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いったい誰の妻ですの? という王妃
フェルナンド2世妃 ヘルマナ・デ・フォワ
1488~1538/在位 1505~1516
イサベル1世が亡くなった時、フェルナンド2世には王子がいませんでした。
カスティーリャは長女ファナが継ぎ女王として即位しましたが
ファナの希望で夫ブルゴーニュ公フィリップも共治王フェリペ1世として即位しました。
フェルナンド2世はフェリペ1世の政治姿勢が気に入らないし
あんなに苦労して統一したスペインをハプスブルク家にもっていかれるのも
しゃくにさわる
ってことで再婚して王子を得ようと考えます。
そこで当時悪化していたフランスとの関係を和らげるため、ルイ12世に申し入れ
ブロワ条約でルイ12世の姪にあたるヘルマナとの結婚が同意されました。
イサベル1世の死から1年後の1505年、フェルナンド2世は再婚しました。
翌年、ファナの夫フェリペ1世が死去して少しは安心したものの
自分の子供に王を継がせたいという思いから、なんでも媚薬まで使ったらしい…
媚薬って何? まむしとかスッポンとかそういうこと?
その甲斐あってかヘルマナは1509年に王子ファンを生みましたがすぐに夭逝、
その後は子供に恵まれませんでした。
1516年にフェルナンド2世は亡くなりますが、その前に
(精神錯乱をおこしていた)女王ファナと共治することになる孫のカルロス1世に宛てて
「ヘルマナに毎年50,000フロリンの年金を渡すこと。くれぐれも彼女を見捨てないように」
という手紙を書き送っていました。
カルロス1世が即位してフランドルからアラゴンにやってくると
ヘルマナも宮廷に移って来ました。
17歳のカルロス1世は29歳の義理の祖母ヘルマナに敬意を表して
馬上試合や晩餐会などを盛んに催してもてなしたそうです。
ところが
1年ほどするとヘルマナに女の子が生まれます。
イサベルという名のその子の父親はカルロス1世だという噂が、公然と囁かれます。
「見捨てるな」というのは、そういう意味ではないと思うが…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/9f/c321fdfd3ddea544988e40546395f633.jpg)
ヘルマナは1519年に、カルロス1世がまとめた縁談に従って
ブランデンブルク=アンスバハ辺境伯ヨハンと結婚し、一度はドイツに移りますが
4年後には夫とともにヴァレンシ副王にとりたてられてスペインに戻りました。
1526年にヨハンが亡くなると、カラブリア公フェルナンドと再婚しますが
またもや夫がヴァレンシア副王になって、そのままカルロス1世の近くに残ります。
ヴァレンシアはあらたにスペインに併合された国で、反感は燻っていたのですが
ヘルマナは芸術などを通してヴァレンシアがスペインと和合するよう
1538年に亡くなるまで、終生努めたということです。
スペインの人ではないのに、スペインのためにそんなに尽くすなんて…
カルロス1世のことをとても愛していたのかしら?
他の夫は一種のかくれみのみたいにみえます。
ところでカルロス1世は1526年にイサベル・デ・ポルトゥガルと結婚すると
他の女性には目もくれなくなったそうですよ。
ヘルマナ、哀しいねぇ…なんだか。
(参考文献 Wikipedia英語版)
フェルナンド2世妃 ヘルマナ・デ・フォワ
1488~1538/在位 1505~1516
イサベル1世が亡くなった時、フェルナンド2世には王子がいませんでした。
カスティーリャは長女ファナが継ぎ女王として即位しましたが
ファナの希望で夫ブルゴーニュ公フィリップも共治王フェリペ1世として即位しました。
フェルナンド2世はフェリペ1世の政治姿勢が気に入らないし
あんなに苦労して統一したスペインをハプスブルク家にもっていかれるのも
しゃくにさわる
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そこで当時悪化していたフランスとの関係を和らげるため、ルイ12世に申し入れ
ブロワ条約でルイ12世の姪にあたるヘルマナとの結婚が同意されました。
イサベル1世の死から1年後の1505年、フェルナンド2世は再婚しました。
翌年、ファナの夫フェリペ1世が死去して少しは安心したものの
自分の子供に王を継がせたいという思いから、なんでも媚薬まで使ったらしい…
媚薬って何? まむしとかスッポンとかそういうこと?
その甲斐あってかヘルマナは1509年に王子ファンを生みましたがすぐに夭逝、
その後は子供に恵まれませんでした。
1516年にフェルナンド2世は亡くなりますが、その前に
(精神錯乱をおこしていた)女王ファナと共治することになる孫のカルロス1世に宛てて
「ヘルマナに毎年50,000フロリンの年金を渡すこと。くれぐれも彼女を見捨てないように」
という手紙を書き送っていました。
カルロス1世が即位してフランドルからアラゴンにやってくると
ヘルマナも宮廷に移って来ました。
17歳のカルロス1世は29歳の義理の祖母ヘルマナに敬意を表して
馬上試合や晩餐会などを盛んに催してもてなしたそうです。
ところが
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イサベルという名のその子の父親はカルロス1世だという噂が、公然と囁かれます。
「見捨てるな」というのは、そういう意味ではないと思うが…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/9f/c321fdfd3ddea544988e40546395f633.jpg)
ヘルマナは1519年に、カルロス1世がまとめた縁談に従って
ブランデンブルク=アンスバハ辺境伯ヨハンと結婚し、一度はドイツに移りますが
4年後には夫とともにヴァレンシ副王にとりたてられてスペインに戻りました。
1526年にヨハンが亡くなると、カラブリア公フェルナンドと再婚しますが
またもや夫がヴァレンシア副王になって、そのままカルロス1世の近くに残ります。
ヴァレンシアはあらたにスペインに併合された国で、反感は燻っていたのですが
ヘルマナは芸術などを通してヴァレンシアがスペインと和合するよう
1538年に亡くなるまで、終生努めたということです。
スペインの人ではないのに、スペインのためにそんなに尽くすなんて…
カルロス1世のことをとても愛していたのかしら?
他の夫は一種のかくれみのみたいにみえます。
ところでカルロス1世は1526年にイサベル・デ・ポルトゥガルと結婚すると
他の女性には目もくれなくなったそうですよ。
ヘルマナ、哀しいねぇ…なんだか。
(参考文献 Wikipedia英語版)