まりっぺのお気楽読書

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神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世妃 マリア・イザベラ

2010-01-10 01:44:23 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
ハプスブルク家に愛された皇太子妃
ヨーゼフ2世妃 マリア・イザベラ・フォン・ブルボン=パルマ


1741~1763/在位せず

マリア・イザベラは、スペインのマドリッドで生まれて
祖父のスペイン王フェリペ5世の宮殿で育ちました。

1748年に父フェリーペがパルマ公フィリッポになりまして家族とともに移り住みましたが
イタリアでもスペイン王女然とした風格と気品を保って過ごしたそうです。

ちなみにパルマ公位はもともとファルネーゼ家のものでしたが
なんだかハプスブルク家とブルボン家に取ったり取られたりしてしまっていたのね。
マリアの祖母イサベル・マリアもファルネーゼ家出身です。

母のルイサ・イザベラはフランスのルイ15世王女でした。
彼女はなぜか、二人目の公女が生まれると姉のマリアに冷淡になっていきます。
ちなみに妹とは、あの悪名高いスペイン王カルロス4世妃マリア・ルイサでございます。

        

そんなあまり良くない関係の母娘でしたが、ルイサが1759年に亡くなると
マリアは沈みがちになって、自分の早世も予感していたと言われています。
でも、思春期には死を美化する傾向があるからね…誰でも一度は通る道かもね。
マリアは哲学者や理論家の本を好んで読んでいたというから、尚更かもしれませんね。

母ルイサは女帝マリア・テレジアと親交があって、オランダの王位を約束されました。
この話しは具体化しませんでしたが、そんな中で持ち上がった皇太子ヨーゼフと
マリアの縁談は、ヨーゼフの熱望で実現しました。

ヨーゼフには他にも候補者がいたのですが、自らマリアを選びました。
これはハプスブルク家ではかなり異例なことでした。

だもんで、1760年に結婚するとふたりはちょーラブラブ
仲睦まじく、美男美女のふたりには誰もが目を細めたそうですよ。

           
            こんな絵が残っちゃうほど仲睦まじかったおふたり

美しくて知的で、誰もがうっとりしてしまうマリアはすぐに宮廷の人気者になり
皇帝フランツ1世をはじめ、ヨーゼフの家族にも気にいられました。
義妹マリア・クリスティーナとは毎日会ったり文通するほどの大親友でした。
(…って同じ宮殿に住んでいたのじゃないのかね?)
1762年には初めての子供(皇女)が生まれて、もう万々歳!

でも、幸せって長く続かないものなのね…
1763年、妊娠したマリアは天然痘にかかり、子供を死産した後亡くなってしまいます。
もう、ヨーゼフの嘆きは大変!
もともと冷笑的で皮肉屋のヨーゼフは、人生が終わってしまったと言って
さらにネガティブに…

愛していたことはよぉく分かる、でもね…
今までにもこの、熱愛した妃の早世 → 2番目の妃が可哀想な目に遭う、というパターンは
数々ありましたが、次の奥さん、ハンパなく可哀想なんですけど…

ところで、ヨーゼフの妹マリア・アマーリエは、後にマリアの弟フェルディナンドと
結婚しましたが、こちらはあまり幸福ではなかった模様…詳しくは別の機会に。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』『ハプスブルク家の女たち』
      Wikipedia英語版)

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6 コメント

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謹賀新年 (マリアンヌ)
2010-01-10 02:15:41
まりっぺ様、あけましておめでとうございます。

このヨーゼフとマリア・イザベラの話は、本当に悲恋として片付けられていますよね?一応、相思相愛の形で正式に結婚するのですが、美しい二人の愛がマリア・イザベラの早世で、突然終わりを告げる、というものでした。

ところで、江村洋氏、もうもう故人となられましたが、この江村氏なくして、日本に詳しい形
で、ハプスブルグ家の事が紹介される事はなかった、と思います。又、あの愛称シシーこと皇后エリザベートの孫娘、皇女エリザベートをお書きになられた塚本哲也氏、日本におけるハプスブルグ家の知識の蓄積は、この塚本氏と江村氏に負う事が多いと思っています。

