まりっぺのお気楽読書

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ハンガリー王ゲーザ1世妃 ゾフラ

2010-08-14 19:47:50 | ハンガリー王妃
            こちらは聖ラースロー1世とアデルハイドの王女ピロシュカ

ここから6人、駆け足でまいります
ゲーザ1世妃 ゾフラ


王が目まぐるしく入れ替わった時代、王妃に関するエピソードがないので
家系図のみでやりすごしてみます。

ベーラ1世の長男で、シャロモンを倒して王に就いたゲーザ1世の最初の妃は
リンブルク伯の娘ゾフラ(~1075)です。
後の王カールマーンの母后です。

ゲーザ1世のふたりめの妃はビザンツ皇帝ニケフォロス3世の姪にあたる
シュザナデーネ(1058~1082)

ゲーザ1世の後を継いだ弟聖ラースロー1世は神聖ローマ皇帝への反抗心から
ドイツ対立王シュヴァーベン伯ルドルフ1世の娘アデルハイドと結婚。
王女ピロシュカはビザンツ皇帝ヨハネス2世妃になりました。
ピロシュカの子、皇帝マヌエル1世は、この後ハンガリーにやけにちょっかいをだしてきます。

      

聖ラースローを継いだのはゲーザ1世の王子カールマーンでしたが、少し障害があり
実弟スラヴォニア公アールモシュのクレームと戦う日々が続きました。

最初の妃ブジラ(1078~1102)はシチリア伯ルッジェーロ1世の娘です。
カールマーンは使節を送り求婚しましたが、シチリア伯は使節の身分が低いとして拒否、
次にゴヤールの司教が送られましたがこれも拒否されました。

       
とうとう弟のアールモシュが送られ、結婚はやっと承諾されました。
アールモシュもいざとなったら助けてくれたのね…
でもアールモシュはいつまでも王位を主張したので、後に目をつぶされちゃいます。

ブジラはイシュトヴァーン2世の母后ですが、息子が即位する前に亡くなりました。

ふたりめの妃はキエフ大公ウラディミール2世公女エウフェミア(1099~1139)

         
カールマーンは知的ではありましたが障害があったため、エウファミアは浮気にはしり
すぐにキエフに送り返されました。
故郷でボリスという男の子を生みましたが、カールマーンは認知しませんでした。
しかし彼は後々ハンガリー王位を主張します、もちろん。

エウフェミアは故郷近くの修道院で余生を送りました。

家系図が前後しますが、カールマーンを15歳で継いだイシュトヴァーン2世の妃は
カプア公ロベルト1世の公女クリスティナですが、詳しいことはわかりません。
子どもは生まれなかったようです。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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