まりっぺのお気楽読書

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ポーランド公ヴワディスワフ1世妃 ユディタ

2013-02-25 00:56:53 | ポーランド王妃
久々にアクティブな奥さま登場
ヴワディスワフ1世妃 ユディタ・プレゼミシュリデカ


1056~1086/在位せず

ボレスワフ2世の廃位を受け、実の弟ヴワディスワフ1世がポーランド公に即位して
事実上の君主になりました。

ヴワディスワフには長男を生んだ一人目の妃プレゼクラヴァがいましたが
彼女は愛妾とも言われていまして、詳しいことはわかりません。

二人目の妃は、ボヘミア王ヴラチスラフ2世の王女です。
7歳の時に母のハンガリー王アンドラーシュ1世王女アデレードが亡くなり
継母になったのが、カジミェシュ1世王女シュヴィエトスワヴァでした。
ヴワディスワフは義理の伯父ということになりますかね?

      
ポーランドとボヘミアの同盟を強化するための縁談で
1080年頃に結婚しました。

ユディタはポーランドで慈善活動に精を出しました。
未亡人や孤児のために修道院に多くの金や銀を寄付しました。
また、囚人の環境向上も働きかけたそうです。
慈善に励んだポーランド初の妃じゃない? 記録されているということですけど。

1086年、ヴワディスワフとユディタが待ちにまった嫡子が生まれました。
当時長男ズビグニェフは庶子扱いで国外に出されていましたのでね。

当時の30歳が高齢出産にあたるのかどうかは不明ですが
ユディタは産後回復できず、4ヶ月後に亡くなりました。

ヴワディスワフはユディタの死から3年後
ユディタの伯父ハンガリー王シャロモンの妃だったユディトと再婚しました。
ユディトは前妃と区別するためにソフィアと改名しています。

ソフィアはけっこうやりたい放題だったみたいですからねぇ…
心優しいユディタが生きていたら、ボレスワフ2世の王子ミェシュコは
死なずにすんだかもしれない。

ヴワディスワフ1世はいくつか教会を建立してます。
ユディタの影響かもしれませんね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
SHINeeの『Dream Girl』のMVはカラフルでとても楽しい気分になれますね!
ひっかかったりしないのかしら? とハラハラしちゃいますが、Come Back Stageを見たら…さすが!!

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2 コメント

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Unknown (エカテリーナ)
2013-02-28 20:56:12
中世にこんなタイプのお妃がいるとは思いませんでした。皆、特に女性なんかは、この時代自分のことで精一杯なんじゃないかな、と思ってたのに、慈善活動に励むなんて、珍しいですよね。30代で出産は当時、高齢出産に当たったと思います。私の知る限り、18世紀末までは中年に入るころの世代です。マリー・アントワネットも、処刑当時すでに中年だったとかって聞いたことあります。36歳ぐらいだったと思うのですが…
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こんばんわ (まりっぺ)
2013-03-03 20:48:35
エカテリーナさま、こんばんわ

十代での早すぎる出産や、三十過ぎて高齢出産ってことで亡くなるとは…現代の医学はすごいですよね。
ただ何かで読んだのですが、昔は医療器具の使い回しとか手術台のシーツを変えなかったりとか…不潔なことが原因で亡くなった人も多かったそうです。
せめて技術云々より清潔さだけでも保ってくれていたら死なずにすんだ王妃や子どもたちも多かったでしょうね。
返信する

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