まりっぺのお気楽読書

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サルディーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世妃 マリーア・テレーザ

2009-08-14 02:27:15 | イタリア王・公妃
              マリーア・テレーザ 2ちゃいでちゅ

兄夫婦と同じような・・・
ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世妃 マリーア・テレーザ
                      ダウストリア=デステ


1773~1732/在位 1802~1821

ブルボン家とばっかり … と思っていたら、やはりハプスブルク家とも縁談があったのね。
これが政治ってものなのか …
でもエステ家はもともとイタリアの名家だしね。

         

マリーアは15歳の時に14歳年上のヴィットーリオと結婚しました。
結婚生活は兄夫婦同様幸せだったそうです。

1802年に兄王カルロ・エマヌエーレ4世が退位したためヴィットーリオが王に即位しました。
兄王には子供がいなかったので王位がまわってくる可能性はあったのですが
ヴィットーリオもあまり政治に興味がなかったみたいで
ナポレオンが失脚するまでサルディーニャにとどまり平穏に暮らしておりました。

1814年、ナポレオンが失脚し(すご~く簡単に言うと)オーストリアのおかげで
本土の領土が戻り、めでたくトリノに帰ることができました。

けれどもトリノはナポレオン時代に自由主義が台頭していて
すでに抑えることが難しくなっていました。
1821年に革命がおこり、ヴィットーリオは弟に王位を譲って退位します。

ヴィットーリオは亡命などはせず、トリノで暮らし1824年に亡くなりました。
マリーア・テレーザは8年後に亡くなっています。

ちなみに、1819年からヴィットーリオも勝手にイングランド王ヴィクター1世に
されていましたが、やはりどうでもよかったようで特に動きはみせていません。
ジャコバイトもちょっとしつこいんじゃなくって?

(参考文献 Wikipedia英語版)

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