まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

神聖ローマ皇帝フランツ1世皇女 マリア・ヨーゼファ

2011-05-28 12:39:20 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
お嫁入り直前の悲劇
フランツ1世皇女 マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ


1751~1767

マリア・ヨーゼファは、フランツ1世とマリア・テレジアの九女です。
七女マリア・カロリーナは生まれてすぐに亡くなり
八女マリア・ヨハンナは12歳の時に天然痘で亡くなりました。

実はマリア・テレジアは予防接種の支持者で、子供たちの全員に
天然痘の予防接種を受けさせて効果を実証しようとしたのですが
マリア・ヨハンナには裏目にでちゃったみたいです。

         
いくら大ハプスブルク帝国の公女とはいえ九女ともなると、あまり日の目を見ない立場ですが
姉たちが亡くなったり嫁いだりして、さらにヨーゼフ(2世)妃マリア・イザベラが亡くなると
マリア・ヨーゼファは姪(ヨーゼフの王女)のマリア・テレジア、
姉のマリア・アマーリアに続くVIPになりました。

マリア・ヨーゼファは、本当に可愛らしい少女でした。
従順な性格で、陰気で神経質な兄ヨーゼフのお気に入りでした。

女帝は最初にマリア・アマーリアをナポリ=シチリア王フェルディナンド1世に
嫁がせようと考えましたが、フェルディナンドの父スペイン王カルロス3世が反対しました。
年上だったからですかね?

そこでフェルディナンドと同じ年のマリア・ヨーゼファが候補に挙がりました。
縁談話は進み、まさに婚礼のためにウィーンを発とうとした時
マリア・ヨーゼファに天然痘の兆候が現れます。

女帝は(ヨーゼフ妃)マリア・イザベラの棺に祈りを捧げた時に罹病したと主張しました。
たしかにマリア・ヨーゼファは、発病の二日前にマリア・イザベラの墓所を訪れていました。
しかし、天然痘の発疹が出るのはだいたい一週間後です。
さては、姉同様予防接種のせいなのか…

いずれにしてもマリア・ヨーゼファは回復せず亡くなってしまいました。

マリア・テレジアの一家には天然痘による死亡者が多いですよね。
治療や隔離が困難だったのでしょうか?

マリア・ヨーゼファの代わりとして、妹のマリア・カロリーナがナポリへ嫁ぎます。
これがナポリにとって良かったのか悪かったのかは…つづく

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神聖ローマ皇帝フランツ1世皇... | トップ | 神聖ローマ皇帝フランツ1世皇... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
母を敬愛した九女。 (メリエンダ)
2018-06-08 10:30:20
マリア・ヨーゼファー。幼くして亡くなったせいか、他の姉妹程、資料が残っていないみたいですが、彼女は従順で母を敬愛した心優しい少女だったと言うのはどれも同じみたいですね。母を憎しみ、反発ばかりしていた姉のアマーリエ、負けん気が強く、母を越える女傑になろうと邁進した妹のカロリーネ。こんなにもあくの強い(笑)姉や妹に比べたら、そりゃぁ‥。姉妹の殆どと不仲だった長兄ヨーゼフも、この素直な妹のことだけは可愛がったし、母も、ヨーゼファーをこんなに素直な性格の娘があんな男と結婚させるなんて‥と罪悪感を感じたとも言われていますね。(まぁ、母帝の本心かは謎ですが‥)ヨーゼファーは早くに亡くなりましたけど、皆から愛されて最期まで幸福だったのではないでしょうか?
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ハプスブルク帝国の妃・皇女」カテゴリの最新記事