカスティーリャを狙っていましたから
急いでイサベルに縁談を申し込み、フェルナンド自ら彼女に会いにやって来たわけです。
窓から外を眺めていたイサベルが、貧しい商人に扮したフェルナンドを
「あの方よ!」と言い当てたという、中世にありがちな逸話も残っております。
勇敢にイサベルを救い出したフェルナンドですが
その時17歳で、すでに庶子がふたりいたらしい…
出会って4日後に結婚したふたりは
手に手をとってスペイン統一を成し遂げていくことになります。
イサベル1世は賢く勇気もあり、良い君主であったかもしれませんが
あまりにも敬虔なカトリック信者で、宗教裁判を取り入れ
20万人の異教徒を処刑したと言われています。
また、スペイン統一のための最大の難関、“レコンキスタ”によるグラナダへの侵攻にも
人一倍熱心でした。
グラナダとの戦争は11年間続きましたが、なんでもイサベル1世は
戦いの最後の1年間、願をかけて下着を洗わなかったそうですよ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0160.gif)
たぶんペチコートとかコルセットの類いだとは思いますが、下着は黄ばみを通り越して
カフェオレ色になったらしく…スペインて暑いんじゃなくて?
側にいる人たちも大変だったでしょうねぇ。
後年は子供たちに先立たれ、国を継ぐことになる娘ファナは精神の錯乱をおこして
イサベルを悲しませます。
1504年、フェルナンドにファナの摂政になるよう遺言を遺して亡くなりますが
後のことを考えたらいろいろ気がかりだったのではないでしょうか?
子供のことも、王国の行く末もね。
(参考文献 岩根圀和氏『物語 スペインの歴史』
三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』
福本秀子氏『ヨーロッパ中世を変えた女たち』)
スペイン(カスティーリャ)女王 イサベル1世
1451~1504/在位 (カスティーリャ女王)1474~1504
(アラゴン王妃)1479~1504
先日フランス王妃がめでたく最終回を迎えたので、さてどこにしようかね?と
悩んだ挙げ句スペイン王妃にいたしました。
いきなり有名人でございます。
統一を果たしたとはいえ、イサベル1世は正式にはカスティーリャの女王で
アラゴンは夫フェルナンド2世が治めていました。
これは結婚する際、カスティーリャは自分で統治するとイサベルが主張したためで
当時としてはめずらしい恋愛結婚であっても、王としての立場は譲らないという
王家に生まれた者の強さを表していますね。
けれども教科書などではイサベル1世をスペイン女王としていますので
それに倣っていこうと思います。
エピソードを詳しく書くと大変長くなるので
授業で習ったスペイン統一とコロンブスへの援助は省きます。
イサベルはカスティーリャ王ファン2世の王女ですが、異母兄エンリケ4世がいて
女王になるとは思われていませんでした。
しかし、エンリケ4世がやっと授かった王女ファナがたぶん王の子ではなく
ベルトラン伯の子だという噂が囁かれて、ファナの王位継承を阻止しようという
貴族たちが王弟アルフォンソを担ぎだして争うことになりました。
アルフォンソが死亡したためイサベルを女王にという声が高まったのですが
イサベルはこれを固辞して、一応内乱はおさまります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/5c/0d34ad1b1726e29d33df97e360adb384.jpg)
エンリケ4世が亡くなった時、本来であればファナが即位するはずでしたが
貴族たちの大半がイサベルを支持したため、1474年に即位しました。
後にファナと結婚したポルトガルのアフォンソ5世との間に戦争がおこりますが
1479年に和平条約が結ばれて、イサベルは女王の座に留まりました。
さて、有名な恋愛結婚の件ですが、実はイサベルとアラゴン王子フェルナンドは
直接会ったことはありませんでした。
たぶん噂に聞いていて「結婚するならフェルナンドがいいかも…」ぐらいは
考えたかもしれませんが、恋愛とまではいえませんでいた。
1469年、イサベルにポルトガル王アフォンソ5世との縁談が持ち上がります。
年の差20歳で後妻にイサベルを、ということになったのです。
これを断ったイサベルにエンリケ4世が激怒し、彼女をオカーニャに監禁しました。
その後イサベルは脱出してバリャドリードに逃げ込みました。
アラゴンも、もちろんカスティーリャを狙っていましたから
急いでイサベルに縁談を申し込み、フェルナンド自ら彼女に会いにやって来たわけです。
窓から外を眺めていたイサベルが、貧しい商人に扮したフェルナンドを
「あの方よ!」と言い当てたという、中世にありがちな逸話も残っております。
勇敢にイサベルを救い出したフェルナンドですが
その時17歳で、すでに庶子がふたりいたらしい…
出会って4日後に結婚したふたりは
手に手をとってスペイン統一を成し遂げていくことになります。
イサベル1世は賢く勇気もあり、良い君主であったかもしれませんが
あまりにも敬虔なカトリック信者で、宗教裁判を取り入れ
20万人の異教徒を処刑したと言われています。
また、スペイン統一のための最大の難関、“レコンキスタ”によるグラナダへの侵攻にも
人一倍熱心でした。
グラナダとの戦争は11年間続きましたが、なんでもイサベル1世は
戦いの最後の1年間、願をかけて下着を洗わなかったそうですよ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0160.gif)
たぶんペチコートとかコルセットの類いだとは思いますが、下着は黄ばみを通り越して
カフェオレ色になったらしく…スペインて暑いんじゃなくて?
側にいる人たちも大変だったでしょうねぇ。
後年は子供たちに先立たれ、国を継ぐことになる娘ファナは精神の錯乱をおこして
イサベルを悲しませます。
1504年、フェルナンドにファナの摂政になるよう遺言を遺して亡くなりますが
後のことを考えたらいろいろ気がかりだったのではないでしょうか?
子供のことも、王国の行く末もね。
(参考文献 岩根圀和氏『物語 スペインの歴史』
三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』
福本秀子氏『ヨーロッパ中世を変えた女たち』)
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