浮気な王に耐えしのんで…
フェリペ4世妃 イサベル・デ・ボルボーン
1602~1644/在位 1621~1644
マダム・ロイヤルとして知られるイサベルがフェリペ4世に嫁いだのは
母マリー・ド・メディシスの思惑によるものでした。
8歳の時に父王アンリ4世が暗殺されて兄がルイ13に即位しましたが
実権は摂政の母マリーが握っていました。
マリーはカトリックの権力強化のために、まわりの反対を押し切って
スペイン=ハプスブルク家との縁談をとりまとめます。
王太子フェリペとイサベルとともに、ルイ13世とフェリペの姉のアンヌも
結婚することになりました。 当時よくあったパターンです。
1615年、ルイ13世とイサベルは国境の河辺でフェリペ4世とアンヌと初めて顔を合わせ
そのままイサベルはスペインへ、アンヌはフランスへと向かいました。
ルイ13世とイサベルは大変仲のよい兄妹で、いつも一緒に過ごしていましたが
その後再び顔を合わせることはありませんでした。
イサベルが13歳、フェリペは10歳の若い夫婦でした。
夫婦仲は良かったようですが、フランス宮廷とは違ってスペインでは
女性が成年(17歳)に達するまではお床を共にしなかったそうなので
まるで友達同士のようにじゃれあっていたということでしょうね。
イサベルが17歳になって本当の夫婦になると、ふたりはしきたりで一時別居しますが
フェリペは耐えられず毎晩イサベルの元へ通ったそうです。 やるなぁ…14歳なのに。
アンヌ・ドートリッシュはフランス宮廷に慣れるのに苦労しましたが
イサベルは美貌と優雅さもあって(姑もいなかったし…)早く打ち解けたようです。
特に父王のフェリペ3世はイサベルを気に入ってたいへん可愛がったので
まわりの人たちも彼女と早く近づきになったのかもしれません。
幸せ一杯のイサベルでしたが、1921年にフェリペ3世が亡くなった頃から
次第に国にも夫フェリペ4世にも不穏な雲がかかり始めました。
16歳で即位したフェリペ4世は父王同様善良ではありましたが
政治にはあまり関心を持たずオリバーレス公爵に任せていました。
たぶん…暇だったのね、遊びに夢中になるうちに女性にも関心がでてきたのです。
20際になって初めて浮気をするとあとはもう、次から次へと愛妾をつくりました。
かなりの数の愛妾がいましたが、王に隠す気がなかったのか王妃が鋭かったのか
イサベルはすべての女性のことを把握していたそうです。
しかしスペインに対する各国の動きは厳しくなってきます。
オランダはイギリスを後ろ盾にして独立戦争を開始します。
イサベルが大好きだった兄ルイ13世のフランスは、30年戦争の際
“ ハプスブルク家憎し ” のリシュリューの意見で、なぜかプロテスタント側にまわり
スペインと開戦します。
フェリペ2世の時に併合されたポルトガルもブラガンザ家を中心に反乱が起きて
1640年にスペインから独立しました。
遊んでる場合じゃなかったろうに…
才知と高貴さで名高かったイサベルは、フェリペ4世を助けて戦費を集めたり
臣下たちをとりまとめたりと奮闘し摂政も努めました。
国民からの人気も廷臣たちの信頼も高まる一方です。
けれども、もともとからだが弱かったイサベルは度重なる王の浮気や
実家であるフランスとの戦争などに心を痛め、健康を損ねていきます。
1644年、王も子供たちも留守にしている最中急に苦しみだして
国民あげての祈りも空しく次の日に亡くなりました。
ジフテリアでは? と言われています。
確かに美しいけど、このヘアスタイルが気になる
フェリペ4世は悲しみのあまり絶対再婚しないと誓ったのですが
事情が変わって再婚することになります。 …つづく
(参考文献 佐竹謙一氏『浮気な国王フェリペ4世の宮廷生活』
岩根圀和氏『物語 スペインの歴史』 Wikipedia英語版)