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おめでとうございます (まりっぺ)
2010-01-11 23:16:21
こんばんわ。

私のハプスブルク家のソースは江村洋さんと菊池良生さんで、塚本哲也さんという方の本は読んだことがありません。
ぜひ参考にさせていただきたいと思います。
いつも教えていただいてありがとうございます。

思えば私も森護さんの本を読んでいなかったら、家系図とか歴史には関心が湧かなかったわけで…1冊の本との出会いって大きいものですよね。
返信する
Unknown (ケイコ・オカモト)
2010-07-05 10:22:12
まりっぺ様、こんにちは。

いつも楽しく見てます。
私も江村洋さんの本でハプスブルク家の知識を得ました。
江村洋さんの本にヨーゼフの妃候補でナポリとパルマの姫のどちらかにすると決めかねていた時、ヨーゼフ自身がパルマのイザベラを選んだと書いてあった気がします。
別の本(ハプスブルク歴史物語)にナポリの姫の方が後に弟のレオポルト2世の妃になった、と書いてあったのですが、本当でしょうか?
調べてみたら、イザベラとマリア・ルドヴィカは結果的にいとこ同士ですが(父親が兄弟)
このブログを読んで初めて知ったこともたくさんあってとても参考になります。

長々とごめんなさい。
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こんばんわ (まりっぺ)
2010-07-05 22:12:01
ケイコ・オカモト様、こんばんわ

コメントありがとうございます。

私のハプスブルク家に関する情報ソースもほとんどが江村洋先生の本によるものです。
普通の歴史書と違って個人個人に対するエピソードや人柄が書かれていて読みやすく飽きませんよね!

私は幾人かの候補からイザベラが選ばれたと記憶していたんですけど、中にはマリア・ルドヴィカもいたかもしれませんね。

ルドヴィカは見栄えはあまり…と言われていますが、子だくさんでハプスブルク家にとっては良いお嫁さんでしたね。
ヨーゼフも顔で選ばなきゃ違った人生が送れたかもしれないのに…



返信する
儚き佳人・マリア・イザベラ。 (メリエンダ)
2018-06-08 11:48:43
ヨーゼフが生涯、最も愛した女性、イザベラ。彼女の肖像画はイザベラが上品で儚げな美貌の持ち主であることを見事に描いています。彼女はフランス王家の血をひく公女という羨むような身分ですが、家庭環境は良くなかったらしいですね。両親は不仲で、母はノイローゼ気味しかも、母はなんと、僅か14か15でイザベラを生んだらしくて、母はイザベラを、“人形”を可愛がるように大事に、溺愛した、とされているみたいですね。そのせいか、妹が生まれると、母の関心は人形みたいに小さい妹に移り、成長したイザベラには関心を払わなくなった、とされていますね。イザベラの母は、母親となるには、あまりにも精神が不安定で、推さなかったみたいですね。
だからでしょうか、イザベラも実のところ、精神が不安定で、死に憧れたりしたのは‥夫に一途に愛され、女としてこの上なく幸福なのに、彼女はいつも死を意識していて、母同様、精神的に不安定だったらしいです。出産も辛いばかりで、子供への愛情などよりも、出産の辛さを痛感し、この苦しみがこの先も続くのか、とばかり考え、より一層、死に憧れるようになったのを、夫ではなく、ペンフレンドのミミに明かしたそうですね。だから、イザベラの死後、ヨーゼフが、妻は結婚生活に幸せを感じていなかったことを知り、ショックを受け、彼自身、最愛の女性を亡くしたも相まって、もう結婚など二度と‥なんて嘆いていたらしいです。夫婦仲良く寄り添う絵画なんて本当に幸せそうなのに‥
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こんばんは (まりっぺ)
2018-06-20 21:15:27
メリエンダさま、こんばんは

たくさんのコメントありがとうございます
ちょっと体調を崩したりしてまして、お返事が遅くなりすみません

ハプスブルク家は、ひとりひとりの女性にたくさんエピソードがあって飽きないですよね

わたしのハプスブルク家に関するソースはほぼ江村洋先生なんですけど、メリエンダさんはどなたのものが多いですか?
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