まりっぺのお気楽読書

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ポーランド王ジグムンド1世妃 バルバラ

2015-05-26 22:02:59 | ポーランド王妃
王の愛しく儚い思い出になった王妃
ジグムンド1世妃 バルバラ・ザポリャ


1495~1515/在位 1512~1515

アレグザンデルにはまたまた嫡子がいなかったため
弟のジグムンド1世がポーランドとリトアニアを継承しました。

ジグムンド1世は2回結婚していまして、二人目の妃がけっこう強烈です。
まずは一人目の妃バルバラです。

バルバラはハンガリーの領主シュテファン・サポヤイの娘ですが
このサポヤイ家はものすごく裕福なことで有名でした。
なんと! ハンガリーとスロヴァキアに70以上の城を持っていたらしい!!
都内にマンション20部屋… なんかとはわけがちがうっす!

イギリスの雑誌とか見ると、けっこう城が(城にしちゃ)安く売られているんだけど
城は手に入れるより維持するのが大変だと思うのよね。
修理でしょ、使用人でしょ、庭の手入れ、光熱費… だから手放す人が多いと思うの。
それを70以上って、あんた…

母親はポーランドのピャスト家につながる
チェシン公プレジェミシュラフ2世の公女ヤドヴィカです。

バルバラは、ハンガリー対立王ヤーノシュの妹にあたります。
        
バルバラが4歳の時、父シュテファンが亡くなり、バルバラは母ヤドヴィカの従兄の
チェシン公カジミェシュ2世の世話になるために家族のもとを離れます。
それからはスロヴァキアのトレンチーン城、ハンガリー王妃アンヌの宮廷などで
幼い頃を送っていたようです。

1506年、アレグザンデルの後を継いだジグムンド1世は、ハンガリーとボヘミアの
王座を手にしそうなハプスブルク家に対抗するための同盟者を探していました。
サポヤイ家はハンガリーのアンチ・ハプスブルクの中で最も強力な一家でした。

ジグムンドは1511年に使者を送り、ウラースロー2世とバルバラ本人の同意を得ました。
翌年、バルバラは17歳で45歳のジグムンドと結婚しました。

ジグムンド、初婚?
この人はカジミェシュ4世の五男で、まさか王座がめぐってくるとは思われず
いい縁談がなかったのかしらね?

バルバラは、持参金として100,000red zloty持ってきたのですが
これはものすごく大金だったらしい。
3年後にジグムンドの妹エルジェピタが結婚する時に持ってった持参金は20.000zloty…
ケタ違い… しかもredが無いけどね…

この結婚はサポヤイ家の裕福さを見せつけただけではなく、どれだけ重要な相手かを
王家に見せつけることになりました。

ジグムンドとバルバラには28歳の年の差がありましたが
結婚生活は愛に充ちた幸せなものだったそうです。
ジグムンドは、芸術家肌で教養があり、穏やかな人だったそうで
バルバラは尊敬できる相手として慕っていたんじゃないかしらね?

王妃を残して遠征に行く王も多い中二人で出かけて、一緒にいることが多かったようです。
二度目にジグムンドが不在だった時は手紙をやりとりしていたらしいんだけど
ジグムンドが書いたものが20通に対して、バルバラの手紙は2通しか無いんだって。
あくまでも残っているものなのでね… 女性の方が手紙をとっておくだろうし…

ジグムンドはバルバラにも力を持たせようと、政治的なサポートをしたようです。
たぶん、自分が亡くなった後で宮廷で力を維持できるようにだと思うのですが
バルバラは政治に興味がなく、議会への影響力はあまりありませんでした。

二人の間には、1513年に長女ヤドヴィカが、1515年に次女アンナが生まれました。
けれども、アンナ出産後バルバラは体調を崩し、半年あまりして亡くなりました。

ヴァヴェル大聖堂に葬られましたが、ジグムンド1世は、1517年に大聖堂の中に
ジグムンドチャペルを建立する命令を出し、バルバラと5歳で亡くなった次女アンナの遺体は
そちらに移されました。

バルバラとの結婚は、結局ハプスブルク家の躍進を止めることはできませんでした。
ジグムンド自身も、後にアンチから賛成派に変わります。

結果はどうであれ、結婚生活が幸せで何よりでした。

だけど、ジグムンド1世さぁ…
同じ人が前王妃へレナにあんなひどいことする? なんか納得できないなぁ。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとこともの申す!コーナー
先日、マンションのエレベーターの中に、犬のう◯ちがっっ! あやうく踏むところだったじゃないのっ!!
お散歩の時に持ってる可愛らしいバッグは、か・ざ・り・で・す・か? 善良な飼い主さんにまで迷惑がかかりますよ

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