フェリペ4世妃 イサベル・デ・ボルボーン
1602~1644/在位 1621~1644
マダム・ロイヤルとして知られるイサベルがフェリペ4世に嫁いだのは
母マリー・ド・メディシスの思惑によるものでした。
8歳の時に父王アンリ4世が暗殺されて兄がルイ13に即位しましたが
実権は摂政の母マリーが握っていました。
マリーはカトリックの権力強化のために、まわりの反対を押し切って
スペイン=ハプスブルク家との縁談をとりまとめます。
王太子フェリペとイサベルとともに、ルイ13世とフェリペの姉のアンヌも
結婚することになりました。 当時よくあったパターンです。
1615年、ルイ13世とイサベルは国境の河辺でフェリペ4世とアンヌと初めて顔を合わせ
そのままイサベルはスペインへ、アンヌはフランスへと向かいました。
ルイ13世とイサベルは大変仲のよい兄妹で、いつも一緒に過ごしていましたが
その後再び顔を合わせることはありませんでした。
イサベルが13歳、フェリペは10歳の若い夫婦でした。
夫婦仲は良かったようですが、フランス宮廷とは違ってスペインでは
女性が成年(17歳)に達するまではお床を共にしなかったそうなので
まるで友達同士のようにじゃれあっていたということでしょうね。
イサベルが17歳になって本当の夫婦になると、ふたりはしきたりで一時別居しますが
フェリペは耐えられず毎晩イサベルの元へ通ったそうです。 やるなぁ…14歳なのに。
アンヌ・ドートリッシュはフランス宮廷に慣れるのに苦労しましたが
イサベルは美貌と優雅さもあって(姑もいなかったし…)早く打ち解けたようです。
特に父王のフェリペ3世はイサベルを気に入ってたいへん可愛がったので
まわりの人たちも彼女と早く近づきになったのかもしれません。
幸せ一杯のイサベルでしたが、1921年にフェリペ3世が亡くなった頃から
次第に国にも夫フェリペ4世にも不穏な雲がかかり始めました。
16歳で即位したフェリペ4世は父王同様善良ではありましたが
政治にはあまり関心を持たずオリバーレス公爵に任せていました。
たぶん…暇だったのね、遊びに夢中になるうちに女性にも関心がでてきたのです。
20際になって初めて浮気をするとあとはもう、次から次へと愛妾をつくりました。
かなりの数の愛妾がいましたが、王に隠す気がなかったのか王妃が鋭かったのか
イサベルはすべての女性のことを把握していたそうです。
しかしスペインに対する各国の動きは厳しくなってきます。
オランダはイギリスを後ろ盾にして独立戦争を開始します。
イサベルが大好きだった兄ルイ13世のフランスは、30年戦争の際
“ ハプスブルク家憎し ” のリシュリューの意見で、なぜかプロテスタント側にまわり
スペインと開戦します。
フェリペ2世の時に併合されたポルトガルもブラガンザ家を中心に反乱が起きて
1640年にスペインから独立しました。
遊んでる場合じゃなかったろうに…
才知と高貴さで名高かったイサベルは、フェリペ4世を助けて戦費を集めたり
臣下たちをとりまとめたりと奮闘し摂政も努めました。
国民からの人気も廷臣たちの信頼も高まる一方です。
けれども、もともとからだが弱かったイサベルは度重なる王の浮気や
実家であるフランスとの戦争などに心を痛め、健康を損ねていきます。
1644年、王も子供たちも留守にしている最中急に苦しみだして
国民あげての祈りも空しく次の日に亡くなりました。
ジフテリアでは? と言われています。
確かに美しいけど、このヘアスタイルが気になる
フェリペ4世は悲しみのあまり絶対再婚しないと誓ったのですが
事情が変わって再婚することになります。 …つづく
(参考文献 佐竹謙一氏『浮気な国王フェリペ4世の宮廷生活』
岩根圀和氏『物語 スペインの歴史』 Wikipedia英語版)