![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/54/dcf76d3968b7e4fc4f7f395bcfc8a402.jpg)
“ 不幸なマスオさん ” を生んだ母娘愛
ヴィクトリア王女 ベアトリス・オブ・ユナイテッドキングダム
バッテンベルク公子ハインリヒ夫人
1857~1944
ベアトリスはヴィクトリア女王の四男五女の末っ子で
幼年期をアルバート公が亡くなった後の沈んだ雰囲気の中で過ごしました。
子供はみーんなそばにおいておきたがった女王ですが、とりわけベアトリスは
手放したくなかったようで、いつまでも縁談にふれようとしませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/b4/e80c85e71a801319e61c0701b18ebc58.jpg)
でも王女ですもの、引く手数多です。
フランス皇帝ナポレオン3世と皇后ウージェニーの皇子ナポレオン・ウジェーヌとは
恋の噂があって、結婚秒読みとまで言われました。
しかしナポレオン皇子は1879年に戦死してしまいました。
王太子エドワード(7世)は次女アリスに先立たれたヘッセン大公に
嫁がせようとしたりします。
そこでベアトリスはダルムシュタットを訪問しますが、ヘッセン大公ではなくて
バッテンベルク公子ハインリヒと恋に落ちてしまいました。
帰国後、ハインリヒと結婚したいと言うベアトリスに対して女王は口をきいてくれず
母娘は7ヶ月間、筆談で会話したそうです。
やっぱりヴィクトリア女王って頑固者だ…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
結局ハインリヒが故国を捨てて、イギリスの女王のそばで暮らすと言う条件を飲んで
やっと結婚が許されました。
ベアトリスも、結婚後も変わらず女王の秘書の役目を務めると約束しました。
ここからは婿に入ったハインリヒの悲哀を中心に書いてみたいと思います。
長くなるのではしょっていくわね。
二人はハネムーンに出かけたけど、それは女王の別邸オズボーンハウスの近所でした。
つまり、新婚旅行中も女王に会いに行ったと思われます。
その後二人が女王抜きで旅行に出たことは無いそうです。
ハインリヒは他の王侯貴族の三男、四男同様、軍隊でキャリアを積みたいと考えていましたが
女王が阻止しました。
ハインリヒが城を抜け出して兄のルートヴィヒとコルシカに向かった時には
戦艦を差し向けてハインリヒを連れ戻してます。
いくら入り婿(状態)だからって、好きな仕事をさせてあげればいいじゃないね!
実際、妻のベアトリスは結婚後もフルタイムで秘書として女王にべったりついてました。
王女の婿っていうだけで特にやることもない毎日にうんざりする気持ち、わかりますよね。
女王は、ヒマそうな婿に仕事でも…とハインリヒをワイト島の総督に任命しましたが
ワイト島は女王のお気に入りの別荘オズボーンハウスがあるところです。
子供の使いみたいな役職ですよね。
結局、どうしてもアシャンティ遠征に参加したい!というハインリヒの熱望に負けて
女王は軍隊への参加を許しましたが、女王一生の不覚…すごく悔やんだことでしょう。
遠征に向かってから1年後の1896年、ハインリヒはマラリアで亡くなり
報せを聞いてマデイラ島にかけつけたベアトリスのもとへ亡骸になって運ばれました。
ハインリヒったらかわいそう…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
まさかこんなに母娘ベッタリだとは思っていなかったでしょうね。
ベアトリスは喪が明けると健気にも女王のもとへ戻り秘書役を続けました。
女王も彼女を信頼し、母娘の絆はますます深くなったようです。
でも、1901年に女王が亡くなるとベアトリスの境遇も変わります。
ここからは駆け足でいきますね。
もともと兄弟姉妹と仲が良くなかったと言われるベアトリスは
兄のエドワード7世とも疎遠でした。
エドワード7世は女王のお気に入りだったオズボーンハウスを売ろうと考えたり
女王とベアトリスの共通の趣味だった写真を人目に触れないよう処分しようとします。
ベアトリスは宮廷には顔を出していましたが、女王時代よりポジションは低くなりました。
エドワード7世は王太子時代、まったく政治に関わらせてもらえなかったそうなので
側で重要な役目を演じていたベアトリスのことが恨めしかったかもね…
晩年は13年がかりでヴィクトリア女王の日記の編纂をしたり
母方の曾祖母アウグスタの日記を翻訳して出版しました。
1944年に87歳で亡くなりました。
なお、甥ジョージ5世の時代に、イギリス王室はサクス=コバーク=ゴータというドイツ名から
ウィンザーというイギリス名に改名しています。
ベアトリスも家名をバッテンベルクからマウントバッテンに改めました。
子供は三男一女おりまして、娘のヴィクトリア・ユージェニーは
スペイン王アルフォンソ8世妃になりました。
ですので、現イギリス女王エリザベス2世とスペイン王ファン・カルロス1世は
遠い親戚になりますね。
お互いの配偶者も親戚同士となっております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ac/3521d23e0386b8b946c021d0386763d9.jpg)
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
ヴィクトリア王女 ベアトリス・オブ・ユナイテッドキングダム
バッテンベルク公子ハインリヒ夫人
1857~1944
ベアトリスはヴィクトリア女王の四男五女の末っ子で
幼年期をアルバート公が亡くなった後の沈んだ雰囲気の中で過ごしました。
