まりっぺのお気楽読書

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ハンガリー王アルベルト妃 エルジェーベト

2010-09-30 23:10:46 | ハンガリー王妃
女王として生まれた王妃
アルベルト妃 エルジェーベト・ルクセンブルギ


1409~1442/在位 (ハンガリー王妃)1438~1439 (ボヘミア王妃)1438~1439

ジグモンド王の忘れ形見エルジェーベトの生年には諸説あるらしいのですが
1409年説をベースに考えると、2歳でオーストリア公子アルブレヒトと婚約して
11歳の時に結婚しました。

マリア女王の時にすったもんだがあったハンガリー、
ジグモンドは後継者に娘エルジェーベトではなく、娘婿アルブレヒトを指名していました。

        

アルブレヒトはジグモンド亡き後、アルベルト王として即位しました。
翌年ボヘミア王にも即位しています。

オーストリア公でもあり、神聖ローマ皇帝の座も狙っていたアルベルトは留守がちです。
エルジェーベトは正当な王位継承者として摂政に就き、夫の留守を守っていました。

1439年、アルベルトが赤痢で亡くなりました。
この時王に推されたのはポーランド王ヴワディスワフ3世です。
そう! 先王ジグモンド妃ボルバーラが再婚を約束した相手です。

エルジェーベトはその時子供を身ごもっていました。
なぜか「もう、ぜったいに男の子!」と確信したエルジェーベトは
有力貴族に大臣や大司教などのポストを与えて味方を募り、党派を立ち上げました。

まるで女王のように国を治め始めたエルジェーベトでしたが
オスマン帝国の脅しを受けた議会は彼女を女王に選びませんでした。
議会はヴワディスワフ3世と再婚して王に即位させるべきだという結論に至ります。

表向きは受け入れたエルジェーベト、しかし、彼女は王冠を持ち出し
ジェールで0歳の息子に戴冠しちゃいましたとさ 死にものぐるいね。
でもヴワディスワフ3世(ウラースロー1世)は王に即位したんだけど…

ブダペストを攻撃したものの敗れたエルジェーベト軍…こうなりゃやけっぱちです。
1442年にエルジェーベトはウラースロー1世と婚約しました。
息子のことを思えばこその決心だったと思います。

ところが婚約からしばらくして、エルジェーベトは急死します。

ウラースロー1世は男性が好きだったらしく、エルジェーベト毒殺説も流れました。
殺すほど嫌なら婚約しなきゃよかったものを…(あくまで噂ですけど)

1444年、ウラースロー1世は未婚で戦死します。
その後は愛する我が子、ラースロー5世が即位しました。
勇姿が見たかったでしょうね

ラースロー5世はフランス王シャルル7世とマリー・ダンジューの王女マドレーヌと
婚約していましたが、17歳の時白血病で結婚しないまま亡くなりました。

この後王位は、いきなりのフニャディ家に移ります。 つづく…

(参考文献 Wikipedia英語版)

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