まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

神聖ローマ皇帝レオポルト2世皇女 マリア・テレジア

2011-06-02 02:30:50 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
モーツァルトを怒らせちゃったことがある
レオポルト2世皇女 マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ
ザクセン王アントン妃


1767~1827/在位 1827

フランツ1世の後を継いだヨーゼフ2世と最愛の妃マリア・イザベラ・フォン・パルマには
二人の皇女が生まれましたが、長女マリア・テレジアは7歳の時突然亡くなり
次女マリア・クリスティーナは出産の時に亡くなりました。
マリア・イザベラも数日後に亡くなりました。

二人目の妃マリア・ヨーゼファはヨーゼフからまったく相手にされず
お子様はできませんでした。

ヨーゼフ2世の後即位したレオポルト2世と皇后マリア・ルドヴィカは子だくさんで
男の子12人、女の子3人の、15人のお子様が生まれました。
王侯貴族の家系図をいろいろ書いておりますと
たぶん、女の子の方が政治的には役に立ったんじゃないかなぁ、なんて思ったりして…

マリア・テレジアは、レオポルト2世とマリア・ルドヴィカの長女で
レオポルト2世がトスカーナ大公時代にフィレンツェで生まれました。

       
1787年にザクセン選帝侯子アントンと結婚しました。

モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』は、結婚式典の一環で新郎新婦が訪れる
プラハで演じられることが決まって台本が献上されていました。

しかし、伯父ヨーゼフ2世は『フィガロの結婚』に差し替えるよう命令しました。
『フィガロの結婚』は新婦になる女性には相応しくないと多くの人が思ったそうです。
なぜかしらね? 陰険なヨーゼフ2世の嫌がらせかしら?
結局アントンとマリア・テレジアは早々に席を立ったそうですよ。
モーツァルトはこの件でブーリブリ 文句を書き連ねた手紙を友人に送ってます。

アントンとの間に子供が4人生まれていますが、皆幼くして亡くなりました。

1827年、義兄フリードリヒ・アウグスト1世が嫡子無しで亡くなったので
アントンはザクセン王に即位しました。
でもザクセンはナポレオン戦争の時にナポレオン側に加担して敗戦したために
すでに領土の大半を失っていました。

マリア・テレジアは夫の即位から数ヶ月後にライプツィヒで亡くなっています。

マリア・テレジアの実家ハプスブルク家は反ナポレオン連合の筆頭国ですから
敵国になるのは避けたかったでしょうね。

夫を尻に敷くタイプの、女帝マリア・テレジアの皇女たち、たとえば
マリア・アマーリアマリア・カロリーナみたいな女性だったら
もしかしてザクセンを説得するか牛耳ることができたかもしれません。
おとなしい人だったのかしらね?

(参考文献 Wikioedia英語版)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ロレンス短篇集』どうにも... | トップ | 神聖ローマ皇帝レオポルト2世... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ハプスブルク帝国の妃・皇女」カテゴリの最新記事