子供はみーんなそばにおいておきたがった女王ですが、とりわけベアトリスは
手放したくなかったようで、いつまでも縁談にふれようとしませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/b4/e80c85e71a801319e61c0701b18ebc58.jpg)
でも王女ですもの、引く手数多です。
フランス皇帝ナポレオン3世と皇后ウージェニーの皇子ナポレオン・ウジェーヌとは
恋の噂があって、結婚秒読みとまで言われました。
しかしナポレオン皇子は1879年に戦死してしまいました。
王太子エドワード(7世)は次女アリスに先立たれたヘッセン大公に
嫁がせようとしたりします。
そこでベアトリスはダルムシュタットを訪問しますが、ヘッセン大公ではなくて
バッテンベルク公子ハインリヒと恋に落ちてしまいました。
帰国後、ハインリヒと結婚したいと言うベアトリスに対して女王は口をきいてくれず
母娘は7ヶ月間、筆談で会話したそうです。
やっぱりヴィクトリア女王って頑固者だ…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
結局ハインリヒが故国を捨てて、イギリスの女王のそばで暮らすと言う条件を飲んで
やっと結婚が許されました。
ベアトリスも、結婚後も変わらず女王の秘書の役目を務めると約束しました。
ここからは婿に入ったハインリヒの悲哀を中心に書いてみたいと思います。
長くなるのではしょっていくわね。
二人はハネムーンに出かけたけど、それは女王の別邸オズボーンハウスの近所でした。
つまり、新婚旅行中も女王に会いに行ったと思われます。
その後二人が女王抜きで旅行に出たことは無いそうです。
ハインリヒは他の王侯貴族の三男、四男同様、軍隊でキャリアを積みたいと考えていましたが
女王が阻止しました。
ハインリヒが城を抜け出して兄のルートヴィヒとコルシカに向かった時には
戦艦を差し向けてハインリヒを連れ戻してます。
いくら入り婿(状態)だからって、好きな仕事をさせてあげればいいじゃないね!
実際、妻のベアトリスは結婚後もフルタイムで秘書として女王にべったりついてました。
王女の婿っていうだけで特にやることもない毎日にうんざりする気持ち、わかりますよね。
女王は、ヒマそうな婿に仕事でも…とハインリヒをワイト島の総督に任命しましたが
ワイト島は女王のお気に入りの別荘オズボーンハウスがあるところです。
子供の使いみたいな役職ですよね。
結局、どうしてもアシャンティ遠征に参加したい!というハインリヒの熱望に負けて
女王は軍隊への参加を許しましたが、女王一生の不覚…すごく悔やんだことでしょう。
遠征に向かってから1年後の1896年、ハインリヒはマラリアで亡くなり
報せを聞いてマデイラ島にかけつけたベアトリスのもとへ亡骸になって運ばれました。
ハインリヒったらかわいそう…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
まさかこんなに母娘ベッタリだとは思っていなかったでしょうね。
ベアトリスは喪が明けると健気にも女王のもとへ戻り秘書役を続けました。
女王も彼女を信頼し、母娘の絆はますます深くなったようです。
でも、1901年に女王が亡くなるとベアトリスの境遇も変わります。
ここからは駆け足でいきますね。
もともと兄弟姉妹と仲が良くなかったと言われるベアトリスは
兄のエドワード7世とも疎遠でした。
エドワード7世は女王のお気に入りだったオズボーンハウスを売ろうと考えたり
女王とベアトリスの共通の趣味だった写真を人目に触れないよう処分しようとします。
ベアトリスは宮廷には顔を出していましたが、女王時代よりポジションは低くなりました。
エドワード7世は王太子時代、まったく政治に関わらせてもらえなかったそうなので
側で重要な役目を演じていたベアトリスのことが恨めしかったかもね…
晩年は13年がかりでヴィクトリア女王の日記の編纂をしたり
母方の曾祖母アウグスタの日記を翻訳して出版しました。
1944年に87歳で亡くなりました。
なお、甥ジョージ5世の時代に、イギリス王室はサクス=コバーク=ゴータというドイツ名から
ウィンザーというイギリス名に改名しています。
ベアトリスも家名をバッテンベルクからマウントバッテンに改めました。
子供は三男一女おりまして、娘のヴィクトリア・ユージェニーは
スペイン王アルフォンソ8世妃になりました。
ですので、現イギリス女王エリザベス2世とスペイン王ファン・カルロス1世は
遠い親戚になりますね。
お互いの配偶者も親戚同士となっております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ac/3521d23e0386b8b946c021d0386763d9.jpg)
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
今19世紀後半のイギリス、ビクトリア女王のゴールデンジュビリーの時代を調べていて、こちらのブログにたどり着きました。
女王の末っ子、ベアトリス王女について、このページがとてもわかりやすく読みやすいので、リンクさせていただきました。
もしも許可されない場合は、ご連絡ください。
すぐにリンクを取り消します。
事後連絡になってしまって申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
はじめまして、こんばんは
リンクありがとうございます。
立派なブログに私のブログで大丈夫でしょうか?
私はちゃんと歴史も英語も学んだ事がなく、ただ家系図が書きたいだけで記事をあげていますので、間違いなどあったらすみません。
お気づきになったら遠慮なくお知らせ下さい。