まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

イングランド王ヘンリー8世妃 アン

2008-11-01 01:30:33 | イングランド王妃・王女
“王の妹”になった王妃
ヘンリー8世妃 アン・オブ・クレーヴズ


1515~1557/在位 1540

ジェインの死後3年、ローマ法皇庁と断絶したままのイングランドは
同盟国を得る必要に駆られ、ヘンリー8世の再婚を考えます。
思えばヘンリー8世が政治的に結婚を考えるなんて初めてのことです。
キャサリン・オブ・アラゴンは兄嫁を好きになっちゃったわけだから)

       

アンの兄クレーヴズ公ヴィルヘルムが神聖ローマ皇帝カール5世と対立していたことから
アンと妹アメリアが候補にあがります。

宮内庁官クロムウェルの命でハンス・ホルバインが描いた
各国のお妃候補の肖像画の中からアンを選んだヘンリー8世ですが
よほど気に入ったのか、急いで結婚の話しを進めさせ
アンがイングランドに到着した時には自ら途中まで迎えに出向いています。

が、しかし、ガーン
ヘンリー8世はアンを一目見て失望してしまいました。
どうして?  可愛いじゃないの。
肖像画があまりにも奇麗に描かれていたという説もありますが
ヘンリーが側近に語ったことによると「並外れてがっちりしている」と
いうことだったらしいですよ。
(フランス王フランソワ1世は、「娘をカレーまで行かせるから見に来たらどうか?」と
 提案しています。やっぱり実物をみないとね)
きゃしゃな人が好きだったのかしら? ヘンリー。
でも、がっちりしてるなら丈夫な子供を産んでくれるかもしれないのにね。

そんなわけで、ヘンリー8世とアンは1度も夫婦関係を結ばないまま半年後に離婚します。
アンの場合も国際関係がからむので知恵が絞られた結果
アンが以前交わしていたロレーヌ公子との婚約が破棄されていなかったという
重箱の隅から探し出してきた理由をこじつけます。

でもアンには本当の理由が分かっていたのよね
恥をさらしたくないとイングランドに残ることにします。
ヘンリー8世はアンに年金と居城、そして “ 王の妹 ” という称号を与えました。
称号もらたってさ~!! って思いません? ホントヒドい話しですよ

アンは穏やかな性格だったようで
(じゃなきゃ国に帰って兄上に戦争しろってけしかけるね、きっと)
先王妃の娘たち、メアリーエリザベスとも打ち解けて付き合うようになります。
メアリー1世の戴冠式にはパレードに参加しています。

自分を侮辱したも同然の異国の地で、寂しく余生を送らなければならないなんて
なんて哀しい人生でしょうか?
私は、ヘンリー8世の6人の王妃のうち、アンへの仕打ちが一番非道だと思うわ!!

余談です
アンは亡くなると、メアリー1世の命令により
ウエストミンスター・アベイ(王や王妃の墓所)に葬られました。
メアリー1世ってそんなに冷血漢じゃなかったのかも・・・

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

    

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イングランド王ヘンリー8世妃... | トップ | イングランド王ヘンリー8世妃... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

イングランド王妃・王女」カテゴリの最新記事