まりっぺのお気楽読書

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イングランド王ジェイムズ1世妃 アン

2008-11-02 09:10:01 | イングランド王妃・王女
国庫を使い果たした王妃
ジェイムズ1世妃 アン・オブ・デンマーク


1574~1619/在位 (スコットランド)1589~1619(イングランド)1603~1619

ヘンリー8世を継いだエドワード6世、メアリ-1世エリザベス1世には
子供がいませんでした。

そこでエリザベス1世から指名を受けて後を継いだのは
悲劇の女王メアリー・スチュアートの息子ジェイムズ。
彼はヘンリー7世の地血筋を受け継いでいた事からイングランド王になりました。

     
彼は生後1年でジェイムズ6世としてスコットランド王に即位しており
23歳の時にデンマーク王女アンと結婚していました。

ブリテン島と北欧諸国の関わりは、遠くバイキングの頃から深く
デーン人(デンマーク系)のイングランド王の時代もありました。
スコットランドは特に北欧からの影響を受けやすく、婚姻も度々行われていたようです。

ジェイムズ6世とアンは1585年に婚約しますが
北欧の圧力を怖れたエリザベス1世の反対にあって頓挫します。
ジェイムズ6世の母メアリーがイングランドで軟禁されていたからです。
しかし、メアリーが処刑されるに至って1589年、結婚が実現しました。

スコットランドはかなり財政が厳しくて
二人の結婚式や結婚生活は地味だったようです。
それでも結婚したばかりの頃は、仲睦まじかったから良かったのですけど
しばらくすると喧嘩が絶えないようになり、二人は別居状態に入ります。

スコットランドでの慎ましい暮らしの反動によるものかどうか
1603年にジェイムズがイングランド王として即位し、ロンドンにやってくると
アンはものすごい浪費家になります。
旅行や芸術品の蒐集に始まり建築にも凝ったアンは、ヨーロッパ屈指のサロン造りに精を出し
国の財政を危機に晒して夫を金策に走らせるばかりか
莫大な借金まで残してしまいました

また、カソリックとピューリタン両派の不穏な動きに苦労しているジェイムズ1世を尻目に
プロテスタントだったアンがいきなりカソリックに改宗します。
両派の排除をしようという政策をとっていたジェイムズ1世にはかなりの衝撃です。

これらの行動でアンは変わり者のレッテルを貼られてしまいますが
あれじゃないかなぁ・・・?
夫に振り向いて欲しくて困らせてたんじゃないかしら?
自分の存在に気付いてほしいとか、無視されるぐらいなら憎まれたいとか、そんな感じ?
なんか最近そんな人いましたね

アンは死の2年ほど前から病気を繰り返し、こもりがちになりますが
いよいよ病気が重くなってからジェイムズ1世が彼女を見舞ったのは
たったの3回!! だけでした。
息子の皇太子チャールズが度々母を見舞い、泊まり込み、臨終にも付き添ったそうで
それだけが死に臨む彼女の救いだったかもしれません。

アンは死の床で「私はプロテスタントでした」と告白したそうです。
やはり改宗は夫に向けての、彼女の心の叫びだったかもしれないですね。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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